第11話 モウ一人のワタシ


 寒い。

 そうか、フユが産まれた季節になったんだ。そう思うと感慨深い。何年目だっけ?十六年目。十六才。

 残念だな。産まれた日が判っているなら、誕生日ってお祝い出来たのに。それはまだやったことがない。楽しそうだって思う。カマンタも知らないの?フユの誕生日。

 知らないか。カマンタに会ったのは、フユが産まれた後だもんね。気にしないで、一応仮の日ってのは決めてあるじゃない。

 その日はどうしようか、ケーキとか買ってみようか。ロウソクを立てるの。年の数だから十六本か。多いな。一息で消すのって難しくない?

 後は、ハッピーバースデーの歌をうたうんだよね。知ってる。ディア、フユ。ふふ、なんだかくすぐったい。

 カマンタは祝ってくれる?フユの誕生日。フユが産まれたこと。フユが十六年間生きたこと。そうか、ありがと。

 フユには、まだ知らないことが沢山ある。みんなが当たり前のように知っていること。フユは、何も知らない。

 誕生日プレゼント。そういえば貰ったことないなぁ。誰かくれないかな。カマンタには期待してないよ。

 プレゼントをくれる人、欲しいな。

 まあ、昔に比べれば、だいぶマシだとは思うんだよ。知ってる人って結構増えたし。一人じゃないんだって、思えるようにはなったから。って。

 今、一人なんだけどさ。ははは。

 いいんだ。こうしているだけで、楽しいことはいっぱいある。冷蔵庫、電子レンジ、テレビ。テレビはスゴイ。画面の向こうでは、楽しいこと、怖いこと、不思議なこと、何でもある。うっかり一日中観ちゃうことがある。気を付けないと。

 鏡。フユは自分の姿を見るの、嫌いじゃないよ。細くて白い。もうちょっとふっくらしている方が女の子っぽいよね。フユはガリガリだ。こればっかりは仕方ないかな。もう、これから太ってくるよ、なんて失礼なこと言わないで。

 髪の毛、長いね。真っ直ぐで、黒い。背中の真ん中辺りまで届く。お手入れ大変。乾かすのも大変。でも、すごく気に入っている。さらさらって、掌の上を流れる。フユが、一目で女の子だって判る。とても好き。

 顔は、どうかな。ちょっとぼんやりしてそう。垂れ目。もっとパッチリしてる方が可愛い気がする。まつ毛長いねって言われたことはある。身体と一緒で、痩せてて不健康な感じ。本当は、ぱ、って明るい感じの方が良い。

 そういう笑顔は、難しいな。

 クローゼットの中はお洋服で一杯だ。なんかやたらと買ってもらっちゃった。自由に外に出て歩いて良いんだから、おしゃれもしないとね、ってことらしい。そう言われてもなぁ。フユにどんな服が似合うのかなんて、良く判らないよ。試しに何着か合わせてみた。うーん、どうにもこうにも。テレビで見る女の子みたいにはいかないなぁ。

 本を読むのも楽しい。活字。絵が無いぶん、自分で色々と考える。想像する。知らないことが沢山あって驚かされる。物語は大好きだ。読んでいると、まるでフユが登場人物の一人になった気分になってくる。冒険やお姫様も素敵なんだけど。

 フユは、普通の人達が好きだな。

 ああ、そうそう、制服が来ていたんだね。高校の制服。いよいよ学校に行けるんだ。教科書とか、ちゃんと読んで予習したよ。ちょっと難しかったかな。多分大丈夫。フユは勉強にはついていけそう。

 制服、似合ってるかな。袖を通して鏡に映してみた。どう、カマンタ?おかしくない?フユは、女子高生になれてる?

 フユは、女子高生になる。

 ふふ、笑っちゃう。フユが女子高生だって。こんなに沢山のものに囲まれて、楽しいに包まれて。今度は学校。次から次へと目まぐるしい。ホント、世の中にはフユの知らないことばかり。

 ん?そりゃあまあ、不安もあるよ。だって、全然知らないところ、しかも人がいっぱいいるんでしょ?そんな中に入って行くのに、怖いって思わない方がおかしい。

 でもさ、そもそもフユには何も無かったんだし、今更どうなったって関係ないよ。むしろ、何が起きたって嬉しい。それが何であれ、フユの知らないことに代わりは無いんだから。

 あと、仲間がいるんだよね。仲間って言うとヘンかな。えーっと、フユと同じ力を持ってる人。

 曙川あけがわヒナさん。

 どんな子かな。楽しみだな。いきなりフユの中を見て、驚いたりしないかな。

 友達に、なれるといいな。ううん。

 友達になりたい。フユも、友達が欲しい。




 年が明けて、三学期になった。気が付いたら高校一年生も終わろうとしている。長いような、短いような。

 曙川ヒナ、十五才、高校一年生。高校生活は楽しいことがいっぱいだ。大好きなハルと一緒で、毎日がきらきらとしている。

 ヒナは中学までは校則のせいで、無造作に髪を縛っていた。それが良くなかったと思うんだよね。高校で髪をほどいて、ふわっとしたウェーブヘアーに。目元もぱっちりとして明るい感じ。元々の素材は悪くなかったんだってば。緩やかな鼻筋、存在感のある唇。ハルがときめいてしまった、女子高生ヒナちゃん誕生だ。

 朝倉ハル、十五才は、ヒナの幼馴染。今は、ヒナの彼氏。恋人。二人は両想いの相思相愛。高校に入って可愛くなったヒナに、ハルは付き合ってほしいって告白してきた。ハルだけのヒナでいてほしいって。もう嬉しくって舞い上がってしまいそう。

 ハルは、中学まではバスケ部で頑張っていたスポーツマン。身長が足りなくてレギュラーには届かなかった。でも、なんか高校に入ってから背が伸びたよね。ずるい。髪も短くサッパリとして、爽やかさが増した感じ。本人は鋭いなんて言ってるけど、細いだけでちょっと垂れてる可愛い目。日焼けしにくくて色白な肌。その分筋肉の影が出て良いんじゃないかな?身長が伸びたこともあって、ハルはすっかり細マッチョだ。ヒナはハルのこと、カッコいいと思うよ?自慢の彼氏だ。

 小学校の頃、家出して怪我をしたヒナを助けてくれた時から、ヒナはハルに恋している。誰よりも大切な人。ヒナを探して、見つけて、判ってくれる。ヒナの居場所。ヒナの大事、一番だ。

 ハルはヒナのことをとても大切にしてくれる。いつもヒナを守ってくれる。ちょっとやり過ぎる時もあるかな。思っていたよりも独占欲が強いところもあったんだね。ヒナはちゃんとハルだけのものだから、そこは安心して欲しい。心配性で困っちゃう。

 あまり思い出したくない何だかんだがあって、今やヒナとハルは学校内でも有名なカップルだ。彼氏宣言なんてバカみたい。はいはい、他の誰の所にもいきませんよ。見世物にもなってあげたんだから、ハルの方こそヒナを置いていかないでね。

 大好きだよ、ハル。



 一月になって、ヒナのクラスではちょっとした事件があった。まあ、事件って言ってもそんなおどろおどろしいものじゃない。どちらかと言えば良いニュース、なのかな。

 新しいクラスメイトが増えた。転校生だ。

 三学期の始業式の後、担任のメガネ先生に連れられて、彼女はやって来た。そう、女の子。ん?メガネ先生のことはどうでもいいでしょう?中年男性、メガネのレンズがデカい以外何も印象に残らない。以上。

 黒板に書かれた名前は、因幡いなばフユ。フユ、ちょっと変わった名前かな。自己紹介で言っていた。

「寒い季節に産まれたからフユです」

 細い子だった。うん、第一印象は細い。身体も、手足も、するっとしている。肌の色も白いし、あまり健康そうには見えない。対照的に髪の毛が黒い。塗り潰したみたいな漆黒。サユリも同じ黒髪ワンレンだけど、フユも負けてないね。すごく気を使って、綺麗に手入れされているのが判る。

 やっぱり痩せてて、元気の無い感じの顔付き。優しい美人って雰囲気だ。垂れ目で、まつ毛が長くて、見つめられると穏やかな気持ちになってくる。こういう細い子って、ヒナの中ではちょっとキツめのイメージがあった。フユにはそういうのが全然無い。むしろ何処か暖かい。

 これでぼそぼそと喋るようなら、幽霊とかあだ名が付けられそうなものだ。が、フユはそんなことは無かった。はきはきとして、何をするにも楽しそう。挨拶も元気だし、何かしてもらえば必ずお礼を言う。良く笑う。人当たりが良くて、すぐにクラスの中に溶け込んでいった。

 見た目通り、身体は丈夫では無いらしい。体調がすぐれないことが多いみたい。体育は見学しがち。教室移動の時もつらそうにしている。それでも、学校が好きだと言ってにこにこしている。欠席だけは無い。授業態度も悪くないし、先生の受けも良い。

 良い子だよね。ヒナもそう思う。

 ヒナは、フユとはまだあまり話したことが無い。フユはクラスの色んな人と話をして、色んなグループと関わりを持っている。今はまだ、固定した自分の居場所を作っていない感じ。その内ヒナのグループの方にも声をかけてくるんじゃないのかな。

 イの一番にヒナのところに来なかったのは、フユなりに考えがあってのことなのだろう。そのことについては、別に何か文句がある訳じゃない。逆に、いきなりヒナに話しかけてくる方が不自然だろうね。

 いやいやいや、これじゃヒナ、番長みたいじゃん。おい新顔、ヒナにあいさつ無しとはいい度胸じゃねぇか、みたいな。ええっと、そうじゃなくてね。

 フユは、特別なんだ。


 最初に教室の前に立った時、フユはヒナの方を見て微笑んだ。判ってるよって顔だった。すごくびっくりした。とりあえず、まあ、そういうことなんだなって思っておいた。

 フユの左掌には、銀の鍵がある。ヒナの左掌にあるものと同じだ。


 銀の鍵。神々の住まう幻夢境カダスに通じる力を持つもの。色々と特殊な力を持っていて、中でも恐ろしいのが、人の心を読む力だ。人の心を読み、人の心を操り、記憶を操作する。それがどんなに危険な力なのかは、想像に難くない。欲望にまみれた人間が持てば、あっという間に自分にとって都合の良い世界を作り上げることが出来るだろう。

 ヒナはこれをお父さんの海外土産として受け取って、不完全な契約を結んでしまった。カダスに住まう神々への願いを問われて、そんなものは無いと突っ撥ねたからだ。ハルと結ばれたいって夢はあったけど、それは神様に頼むことじゃない。ヒナは自分の力だけでハルと好き合ってみせる。

 結果として、銀の鍵はヒナの左掌に同化してしまった。オマケで、鍵の守護者であるナシュトという神様もくっついてきた。ナシュトは人間のすることに対してはあまり興味が無いらしいが、今ではヒナに付き合って色々と役に立ってもらっている。申し訳ないね。そのくらいに思えるようになったのも最近のことでね。

 人の心を読む力。ヒナは、正直そういうことに興味が無かった。なんでも思い通りになる世界。それは普通につまらない。世の中には、うまくいくことと、うまくいかないことがある。努力して、その結果として何かを掴み取ることが出来る。だから世界は面白いんだ。ハルとの関係もそう。ヒナがなぁーんにもしていないのに、ハルが突然「ヒナ、大好きだよ」って言ってきたとして、それは嬉しいことなのかな?

 ハルは昔、雨の中家出したヒナを探して、助けてくれた。怪我をして動けないヒナを背負ってくれた。嬉しかった。その時、ヒナはハルに恋をした。ハルに大切に想われていたい。ちゃんとハルに愛されたい。ハルと、好き同士でいたい。ズルしたってダメだ。ヒナは、本当のハルの心が欲しい。

 こんな訳の判らない話、誰にも相談することが出来ない。銀の鍵については、ハルにも打ち明けていない。例外として、夏休みにちょっとしたご縁があって知り合った、近隣の土地神様にお世話になっている。神様なんて良く判らない存在の中で、土地神様は非常に気さくで、そのお陰もあって、ヒナはだいぶ今の自分を受け入れられるようになってきた。


 そしてそんな状況の中、ヒナのところに、もう一人の銀の鍵の所有者、フユが訪れてきたのだ。




 学校は楽しい。想像していたよりもずっとだ。テレビとか、本とかでどういうものかは知っていた。でも、実際に自分が行ってみるとなると全然違っていた。

 やっぱり、断然クラスメイトの存在だ。同じ年の子がこんなに沢山いる。一クラスで四十人くらい。しかも、フユのいるクラスだけじゃなくて、他にも同じだけの人数がいるクラスがいくつもあるんだ。すごい。八クラスで三百人以上。更に、それが一年生から三年生まで。千人近い。

 朝、みんな決まった時間に学校に来る。「おはよう」ってあいさつする。気持ち良い。フユもあいさつする。「おはよう」元気いっぱいにあいさつする。楽しい。みんな、同じ学校に通う仲間なんだ。

 教室に行くとクラスメイトがいる。やっぱりあいさつする。

「おはよう、因幡さん」

 名字で呼ばれるのは、まだちょっと慣れない。フユ、って呼んでもらえる方が嬉しい。それはまだ気が早いのかな。名前呼びしてくれるような友達、欲しいな。

 クラスには、リクエスト通り曙川ヒナさんがいた。こういう無茶というか、ごり押しが好きじゃないってハナシだった。どうかな。ヒナは、フユのこと、嫌いになってないかな。

 フユはどうしてもヒナと同じクラスになりたかったんだ。ごめんね。

 ヒナとはまだあまりお話ししていない。いきなり話しかけても良かったんだけど、なんというか、ちょっと警戒しちゃた。一応、そんな子じゃないって聞いてはいた。ただ、やっぱり鍵の力をどういう風に使っているのかが気になっちゃって。

 多分、ヒナもフユのことを気にはしていると思う。当然だ。お互い、相手の心が読めるってなると腰が引けちゃう。自分は読まないって決めているのなら、尚更だ。

 安心して。フユも、読まないって決めてるクチだ。だってその方が、世界は面白いことに満ちている。

 クラスメイトと話す時も、相手の考えなんていちいち読んだりしない。感情の揺らぎが判るなんてつまらない。意図が見えるなんて面白くない。折角目の前に誰かがいて、フユと話をしてくれているのに。心の中なんて見るものじゃない。

 授業は面白い。フユの知らないことばかりだ。勉強だけなら教科書があれば良い。インターネットとか、便利な道具が沢山ある。でも、先生から話を聞く、という行為はここでしか受けられない。先生もみんな違う。顔も、名前も、教え方も、みんな人それぞれ。とても面白い。

 体育の授業だけは少し苦手。身体を動かすのは、やっぱりまだ慣れていない。じっとしていることが多かったからかな。それとも、まだ色々と影響が残っているのかな。心配ないって言われていても、こうやって学校のみんなと一緒にいると、どうしても不安になってくる。フユも、普通の女の子になりたい。

 クラスメイトはみんな優しい。フユに色んなことを教えてくれる。フユのことを助けてくれる。フユはいつも「ありがとう」って言う。ありがとうを言わない日は無い。そのくらい、フユはみんなに感謝してるし、お世話になっている。

 どう、カマンタ?安心した?フユはうまくやってるよ。女子高生フユだ。ふふふ。

 学校にいる時が、フユは今一番楽しい。あそこにいると、フユは普通の女の子になれてる気がする。ううん、気がする、じゃないよね。フユはもう、普通の女の子なんだ。そうなんだよね。

 ヒナも、普通の女の子してるみたい。どうしようかな。今度、こっちから話しかけてみようか。なんだかタイミング外しちゃって、難しいよ。

 ねえ、カマンタ。世界って、こういうものだったんだね。フユは何も知らなかった。今、フユはとても幸せだと思う。

 今日、学校が終わって。また明日、学校に行く。こんな繰り返しが、こんなに楽しくて、嬉しいものだなんて。フユには想像もつかなかった。

 感謝しないといけないね。カマンタ、あなたにも。フユは生きていて良かったって思えるよ。ここにいて良かったって感じる。

 大丈夫。もう、あんなことはしない。約束するよ。




 フユが来ることについては、事前に知らされていた。正確に言えば、予兆というか、遠回しな託宣を受けていた。

 ヒナの身に何か大きな転機が訪れる時には、ナシュトが夢の中に現れて警告を発してくれる。今回、ものすごく久しぶりにヒナはナシュトに夢を視させられた。

 銀の鍵の持ち主が、ヒナと接触しようとしている。

 そもそも銀の鍵が複数存在しているとか、ヒナはこの時初めて知らされた。こんな危険なものが、実はそこかしこにゴロゴロしているんじゃないかとビックリしたが、流石にそれは杞憂というものだった。銀の鍵は、そこまでありふれたものではない。ま、そりゃあそうか。

 その数少ない鍵の持ち主同士が接触するということは、極めて異例な出来事であるそうだ。因果律が大きく変化する可能性がある。平たく言えば、この事態によって何が引き起こされるのか、神様であるナシュトにも全く想像がつかないらしい。

 だいぶ困った状況だったが、一つだけ良い知らせがあった。この相手には、どうやら敵意が存在しない。それはとても大事なことだ。銀の鍵を持つ者同士で喧嘩とか、考えただけでゾッとする。

 詰まるところ、とにかく何が起きるか判らないから気を付けろ、という、歴代で最も無意味、且つ役に立たない託宣だった。

 ホント、じゃあ一体何をどうしろって言うんだか。散々煽っておいて、投げっぱなしもいいところじゃないか。


 心を読む力。ヒナはこれをなるべく使わないようにしている。気持ち悪いし、何より相手に失礼だ。特にハルに対しては絶対に使わない。そういうズルはナシの方向で。それから、友達にも極力使わない。言葉にするって、とても大切なこと。ヒナは周りの人とはちゃんと話をして解り合いたいし、理解したと思いたい。

 フユがどういうスタンスなのか、しばらく遠目から観察させてもらった。もちろん、ヒナはフユの心を覗かない。こちらの姿勢はしっかりと見せておく必要がある。

 クラスメイトと話すフユ。授業を受けるフユ。学食に行くフユ。つけ回す訳にもいかないので、目につく範囲内でフユの行動を調べてみた。結果は、ヒナと同じ、ということだった。

 フユは、なんだろう、とてもひたむきで、何にでも感動する子だった。ちょっとしたことに驚いて、喜んで、大袈裟なくらいに反応する。良く笑って、良く話して、毎日が常に楽しそうだった。

 授業であってもそうだ。フユは勉強が好きみたいだった。どの教科も熱心に学んでいた。この学校内でヒナとは最も無縁な場所、図書室に入って行く姿もたびたび見かけた。クラスメイトと話をしていない時は、フユは大体静かに本を読んでいた。

 うん、悪い子ではなさそうだ。むしろ普通。普通に毎日を過ごして、それを楽しんでいるように思える。警戒は解いても良い気がするなぁ。まあ、まだその真意は判らないし、実際に直接対話をしてみないことには何とも。

 何か話をするきっかけがあれば良いんだけどね。


「曙川さん、お昼ごはん一緒に食べても良いかな?」

 フユはあっさりと声をかけてきた。ある日のお昼休み。フユはにこにこと笑っていた。

 最初のうち、フユは他のクラスメイトと一緒に学食でお昼を食べていた。しかし、混雑してがちゃがちゃとうるさい状況が、どうにも自分向きではないと考えたらしい。

 そこで、今度はお弁当組と一緒にお昼を食べてみようと、訪ねてきたという訳だ。

 確かに、ウチのクラスのお弁当組最大派閥と言ったら、ヒナのいるグループだからね。今や女子五人、男子四人の九人。大所帯だ。っていうかユマ、もうすっかりウチのグループの一員か。いや、別にいいよ、うん。

「ん?因幡さん?良いんじゃない?」

 一応うちのグループのリーダーはサユリなんで。ワンレン黒髪の眼鏡美人。私服だとOLに間違われます。絶対年齢詐称してるよね。思ったこと、正直に言って良いからね。

「学食は混んでるものね。因幡さんにはつらいんじゃないかな」

 サキは我がクラスの誇る王子様。女子だけど王子様。ここ大事。すらりとしたしなやかな肢体に、ネコ科肉食獣を思わせる目、すっきりとしたショート。陸上部のエースらしいよ。ファンが多いから気を付けてね。

「因幡さんなら大歓迎だよ」

 チサトは、ちっちゃくて可愛らしくてお人形さんみたい。吹奏楽部の誇る期待のフルート奏者。ふわふわロングにパッチリお目目。可愛いでしょう。これがね、抱き心地がまた良いんだわ。

「曙川さん、あんたさっきっから何言ってんの?」

 えーっと、そこでクール気取ってるポニーテルそばかすが、ユマです。学園祭実行委員でした。もう学園祭は終わっちゃったので、現在はただのお払い箱。部活の家庭科部に集中している。これが通称およめさんクラブとか超乙女で恥ずかしい・・・

「何言ってんのってばさ!」

 うわっと、ロープロープ。何でもないってば。ユマ、ストップ。

 女子はこんな感じかな。後は男子。

「ん、別に構わないよ」

 えーっと、朝倉ハル、ね。その、ヒナの彼氏。え?知ってる?誰に聞いたの?まあ確かに有名かもしれないね。うん、付き合ってる。幼馴染。え?もう、いいでしょ、そんなの。うー。

 好き、だよ。あー、もうやめやめ。

 後はいもね。じゃがいも、じゃがいも、さといも!

「曙川、お前それ酷いだろ」

 うるさい黙れ、おかず出してやらないぞ。

 ・・・ということで、一通り紹介が終わった。終わったことにしておく。根菜たちはどうせいてもいなくても同じだろう。

「賑やかで楽しそうだね」

「学食よりうるさかったらごめんね」

 さて、まずは騒音の源を出してしまうか。鞄から大きな耐熱タッパーを取り出す。何だろうとワクワクして見ているフユの前で、いつものように取り皿と箸を並べる。蓋を取ると、ふわっとおいしそうな匂いが流れ出した。

「今日は酢豚。なんかパイナップル入れてくれって話だから入れてみた」

「おー、ゴチになります曙川食堂」

 困ったもんだよ、まったく。

 別にヒナの家は食堂でもなんでもない。これはハルの友達に対する幸せのお裾分けって奴だ。ヒナは今、毎日ハルのお弁当を作って持ってきている。これを羨ましいとか騒ぐものだから、ハルにも頼まれて一品おかずを余計に準備してきているのだ。ああ、一応お金をもらうようにしました。愛情じゃなくて、あくまで義理ですので。義理。

「すごいね、曙川さん」

 フユが目をキラキラさせている。すごくないよ。なんだかなし崩し的にそうなっちゃってるだけ。いつ辞めても良いんだけどね。そうなるとお昼に白米だけ準備してきている、さといも高橋とかが哀れになっちゃうしさ。ん?さといも高橋はチサトと良い感じなんだから、そうなったらもうそっちで引き取ってもらうか。

 フユのお昼ご飯は何だろう、と思ったら。

「それ、お昼ご飯?」

「うん。おかしいかな?」

 白いおにぎりが、二つ。海苔も何もついてない。塩、ふってる?フユはきょとんとしている。

「お弁当だっていうから、自分で作って用意してきた方がいいかなって思って」

 あー、なんかそんなところで妙に気を遣わなくてもいいよ。自由だから。買ってきても良いから。ほら、ヒナの作った酢豚も食べて。いもたち、今日は控え目にな。

 遠慮がちに、フユはヒナの酢豚を一口食べた。ちょっと酸っぱかったのか、軽く口をすぼめた後で。

「おいしい」

 そう言って、小さく笑った。

「良かったらフユも好きなだけ食べてね」

 うん、って返事をしてから。

 フユが驚いたようにヒナの顔を見つめてきた。はぁ、判らないとでも思っているのかね。ヒナにはすぐに判ったよ。

「ヒナ、でいいから」

「ありがとう、ヒナ」

 この子はとても不器用だ。理由は判らないけど、とても臆病で、いつも一歩後ろに引いている。こういう人間観察が得意なチサトも、ヒナと目が合って軽くうなずいた。多分サユリも、サキも同じことを考えている。

 フユは、このグループにいる方が良い。ヒナも、フユとは仲良くしたいと思うようになって来た。




 今日、ヒナがフユのことを「フユ」って呼んでくれた。高校に入って、初めて「フユ」って呼んでくれた人は、ヒナだった。

 どうしよう、まだどきどきしている。嬉しい。ヒナは、フユと仲良くしようって、そう思ってくれてるのかな。

 お昼、お弁当を作っていった方が良いのかなって、頑張ってお米を炊いて、おにぎりを作ってみた。簡単だと思っていたら、思いのほか難しかった。掌、火傷するかと思っちゃった。

 そしたら、ヒナはおかずとか作って持って来てた。すごいね。あそこにいた男子全員が食べる量の酢豚。フユも少し貰っちゃった。男の子向けだから味付けが濃い目なんだって。ちょっと酸っぱかった。美味しかった。ヒナは、フユに出来ないことが沢山出来る。羨ましい。

 朝倉ハルのお弁当も、ヒナが作ってるって言ってた。好きな人のご飯を作って、食べてもらう。へぇ、面白いな。それはどんな気持ちなんだろう。フユはまず、料理が出来るようにならないとな。食べてもらう以前に、食べれるものが準備出来ないと。

 それから、好きな人、か。

 ヒナはハルのことが好きなんだね。並んで座って、とても幸せそうだった。話をしているだけで、そのまま二人きりで何処かに行ってしまいそう。ハルと話してる時は、フユの言葉はヒナには届かない。誰の言葉でも、かな。夢中になってる。

 ハルもきっとヒナのことが好きなんだね。いつもヒナのこと、目で追いかけてる。さりげなくヒナのことを気遣ってる。ちょっといいなって思った。あんな風に想われるって、素敵だ。フユにも、彼氏って出来るかな。そうしたら、ハルがヒナにするみたいに、優しくしてもらえるのかな。

 そう言えば、男子と話すのは珍しかった。じゃがいも、じゃがいも、さといも、だって。ヒナは酷いな。宮下君、和田君、高橋君、でしょ。

 ちょっとハルに似てて、髪を茶色に染めてるのが宮下君。良くしゃべるよね。フユにもいっぱい話しかけてきた。フユにどんな興味があるのかな。ごめんね、多分ご期待には沿えないんだ。仲良くはしてくれると嬉しいかな。

 口数が少なめで、真面目な感じがするのが和田君。制服がパリッとしているのが印象的。たまに発する一言が面白いんだ。何を言えば周りが喜ぶのか、常に考えてたりするのかな。ヒナは「むっつり」って言ってた。男の子なんてみんなそうだよ、きっと。

 男子の中では一番小柄で、ちょっとはすに構えたところがあるのが高橋君。シャツが全部ズボンの外。先生に怒られるよ。こっそり聞いた話だと、チサトと良い感じなんだって。そうか、いいな、好きな人がいるのって。

 わいわい、って。みんなで色々なことを喋りながらご飯を食べた。学食も賑やかだけど、あの場の賑やかさとは少し違う。ヒナたちのご飯は、とっても明るくて、とっても暖かい。居心地が良い。フユは、ヒナやヒナの友達と一緒にいるの、すごく好きだな。

 明日も、一緒にいていいのかな。フユは、やっぱりヒナとお友達になりたい。仲良くなりたい。

 ヒナはフユとは全然違う。フユに無いもの、沢山持ってる。フユと同じなのに、フユじゃない。フユも欲しい、ヒナが持っているもの。フユは、ヒナで満たされたい。

 好きな人。今フユが好きな人は、ヒナだな。ヒナのことばっかり考えてる。ヒナ、好きだよ。言葉にしてしまいたくなる。

 カマンタ、どうしようか。フユはヒナに、何を話したらいいのかな。何を何処まで打ち明けたらいいのかな。

 フユはヒナと仲良くなりたい。銀の鍵とか、そういうのとは関係無く。フユは、ヒナに興味がある。

 ヒナに嫌われたくないな。おかしな子だって、思われたくないな。

 ねえ、フユはヒナに何処まで打ち明ければいいんだろう。教えて、カマンタ。フユは、ヒナに嫌われたくないんだよ。




 放課後、今日は水泳部の活動をお休みさせてもらった。ちょっとだけ優先順位の高い用事が出来てしまったからだ。出来た、というか思いついた、だな。真っ直ぐ家には帰らず、河川敷の方に向かう。

 ヒナの住んでいる市の隣、少し離れた住宅街の中に、ひっそりとした無人の稲荷神社がある。参拝客もいないし、社務所も無く、宮司も詰めていないが、いつも綺麗に手入れされている。この神社には、ヒナが相談にのってもらっている土地神様がいらっしゃる。元は人間で、水害を鎮めるための人柱にされたが、転じて五穀豊穣の女神になったということだ。

 そう聞くと何だか陰惨なイメージだが、本人はその辺りのことは割とあっけらかんと流している。平和が一番、と毎日何処か楽しそうだ。見た目が生前の時の姿、ヒナと変わらない年頃の女の子っていうのもあるかもしれない。朱の袴姿で、長くて綺麗な黒髪。きらきらした金の髪飾り。親しみやすくて、とっても可愛らしい。

 土地神様のところを訪れた理由は、もちろんフユだ。土地神様はヒナのことも銀の鍵を手に入れた当初から知っていると言っていた。それなら、フユのことを知らないということはあるまい。何か聞かせてもらえることがあればと、ちょっと足を延ばしてみた。

「まあ、総元締めは私だから、私の差し金ってことでもいいかな」

 やっぱりというかなんというか、神様はフユのことはしっかり承知しているようだった。

「フユには、色々と事情があるんだよ。本当はヒナちゃんに頼るのもどうかと思ったんだけどさ」

 神様が言うには、フユがヒナの学校に転校してきたのは、フユのたっての願いだということだった。事情によってフユの面倒を見ることになった神様が望みを聞くと、フユはもう一人の銀の鍵、ヒナに会いたいと言ってきたのだそうだ。

 年頃も近いし、それならということでヒナのいる高校に転入させる手筈となった。神様は最初、ヒナにそのことを伝えようと思っていたのだが。

「フユがね、全部自分でやるって言い出したんだ」

 誰かに紹介されて、ヒナと出会う。フユはそれを望まなかった。転校生として自然にヒナと出会う。そうであってほしいと、フユの方から強く願い出てきたということだった。

「それもあるからさ、私の口から色々言うのは忍びなくてね」

 神様はぼりぼりと頭を掻いた。

 そうか、フユはそんなことを考えていたのか。今日神様のところに来たのは失敗だったかもしれない。フユがそれを望んでいたのなら、そうさせてあげるべきだった。実際、フユはとてもヒナに気を遣っている様子だった。

 フユは、ヒナに普通の友達になってほしいんだ。

「どうする?フユの事情、聞いてしまうかい?」

「いいえ。それはフユから直接聞きます。フユが話したくなった時に」

 だね、と神様はにっこりと微笑んだ。

 寒い季節に産まれたから、フユ。

 もう少し、フユのことをちゃんと見て、ちゃんと考えよう。ヒナは自分の中にあるフユの姿を、一度真っさらにした。




 窓から射し込んでくる光がオレンジ色だ。そんな時間か。早く帰ろう。

 そう思うんだけど、身体が持ち上がらない。ダメだなぁ、こんな時に、こんな風になっちゃうなんて。フユはまだ、やっぱり完全じゃないんだと思う。

 一階の昇降口の前、中庭が見える吹き抜けの談話コーナー。フユはそこのベンチに腰かけたまま、じっとしている。少し前までは何人か生徒がいたので油断していた。今はもうフユしかいない。困ったな。もうちょっとこうしていれば、動けるようになるかな。

 フユは、身体を動かすのが得意じゃない。走ったりするとすぐに息が上がる。長時間立っているのもつらい。本当は学校に来るっていうことだけで結構なことだ。

 でも、フユは普通の高校生になりたいからさ。このくらいのことは出来るようになりたい。体育の授業だって、本当は見学なんてしたくない。自分の身体を、もっとうまく動かせるようになりたい。

 これは昔、銀の鍵の力にばっかり頼っていた反動だ。筋肉を使って手足を動かすことをおろそかにしていた。フユの体力は、一度極限にまで落ちてしまった。一般的な十六才に比べれば、相当酷いものだと思う。

 それに、フユは、一度何もかもを諦めてしまっていたからね。まさかこうやって学校に通うことになるなんて、夢にも思っていなかったよ。生きていることだって、もうやめようって、何度も考えていたくらいだ。

「因幡?大丈夫か?」

 誰かがフユに声をかけてきた。男の子の声だ。聞いたことあるな。誰だっけ。頑張って顔をあげてみる。

 朝倉ハルだ。

「具合が悪いのか?」

 返事をしようと思っても、声が出てこない。代わりに汗が噴き出してくる。ダメだ。小さくうなずく。これくらいしか出来ることが無い。

「判った。保健室に行こう」

 行けるならそうしたいんだ。こうなっちゃうと、もう立ち上がることも出来ないんだよ。このまま休んでいれば大丈夫だから、放っておいても平気だよ。

 喋れるんだったら、そう伝えたかった。ただそうしたくても、フユには指一つ動かせない。あ、って音も出せない。目の前の朝倉ハルの顔を見ているだけで、つらい。

「ごめん」

 そう言って。

 朝倉ハルは、フユの身体をひょい、っと抱き上げた。

 驚いた。確かにフユは軽い。スポーツをやっている男の子なら、フユなんて簡単に持ち上げられるだろう。しかし、まさか本当に、こんなにしっかりと、フユのことを抱きかかえてくれるなんて思ってもいなかった。

 激しく揺らさないように、朝倉ハルはそうっとフユのことを運んでくれた。こういう持ち方、何て言うんだっけ?そうだ、お姫様抱っこだ。フユ、男の子にお姫様抱っこされてる。わあ、ただでさえ朦朧としている意識が、吹っ飛んでしまいそう。


 実際に意識は飛んでしまっていた。気が付いたら、フユは保健室のベッドの上で寝かされていた。なんてもったいない。

 朝倉ハルの姿は無い。それはそうか。朝倉ハルはフユの彼氏じゃない。フユをここまで運んでくれただけだ。

 体力はすぐに戻ってきた。発作みたいなものだ。念のため栄養剤を貰うことにした。はぁ、学校生活に支障が出るレベルなんて、情けないな。ちょっと浮かれて油断すると、これだもの。

 それにしても。

 フユのことを、あんな風に助けてくれる人がいて、驚いた。朝倉ハル。ヒナの彼氏。すごいな。素敵な人じゃないか。

 逞しい腕、厚い胸板。男の子をこんなに近くで感じたのは、初めてかな。もっとちゃんと味わいたかった。ヒナは、あの腕に抱き締められたりするのかな。いいな、羨ましいな。

 あ、どうしよう。このこと、ヒナに何て言おうか。朝倉ハルはどうするんだろう。ヒナも嫉妬したりするのかな。うーん、でも相手がフユじゃ、それは無いかな。こんな可愛くも無い、痩せててガリガリの子、面白くもなんともないよね。

 ヒナの彼氏は、フユにも優しくしてくれた。こんなフユを、抱き上げて保健室にまで運んでくれた。ありがとう、朝倉ハル。

 やっぱり、フユはヒナが羨ましい。ヒナは、フユに無いものをホントにいっぱい持ってる。

 ヒナ、もっと沢山見せて。フユに無いもの。フユにも手に入れられるって信じさせて。

 お願いね、もう一人の私。




 はぁ、憂鬱だ。ヒナはでっかいため息を吐いた。目の前には、生活指導室の入り口。はぁ、もう一回ため息つこう。はぁ。こうなったら何回いけるか挑戦してみようか。はぁ。

 生活指導からの呼び出しは、これで二回目だ。一回目は、入学してしばらくして、ハルから告白された後。面白おかしい噂が流されちゃって、不純異性交遊を疑われた。その頃はキスだってまだだったのに。別に幼馴染だからって、なんでもかんでも許している訳じゃないですよ。失礼しちゃう。

 しかし、今回は思い当たる節が多過ぎて困ってしまう。前夜祭のお泊り事件がバレたのか。それともボトルシップレーサーズの件か。或いはやっぱり水上結婚式か。思い返してみると、ここ数ヶ月でヒナはやらかしまくってるな。ヒナの青春は全開だ。

 いつまでも突っ立っていても仕方が無い。覚悟を決めて、中に入る。「失礼します」ううう、気が重い。

「曙川ヒナさんね」

 ヒナのことを待っていたのは、前回と同じババちゃん先生。本名が馬場なのと、いい感じでオバサンなのが合わさって、そんなあだ名になっている。響きは可愛いが、本人はちっとも可愛くない。ハルとの関係をねちねちと問い詰められたの、ヒナは一生忘れない。べー、っだ。

 とりあえず、一戦交える覚悟でババちゃん先生と向かい合ったが、どうも雰囲気がおかしい。以前はいきなり敵対オーラ丸出しで来ていたのが、今日はどちらかというと超フレンドリーだ。

 逆に気味が悪い。

「今日曙川さんに来てもらったのは、因幡さんのことなの」

 フユのこと?とりあえず怒られるのでは無いらしい。なら一安心だ。

 しかし、フユが何だって言うんだろう。それで何でヒナが呼び出されるんだろう。ババちゃん先生が順を追って説明してくれた。


 フユは、特殊な事情のある生徒だ。孤児施設の出身で、今は学校の近くで支援を受けながら一人暮らししている。学校生活を送る上で色々とケアが必要ということで、スクールカウンセラーにも相談に乗ってもらっているらしい。

 そうなんだ。フユは、普段そんなことはおくびにも出していなかった。ヒナが知っているフユは、いつもにこにこして楽しそうにしている。

 クラスには馴染んでいるようだが、現状ではまだ親しい友人という存在は出来ていないらしい。そこで、フユ自身に誰か友達になれそうな、あるいはなりたいクラスメイトはいないかと尋ねてみた。

 そこで名前が挙がったのが、ヒナだった。

「因幡さんは、曙川さんとなら仲良くなれそうだって」

 はぁ、そうですか。フユはそんなことを言ったんだ。

「曙川さん、どう?因幡さんと友達になれそうな感じかしら?」

 ここで、ババちゃん先生に「ノー」って突きつけてやりたい気もするんだよね。それはそれで面白そうだ。吠え面かかせてやりたい先生ナンバーワンだし。

 でも、これに関してはフユのことだ。そんないい加減な仕返しに使って良い問題じゃない。お楽しみは後に取っておこう。

 それにしても、フユがそんな風に考えているなんて。やれやれ。

「因幡さんは、もう私の友達です」

 名前呼びだけじゃ足りなかったのかな。まあ、ヒナもフユのこと、ちゃんと見ていなかった気がするし。フユがそれを望んでいるなら、ヒナはフユのこと、友達として見るようにするよ。

 なんか結構重たい情報を、ババちゃん先生はあっさりとヒナに話しちゃった気がするね。孤児施設。一人暮らし。そういうことを知らないで友達に、っていうのも変な感じだからか。責任感増しちゃった。

 友達って、責任でなるものじゃないよね。フユだって、そんなつもりは無いはずだ。だから、そういうことは自分からは言い出さなかったんだと思う。

 個人的な事情に関わる話は、友達として仲良くなってから。正しい順番はそっち。フユ、ヒナはもうフユの友達だよ。

 フユは、ヒナに何をしてほしいのかな。フユの友達として、ヒナは何をしてあげればいいのかな。



 ヒナの学校には昼礼というものがある。お昼休みの後半、全校生徒が体育館に集まって、校長先生の有難いお話を聞いたりする。正直やめてほしいんだよね。ご飯食べた後で眠いし、昼休みが短くなってすごく損した気分だ。

 しかも季節は二月。体育館めっちゃ寒いんですけど。ホント嫌になる。なんでわざわざこんなことするんだろう。話するだけなら校内放送とかで十分じゃん。しかも立って並んでとか、意味が判らない。

 ここ最近は風邪を引いてるクラスメイトも多い。今日も何人か休んでいるし、マスクをしてゲホゲホ言っている子もいる。そこまでして聴く価値のあるお話なのかな。是非一考していただきたい。

 ヒナもそんなに寒いのが得意なわけじゃない。今日はほかほかカイロ複数個標準装備だ。そこまでしてもスカートだと足元に来るんだよなぁ。あ、ユマ、スカートの下にジャージ。女子力マイナス十ポイント。およめさんクラブがそんなんでどうする。でもそれいいな。ヒナも諦めてそうすれば良かった。

 しかしこんな寒い中で、フユとか大丈夫なんだろうか。ちらり、と後ろの方にいるフユの様子を伺う。予想通り、なんだか青白い顔をしている。やっぱ良くないよね、これ。

 大丈夫?、って声をかけようとしたところで。

 ぐらり、とフユの身体が崩れた。うわぁ、大変。慌てて駆け寄ったが、フユは床の上に倒れ込んでしまった。

 ざわ、ざわ、って周りの生徒がざわめく。保健委員の人、って、今日休んでんじゃん。風邪が流行ってるのに、こんな昼礼とか無茶するから。フユも調子悪いならすぐに言おうよ。

「すいません、保健室に連れて行きます」

 そう言うと、ヒナはフユに肩を貸した。フユ、大丈夫?立てる?歩ける?

「うん、なんとか歩けそう」

 フユは小さな声で応えた。じゃあ、ちょっとだけ頑張って。ハルが心配そうにこっちを見てたので、片手をあげてみせた。うん、ヒナ一人で平気。女子同士の方が良いでしょ。

 校長先生の話は、数秒間中断しただけですぐに再開された。ヒナがフユと体育館を出ていく間も、ずっと続いていた。全く、何をそんなに話したいことがあるんだか。


 保健室のベッドにフユを寝かせた。保健の先生はいなかったので、仕方無くヒナがフユについていることにした。なんかいつも都合よくいないよね、ここの先生。

「ごめんね、ヒナ」

 フユは本当に申し訳なさそうに謝ってきた。何言ってるの。別にフユが謝ることなんて何も無いよ。

「ううん、そうじゃなくて、この前ね」

 ぽつりぽつりとフユが語るところによると、少し前にハルがフユのことを抱きかかえて保健室まで運んだことがあったらしい。ほう、ハル、やるじゃん。そんな話、ヒナは初耳だよ。

「その、ヒナに悪いなって」

 何が?

 ああ、ハルにお姫様抱っこされたって?

「気にし過ぎだよ。別にそんなことで嫉妬したりしないってば」

 ハルは具合の悪いフユを助けたんでしょ?それは良いことだ。ヒナはそんなことが出来るハルのことをとても誇らしく思うし、自慢の彼氏だって思える。フユに嫉妬するなんて、お門違い。むしろ。

「フユがハルのことを好きになっちゃうんじゃない?残念だけど、ハルは私の彼氏だから」

 そんなことぐらいでハルがヒナのところからいなくなるだなんて、ちっとも考えないよ。二人の絆は強いんだ。少なくとも、ヒナはハルに人生をかけてる。それくらい、ヒナは、ハルのことが好き。

「うん、ヒナのこと、すごく羨ましい。あんな素敵な彼氏がいて、いいなって思う」

 そう言われるとは思わなかった。打ち返し弾だ。やるな。まだ調子は良く無さそうながら、フユは笑顔を浮かべてくれた。フユも可愛いよ。きっと素敵な彼氏が見つかるよ。

 ああっと、こんな無駄話をしている間に、体温くらい測っておいた方が良いね。ベッドを使った時は、検温して書いておかないといけないんだ。ヒナは体温計をフユに手渡した。

 ありがとうって言って、フユは手慣れた手つきで体温計を受け取り、ブラウスのボタンを外した。


 その時、見えてしまった。


「フユ」

 思わず声が出た。それから、「しまった」って思った。これは、見えていないふりをするべきだった。

 フユはすぐに気が付いて。

「気にしないで」

 そう言って、笑った。悲しい笑顔。フユの中にある、沢山の想いが隠された、微笑みの仮面。

 胸元をえぐるような、大きな傷跡。それだけじゃない。

 フユの身体は、傷痕だらけだ。

 制服から伸びる細い手足からだけでは判らなかった。フユは巧妙にその傷痕を隠していた。見るからに痛々しい、普通ではない疵の名残。ヒナは言葉を失って、椅子の上にぺたんと座り込んだ。

「それ、どうしたの?」

 訊くべきなのかどうか、判らなかった。でも、知りたかった。

 フユという女の子のことを。

 ヒナと友達になりたいと言ってきた。

 ヒナと同じ銀の鍵を持つ。

 フユという、女の子のことを。

「ヒナ」

 フユの声は静かで、それでいてはっきりとしている。いつかは話さなければいけなかった。そんな覚悟を感じる。

「フユのこと、知りたい?」

 ヒナはうなずいた。知りたい。フユのこと、教えてほしい。

 銀の鍵なんか使わないで、フユ自身の口から、フユのことを聞かせてほしい。

 それがどんなにつらくて、悲しいものなのか。


 ヒナはその時、全く判っていなかった。



     ※     ※     ※



 一通り話を終えて、フユは疲れてしまったのか、そのまま寝入ってしまった。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴っている。フユはこのまま寝かせておいてあげよう。後は。

「カマンタ」

 ヒナはそっと呼びかけてみた。フユの持つ銀の鍵に憑いているという神官。ヒナのナシュトと同じように、フユと同化しているという神様の名前だ。

 ヒナの横に、純白の肌を持つ女性が現れた。燃えるような赤い長い髪、サファイヤを思わせる青い瞳。半裸で豹の毛皮をまとう所は、ナシュトと同じ。古代エジプトの神官の正装だという。しかし、女性となるとまた印象が異なる。ギリシャ彫刻のような美しい肢体を持つカマンタの場合は、非常に妖艶で、見るものを虜にする魅力があった。

「はじめまして、曙川ヒナ。カマンタと申します」

 物腰丁寧に、カマンタは一礼した。ナシュトとはえらい違いだ。ヒナは今までナシュトから頭を下げられたことなんか一度も無い。同じ銀の鍵の守護者なのに、こうも異なるものなのか。ショックだ。

 とりあえずそれは置いといて。

「フユの話は、本当なんだよね?」

 確かめずにはいられなかった。あまりにも酷い。凄惨過ぎる。穏やかなフユの寝顔を見ているだけで、耐えられなくなる。そんなことがあっていいのだろうか。胸が痛い。苦しい。

「残念ながら真実です。フユには、何も無かった」

 何も無い。

 親も、兄弟も。友達も、幼馴染も。楽しい思い出も、故郷も。

 フユという名前さえも。寒い季節に産まれたから、フユ。本当にそのまま、ただそれだけで与えられた呼称。

 生きることにすら意味を見出みいだせなかったフユが銀の鍵を得て願ったのは、自己の消滅。何も無い。何もいらない。このまま消えてしまいたい。

 叶えられない願い、矛盾した望みを受けて、銀の鍵はフユの左掌に取り込まれた。カマンタもまたフユと同化し、中途半端な存在に成り下がった。

 ヒナと同じ。でも、ヒナとは全く違う。

 ヒナには何もかもがあった。満たされていた。だからこそ、神様に願ってまで欲しいものなど何も無かった。

 フユには何も無かった。願って得られるものがあるということですら知らなかった。

「フユは、一度自殺を試みています」

 ある時、フユに付き従うカマンタに、フユは問いかけた。

「どうすれば、カマンタはフユから解放されるの?」

 カマンタは応えた。鍵が叶えられない願いを、フユが自分で叶えればいい。願いを自分の力で達成出来れば、鍵の契約は効力を失う。それは、ヒナもナシュトから聞いて知っていることだ。

 フユの願いは、自らの存在を消し去ること。

 そんなの簡単だ。そう言って、フユはあっさりと橋から身を投げた。

 自分で死んでしまえば良い。それでカマンタが自由になるなら。

「フユには、恐ろしいほどに何も無いのです」

 フユは運良く救助され、一命を取り留めた。だが、心と身体の傷は大きく、なかなか通常の生活に戻ることは出来なかった。

 そんな中、あの土地神様と縁故のある人物が、フユのことを一切合財引き受けてくれたのだという。様々な人たちの、色々なとりなしの結果、フユは今この高校に通っている。住んでいるアパートの保証人や家賃、学費や生活費も、その人物の仲介で支援団体から出ているということだった。

 土地神様の関係者って、ひょっとして噂の人間の旦那さんだろうか。土地神様は、人間の男の人と結婚している。残念ながらヒナはまだ会ったことが無い。しかし、どうもそれとはまた違う人らしい。なんでも女の人だということ。ふむ、あの神様実は結構顔が広いんだね。思ったよりもすごい神様なのかもしれない。

「ヒナ、貴女にお願いがあります」

 カマンタはかしこまると、再びヒナに向かって頭を下げた。神様が、人間にお願い事か。なんだろう、カマンタはナシュトと違って、とても人間的だ。これはフユの心の在り方が影響しているからだろうか。

「どうか、フユと友人になってはもらえませんでしょうか」

 はぁ。とは言ってもやっぱり中身は神様だ。こいつらは本当に困ったものだ。ヒナは大きくため息を吐いた。




 暖かい。なんだろう、柔らかくて、ふわふわしていて。とても気持ち良い。甘くて、良い香りがする。

 目を開けると、保健室の天井が見えた。ああ、もう見慣れたものだ。そうか、フユは疲れて眠ってしまっていたんだね。ヒナに、昔のことを話したんだ。

 ヒナはショックを受けたみたいだった。ごめんね、ヒナ。フユも悩んだんだ。ヒナに何処まで話せば良いのかなって。

 結局、全部話すことにしてしまった。その方が良い。ヒナには、フユのことを解って欲しい。それでフユのことを気持ち悪いって、嫌いだって思われてしまうのなら、それは仕方の無いこと。

 元々フユには何も無かったんだ。だから、諦められる。少しの間でも、フユといてくれたんだから、それだけで満足だ。フユには十分過ぎるくらいの幸福だった。

 どのくらい寝ていたのかな。午後の授業、どうなっただろう。ヒナは間に合ったかな。

 フユは身体を起こそうとして。

 ヒナが、椅子に座ったまま、ベッドに上半身を突っ伏して眠っているのに気が付いた。

 ヒナ、何やってるの?ひょっとして、ずっとフユの傍にいたの?授業、行かなかったの?

 甘い香り。ヒナの匂いだ。フユはそっとヒナの頭に手を伸ばした。ふんわりとした髪の毛。優しく撫でてみる。日向の温かさがある。愛おしい。

「カマンタ」

 フユの呼びかけに、カマンタが姿を現す。カマンタはいつでもフユに応えてくれる。フユにしか見えない、フユの神様。フユの半身。フユは、カマンタのことが大好き。

「ヒナは、ずっとここに?」

「はい。フユが目覚めるまでここにいる、とのことでした」

 そうなんだ。ありがとう、ヒナ。すうすうと、静かな寝息が聞こえる。可愛いな。朝倉ハルに、みんなに愛されているヒナ。フユにはヒナがとても眩しく思える。フユに無いもの、何でも持っている。

 フユと同じ、銀の鍵に願いを持たない者。それなのに、フユとヒナは全然違う。会いたかった。会って確かめたかった。

 この世界には、優しさと光に満ちた場所があるって。

 信じさせて、ヒナ。満たされた想いが、神様の力を上回るって。フユにも、ヒナが持っているもの、手に入れられるって。

 ヒナは、フユの希望なんだよ。あの時、フユは自分を消してしまいたいって鍵に願った。他に望むことなんて何も無かったんだ。この世界に残る理由なんて、何一つ存在しなかった。

 ヒナ、フユに見せて。ヒナを満たしているもの。神様なんていらないって、言えるほどの何か。ヒナが、この世界に夢視ているもの。朝倉ハルのこと、愛してるんだよね。今も、朝倉ハルの夢を視てるのかな。

 ハルを夢視る、銀の鍵。

 幸せになってね、ヒナ。ヒナが幸せになってくれると、フユも安心出来る。幸せになれる気がしてくる。世界が、素敵だって思えるようになる。

 チャイムが鳴った。午後の授業の終わり。何限目だろう。時計を見ると、午後の最初の授業が終わったところだった。ヒナ、授業さぼらせちゃったね。ごめんね。

「う・・・ん、あれ?寝ちゃってた?」

 ヒナがむっくりと起き上がった。ふふ、おはよう、ヒナ。良く眠ってたよ。

「ああ、フユ。ごめんね、寝ちゃってて。体調はどう?」

 もう大丈夫そう。残りの午後の授業には出れそうかな。そう言ってベッドから降りる。制服の胸元が開いたままだったので、慌ててボタンを留めた。スカーフを戻したところで。

 ヒナが、フユの身体を抱いてきた。

「ヒナ?」

 ぎゅうって、強く前から抱き締められた。フユは細いから、このままぽっきりと折られてしまいそう。ヒナの身体、柔らかいな。ええっと、ヒナ、どうしたの?

「フユ。私はフユの友達だよ。誰かに言われたからじゃない。フユの境遇に同情したからでもない」

 ヒナの言葉が、フユの中に入り込んでくる。フユの心を揺さぶる。

「私は、フユのことが好きなんだ。一生懸命なフユ。色々なものに正面から向き合うフユ。真面目で、不器用なフユ。私は、そんなフユが好きなんだ」

 ヒナ。

 そっとヒナの身体に腕を回す。ヒナの背中に触れる。強く、抱き返す。

「うん」

 ありがとう、ヒナ。こんなフユのことを、好きだって言ってくれて。友達だって言ってくれて。本当にありがとう。

 フユはここにいても良いんだね。フユのことを、好きになってくれるんだね。

 フユは、消えなくても良いんだね。

 保健室のドアがノックされた。がらがらって開いて、サユリ、サキ、チサトが入ってきた。ちょっと遅れてユマも。ヒナとフユが抱き合っているのを見て、ちょっと驚いたみたいだった。

「フユに元気を分けてあげてたんだよ」

 ヒナはそう言って笑った。うん、貰ったよ元気。フユの中は、今ヒナでいっぱいだ。こんなに嬉しいの、きっと生まれてきて初めてだと思う。

「もう大丈夫そうだね、フユ」

「朝倉がヒナが取られるって騒ぎ出す前に、教室に戻らないと。行けそうかい、フユ?」

「フユちゃん、顔色良くなったね」

 みんなが、フユのことを「フユ」って呼んでくれる。フユの心に、その言葉が溜まっていく。想いが、溢れてしまう。フユの小さな器は、もういっぱいいっぱいだ。

「うん、ありがとう」

 こぼれた分が、涙になって流れてしまう。ぽたぽたと落ちる。フユに入りきらない幸せ。ここには、優しさと光がある。フユの知らなかった、暖かい世界がある。

「ほら、もう次の授業始まるから、ヒナもフユも行くよ」

 ユマがそう言って保健室の外に行こうとする。

「ユマ、今、ヒナって言った?」

 あ、そういえば、ユマは「曙川さん」って呼んでたよね。みんなきょとんとしてユマの方を見ている。ぴたっと動きを止めたユマが、ぷるぷると身体を震わせた。

「い、良いじゃない。なんか今までタイミング外してたんだから、しょうがないでしょ!」

 ヒナが笑う。サユリが、サキが、チサトが笑う。

 フユも笑った。心の底から、楽しかった。




 二月も中旬が近付いてきた。さあ、待ちに待ったイベントだ。ヒナは今年、だいぶ張り切ってるからね。何しろ去年までとは違う。もう全開全力で好きって気持ちを込められるんだ。ハル、楽しみにしててね。

 そう、バレンタイン。甘い告白とチョコレートのイベントだ。

 クラスの雰囲気も、ちょっとだけ変わってる。男子があからさまにカッコつけたり、気を遣ってきたりするんだよね。もう、そういう奴らは最初からお呼びじゃないよ。査定期間はもっと長いんだから。普段のおこないがモノを言うの。

 ハルはまあ、ヒナに貰えるから良いよね。そこは安心してて。ちゃんとあげるし、ハルにしかあげないから。

 あ、でもカイには義理であげないとか。カイはハルの弟。今小学六年生。ハルの家とは家族ぐるみのお付き合いなので、例年カイにもあげるようにしている。ここにきて急にあげないとか、ハルとお付き合いを始めたからもう用無し、みたいで感じ悪いことこの上ない。ヒナの弟、小学二年生のシュウにもあげなきゃいけないとだし、どうせなら一緒に準備しておくか。

 なんだ、それじゃ去年と全く同じじゃん。ぶー。つまんない。

「曙川食堂はくれるんじゃないの?」

 じゃがいも1号が失礼なことを言っている。お前らな、お昼におかず作って来てやってるという大サービス以上の何を期待しているんだ。ヒナは好きな人以外にあげるつもりなんかさらさら無いの。諦めて他をあたりな。

 やれやれ、ご飯作ってあげてるうちに情が移るとか、そういうのは無いからね。むしろさっさと辞めたいくらいだ。この一手間のせいで睡眠時間がどれだけ削られてると思ってるんだ。いもたちは、自分たちがハルの友達だってことだけに感謝しておきな。

 それに、さといも高橋にヒナから渡す訳にはいかないもの。チサトはまだ悩んでるみたいだけど、もうカモフラージュとしていも全員に渡しちゃえば良いじゃん。お昼の時もよくフルーツ持って来るよね。みんなで分けってってヤツ。あれと一緒。オヤツってことでドカッと出しちゃえば良いんだよ。

 まあ、特別な感じのものを渡したいなら、それはそれで、だね。

 本命、義理、とそんな感じかな。後は友チョコ。こっちの方が問題。サユリとか、サキとか、チサトとか。あと水泳部の部活のみんなとか。うー、面倒だな。ああ、それと、ユマ。いるのかね。

 忘れちゃいけないのが、フユ。

 浮ついた感じのクラスの雰囲気を、フユはきょとんとして眺めている。フユにはあげない訳にはいかないんだよなぁ。何しろ大切な友達だし、バレンタインなんて初めてだろうから。

 それに、他にも理由がある。

「ヒナぁあ!」

 突然ユマが泣きついてきた。うわぁ、なんだなんだ。なんか凄いイヤな予感がするよ。学園祭の時と同じ空気を感じる。


 予感は的中。およめさんクラブ、じゃなかった家庭科部の部員がかなりの人数風邪で休んでいるらしい。まあ、時期的にそういうこともあるだろうね。しょうがないよ、流行ってるみたいだし。

 で、例年各部活に配布して回っているチョコレートの制作が間に合わないと。なんだその「例年各部活に配布」って。家庭科部って訳わかんないな。ヒナ、間違って入部しなくて良かったよ。

 まあ、入らなくてもこうやってお手伝いしてくれってお願いされちゃうんですけどね。

 なんか面白そうと言って、サユリ、サキ、チサトも参加してくれることになった。申し訳ないね。ふむ、それなら丁度良いか。ヒナはユマにちょっと条件を付けさせてもらった。結果はオッケー。じゃあ、参加者追加ね。

 と言うことで、ヒナはフユに声をかけた。フユは目を白黒させて驚いた。

「えー、チョコレートなんてどうしていいか判らないよ」

 だろうね。塩なし白おにぎりを見た時点で、想像はついているよ。

 いい機会だ。今回はチョコってことで入門編。フユには少しずつヒナが料理を教えてあげる。独り暮らししてて料理しないとか、意味が判らない。フユの生活だと、自炊で少しでも倹約出来た方が良いでしょ。

 それから、なんか釈然としないが、いもたち。お前らにも役割を与えるから、特別に参加を許す。文句言ったら殺す。横暴?知ったことじゃないね。チョコ欲しいんでしょ?うむ。

 ハルにもお願いしたいことがあるんだ。良いかな。ごめんね、手間かけさせちゃって。少しだけ、ハルの優しさに甘えさせてください。・・・あぁん?扱いが違う?当たり前だろうが。

 いつものお弁当メンバー勢揃いだ。良かったじゃん、いもたち。色々やることはあっても、チョコをもらいっぱぐれること自体は無さそうで。文句言いながらもしっかり参加表明するしな。そんなに欲しいものなの?

「もう母ちゃんからだけとか、そういうの嫌なんだよ」

 母親に愛されてて幸せじゃないか。ありがたくいただいておきなよ。そりゃ贅沢ってもんだ。

 フユなんか、その母親すらいないんだ。貰ったことも、あげたことも無い。こんな風にみんなが騒いでいるのが、なんでなのかすら判っていない。そんなのつら過ぎるよ。

 だから、ヒナはフユを満たしてあげたいんだ。楽しいこと、いっぱいあるよって。ヒナたちが当たり前のように思っていることでも、フユには新鮮で、きらきらと輝いているんだ。

 みんな、力を貸して。ヒナは、フユに見せてあげたいんだ。

 世界のきらめきってヤツを。




 バレンタインデー。学校の中がそわそわした感じになっている。女の子が、好きな男の子にチョコレートを渡す日。だから、その日が近付くと、みんな気が気では無くなってくる。

 街中でも、色んな所にバレンタインって書かれている。テレビを点けても、その話題で持ちきり。みんなバレンタイン。すごく大きなイベントみたい。

 本にも出てる。色々なことが書かれている。元々は聖ウァレンティヌスっていう人の命日だったとか。ふーん、人が死んだ日が、愛の告白の日になっちゃったんだ。面白いね。

 誰かが死んだ悲しい日よりも、誰かに愛を告げる幸せな日の方が良い。フユはそう思う。ウァレンティヌスっていう人も、そんな幸せな日として覚えられている方が浮かばれるでしょう。えーっと、撲殺されたんだって。うん、撲殺の日として記憶されるよりはずっと良い。

 その日は、フユにとっても特別だ。ふふ、愛の日だからこの日にしたのかな。あの神様はロマンチストな所があるよね。因幡って名字もそう。最初に言われた時は意味が判らなかった。後で色々と調べてみて、そして、色々と考えさせられた。

 チョコレート、よく判らないまま作ることになってしまった。作るって言っても、そこまで難しいことはしないみたい。溶かして型に流し込むのと、あとケーキを焼くんだって。それだけ聞くと簡単そうに思える。そんなに甘くは無いのかな。

 一応予習はしている。湯せん、というやり方で溶かすのだそうだ。テンパリング?油が分離しないように気を付ける。うーん、実際に試してみた方が良い気がするなぁ。

 チョコレートなんて買ったことあったっけ。戸棚とか、冷蔵庫とか開けて調べてみる。無いね。覚え無いもんね。

 そもそもお菓子とか全然食べない。ご飯だって、そんなにこだわりは無い。食べて栄養を摂らないと死んでしまうから、仕方なく食べているって感じだ。

 ああ、でもお昼の時間だけは違うな。あれは、食べるっていうことよりも、みんなで食べるってことの方が大事だ。ヒナの作るおかずはいつも美味しい。昼休み、わいわい言いながら食べている時だけは、何故か美味しいって感じる。身体の栄養だけじゃなくて、きっと心の栄養も摂っているんだ。フユにはそう感じられる。

 ヒナは、フユに料理を教えてくれるって言った。確かに自炊出来た方が生活費は楽になるかもしれない。うーん、フユは食べるものにそんなにこだわりはないな。フユが生きていくのに、別に美味しいものって必要は無い気がするんだ。

 例えばヒナみたいに、朝倉ハルに食べてもらうために料理をする、っていうのは判る。自分のためじゃなくて、他の何かのため。フユには何も無いし、誰かが美味しく食べてくれるのなら、その方が良いことだろう。フユは、食べること自体にはそんなに喜びを感じない。

 それじゃダメかな。

 自分が楽しくないことで、誰かを楽しませることなんて出来ない。ヒナならそう言いそう。怒られちゃいそう。美味しいって、思えるようになった方が良いかも。誰かに食べてもらうにしても、美味しいものでなきゃいけないもんね。

 まだそんなに遅い時間じゃないし、ちょっとコンビニまで行ってみよう。バレンタインだし、チョコレートはいっぱい売ってるでしょう。


 外は真っ暗だ。とは言っても、街灯の明かりがそこかしこにあるので、あんまり暗いとは感じない。息を吐いてみる。白い。フユが生きている証拠。寒いな。もっと厚着してくれば良かった。

 コンビニまでやって来ると、入り口の横でフユと同じ高校の制服を着た男子たちが数名騒いでいた。こんな時間に学校帰りかな。部活やってたとか?フユは部活には入ってないからなぁ。興味はあっても、体力がもたない。

 ちょっと通してねって横を過ぎようとしたら。

「おお、因幡」

 あれ、宮下君だった。一緒にいるのは和田君と、高橋君。あはは、ヒナの言うところのいもたちだ。こんばんは。こんな時間にどうしたの?

「部活終わって、ちょっと燃料補給してた」

 肉まん食べてる。なるほど、食べ盛りって訳だ。お昼にあんなにヒナの作ったおかずを食べて、晩ご飯の前にまだ食べるんだ。男の子は凄いな。フユもそのくらい食べた方が良いのかな。もうちょっと太ってる方が良いよね。

「因幡は痩せてていいんじゃない?曙川はややマニアックの部類に入りつつあるよな」

 もう、ヒナに言いつけちゃうよ。おかずの味付け、激辛にされちゃうんだから。それは困る、と大笑い。

 そういえば朝倉君はいないんだね。

「あー、デートだデート。最近二人で帰るのがブームなんだって」

 おー、あつあつ。良いよね、あの二人。ヒナはもうすっかり夢中って感じで、朝倉君はさりげなくフォローしてあげてるの。素敵な関係。憧れちゃうな。

「ありゃ尻に敷かれるって」

 ヒナがイニシアチブ取りそうなのはそうだけどさ。でも、いざという時は朝倉君もぐいぐい行きそうな感じじゃない?そういうところを含めていい関係なんだよ。

 おおー、って言われた。え?なんか喋り過ぎちゃったかな。和田君がうんうん、ってうなずいてる。どういうこと?

「そうなんだよなー。あの二人は隙が無くてなー」

 宮下君、隙があったとしてどうするつもりなんだ。ダメだよ、あの二人の邪魔しちゃ。フユはあの二人には幸せになって欲しんだから。

「だから無理だって。曙川なんか見るからにそうだしさ、それに、朝倉も相当だぜ」

 両想い、いいよね。朝倉君はフユから見ても、ヒナにぞっこんなの丸解りだよ。よっぽど心配なのかなんなのか、いつも目を離していない感じだよね。まあ、ヒナが危なっかしいって言った方が良いのかな。ヒナはなんていうか、目立つよね。それで可愛いから、やっぱり気になるんだろうね。

 おっと、そうだ、買い物に来たんだった。じゃあね、みんな。また明日。

「おー、またな」

 フユがチョコレートを選んでいる間、三人はずっとコンビニの外で何やら騒いでいた。お家に帰らなくて平気なのかな。これも男の子ならでは?うーん、それはフユには判らないな。

 十五分くらい経って外に出たら、結局三人ともまだそこにいた。こんなに寒いのに、肉まんだけでよく耐えられるね。みんないつまでここにいるの?

「因幡はさー、誰かにチョコあげようとか考えてる?」

 はぁ、宮下君はそんなんだからヒナに永世名誉じゃがいもとか言われるんだよ。「そんなこと言ってんの?」うん、言ってた。

 特に考えていないよ。フユなんかからチョコ貰ったって、喜ぶ男の子はいないもの。みんなだって、サユリとか、サキとか、チサトとか、あとユマもかな、あの辺の可愛い女子から貰った方が嬉しいでしょ?まあ、ヒナからは諦めた方が良いかな。

「俺は、因幡さんから貰えれば嬉しい」

 え。

 和田君が、ぼそって呟いた。え、それ、どういうこと?フユからチョコ貰って、好きだって思われて、和田君は嬉しいの?

「あー、俺も俺も!俺もうれしーい!」

 宮下君が騒音を奏でている。ちょっと何言ってるのか判らない。静かにしていてほしい。

 フユの中に、今までに感じたことの無い何かが、むくむくと湧き上がってきた。なんだろう。なんだろう、これ。

 じゃあ、おやすみ。

 気が付いたら、慌ててその場から立ち去っていた。一度も後ろを振り返らなかった。息が上がってる。体調が悪くなってきたかな。薬を飲んだ方が良いかな。ううん、身体は、思っているよりもずっと快調だ。

 部屋に戻って、ドアを閉めて。

 コンビニのビニール袋を床に落とした。板チョコがこぼれて転がり落ちる。

 そうだ、練習しなきゃ。

 食べてもらうなら、美味しい方が良い。上手に出来てる方が良い。

 どうしてだろう。フユ、すごくやる気になってるみたい。ヘンなの。




 バレンタインデー当日の放課後。家庭科部が調理実習室を丸借りし、チョコレート制作作戦が開始された。いや、これは確かに大変だわ。

 積み上げられたブロックチョコの山。湯せんで溶かす。溶かす。もう実習室の中がチョコの匂いでいっぱいに満たされる。甘い。匂いだけで口の中がだだ甘になる。なにこれ。くらくらする。

 家庭科部部員たちと協力しながら、流れ作業的に量産体制に入る。溶かす、流し込む、固まったものからデコレート、ラッピング。愛情なんて入り込む余地無いんじゃないの?これ、貰って嬉しいのか?

 夏休みにやった惣菜工場のアルバイトを思い出してしまった。いや、良い勝負だって。もっとこう、女の子たちがふっわふわしながら、きゃっきゃお喋りして作ってる光景を想像するじゃん。

 無言だよ?終始無言で、器具のぶつかる音しか聞こえてこない。マシーンだ。チョコを作るマシーンたち。手作りなのに完全オートメーション。なんだこれ。

「こうでもしないと数さばけないから」

 理屈ではそうなんだけどさ。ユマも含めてその格好見るとどうしてもね。エプロン、三角巾、マスクに手袋って。完全防備だね。

「風邪流行ってるし、衛生的な方が良いでしょ?」

 むしろバレンタインの場合、髪の毛とか爪とか入ってると喜ぶマニアな男子もいるんじゃないですかね。ヒナはやらないよ。そんな怪しげなもの、ハルには絶対食べさせられない。

 サユリ、チサト、サキは流石に手際が良い。なんでもそつなくこなすよな。チサトはもっと、ドジっ子属性とかあるのかと思っちゃってた。失礼しました。楽器やるから手先が器用なのかな。

 サキは家が美容室だし、普段からチサトやヒナの髪をいじって遊んでるからね。こういうの得意みたい。王子様キャラなのに乙女なこと大好きなんだから。サキはバレンタインチョコ、どうするのかね。サキの場合は、相手が傷心だから難しいか。ゆっくり行こうよ。ヒナも応援しているからさ。

 サユリはお嬢様だからな。手作りチョコなんてメイドさんにでもやらせてるのかと思ってた。てきぱきしてんなぁ。何をするにしても完璧主義って感じだな。シングルのOL独り暮らし十年目、って貫録だ。いや、何も言ってませんよ?

 驚いたのはフユだった。声をかけた時にはもう何も出来ないみたいな口ぶりだったのに、やらせてみたら結構頑張ってくれた。正直戦力としては全然期待していなかったのに。ひょっとして、練習とかした?

「へへ、家でちょっとね。やってみたら面白くって」

 なんか悪いことしちゃったなぁ。ごめん。今度晩ご飯のおかず作って持って行ってあげるよ。遠慮しないで。計画的に作り過ぎちゃうだけだから。

 ハルといもたちは、制作工程には関わらないでいてもらう。そりゃそうでしょ、JK手作りブランドに傷がついちゃう。男子の役割は主に力仕事。出来上がったものの整理、運搬。材料やら何やらの出し入れ。そして、ジュース類の買い出し。

 はぁ、ハル以外の誰かのために、こんな汗水たらして手作りチョコとか。よくよく考えてみたらアホみたいだ。ヒナのそんな様子を察したのか、ことあるごとにユマが声をかけてくる。「ヒナ、ファイト」はいはい。いっぱーつ。

 段々みんなハイになって来ちゃって、最後の方は歌なんかうたってた。バレンタインデーキッス。フユにも教えてあげながら、みんなで大声で歌う。確か、こんなアイス屋さんあるよね。このくらいになってくると、ようやく女子高生がきゃっきゃうふふして作ったチョコと言えないことも無い。正確にはラリってる感じ。最高にハイってヤツだぁー。


 三時間以上かかって、ようやく戦闘は終わった。外はもう真っ暗だ。単純なものを大量に作るだけだったのに、酷く手間がかかった気がする。うへぇー、しばらくチョコは見たくないかも。

 配布の方も無事終了。人手不足で、一部ハルとかいもたちが配った際に、ちょっとしたクレームがついたとか。うるさいねぇ、作ったのは紛れも無く女子だよ。それで勘弁してくれよ。こっちゃタダ働きなんだ。

「みんなお疲れ様」

 フユも、体力がもってくれたみたいで良かった。あまり無理しないで。ヒナもここまで悲惨な状況になるとは思ってなかったからさ。ごめんね。

「ううん、すごく楽しかった」

 そう応えたフユの笑顔は、本当に輝いていた。

「誰かのために何かをするって、私に向いてるのかもしれない。それが、私自身のためになるのかも、って」

 フユの出した答えは、それなんだね。良いんじゃないかな。誰かのために動いていれば、きっとフユ自身の中身が満たされてくるよ。ヒナはそう思う。

 でも、今日はフユのための日なんだ。

「じゃあ、今日の本番、行ってみようか」

 フユはきょとんとしている。ホント、こんなに忙しいとは思ってなくてね。準備を全部ハルたちに任せちゃった。またおかず奮発してやらないとなぁ。




 調理実習室の隣は、調理準備室になっている。今日のチョコレート制作作戦の間、材料置き場になっていると聞いていた。朝倉ハルとか、他の男子が矢鱈と出たり入ったりしてるなーって、そう思ってた。

「はいはい、じゃあ準備室に移動ね」

 ヒナにそう言われて、フユは準備室に押し込められた。何だろう。まだ何かあるのかな。フユ、今日はもう、ちょっと疲れてる。

 準備室に入ったら、明かりが消えていた。

 真っ暗では無かった。小さな光が、ぽつ、ぽつ、って灯っている。

 ゆらゆらと揺れる、可愛い炎。円形に並んだ、十六個の光。

 茶色いプレートが浮かび上がっている。白いチョコペンで字が書いてある。


「フユ、おたんじょうび、おめでとう」


 みんなの声がして、明かりが点いた。

 拍手の音。笑顔が、フユを囲んでいる。ヒナ、サユリ、サキ、チサト、ユマ。宮下君、和田君、高橋君、朝倉ハル。みんな、フユの方を見て、笑って、手を叩いて。

 ハッピーバースデーの歌を、うたっている。

「ほら、ロウソクの火を消して」

 ヒナに言われて、慌ててケーキに近付いた。チョコケーキ。そういえば、ケーキを焼くって聞いていたのに、そんな様子はちっとも無かった。ケーキは、フユに見えないところで作っていたんだ。

 十六の炎。フユは、十六才になった。十六年間生きた。何も無いって思ってた。

 生きてるからなんだ。ここにいるからなんだ。ずっとそう考えてきた。フユがいることに、意味なんて何も無い。いつ消えてしまっても良い。むしろ、消えてしまいたい。

 でも。

 今は、生きていたい。こうやって、生きていて良かったねって、言われたい。祝われたい。誰かに愛されて、必要とされて。そこにいても良いんだって。

 そう、思われたい。

 みんな、ありがとう。

 フユは、初めてここにいて嬉しいって思えた。ここにいたいって、そう願えるようになった。みんなと一緒にいたい。みんなに、フユを満たしてほしい。

 それから。

 ありがとう、ヒナ。

 ヒナは、フユの希望。フユに、この世界にいたいって思わせてくれる、素敵な光。もう一人の、私。

 ううん、違うな。ヒナはヒナだ。フユはフユ。私たちは、同じで異なる。フユは、やっとそう思えるようになった。フユは、フユだ。ヒナには憧れるけど、フユは、ヒナになりたいんじゃない。

 フユは、フユになる。他の誰でもない、フユ。唯一の私。たった一人の、私。

 さようなら、もう一人の私。そしてもう、一人の私。

 フユは、一息にロウソクの炎を吹き消した。


「今日が誕生日だって、カマンタに聞いていたから」

 なるほど、カマンタがヒナに喋っていたのか。誕生日のことは誰にも話したつもりがなかったから、かなりビックリした。ちゃんとフユにも伝えておいてほしかったよ。

 自己紹介で「寒い季節に産まれた」って言っても、そこのところは誰も触れてくれなかったんだよね。案外そんなものなんだなって、諦めてた。ふふ、ヒナ、ありがとう。

 みんなでジュースを飲んで、ケーキを食べて。もうチョコなんて見るのも嫌だ、って文句たらたらだったのに。不思議、やっぱりみんながいると、何でも美味しく感じる。素敵だ。

 優しくして貰って、嬉しくなっちゃって、すっかり忘れてた。そうだ、こんなにお祝いしていただいたんだから、ちゃんとお礼をしないとね。練習して、上手に出来るようになったんだよ。

 カバンの中から、小さな包みを取り出す。はい、みんなにチョコレート。今日は流石にチョコ尽くしだったから、明日とか、後で落ち着いてから食べてね。

 宮下君。フユとお話ししてくれるのは嬉しいから、これはお礼。あんまりうるさく騒がないんだよ?これからも、仲良くしてね。

 和田君。フユからチョコ貰って、本当に嬉しい?そう言ってもらえると、フユも嬉しい。お世辞でも良い。嬉しかったって、これは感謝の気持ち。

 高橋君。ええっと、これは義理です。そう言っておかないと、面倒なことになりそうなので。ははは。じゃあそういうことで。

 それから。

 朝倉君。ヒナに怒られるの覚悟で、受け取ってください。この前、保健室に運んでくれたこと、とても嬉しかった。多分、フユが今一番男の子の中で気になっているのは、朝倉君です。ただ、フユが気にしているのは、ヒナの彼氏の朝倉君だから、そこは間違えないでほしいかな。ほら、ヒナも睨まないで。取らないから。取れないから。

 みんなありがとう。フユは幸せです。こんな風に誕生日をお祝いしてくれたことも、バレンタインデーにチョコレートを渡すのも。フユには初めてのことでした。こんなに楽しくて、こんなに嬉しいこと、あるんだね。

 何も無いフユのために、みんながここまでしてくれるなんて、考えもしなかった。フユは、みんなにどうやってお返しすれば良いのか、今はまだ全然見当もつかない。

 どうか、フユがみんなに恩返し出来るようになるまで、その時まで。

 フユのお友達でいてください。よろしくお願いします。




 すっかり夜が更けて、外は凍えるくらい寒かった。うー、こんなに遅くなるなんてなぁ。お嫁さんクラブもチョコレート配布なんて無茶なイベントやらなきゃ良いのに。恵まれない男子ィなんかほっとけってんだ。

 家に帰る途中でみんなと別れて、今はハルと二人きり。へへへ、だってバレンタインですから。このくらいはさせてくださいよ。寒いって言って、ハルの腕をぎゅって抱いている。暖かい。心も、身体も。

 フユ、とても喜んでくれてた。良かった。誕生日もバレンタインデーも知らないなんて、やっぱり悲し過ぎるよ。ヒナは、フユに幸せになってほしい。楽しいことがいっぱいあるって、知ってほしい。

 それにしても、ハル。

 フユにチョコ貰えて良かったね。鼻の下のばしちゃって。もうヒナのチョコなんかいらないんじゃないの?

「そういうこと言うなよ。フユのため、なんだろ?」

 それはそれ。これはこれ。ハルがヒナ以外の女の子にデレデレするのは許せません。ヒナはハルだけなのに、そういうのは良くないでしょ。

「ヒナだけだよ」

 もっとちゃんとはっきり言ってくださーい。聞こえませーん。

 ハルが立ち止った。人通りの少ない夜道。うん、ちゃんと計算通り。この辺りで、こうなる。愛の告白の日なんだからね。女の子からだけじゃなくて、女の子にも、愛の言葉をささやいてほしいよ。

「俺が欲しいのは、ヒナだけだよ」

「チョコレートですか?」

 すっとぼけてみせる。ハルの目を真っ直ぐに見つめる。ハルの気持ち、ちゃんと態度で示して。

 少しはにかんでから、ハルはヒナをそっと抱き締めた。うん、あったかくて良い気持ち。もっと強く抱いて良いよ、ハル。ヒナを幸せにして。ヒナの心を満たして。

「全部。ヒナは全部、俺のものにしたい」

 はいはい。

「どうぞ」

 したいだけで、まだしないくせに。我慢強いね、ハル。ヒナはいつも、いいよって言ってるのに。大事にするんだって、きかないんだから。ヒナのことは、いい加減にしないんだって。

 ハルとキスをする。もう何回目かな。高校に入って、彼氏彼女になって、何回もキスした。もう自然に唇が触れ合う。うっとりとする。ヒナは、ハルのもの、ハルの虜だよ。

「こうやってさ」

 ん?

「ヒナのことを抱き締めたり、キスしたりするのが、当たり前になって行くのが、なんだか怖くてさ」

 そうだね。最初の頃は、手を繋ぐだけでどきどきしたのにね。今は、もっと触れ合いたいって思っちゃう。触ってほしいって、強くしてほしいって、際限なく願ってしまう。

「ヒナを汚してしまって、それが当たり前になって。ヒナを、大事に出来なくなるんじゃないかって。それが怖いんだ」

 ふ。

 ふふふ、ハル、可笑しい。こういう時、やっぱり幼馴染なんだなぁ、って、そう感じちゃう。参ったな。

 ハルが次に言いたいこと、判っちゃった。どうしようか。

 それは、今言っちゃう?どうする?

「ハル、私のこと、大事にしてくれる?」

 そう言って、軽く首をかしげて見せる。別に今でも良いんだけどね。ただ、折角仕込んだからさ。ちょっともったいないって考えちゃった。焦る必要だってない。

 こうやってお互いのことを大切に想えているなら、いつだって大丈夫だ。

 ハルはしばらくヒナのことを見つめて。

「そうだな、ごめん、もう少しだけ待ってくれるか」

 笑顔で応えてくれた。ははは、やっぱりか。照れ臭いなぁ。

 うーん、余計なことはしない方が良かったかな。バレンタインの日っていうのも悪くは無かった気がする。こんなチャンス、次は無いかもしれない。

 ふふっ、まあ、それも青春だよ。ヒナとハルはまだ高校一年生。この先いくらでも機会はあるよ。二人が、ちゃんと好き合っている限りは、ね。

「はい、ハル。私からの気持ち」

 用意していたチョコレートを渡す。ハルのためだけの、特別製。

「ありがとう、ヒナ」

 中にあるメッセージ、ちゃんと読んでね。そしたら、今日ヒナがどうしてハルを止めたのか、判るから。もう、こういうところだけ気が合うの、ホントに困っちゃう。

 ヒナは、ハルのことが好き。誰よりも、何よりも。この世界で一番、ハルのことが好き。

 だから。


『待ってます』


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