第5話 ヨルに咲く花

 蝉の声がすごい。もう八月だからね。恋の季節真っ盛りだ。あれが全部愛の告白なんだと思うと、ロマンチックというよりは軽く引く。しかも相手は不特定多数だし。死ぬ前に誰でもいいから、っていう必死さは、まあ伝わってくる。

 うん、素直にうるさい。あと暑い。部屋の冷房、設定強めにしてるのにかなり厳しい。今年の夏は猛烈だ。日光が入ってくるとそこから熱されてしまうので、遮光カーテンが欲しくなる。暗くていいよ、涼しければ。そう訴えたらお母さんに不健康って言われた。ええー、いいじゃん薄幸の美少女的で。

 はいはい、美少女は言い過ぎでした。でも可愛く無い、なんてことは無いと思う。部屋にある全身鏡の前で、くるっと一回転。白と水色のワンピースの裾が翻る。落ちそうになった白い帽子を片手で抑えて、軽く首をかしげるポーズ。よし、満点。

 曙川あけがわヒナ、十五歳。高校一年生の夏休み、本日の戦闘準備万端です。

 大きくてくりっとした目、すっきりした鼻筋、ゆるふわで肩までの癖っ毛。クラス内ではトップテンに入る可愛さ。うん、女子が二十人だから、上位半分には入ってるよね。この自己評価は高い?低い?

 ヒナの場合、周りの友人たちのレベルが高過ぎる。大人美人サユリ、可愛くてふわふわしたチサト、ボーイッシュ王子様サキってなんなの?その中でヒナの立ち位置って、もうボケ役ぐらいしか残ってないんですけど。アイドルチームなら「ツッコミ待ち」って言われるポジションだ。うわー、突っ込まれたくねぇー。

 まあいいのさ。ヒナには素敵な彼氏様がいますからね。ずっとずっと好きで、今までも沢山大事にしてもらってきて、高校に入ってようやくお付き合いっていう関係になった、大切な幼馴染。

 朝倉ハル。ヒナの一番大事。ヒナの居場所。大好きな彼氏様。

 そのプレミアムでプレシャスなハル様、先週末にようやく補習を終えてくださいました。ハル様は一学期の期末テスト、物理で赤点を取ってくださいましてですね、ヒナの夏休みのスイーツかっこ笑いな予定は全ておじゃんにされてしまっていたワケです。これで更に追加補習とか言われてたら、ヒナは泣きわめいて物理のすだれハゲ先生の自宅に押しかけて、「コイツにレイプされそうになりました」とか騒いでやろうかと思ってました。うん、やらないで済んで良かった、テヘペロ。

 何にしても、これで晴れて二人の夏休み開始です。うわぁ、なんだか顔がにやけてきちゃう。ハル、ヒナは今年の夏、色々期待しちゃってもいいのかな。ええっと、高校生らしい健全な夏にする?それとも、もうちょっとトロけちゃう?それともそれとも、行くところまではっちゃけちゃう?ふふふ。

 全部ハルにお任せ。ヒナはハルに全てを預けてるからね。今のところお姫様みたいに大事にしてもらってる感があるけど、ヒナ的には何があってもどんと来いです。離さないって決めましたから。信じてますから。ま、根性なしのハルのことだから、ヒナがプッシュしない限りきっと何もないでしょ。もう何年一緒にいると思ってるんだか。

 夏休みにハルと二人で遊ぶのって、考えてみれば本当に久しぶり。会ってはいたんだけどね。ウチの場合家族ぐるみのことが多くて、ヒナの弟のシュウとか、ハルの弟のカイとかが普通にセットで付いてくる。ポテトもドリンクもいらんのにね。残念ながら単品販売はしてくれなかった。

 別にシュウやカイのことが嫌いって訳じゃなくてね。うーん、二人きりになれる機会って、思ったよりも少なくて。中学に上がってしばらくの間は、本当に割と疎遠だったんだよ。ヒナも色々あってさ。ふと左手を見下ろす。ああ、忌々しい。

 ヒナの左手には神様が宿っている。いや、電波とかお花畑とか、そういうのじゃなくて。なんかガチのマジックアイテム。神の園である幻夢境カダスに通じる道標、銀の鍵。そして、銀の鍵の所有者をカダスに導く守護神ナシュト。こんなものがヒナの左手には埋め込まれている。なんでやねん。はい、別にツッコミは待ってません。

 目に見えないモノが見える。聞こえない音が聞こえる。他人の心が読める。これ、そのまんま統合失調症だよね。そんなこと言う奴がいたら、間違いなく病院に直行だ。お陰様で人に話すことなんか絶対に出来ない。

 百歩譲って、信じてもらえたとするよ?「あなたの考えてること、何もかも判るんだ。あと、勝手に書き換えることも出来るんだ」こんな奴が近くにいたらどう思うよ?ってこと。ヒナならおっかなくて逃げ出す。ヒナ自身、こんな力気持ち悪くて仕方が無い。

 いらないって言ったのに、銀の鍵はもうすっかりヒナと同化してしまっている。クーリングオフもさせてくれないとか、神様の世界は実に遅れている。今ならおまけで付いてくるって感じのナシュトに至っては、イケメンであること以外にはほとんど利点が無い。ハルがいればそれで満足のヒナにしてみれば、イケメンってところにも訴求力を感じない。もっとユーザーのニーズを考えてさ、キャッチーに行こうよ。意味判らんけど。

 中学も三年生の後半になって、ヒナはこの銀の鍵をはっきりとダメ認定した。基本的に封印。使ってもロクなことにならない。中学時代のヒナについて、カイ辺りがなんだかすまなそうに言ってくることがあるんだけど、もう原因ははっきりしてるから心配ご無用。人の心なんて気安く読むもんじゃないよ。本当に。

 そんなヒナを助けてくれたのがハル。ハルはいつもヒナのことを助けてくれる。小学三年生の時、雨の中で怪我して泣いていたヒナを助けてくれたのもハル。中学三年生の時、銀の鍵が見せる人の本性があまりにも汚れきっていた中、純粋な気持ちでヒナのことを好きでいてくれたのもハル。そんなハルのこと、好きにならないはずが無いでしょ。ヒナは、ハルのことが好き。

 やー、でも中学三年の冬、二人で高校受験の勉強会している時は、今思えば惜しかった。結構遅い時間まで二人きりでいられた、貴重な体験だったんだよなぁ。ヒナがもっと頭良くて、学力的に余裕があったんなら、勉強会なんて口実に出来たのに。あ、ハルもそうか。一緒の高校に入るためにお互い必死だったから、あんまりロマンス的な要素は無かった。まあ、頑張ろう、とは思えて良かったかな。

 高校に入って告白してもらえて、本当に嬉しかった。ああ、ヒナの人生無駄じゃなったんだなーって、十代真ん中にして達観しちゃった。こういう色恋ってのは、若いうちにしか出来ないじゃん。ヒナは全力でぶつかってきたつもりだし、それが報われたって思うと、感極まっちゃうよね。ハルが相手なら、なあなあでもなし崩しでもなんでも良かったんだけど、でもちゃんと告白されて、彼氏彼女になって、恋人になるっていうのは、やっぱり憧れだった。

 恋人。うん、恋人だよ。良い響きだね。またワンステップ進んだイメージ。ヒナは、ハルと手をつないでこのまま人生の階段を登っていきたいなぁ。

 おっと、その前に大人の階段だな。夏休み前の公園デートで、ヒナのファーストキスはハルに奪われてしまった。むふふ。幼馴染で高校生になってからファーストキスってどうなのよって思われるかもしれないけど、いいじゃん、別に。なんかすっごい昔にハルのほっぺにチュウした記憶もうっすらあるけど、唇が触れ合うのは確実に初めてなはず。結構大事にしてました。そして、ちゃんと好きな人に奪ってもらいました。ふふっ、よっしゃー、このまま行くぜーって感じ。フォローミー!

 相変わらずこの思い出だけでご飯三杯くらいはいけちゃいそう。いかんいかん。それより今日のことだってばよ。

 今日は地元の花火大会。結構大規模で、同じ日にお祭りをする寺社や町内会もちらほら。お盆前なのに町中がそわそわした空気に包まれていて、とても賑やかだ。

 もともとこの花火大会には、毎年ハルの家と一緒にわいわいと観に行っている。ハルのお母さんが車を出して、河川敷の芝生にゴザを敷いて、寝転がってお菓子やら出店で買ったたこ焼きとか焼きそばやらを食い散らかす。お花見に近い感覚かな。ヒナのお父さんは大体お盆まで出張で帰ってこれないから不参加、ハルのお父さんは仕事が繁忙期でやっぱり不参加が多い。そういえば最近ハルのお父さん見てないな。お付き合いしてますって、一応挨拶しといた方が良いのかな。

 ふふん、しかしですね、今年の花火大会はちょっと違うのですよ。なんかハルのお母さんとヒナのお母さんが結託してですね、ヒナとハルの二人は別行動になったのです。良いように踊らされてるみたいで正直滅茶苦茶腹立たしいんですが、そこはぐっと飲み込みますよ。結果が全てですからね。結果にコミットします。

「今年は二人で観に行くんでしょ?」

 とかもうアッサリと言いやがって。ええ、そうさせていただけると嬉しいですね。なにぶんお付き合いさせていただいてますからね。ただ、なんでそのお付き合い関係の話が、両家の家族全員に知れ渡ってるんですかね。お父さんからヒナの携帯におめでとうメールが来た時は失神しそうになりましたよ。うん、どうせくっつくんだろお前らって、昔から言われてたからさ、我ながら今更だよなー、って思ってはいるんですよ。いるんだけど。

 でも、なんかムカつくんじゃー!

 気を取り直して、鏡の中の自分を見直す。例年と違ってデートですからね。スウェットとかジャージとかありえないですから。ハルの彼女として恥ずかしくないように、綺麗で、可愛く。それでいて、屋外デート的な。毎回難易度が高い。かといって手は抜けない。頑張れ、ヒナ。

 とりあえずワンピース。この前買った新作です。白と水色。夏らしくていいよね。実はうっすらと透けてる。身体のラインが見える奴は諸刃の剣。ヒナは今回、あえて勝負に出てみる。夏の日差しの逆光、白いワンピースの向こうに、ヒナのシルエット。どやぁ。

 その代わりインナーはあまりご期待に添えないかな。カップ付きのキャミ。透けブラとか期待されても、この時期ブラ紐はきつくてね。ハル以外のオッサンとかにうへうへとヤラシイ眼で見られるのも腹立たしい。下は膝上のレギンス。う、もうちょっと脚細くならんかな。あとヒナ、少々O脚気味。気になる。

 縁日見て回ると思うし、履物は慣れてるサンダルで。あえて不慣れで可愛い系のものをチョイスして、「脚痛くなっちゃった」からのおんぶコースもありかな、とか思いつつ却下。普通にハルに迷惑だよね。ヒナからは無理に変なイベントを発生させない。ハルに優しくリードしてもらう方向性で。

 それから帽子。暑いからね。日が落ちた後は良いんだけど、日中デートも込みなら日除けは必須。日傘とかはヒナにはレベルが高すぎる。普通に、白い帽子。つば短め。可愛く着こなさないとね。

 あー、後は見えない努力系。日焼け止め。制汗剤。虫除け。この時期は特に大変。男性側としては女性の露出が増えることに期待が膨らむのでしょうが、女性側の都合ってのも大変なんですよ。色々と匂いが混ざるのもきつい。なるべく無香料のものを使うように意識はしている。最後にシュッと消臭剤をかけたくなる。

 窓の外で、ドンドンドン、と花火が上がる音がした。お昼の三段雷だ。

 ヒナはお父さんから聞いて知ってたんだけど、みんな意外とこの三段雷って知らないんだね。運動会とかでもやるよね。今日は予定通り花火をあげますよーっていう合図だ。ハルはらいって言ってた。

 これだけ天気が良いからね。中止ってことは無いでしょう。ちょっと風が強いかなー、程度だ。むしろ少々風が吹いている方が、花火の煙が流れて観る方としては便利。毎年観てれば、その位の知識は身についてくる。

 二人でお祭りとか。二人で花火とか。

 うわー、良く考えたらすごいな。なんか照れくさいな。ハル、ヒナはハルとお付き合い出来て、本当に幸せ。

 この幸せを、ずっと続けていきたい。守っていたい。

 大切にしたい。


 花火大会の正式な会場は大きな国立公園だ。広い園内の一部が解放されて、縁日みたいな出店が並ぶ。メイン会場の広い芝生には朝のうちからゴザやらビニールシートやらが敷かれて、日が暮れる頃にはもう足の踏み場もなくなってしまう。何よりつらいのはトイレの行列で、並んでいる間に花火が始まって、出てきたら終わっているという笑い話が全然冗談になってない。

 なので、地元の慣れている人間は最初から国立公園の方にはいかない。少し離れた河川敷の方に行く。こっちでも出店は沢山出てるし、何より広々とした場所でのんびりと花火を見ることが出来る。仮設トイレも設置されてて万々歳だ。

 しかし、今回ヒナとハルはあえて国立公園の会場にやってきた。そりゃあそうだ、両家の家族が河川敷の方にいるんだから。折角二人で別行動しているのに、かき氷買おうと並んでいるところで鉢合わせとかしたらどうするのよ。何もかも台無しだよ。ハルと腕組んで歩いているところなんて、カイとかシュウとかにはあんまり見られたくないかな。いやまあ、普段から割とくっついてはいるんだけどさ。無防備にいちゃついているところは、流石に、ねえ。

 一応携帯で連絡すれば車でお迎えに来てくれるらしい。ははあ、一応ね。無いと思いますよ。なんでわざわざデートを放棄しなきゃいけないんですか。意味が判らない。むしろこのまま二人で何処までも行ってしまいたい。

 空を見上げるとすっきりとした青空。ものすごく暑いかと思ったけど、想像していたよりも風が気持ち良い。汗対策とか色々考えてたのは杞憂になるかな。そこまで酷いことにはならなそう。日焼けにだけ気を付けておこう。

 ちらり、と横にいるハルの方を見る。今日はハーフパンツとTシャツ、ビーチサンダル。ハル、夏仕様って感じ。はは、去年の花火の時も同じ恰好だった気がする。日焼けしにくいからちょっと白さが目立つかな。むさくるしいよりはいいよ。ハル、思ったより体毛濃いね。そういうところに目が行っちゃう。

 まだ日没までだいぶ時間があるのに、国立公園は人でごった返していた。花火の日は無料入園になるので、それにあやかって遊びに来ている人もいるのだろう。で、みんなきっとそのまま花火見て帰るんだろうな。こりゃすごい人出だよ。その熱気だけで汗が出てきそう。

 これだけ暑いと、べたべたくっついたりは出来ないかな、って思ってたんだけどね。

 ハルが、ヒナの手をぎゅって握ってきた。どきっとしちゃった。わ、ハル、どうしちゃったの?

「迷子になるなよ」

 もう、だから一人で行かないよ。まだ気にしているのかな。大丈夫、ハルと約束したでしょ。一人で走り出すことはしない。ハルにいつまでもそんな迷惑はかけられない。

 強く握り返す。汗ばんだ掌の感触。そこに、ハルがいるって確かに判る。

「ならないよ。離れないから」

 銀の鍵のこと、ハルには話せない。ハルはヒナに何も訊かないでくれた。その代わり、一人で走り出して、一人で泣かないでほしいってお願いされちゃった。そうだね、ヒナはいつもハルの前で泣いちゃってる。

 でもね、それはヒナにとって、ハルがとても安心出来る場所だからなんだよ。つらいこと、悲しいことがあった後、ハルの顔を見ると、ハルの声を聞くと、ほっとして、気が抜けちゃうんだ。つい涙が出ちゃうんだ。ハルのこと大好きって気持ちが、ヒナを泣かせちゃうの。そこだけは大目に見てほしい。本当のヒナをさらけ出すのは、ハルの前でだけなんだから。

「ならいいけど」

 ヒナだって成長してるんですよ。ハルの彼女に、恋人にしてもらったんだから、ちゃんとハルのお願いくらい聞きます。こんなにヒナのこと信じてくれるんだから、応え無い訳にはいかないでしょう。もう、何言われてもヒナはハルに従います。ヒナはハルのものです。ずっと前から、そして、これからもずっと。

 ハルが笑う。ヒナも笑う。銀の鍵とかマジで投げ捨てたい。ハルと一緒にいるといつもそう思う。二人の時間が愛おしくなればなるほど、邪魔者にしか感じられなくなる。二人の間に隠し事を作る要因。ヒナとハルを困らせる、不自然で歪な力。

 うまく使いこなせれば、便利なんだろうな、とは思う。でもヒナにはまだまだうまく扱えそうにない。こればっかりは成長しそうにないかな。ナシュトはヒナがカダスに近いとか、寝言みたいなことを言ってるけど、別に神様になんか会いたくもない。仮に会えたとしても、文句しか出てこないかな。とりあえずキャンセルぐらいは出来るようにしといてくれ。

 ハルと手をつないだまま歩き出す。あ、今気付いたけど、花火大会って結構高校の知り合いとかいるんじゃないの?こんなラブラブ状態でいいのかな。えーっと、ハル?

「さっき高橋がいた。こっち見てた」

 ぎょえー!ええと、高橋くんって誰?ハルの友達で、ええっと、じゃがいも1号?2号?ああっと、小っちゃい奴か、さといもだ。ハルの周りにはイモしかいない。炭水化物祭り。

 この状態で見られたりして、ハル的には構わないの?

「えーっと、ハルは平気なの?」

「まあ今更だしな。あいつらの誘い断って来てるわけだし」

 あー。

 あーあーあー、そうだよね。友達同士で誘って来たりするよね。ヒナもサユリから『声だけかけるけど来ないでしょ?』ってぶち失礼なメッセージもらったわ。『ご明察でございます』って返事しておいた。サユリお嬢様の優雅な花火見物にも、正直興味はある。後でサキとチサトに訊いてみよう。

「デート宣言とかしてるし、手遅れじゃね?」

 うう、それは忘れてほしいよ。ハルが補習だって判った時、教室の中、クラスメイトの面前でハルにデートをせがんじゃったんだよね。もう公認どころの騒ぎじゃない。普通に夫婦扱いだよ。へいへい、それで結構ですよ。その代わりもうぜーったいに邪魔するなよ。変な噂流すなよ。茶化すなよ。

「ヒナは、目立たない方が良い?」

 んー、必要以上に目立つのは嬉しくないかな。やっぱりいちゃいちゃしてるってだけで反感は買うものだし。それに、学校はそういう場所じゃないってことぐらいはわきまえてるつもり。ただ、今は学校の外だし、学生であるのと同時に、ヒナとハルは幼馴染で恋人同士なんだから。仲良くしていることは自然でしょ?

「これくらい、普通のことだと思うよ」

 そうじゃなきゃやってられません。生活指導どんと来い。負けないぞ。男女が愛し合わずして、日本の少子化は解消されない!

「なら良かった」

 ホントにね。ハルがそう思ってくれてるから、こうしていられる。えへへ、実は嬉しい。ハルって結構、度胸があって男らしいんだよね。ヒナを引っ張ってくれるハル、頼りがいがあってすごく好き。

 暑いけど、あんまり気にならなくなってきた。多分体温が上がってる。ヒナも熱くなってる。ええい、ままよ。手は握ったまま、ハルの腕をそっと抱く。ハルの二の腕、ひんやりとしている。筋肉、しっかりと付いてるね。逞しい。ぎゅっと、身体を押し付ける。ハル、好きだよ。ヒナを感じて。

「じゃ、行こ」

 いつまでもその体勢じゃ歩けないからね。ぱっと離れてにこっと笑う。戸惑ったハルの顔を見るのが楽しい。

 ほらほら、夏休み、ヒナは手加減しないぞ。もっと手を出してきてもいいのよ、ハル?


 公園の奥に移動する。人の数が多い。がやがやがやがや。みんな花火目当てなんだとすると、まだ増えるってことだよね。こっちの会場に来るのって珍しいから、今一つ勝手が判らない。

 ハルもそうだよね。毎年ヒナの家族と一緒だったし。その割にはぐいぐいと先行してくれる。ひょっとして下調べとかしてたのかな?マメだなぁ。まあ、ヒナはハルについていきますよ。トイレ以外は。

「迷子のお知らせをいたします」

 場内アナウンスが流れた。あー、これだけ人がいればね。ハルがヒナと手をつないでいるのも、あながち間違いじゃないかな。大人でも油断したらはぐれちゃいそうな感じだ。

 とりあえずベンチのある広場にやって来た。かき氷の出店がある。本当はお茶とかスポーツドリンクとかガブガブといきたいところだけど、その後が大変になっちゃうからね。その、出す方が。多分どんな行列よりも長くて苛酷だ。水分補給にはアイスとかかき氷とか、意外とキュウリが良い。さっぱりしてておいしいし。

 空いているベンチを探すだけで一苦労だったけど、なんとか二人で座れるスペースを確保。ハルがかき氷を買って来てくれた。いやー、生き返る。イチゴだから舌がヘンな色にならないし。あ、そう言えばかき氷のシロップって、色と香りが違うだけで味はおんなじだって知ってた?

 一回座っちゃうと、なんだか落ち着いてきちゃって歩く気が失せてしまった。この公園は結構広くて、全部見て回るつもりならそれなりに覚悟が必要。でも、そんな気概は氷と一緒に溶けちゃった。もうちょっと休んだら、花火を観るポイントまで移動しちゃっても良いんじゃないかなぁ。

「ヒナ、部活って考えてる?」

 ん?今のところ考えてないよ。だってハル、帰宅部じゃない。ヒナだけ部活やって、なんか楽しいことある?今のところ、ヒナにはハル以上に興味のあることなんて無いからなぁ。なーんて、口には出せないな。

「うーん、あんまりやりたいことないかなぁ」

「今ちょっと誘われててさ」

 そうなんだ。中学時代はバスケ部だったからね。レギュラーにはなれなかったけど、ハルの運動神経が悪いとは思わない。何もしてないよりは、何かしてた方が良いかもしれない。

「そうなんだ。どこ?」

「ハンドボール部。宮下がやってる」

 ふむ、宮下って誰だ。じゃがいものどっちかか。いい加減ハルの交友関係ぐらいは顔と名前を覚えてあげた方が良いかな。会話に支障が出るレベルで記憶してない。だって、全くこれっぽっちも興味が無いし。

「ハンドボールだと、バスケに近いってのもある。微妙に違って面倒なんだけどな」

 ハルが楽しそうに笑う。こういう時、話題を合わせるためだけに女子バスケ部に入ったヒナの努力が報われる訳ですよ。トラベリングの歩数カウントが違うんだよね、とか。ピボット等の専門用語にもついていける。偉いぞヒナ。ただし、ヒナの実際の運動能力について考えてはいけない。忘れよ。

「今からでも入って大丈夫そうなの?」

「あー、なんか、お遊び活動っていうか、人数少ないし、本気度が低いんだってさ」

 そうか、その方が良いかもね。中学の時のハルは根詰め過ぎだったもん。ハルがレギュラー目指して努力している姿を、ヒナはちゃんと見ていた。ハルは頑張ったと思う。中学の男子バスケ部はレベルが高かったし、仕方が無い面もあった。あ、ヒナはもう少し努力しても良かったかも。男子とは練習から何から全部別って判った途端やる気が半減した不届き者ですので。

「で、さ。ハンドボール部でマネージャーも欲しいって言ってるんだけどさ」

 はい?

 何言ってるんですか、ハル?

 ひょっとして、ヒナにマネージャーやって欲しいって言ってます?

 はぁー・・・えーっとね。よーく考えてね、ハル。

 自分の彼女を部活のマネージャーに引き込むとか、それ普通に考えて無いですからね?そもそもヒナはハルの面倒なら喜んで見るけど、ハル以外の部員なんてガチで野菜と同じです。皮剥いて洗って切り刻むくらいしかしませんよ?顔も名前も憶えませんよ?そんなのマネージャーになりませんて。

 それにお遊び部活なんでしょ?なんでマネージャーが必要なの?マネージャーって何するの?ハル以外の男子の汗臭いユニフォームを洗えとか言うの?ごめん無理。ナチュラルに無理。消臭剤の原液に漬け込んでも無理。燃やせって言うならやってあげる。お焚き上げする。成仏しろよ。

 大体、それハルの考えじゃないでしょ。誰、そんなこと言ってるの。なんだっけ、宮ナントカ?もういいよ、そいつは未来永劫ヒナの中ではじゃがいもだ。永世名誉じゃがいもだ。ありがたく拝命しな。

「ハルの専属マネージャーみたいになっちゃうのは、他の人に迷惑なだけなんじゃないかな」

 やんわーりと、ハル以外のお世話など真っ平御免だとお伝えする。ハル、大丈夫だよね?判ってるよね?

「ごめん、頼んでみてって言われてただけだからさ。俺もヒナにそんなことさせたくないよ」

 ほっ。もう、ビックリさせないでよ。体育会系男子部活のマネージャーなんて、ハルがいたとしても絶対にお断りだよ。ハルのマネージャーならやってあげても良いけど、そんな大量のおまけがついてくるような環境はいりません。

「ハル以外の人の面倒なんて見ないからね」

 つるっと口が滑った。ハルが少し照れてる。ばか。ハルのばか。ヒナにこれを言わせたかったんじゃないの?はいはい、そうですよ。ヒナはハルの彼女、ハルだけのヒナですよ。

 にしてもハンドボール部か。一応ハルが入りそうな部活については、入学時に一通り調べてある。ハンドボールはウチの学校では確かにあまり流行ってなくて、部員数も少なかったと記憶している。大会参加記録も無い。間違いなくお遊び部活。

 最大の問題は、女子ハンドボール部が無いということ。ホントに人気が無い。他の学校だと普通にあったりするのにね。まあ、男子の方がお遊び部活になっちゃってるわけだし、しょうがないのかな。一回部員数が減って消滅しちゃうと、復活するのってかなり大変そう。

 じゃあヒナはどうしようかな。ハルが部活始めるとなると、ヒナも何かしてた方が色々と都合が合わせやすい。マネージャーかぁ。うーん、ダメだ、それはやっぱり無い。簡単に想像出来る。部員一人の面倒しか見ない、あからさまな恋愛脳マネージャー。結果的にハルの迷惑にしかなってない。

「私も何か部活しようかな」

「そうだな。ヒナも何かしててくれた方が良いかな」

 何よ、それ。エネルギーが有り余って暴走してるってコト?或いは何してるか把握しやすいってコト?ああ、両方か。

 もー、変な束縛の仕方しないでよ。放っておくと何するかわからないってのは自覚してますよ。ハルに迷惑かけましたよ。ちゃんと反省してるってば。

 はぁ、わかりました。ちょっと考えてたこともあるから、二学期始まったら入部届出しますよ。マネージャーじゃないよ?それはちゃんと永世名誉じゃがいもに言っておいて。自分の汚れ物は自分で洗濯しろって。

「迷子のお知らせをいたします」

 また場内アナウンスが流れた。ああ、ホントに多いな、迷子。目の前を行き来する人の流れも、更に増えた感じがする。これは結構大変だ。

 かき氷のカップを捨てるゴミ箱を探して首を巡らせていると、どうもはぐれているらしい子供が視界に入った。ありゃ、ここにも迷子か。しょうがない。

「ハル」

 ちょいちょい、と指をさす。ハルも察してくれた。二人で迷子らしい子供に近付く。まだ幼稚園くらいの男の子だ。泣く三秒前みたいな顔をしている。あー、これはヒナが話した方が良いね。ハルだと刺激が強すぎる。ほら、可愛いお姉さんだよ。

「大丈夫?はぐれちゃった?」

 うるっ、と涙が。うわぁ、ダメか。スタッフさんがいればお任せして、迷子センターとかに連れて行ってもらった方が良いかも。ハルの方をちらっと見る。ハルがスタッフを探しに行ってくれる。ヒナとこの子は、とりあえずこの場を動かない方が良い。

 とりあえず安心してほしいんだけど、知らない人に声をかけられたら誰でも怖くなるよね。こっちは味方でいるつもりでも、相手にそれは伝わらない。優しく頭を撫でてあげる。もうすぐスタッフさん来るからね、お父さんお母さん探してもらおうね。無言で涙が零れ落ちる。うーん、シュウとかこっちの会場じゃなくて良かった。

 ヒナも昔よく迷子になったなぁ。興味があるとどうしてもそっちに行ってしまうんだよね。あれなんだろう?って。気が付くとお父さんもお母さんもいないの。周りは見たことも無い大人ばっかりだったりして、すごいビックリする。取り残された感じというか、自分の知らない世界に入り込んでしまった感じというか。足がすくんじゃうんだよね。

 もうあわあわってなってるから、冷静に考えることも出来ない。下手に動かないとか、お店の人に話すとか、そういう知恵は全然回らない。なんかもう悲しいって気持ちだけがぶわって上ってきて、はいアウト。ヒナはしょっちゅう泣いてた。

 いつだったかもデパートで迷子になって泣いたなぁ。小学校一年生だっけ。エスカレーターの前に水槽が置いてあって、熱帯魚が泳いでた。綺麗だなぁ、って見惚れてたら、お母さんが蒸発してた。実際にはすぐ近くのお店で服を見てたんだけど、当時のヒナは全く気が付かなくてね。ふええ、ってなって走り出しちゃった。動かなきゃ良かったのに。

 で、見事に迷子ですよ。いつも来ているデパートが、急に怖い場所に思えてきて、ヒナはべそをかきながらお母さんを探して走り回った。ちなみに、その頃お母さんはバーゲンの品定めに夢中でした。今でも恨んでます。はい。

 あれ?その時結局どうしたんだっけ?あ、そうか。恥ずかしい。ハルが偶然ヒナを見つけてくれたんでした。なんだろうね。ハルはヒナを見つける天才だね。突然手を握られてビックリして、うわ、って振り返ったらハルだった。ハルも同じくらいビックリしてた。そりゃあねぇ、なんでヒナは泣きながらデパートの中を彷徨ってるんだって話ですよ。

 はは、思い出しちゃった。そうそう、ハルに会えたのが嬉しくって、ヒナはハルに抱き着いたんだ。何で今こんなの思い出すのかね。もう、おっかしい。

 迷子の男の子が、ぽかーんとヒナのことを眺めている。ごめんね、お姉ちゃん突然トリップしちゃって。お姉ちゃんも昔迷子になったことがあってね、その時見つけてくれた男の子と、今付き合ってるんだよ。言葉にしてみるとなかなかドラマチックだ。ハル、かっこいい。

 ハルがスタッフの腕章をした女の人を連れて来てくれた。はあ、これで一安心かな。迷子センターに行こうね、と説得が始まった。迷子カードも持ってるみたいだし、多分もう心配はいらない。公園のスタッフのお仕事って大変そうだなぁ。

「なんか、迷子がかなり多いって話だ」

 混んでるし、当然かな。

 そう思ったところで、ふと迷子の男の子の手元に目が行った。折り畳まれた紙、この国立公園のパンフレットか。何気なく見たんだけど、ちょっと待って。何か変だよ。

 しゃがみこんで、パンフレットを近くで眺める。銀の鍵を意識する。非常に判りにくいが、目に見えない何かがある。ヒナはその場所を探ると、摘みあげて手元に引き寄せる自分の姿を「視た」。

 銀の鍵によって与えられた特殊能力の一つ。ヒナは世界を自分の都合の良いように「視て」、書き換えることが出来る。そう言えばかなり強力に聞こえるが、実際には小規模なものに限られる。そこまで便利な力ではない。ただ、今回みたいな場合ではなかなか重宝する。誰にも気付かれないように、パンフレットに付着していた何かを摘み取る。一瞬の出来事だ。

 手元を確認する。これは、昆虫の脚だな。うっわぁ、気持ち悪い。なんでこんなもん。しかもこれ、明らかに良くないおまじないの類じゃない?とりあえずポイ。

 ちょっと、ナシュト、これどういうこと?

 声に出さずに、ヒナは銀の鍵の守護神ナシュトに呼びかけた。ヒナと一体化しているナシュトは、ヒナが意識していない間もヒナの全ての行動を把握しているハズだ。この状況を判っていて向こうから説明してこないとか、実に腹立たしい。

 ヒナの横に、長身の男が立った。銀色の長い髪、浅黒い筋肉質の身体。このクッソ暑い中見ているだけで不快指数が上がってきそうな豹の毛皮。あんた馬鹿じゃないの?夏服とか持ってないの?イケメンは汗かかないの?

 まあでも出てきたってことは、これは目に見えない危険な何かってことだね。ヒナが触っちゃって、強制的に絡んじゃいましたよ、と。面倒が嫌いなナシュトさん、残念でした。

「本当に、余計なことに首を突っ込んでくれる」

 はいはい、大変申し訳ありませんでした。ナシュトの姿は、ヒナ以外の人間には見えていない。ナシュトの声も聞こえない。ヒナが話す言葉も、意識してナシュトに対してだけ発言すれば、周りには一切関知されないのだという。気持ち悪いから、こういう時は勝手に心を読んでもらうけどね。

 で?これは何なの?

「置き去りの呪いに近い。共にいる仲間から切り離す時に使われる。力が弱いので大したことは無いが」

 やっぱりね。迷子を意図的に作り出してるヤツがいるってことじゃん。最低だ。

「どうもこの近辺に同様の呪いが数多くばら撒かれている。一つ一つの力が弱いこともあって、お前が一つ潰した程度では、術者は歯牙にもかけないだろう」

 そう。この段階で手を引けば、お互いに干渉せずで済ませられるのね。ナシュトが言いたいことは判った。後はヒナの判断だ。

 ヒナはハルの顔を窺った。ハル、ちょっと良いかな。ヒナは今悩んでる。このままハルと花火デートを続けても、多分何の問題も無い。ちょっと迷子放送が多いなー、くらいのことだ。ヒナとハルには、直接の被害なんて何も無い。

 でもね、ハル。ヒナは気付いちゃったんだよ。誰かが誰かに、しかも不特定多数の他人に対して、悪意を持って悪戯を仕掛けているって。それが判るのは、ヒナだけなんだ。放っておけば沢山の人が迷惑する。迷子が出る。お父さん、お母さん、そして子供、みんな泣く。悲しむ。楽しいはずの場所で、嫌なことばかりが起きてしまう。

 ヒナには関係ない。ハルには関係ない。それで良いのかな。本当にそうなのかな。

 ヒナの弟、シュウのことを考える。シュウは小学二年生、こんな人混みの中で一人で取り残されたら、シュウはどうなっちゃうだろう。絶対に泣く。ヒナや、ハルの弟のカイの名前を呼んで泣く。そんなのは嫌だ。ヒナの周りでこんなことが起きるのを放っておいたら、そんな未来だって起こりえるかもしれない。今が良くたって、その先のことなんてわからないんだ。

 ハル、ごめんね。先に謝っておくよ。ヒナは走る。ハルには見えないところで、ハルには見えない何かを追いかけて。

「ハル、あのね」

「何かあるんだろう、ヒナ?」

 うっ。

 先に言われるとは思わなかった。顔に出ちゃってたかな。実はハル、銀の鍵を持ってるとか言わない?ヒナの考えてることなんて全部お見通しとか。だったら酷い。ハルのエッチ。

 ま、そんなことは無いよね。ハルはヒナのこと、良くわかってくれてるってことだ。こくり、と頷いてハルの手を握る。一人ではいかない。ハルが一緒。ハルがいれば、ヒナは泣かない。

 諦めたようにナシュトが姿を消した。ヒナは間違ってるかもしれない。余計なことかもしれない。

 だとしても、見過ごすことなんて出来ない。少なくとも、目の前で起きていることを放っておくなんて、ヒナには出来ないんだ。


 人の波を掻き分けて進む。なんかもう、ぐったりしてきそう。こんな歩き方普通はしないよね。右に行ったり左に行ったり。無目的にも程がある。

 銀の鍵で呪いの場所を探る。近くにあるものから潰していく。思ったよりも数は少ないけど、その分ばらけて存在している。全部を取り除くのは骨だ。大して強くないって話だし、申し訳ないけど幾つかは取りこぼさせてもらおう。やれやれ。

 既にはぐれている子供を見つけて、迷子センターに送る。まだはぐれていない場合はパンフレットから呪いを除去する。本当に、ヒナとハルには何の関係も無いこと。

 そうかな?この呪いをばら撒いた相手は、ヒナとつながった同じ世界に生きている。同じ空気を吸って、同じ地面に立っている。そう考えれば、この迷惑行為がいつヒナやハルにまで影響を及ぼすかなんてのは判らない。対岸の火事と笑っているうちに、大量の火の粉が迫ってくる可能性だってある。

 ハルは何も言わずにヒナに付き合ってくれた。一緒に迷子を捜して、スタッフさんとも話をしてくれる。こんなに頼りがいがあって、ヒナを助けてくれるハルに打ち明けられないなんて。いつかはちゃんとハルに話そう。謝ろう。ヒナのことを信じてくれるハルに報いよう。

「迷子多いな」

 何人目かの迷子を保護した後で、ハルがため息交じりに呟いた。うん、人為的なものだからね。そう言えないのがもどかしい。ハルは、ヒナがボランティアで迷子探しをしていると思っているのかな。その方が都合が良いか。

 ぷーん、とソースの匂いが漂ってくる。ああ、焼きそば、おいしそう。ああ、たこ焼きも良いね。実は結構おいしいケバブ、フランクフルト。あ、ハム焼き来てるじゃん。ヒナのお気に入り。ハム焼き、ハム焼きー!

「少し休憩するか」

 ハルがそう言ってくれた。うん、焦っても何の解決にもならない。目の届く範囲は一通り対処したつもり。ハルにも悪いし、小休止しよう。ハム焼き。

 美味しいよね、ハム焼き。ご機嫌で「ハムすきー」って言ったら、ハルが変な目で見てきた。ん?ヒナ何かおかしなこと言った?更にその後がっくりと肩を落としてた。ねえ、なんなの?

 まだ日は高いのに、人の波は結構なものだ。ハルと並んでハム焼きを食べる。出店も混んでる。普通にしてても迷子とか多そうだよね。こっちの会場って毎年こうなのかな。だったらすごいな。例年いかに楽をしてきたのかが良く判る。地元民の生活の知恵、恐るべし。

「迷子のお知らせをいたします」

 アナウンスが流れた。そうか、まだか。ヒナも頑張ってるつもりだけど、なかなか根絶という訳にはいかない。呪いとか関係無い迷子がいるとしても、ちゃんと一掃したという確信が無いとなかなか安心は出来ない。まあ、何をして完了とみなすのか、というところも大きな問題だ。

 ハルがペットボトルのお茶を渡してくれる。ふう、暑い。ぐいっと一口飲んでハルに戻す。ん?間接ナントカ?いや、ハルとの間でそんなのは全然気にしたことが無い。お互いにそう。だから一回無意識に学校でやって引かれてしまった。そのくらい別にいいじゃない、ねえ。

 確かにハル以外の男子が口付けたとか言われたら、かなり抵抗がある。煮沸消毒してもNGだね。ぬぐいきれない不浄な菌が付着しているに違いない。まあ、幼馴染だからしょうがないんだって。何年も一緒にいればこうなるの。家族みたいなものなの。いちいち気にしてないの。

 お陰様で、学校でハルがヒナの知らないおいしそうな何かを飲んでいても、分けてもらうことが出来なくなった。軽い気持ちで「ちょっと飲ませて」が出来ないとか、実に酷い。気にし過ぎだって。いくら思春期でも、そこまで敏感にならなくてもねぇ。言われたこっちの方がヘンに意識しちゃう。

 ハム焼き食べて人心地ついた。さて、じゃあどうしましょうかね。ここで一旦諦めても良いんだけど、どうにもヒナは落ち着かない。やっぱり、もう少しだけ頑張ってみようか。

「しっかし、キリが無いよな」

 ハルがぽつりとこぼす。うん、そうだよね。やっぱり根源をなんとかしないといけないんだと思う。

「ひょっとして、何か原因とかあるのかな」

 うぐっ、鋭い。まあ、こう数が多ければそう考えちゃうよね。

 場当たり的に目に付くところから対処していると、際限が無いのかもしれない。大元の原因である呪いが何処から出ているのかが判れば、一気に解決出来たりするんじゃないのかな。えーっと、呪いがかかってるのってなんだっけ、パンフレット・・・

 ああ、そうか。

「ハル、それだ」

 ハルの顔がはてなマークになる。ごめん、なんでもない。なんでもないけど、アタリはついた。もうちょっと早く気が付くべきだったかもね。暗くなる前で良かった。

 国立公園の入り口は何か所かある。迷子が多いのは南入口の近辺。間違いなくそこだ。ハルと二人で南入口に向かう。

 丁度花火を観に来た大量の集団とぶつかった。うわあ、人のビッグウェーブだ。乗り遅れそうだけど、もう一仕事だけ片付けさせてくれ。ハルとしっかりと手をつないで、入り口脇にある大きな案内板の方に向かう。ヒット。これだ。

 案内板には国立公園の地図が描かれている。こうして見ると本当に大きいね。花火大会の観覧会場は真ん中にある大きな原っぱ。その周りに森やら池やら。ハルと初デートした自然公園なんか目じゃないデカさだ。その代わり、普段から人が多い。

 さて、目的は案内板の下。ご自由にお持ちください。そうだよね、パンフレットはみんなここから持って行くんだ。銀の鍵が強く反応している。見つけた。元栓締めさせてもらうよ。

 入り口の案内板のところに置かれているパンフレットに、迷子になる呪いがかけられているなんて、一体誰が想像するだろう。道に迷わないように、と手にした物のせいで道に迷う。悪趣味もいいところだ。これを仕掛けた奴は相当に性格が悪い。胸糞悪い。

 呪いを全て解く。これはやりすぎだ。確かにこの程度なら悪戯レベル、大きな騒ぎにはならないかもしれない。ただ、悪質で、陰湿。ヒナの目に留まったことが運の尽きだね。

 これで明確に「誰かが邪魔をした」ことが呪いを仕掛けた当人にはバレたことになる。喧嘩を売るつもりはないけれど、こういうことやめなよ、とは言ってやりたい。こっちは気分良くデートしたいんだ。正義の味方している訳じゃないから、せめてヒナに見えてないところでやってくれ。

「ハル」

 ぐるりと首を回して、ハルの方を見る。何も訊かずに、ここまでずっとヒナに従ってくれたハル。ヒナは、ハルに頼ってばっかりだ。それでもこうやってヒナを信じてくれる。ヒナの素敵な彼氏、恋人。

「ありがとう」

 大丈夫だよ。勝手に走ってごめんね。とりあえずこれは終了。この性格悪い相手は、多分これ以上目立つことはしてこないだろう。他に細かい何かを仕掛けている可能性はあるが、まあヒナの視界に入らなければそれでいい。

 今日はハルとデートに来たんだ。夏休みの大事な思い出の一つ。ヒナの素敵なメモリーに気色悪い染みなんて残したくない。

 さ、切り替えていきましょう。終わった終わった。

「もう大丈夫なのか?」

「何とも言えないけど、多分ね」

 実際そうとしか応えようが無い。これで諦めるなり飽きるなりしてくれれば良い。ヒナ的にはこの相手を叩き潰すまではするつもりが無いし、このまま穏便に終わってほしい。

 ハルの手を握る。さ、仕切り直そう、ハル。ヒナは幸せな時間が欲しい。今日はハルと二人で過ごすんだから。

 折角この入口まで来たんだから、ここの売店でしか売ってないソフトクリームを買おうか。えーっと、巨峰小豆とマスカット紅いも。なんでそんな組み合わせなんだ。これも何かの呪いとか言わないよね。ええい、買う。両方買ってハルと分ける。決めた。

 見知らぬ親子連れが、ヒナたちの横からパンフレットを持って行く。小さな女の子がはしゃぎながら開いて覗き込む。そうだ、この喜びを、幸せを壊すなんてあってはいけないんだ。

 ヒナも昔、ここでパンフレットをもらった。広げると公園の地図が描いてあって、わくわくした。眺めているだけで楽しかった。そんな思いを踏みにじるなんて、許せない。あの日のヒナが迷子になって泣いたとしたら。それが、誰かの悪戯のせいなんだとしたら。絶対に許さない。

 ハル、ヒナは正直自分のことしか考えて無い。世間のためとか、世界のためとか、正義のためとか、そんなこと心の底からどうでも良い。

 どうせみんな自分勝手。他人のことなんて二の次。ヒナだってそうだ。ハルとのことで手一杯。ハルと楽しく、幸せに過ごすこと。それ以上に大切なことなんて、何も無い。

 でも、壊しちゃいけないものがあるってことぐらい判ってる。傷付けちゃいけないものがあるってことぐらい理解してる。

 それがヒナのエゴ、ヒナだけの正しさだって、全部判った上で。

 ヒナには、守りたいものがある。ハルと歩くこの世界。ハルと生きていくこの世界。

 ヒナは、ハルのことが好きだから。ハルがこの世界で、楽しく、幸せに生きていてほしいと思う。その隣で、ハルと一緒に笑っていたいと思う。それがハルの願いだったし、今はヒナの願いでもある。

 二人でソフトクリームを買って、舐めて、「うわっ、ビミョー」って言って、笑う。こんなに楽しい、ハルといるこの世界。

 壊したくない。悲しみなんかに彩られたくない。

 せめて、ヒナの目が届く範囲くらいは、笑顔で満たされていてほしい。


 そろそろ日が傾きかけてきた、ということで花火鑑賞ポイントに移動することになった。ヒナのせいであんまり出店とか見れなくてごめんね。まあ、すごい混雑でそれどころじゃなかったかもしれないか。ヒナはとりあえずハム焼き食べれたので満足。女子力?キニシナイ。

 メイン会場は公園の中央にある大きな原っぱ。なんだけど、ハルが事前に友達から得た情報によると、夕方にはごった返していて、座って観るということ自体がハナシにならないんだそうだ。すごいな。どうしても、ということであれば、クラスの何人かが場所取りしているスペースがあるので、そこに合流可能だって。えー、それはちょっと、入り難いかな。女子とかいたら普通に反感買いそう。男子ばっかりだったらお互い気を使って疲れそう。うん、無理。むーりぃー。

 そこで今回の鑑賞ポイント。ハルの友達の、えーっと、えーっと、じゃがいも2号くんが教えてくれた場所。公園の中にある林を少しだけ奥に入っていくと、ちょっとした広場がある。ベンチもある。実はトイレも近い。なんという穴場。じゃがいも2号くんはこんなに素晴らしい場所は知っているのに、彼女はいないらしい。ドンマイ。

 薄暗くなり始めた林の中、遠くにお祭りの喧騒を聞きながら、二人でベンチに座る。ええっと、ホントに誰もいない。付近の人の声もあんまり聞こえない。穴場も良いところっていうか、居て良いところなのかどうかすら不安になってくる。うわぁ、完璧に二人っきりだよ、ハル。わかってる?

 ハルの顔を見る。ハルもヒナのことを見ていた。どうしよう。ハル、この場所は刺激が強すぎない?このまま二人だけで、陽が落ちて、真っ暗になったりとかしたら、ヒナ、どうなっちゃうのかな。

 二人の他には人影すら無い。このままずっと誰も来ないのかな。このベンチ、古くて硬いね。背中痛くなりそう。ってなんで背中?背中付けるようなこと、しないよね?そうじゃなくて。そうじゃなくって、外ってやっぱり恥ずかしい。いやいやいや、何が?一体ヒナはハルと何をするつもりなの?

 わあああ、どうしよう。ハル、この場所ってどのくらいの意図をもって選択されました?ヒナはどの程度の覚悟を持って臨めばいいですか?いや、アリです。ヒナはハルのお望みのまま、ハルの好きにしてくれて良いんですけど。

 いやちょっと、流石にこれはレベルが高すぎるよぅ!

「ヒナ」

 ハルがヒナの手を握る。やばい。花火前に来ますか。明るいうちからですか。人がいないからですか。そうですか。ソウデスネ。

 いやでもね、いくら人の姿が見えなくてもですね、いつ何処から現れるか判らなくてですね、さといもじゃなくて高橋くんとか見かけてたりしててですね、クラスメイトとかも来ているはずでですね、先生とかもいる可能性があってですね。

 頭の中がぐるぐるする。脳内ヒナ会議は大パニックだ。静粛に、静粛に!ハルの要求は無条件に受け入れるべきであります。ええい、黙れ黙れ。世間体を鑑みてハルの社会的評価も考慮に入れるべきであります。静まれーい、静まれーい。

 どきどきが収まらない。ヒナが望んだ通りのシチュエーションなんだけど。なんだけど。現実に来ちゃうとこれ、ものすっごい恥ずかしい。うわぁ、ハル、やっちゃうのか?ここでか?ここでなのか?

「なんか、ここまで人がいないと逆に不安になるな」

 ハルの顔が赤い。ホントだよ。なんか不安と期待でヒナの中はぐっちゃぐちゃだよ。

「う、うん」

 何を話したら良いのかもわからなくなってきた。まともにハルの顔が見れない。こんなの久しぶり。告白された時だって、ここまで意識はしていなかった。う、うへぇ。ハル、ヒナと一緒にそこまで一気に大人の階段、登っちゃう?

 ちらり、と上目づかいでハルを見る。すると、どうもそこでハルは初めて気が付いたみたい。ぶわっと汗が噴き出して、表情が固まった。もう、ハル鈍い。恋人二人がこの状況にいたら、そういうことでしょ。いつもヒナのこと鈍臭いとか言うくせに、バカ。

「いや、その、誤解というか、そういう意図は無いというか」

 そういう意図ってどういう意図ですかね。詳しく聞きたいです。ヒナが一体何をどう誤解しているとハルは考えているんですか?脳内ヒナ会議、全会一致でハルに対してギルティの判決が下りました。ジャッジメント。

 生活指導に呼び出されて、散々恥ずかしい思いさせられてさ。この上結局最後までそういうことありませんでしたって、そっちの方が恥ずかしいよ。来るなら来てくれた方がまだマシ。あ、でも初めてで外は無いかな。そこくらいはヒナの意見も・・・って、そうじゃない。あー、もう、なんかまだパニクってる。

「ふーん」

 とりあえず冷たい目線を送っておこう。ハル、ひょっとしてムッツリさん?

「や、ちょっと待った。まずは話を聞いてくれ」

 聞きますよ。何話すかなんて見当ついてるし。いっぱい悩んで損しちゃった。ハルのバカ。根性なし。

 ハルがしどろもどろに言い訳を始める。ぷーんだ。花火を観るだけっていうのは解りました。ハルがそこまで積極的になるなんて、ある訳が無かったね。ヒナは大事にされてますから、ええ。

 無いと判っていても、期待だけはしちゃいました。ヒナだって、大好きなハルとそういうことしたくない訳じゃないんだよ。もう何年好きだと思ってるの。良い雰囲気だなって、どきどきしてたのに。ハル、そんな言い逃れするなら、せめてキスぐらいはしてからにしてほしかった。ばーか。ハルのばーか。

「ハル、やらしーい」

 やらしくてもいいんだけどさ。せめて男らしくしてください。エスコートは丁寧にね。

「悪かったよ。場所変えるか?」

 御冗談でしょう?

「ここでいい。そんなこと言って、ハルがどのくらい我慢出来るか試してあげる」

 ハルの腕をぎゅっと抱く。押し付ける。当ててんのよ状態。一応それなりにあるんだからね。ハルが良い感じに赤面する。しらなーい。ヒナをその気にさせちゃったんだから、もうしらなーい。

「お、おい」

 しらなーい。ぷーい。そういう意図は無いんでしょ?じゃあヒナが何しても平気だよね。ハルが我慢していることぐらい、ヒナには判ってるんだから。健全な男子、良いじゃない。もうちょっと迫ってくれても、ヒナ的には全然平気ですよーだ。

 ん?

 視界の隅を、何かがよぎった。ありゃ、いくら穴場とは言っても、いつまでも二人きりでいられるとか、そんな虫の良いことは無かったか。誰かが近くを通り過ぎたみたい。

 もうしばらくじゃれついていたかったけど、ここまでかな。ひょいっと、身体を離す。ハル、今度はそういう寸止めはやめてね。ヒナは常に期待しちゃうから。ハルのこと好きなんだよ、わかって?

 にしても、この辺に神社なんてあったっけ?公園の中だしなぁ。それともコスプレ?いや、花火大会ってそういうイベントとは違う気もする。

 見間違い、じゃないよね。


 陽が落ちるのと同時に、この穴場スポットにも何人かの花火見物客が現れ始めた。ほとんど、というかカップルばっかりだ。なるほど、ベテランは暗くなってから来るんですね、ためになります。

 暗がりで二人、ってことで他の皆さんは基本的にいちゃいちゃしている。わあ、これはもう、そういう場所だね。一応他の人もいるからそこまで激しくは無いけれど、基本的にはぴったり、ぺっとりって感じ。涼しくなってきてるし、くっついててもそれほど気にはならない。はあ、シングルにしてこんな場所だけは知っているじゃがいも2号、逞しく生きろよ。

 ヒナもハルの肩に頭を乗っけてしまう。雰囲気優先ってことで。ここではそうしてないと逆に不自然だ。それに、ヒナはハルの恋人ですよ。これが普通。こうしたい。こうしていたい。

「ヒナさあ」

 んー、なあに、ハル?

「バイトとか考えてる?」

 ハル、その話題のチョイス凄いね。このシチュエーションで何故そうきた。ヒナが二次元の住人なら、今間違いなく顔に縦線が入ったよ。ロマンスの欠片も無い。

「なんでバイトのハナシ?」

 思わず訊いちゃった。いや、これはツッコむよね。ヒナは悪くないよね。

「いや、なんつうか、間が持たなくて」

 純情なのか根性なしなのか。両方だな。折角彼女がもたれ掛って来てるんですよ。愛ぐらい語ってくださいよ。やれやれ。

「ハル、バイトするの?」

「あー、高校生になったんだから、ある程度は自分で稼げって言われた。その、デート代とか」

 ははは。ヒナも言われたよ。ひょっとしたら、両家の親共によるブレーキ政策なのかもね。夏休み中遊びまくる計画立てて、その資本が全部親頼みとか、そりゃ締め付けられるわ。

「何かあてはあるの?」

「高橋が宅配便の荷物仕訳一緒にやらないかって」

 ハル、さといもと仲良いね。よし、さといもは覚えておこう。違う、高橋だ。どっちでも良いか。

 ふうん、良いんじゃないですかね。勤労は美徳ですよ。ハルがバイトするって話にヒナが反対する理由なんて・・・

 ああ、そういうこと。

「別に、そこまでわがまま言わないよ。バイト頑張って」

 ハルがそっとヒナの肩を抱いてくれる。夏休み、補習で短くなった二人の時間が、バイトのせいで更に短くなることを気にしてたんだね。やれやれ、高校一年生の貴重な青春なのに、ハルはしょうがないなぁ。

 ヒナだけがハルの青春じゃないでしょ。そりゃあ、ヒナのことだけを見てくれたら、って思わないではない。でも、それじゃあハルの世界は狭いまんまだ。ヒナはそんなこと望んでいない。ハルがハルらしくいてくれて、その上でヒナのことを好きでいてくれる。それが一番良い。だから、ヒナだって頑張ってる。

 力仕事のバイトみたいだし、そこで可愛い女の子と出会うとか変な心配は無さそうかな。仮にそんなことがあったとしても、ヒナは負けるつもりは全く無いですが。既に彼女ですので。ほほほ。

 そうか、ハルがバイト始めるなら、ヒナの方も考えとかないとな。何もかもハルのお世話になりっぱなしは、ヒナ的にはあんまり望ましくない。今はまだ、養ってもらう訳にはいかないというか、そういうのはもっと後。もっと先。

「私も何かしないとな。お金いくらあっても足りないし」

 靴とか服とか高いんだよね。本当はアクセサリにも興味あるんだけど、予算が全然追い付かない。化粧品なんて買い始めたらどうなっちゃうんだろう。そもそも使ってる布の面積が少ないのに、恐ろしく高い服ってのはなんなの?デザイン料?

 その上でデート代も捻出しないといけない。真面目にお小遣い帳付けてみると、学割のありがたさが身に沁みてよく解る。学生証無しでは生きていけない。ありがとう、学生料金。

「ヒナ、バイト出来るの?」

 うおい。今「出来るの」って言った?「やるの」じゃなくて「出来るの」?

「出来ます。もうお母さんから紹介が来てるんだよ」

 お母さんはこういう時だけ手回しが良い。パート仲間の伝手で、何処かの惣菜工場の短期の口を見つけてあるんだそうだ。後はヒナが返事をするだけ。まぁー、なんてコンビニエンス。すっかり外堀埋められてるよ。こういうセットアップ好きだよな、ウチの両親とか、ハルのご両親。このまま行けば、結納から挙式まで一通りコーディネートされちゃいそうだ。そこまで行くとちょっとおせっかい過ぎ。

 で、ハル。忘れてないからね。出来ますから、バイトくらい。いくらヒナでもそこまで鈍臭くありません。ヒドイ。

「そうか、まあ、頑張れ」

 馬鹿にしてますね?ヒナだってやる時はやるんだよ。ハルの方こそ肉体労働で音をあげちゃうんじゃないの。部活やらなくなってから、まともな運動なんてしてないでしょ。ヒナと一緒、運動音痴の世界にようこそだ。

 ふふ。ハルに肩を抱かれながら、ハルにもたれ掛りながら、こんな話してるのって可笑しい。言葉だけ拾えばいつもと何にも変わらないのに、実際には恋人みたいに寄り添ってる。ヒナとハルはいつもと同じなのに、もう全然違うんだね。不思議だ。

 ぎゅってされるの、嫌じゃない。そういえばこういうの初めてじゃない?わ、なんか自然だから気にしてなかった。場の空気って怖い。流されるままに何でもしちゃいそう。ハルが相手なら、良いか。昔もこうやって寄りかかったね。懐かしい。

「ハル」

「ん?」

 ハルの顔は見ない。代わりに、身体で感じる。ハルに触れている。一緒にいる。ヒナは、ハルとこうしていられて、とても幸せ。

「大好き」

 言葉に出しておこう。この時のこの想いは、ちゃんとハルに伝えておこう。ヒナは、ハルに抱かれてとても嬉しい。ハルのこと、すごく好き。二人でいる時間が、愛おしい。

「ヒナ」

 ハルが、手に力を込める。ハルの身体に押し付けられる。ちょっと痛い。もっと強くされても良い。ううん、足りない。ハルの中にヒナが入ってしまうくらい、強く抱いてくれて良い。このまま一つになってしまいたい。

 光が空に向かって伸びた。遅れて、小さな音。弾けて、輝く。どん。大きな音。ぱらぱらぱら。

 花火が始まった。ハルの腕の中で、夜空に咲く花を見る。すごい。今まで、花火を観てこんなふうに感じたことは無かった。綺麗。素敵。言葉が出てこない。これ、なんて言えばいいんだろう。

 ハル、ヒナはなんだか、このまま溶けてしまいそう。ハルの中に全部入って、消えてしまいそう。それでいいかな、なんて考えちゃう。ヒナは、ハルのことが好き。ハルと一緒に、いつまでもこうしていたい。

「ヒナ、緊急事態だ」

 ぶっ殺すぞこの便所神!

 思わず目を見開いた。ああ、ハルがこっちを見て無くて本当に良かった。ちょっとしたホラーだったと思うよ。

 てっめぇ、ナシュト、いい加減にし腐れやコラ。神だか何だかしらねぇが、ヒナとハルのスーパー蜂蜜タイムの邪魔をするとかいい度胸じゃねぇか。やるか?やんのか?どっちがボスなのかはっきりさせとくかオイコラ。

「話を聞け。まずいことになっている」

 ははん、今のアンタほどマズイ状況ってのがあるんですかね。なんだよ、言ってみなよ。事と次第によっちゃあ、神と人類の全面戦争が勃発するぜ?

「呪いの主が、お前を探している」

 ・・・なんて?

 途端に、ぞわっと全身の毛が逆立った。なんだ。何かいる。桁違いにすごいのが、すぐ近くまで寄ってきている。

「下手に動くな。まだこちらの所在は掴んでいないようだ」

 ああ、そう。じゃあどうしてくれようか。先手必勝、ぶちかましてあげようか。ヒナ、コイツのこと嫌いなんだよね。陰湿なことしてくれちゃってさ。

 左手を持ち上げようとして、ヒナはハッとした。今は、ハルが一緒にいる。しまった。

 ここで迎撃することは簡単だ。何の問題も無く呪いなんて打ち破ることが出来る。でも、それと同時にヒナがここにいることは相手に知られてしまう。ハルの存在もだ。

 この相手は危険だ。不特定多数の相手に呪いをかけることもいとわないし、こんなに強力な呪いを間髪入れずに展開してきている。明らかに普通じゃない。余程の手練れか、あるいは本気でイカレているかのどちらかだ。

 コイツにハルのことを気取られるのはマズい。絶対に避けなければならない。ヒナが攻撃対象にされる分には、いくらでも対処は可能だ。むしろどんどん攻撃してもらって、片っ端から排除していけば良い。だが、ハルが狙われるのだけはダメだ。ハルは、見えない攻撃に対処することが出来ない。ヒナが二十四時間付きっ切りで守っていたとしても、こんな奴が相手ではハル自身が気付けない以上、必ず隙が生まれてしまう。

 この場を一旦離れて、一人で戦うか。いや、その後ハルと合流するところを気取られたら無意味だ。ああ、ハルと一緒にいることが裏目に出るなんて。

 やっぱり変なことに首を突っ込むべきじゃなかったのか。ヒナとハルに直接影響しないことなんて、関わらないで放っておくべきだったのか。

 いや、そんなことは無い。ヒナは後悔なんてしない。こんな頭のおかしい奴。こいつの方が絶対悪いに決まっている。負けたくない。こんな奴に、ヒナは負けたくない。

 気配が近付いて来るのが判る。どんどんどん。連続して花火が上がる。歓声。楽しそうな声。みんなが、親子連れが、楽しく花火を観られているなら、ヒナはそれでいい。ヒナは、間違ってなんかない。間違ってないんだ。

 もう、すぐ近くにいる。ハル、ごめんね。覚悟を決めないといけないのかもしれない。ハルを巻き込んでしまう。銀の鍵の、わけのわからない問題に。ヒナの、ヒナだけの問題に。

 ・・・嫌だ。

 嫌だ。ハルには関わってほしくない。ヒナは、ヒナは。

 ヒナは、ハルに傷ついてほしくない。ハルだけは守りたい。ヒナの場所、ヒナの一番大事、ヒナの。

 ヒナの、大切な人。

 ハルの手。ハルの身体。ハルに包まれて、ヒナは怯えてる。ハル、助けて。このままじゃ、ヒナはハルを危険な世界に引きずり込んでしまう。そんなの嫌なんだ。そんなこと、ちっとも望んでいないんだ。

 大きな花火。大きな音。大きな歓声。

 怖い気配。

 お願い、気付かないで。

 ハル、ヒナはハルのことを守りたい。

 ハルのこと。ハルのため。

 お願い。

 お願い、誰か、助けて。


「大丈夫、私が引き受けるから」


 えっ?

 朱と白が、視界の端で翻る。夜の闇の中に、踊る金魚。花火の音と光、歓声が飛び込んできて、ヒナは我に返った。

 今の、誰?

 思わず後ろを振り返る。ハルがビックリしてる。ごめん、でも、ヒナもすごいビックリしてるんだ。何組かのカップルが花火を眺めている。ヒナが見た人影は何処にも無い。そういえば、あの怖い気配も感じられない。本当に、何もかもが跡形も無い。

「ヒナ、どうかした?」

 ハルが優しく訊いてくれる。ううん、なんでもない。寝ぼけちゃってたかも。そんなことを言って誤魔化す。うん、寝ぼけてたってのもあながち間違いでは無いか。あまりにも現実味が無い。一体どういう?ああっとそうか、ナシュトに聞けば良いのか。

 ナシュト、今の、何?

「どうやらこの近辺の土着神のようだ」

 え?神様?

 ヒナのこと、助けてくれたの?神様が?

 ちょっと待って、それでもおかしい。変だよ、変。

 だって、今のが神様だって言うの?ヒナが見た今の人影って。

 女の子だったよ?ヒナと同じくらいの年頃の、巫女装束の、女の子。長い黒髪。金の髪飾り。すっごい綺麗で、可愛くて。うん、確かに人間ではないか。あまりにも美しいというか、神々しい。

「恐らく元は人間で、何らかの理由でその姿に固執しているのであろう」

 ええええ?そんなのアリなの?

 銀の鍵を手に入れてから、ヒナは何度か神社やお寺で神様の姿を見てきている。その姿は千差万別で、なんだか毛むくじゃらだったり、木の根っこがぐるんぐるんに絡み合ったものだったり、でっかい苔玉みたいだったりした。人型もいるにはいたけど、おじいさんの姿が多かったと記憶している。話が通じる神様もいれば、もう何言ってるのかさっぱりな神様もいた。神様付き合いの参考にしたかったんだけど、正直どいつもこいつもイマイチだった。

 しかし、女の子。しかも可愛い女の子っていうのは初めてだ。レアだ。そんな神様ならお知り合いになりたい、友達になりたい。お話してみたい。

 元は人間、ってのも気になる。なんだろうね、死んでから転生するみたいな?ああ、即身成仏とか、人柱とかか。あんまり良い話じゃないな。そういうこと聞いちゃダメかな。デリカシー無いかな。いかん、もう一度会えることを前提で考えちゃってる。まがりなりにも相手は神様だ。

 ウチの神様とトレード出来ないかな。ダメだろうな。はあ、いいな、可愛い女の子の神様。本気で溜め息出そう。どっかの神様に聞こえるようにもう一回思っておこう。はあ、いいな、可愛い女の子の神様。大事なことだから何度でも言っておこうか。

 にしても、可愛い女の子の姿に固執しているってどういうことなんだろう。興味が尽きない。ひょっとして、好きな男の子がいるとか?まさかね。神様が、好きな相手の気を引くために女の子の姿をしてるなんて。いやいや、まさか。

 ・・・まさか?

「ヒナ?」

 おおっとハル。ごめんごめん、すっかり考え込んじゃった。そんな心配そうな顔しないで。むしろヒナは今とっても嬉しくて、とっても楽しいんだ。

 ハルに話せないのがもどかしいくらい。ハル、今ね、ヒナとハルは、神様に助けてもらったんだよ。可愛い女の子の姿の神様だって。可笑しいね。アニメとかゲームみたい。

 でも本当のことなんだよ?ヒナは、もう少しでハルを危ない目に合わせちゃうところだったんだ。関わらなくていいことに巻き込んでしまうところだったんだ。ヒナの力ではもうどうしようもなくって、誰か助けてって、ヒナはそう願ったんだ。そしたら、神様が助けてくれた。

 なんだろうね、ハル。これ、どういうことなんだろうね。ヒナは、神様に助けてもらうような、良い子なんかじゃないんだ。ハルのことしか考えて無い、自分のことしか考えて無い。そういう、自分勝手で汚い人間の一人なんだ。

 花火の光で、辺りは虹色に照らされている。どんどんばらばら。激しい音の洪水。ハル、良かった。本当に良かった。ヒナだけなら、ハルのこと守れなかった。こんな助けが得られるなんて、想像もしていなかった。

 ありがとう、可愛い神様。本当にありがとう。

「ハル」

 うん、今、ヒナはそういう気分。だから、ハル、受け止めて。ヒナの気持ち、ヒナの想い。

 ヒナの、愛。

 その夜一番大きな花火が上がって、夜空が大輪の花で彩られて。

 夜に咲く花の下で、ヒナは、ハルとキスをした。二回目の恋人のキス。とても甘くて、溶けてしまいそう。


 花火が終わって、ヒナはしばらくハルとベンチに座っていた。今頃公園の出入り口は、帰り始めた花火見物のお客さんで大混雑になっている。ヒナたちの場合、徒歩で十分に帰れる距離だから、焦らず騒がずゆっくり行くくらいで丁度いい。

 それに、もうちょっとこうやってハルに抱かれていたい。ヒナは今すごくすごく幸せ。神様がくれた幸せっていうのがまた格別。どうしてヒナのことを助けてくれたのか、それだけが不思議だけど。でも、好意はありがたく受け取っておこう。ウチの疫病神なんて屁の役にも立たないし。

 この辺りはやっぱり光源が足りない。暗い。小さな街灯が一つあるだけで、これも多分もう少ししたら消えてしまう。周りにいた他のカップルも、徐々に家路について去っていく。ハル、最後の一組になっちゃったらどうしようか。ヒナ、今日はとっても気分が良い。ホントに、このままどうなってしまってもいいくらい。ハルが決めて。このまま、二人がどうなっちゃうのか。

 ま、どうにもならないんだろうけど。

「ハル」

 ハルの名前を呼ぶ。ハルは優しくヒナの肩を抱いている。ふふ、ごめんね。ずっとこうしていたいのにね。残念だけど、今日はこれでおしまい。また今度。

「そろそろ帰らないと、お母さんたちが心配するから」

 実際、携帯にメッセージが何件か入ってきてる。はいはい、大丈夫ですよ。そこまでは暴走はしませんよ。娘を信用してください。ハルのことは信用してる癖に、まったく。

 ベンチから立って、ふとハルと目があった。やっぱり一回タガが外れるとダメだね。そのまま自然にキスしちゃった。雰囲気とかもある。ここでキスしないとか、そりゃ脈無しだよ。ゾンビだよ。

 血の通った二人なら、こうやって唇を合わせる方が自然なの。そうなの。だから、これは当たり前のこと。ヒナとハルは恋人同士なんだから。うん、うっとりしちゃう。ハル、大好き。ヒナは今日、いっぱい幸せでした。ありがとう。

 携帯のライトで照らしながら、林を抜ける。人の多いところに近付くにつれて、がやがやという声が聞こえてきた。ああ、まだ結構な数が残ってるのね。クラスメイトとかと鉢合わせすると嫌だなぁ。滅茶苦茶勘繰られそう。あと少し遅くても良かったかなぁ。

 ああ、ダメだ。その場合、今度はお母さんに何言われるかわかったもんじゃない。ヒナのことを何だと思ってるんだろうね。ハルのことは好きですよ?好きだからこそ、ハルの社会的信用を失わせるようなことはしないつもりです。暴走超特急とか、瞬間湯沸かし器とか、一体何処の誰がそんな不名誉なことを言うんだか。ああ、お父さんだ。なんなんだ、もう。

 舗装された歩道に出た。出口に向かう人の流れは、ようやく減ってきたって感じかな。一体どれだけの人が来てたんだろう。じゃがいも2号くんのお蔭で、この混雑の中でも実に有意義な花火見物が出来た。ハル、よくお礼言っておいてね。

 うーん、と伸びをした。なんだか盛り沢山だった、家に帰るまでが花火大会。油断せずにいきたいところです。何しろ、まだハルと二人きりですから。すごいすごい、こんなに二人の時間が長いのって、本当に久し振りだ。

 人の流れに沿って、出口まで歩いていく。臨時の照明が歩道を明るく照らしている。発電機のバルルル、という音が激しい。風がちょっと冷たいかな。うん、涼しくて気持ちいい。火照った心と身体がクールダウンされる。熱いのは、握っているハルの手だけ。

 悪意さんの方も、今日はもう変なちょっかいは出してこないかな。神様が手を貸してくれたっていうのは大きい。訳のわからない相手とはいえ、神様が失敗することなんてそうそう無いだろう。この上なく信頼出来る味方だ。

 前を歩くどこかのお父さんが、疲れてぐったりとした男の子を担いでいる。すっかり眠っちゃってるね。おやすみ、良い夢をみてね。うん、良かった。ハルの手を強く握る。ヒナは、きっと正しいことをした。

「おい、銀の鍵」

 突然そう声をかけられて、ヒナはムッとした。この不躾な呼びかけには心当たりがある。なんだよ、こんな時に。

 歩道の脇に目を向ける。草むらの陰から、茶虎の猫が這い出してきた。やっぱりか。今更そっちから声をかけてくるなんて、どういう風の吹き回し?

「やー、トラジ、久しぶり」

 それでも表面上は取り繕っておかないと。ハルが見てるし。茶虎のふてぶてしい大猫、トラジの前にしゃがみこんで撫でてやる。ぐりぐりぐり。ほーら、嬉しいだろう、ぐりぐりぐり。嬉しいって言いやがれ、ぐりぐりぐり。

「トラジか、こんなところまで来るんだな」

 ハルも覗き込んできた。トラジはヒナの家の近く住んでいるノラ猫たちのボスだ。ヒナが小さい頃からこんな感じででっぷりしている。正確な年齢は判らないが、結構な年だと思う。

 猫は知能が高い。ヒナも銀の鍵を手に入れてから初めて知った。実は人間の言うことなんてみんな判っているし、猫独自の文化も持っている。精神的な世界を中心に活動していて、恐ろしく物知りだ。銀の鍵の力で、ヒナは猫と会話が出来るようになった。最初のうちは、これだけは素晴らしい能力だと感動したものだった。

 しかし、残念ながらヒナは猫に好かれなかった。その原因もまた、銀の鍵だった。心を覗き込む銀の鍵の力を、猫たちは極端に恐れていた。どうも、猫の世界には沢山の秘密があるらしい。それをあっさりと読み取れてしまう銀の鍵の使い手は、猫にとっては恐怖の対象にしかならないということだった。

 すったもんだがあった挙句、ヒナは猫たちと不可侵条約を結ぶことになった。ヒナは自分から猫の世界に干渉しようとしない。猫の方も、ヒナに対して干渉しない。せっかく猫と話せるようになったのに、猫たちの方からコッチ来んなと言われた格好だ。実につまらない。

 不可侵条約を結ぶ際に、猫側の代表になったのがトラジだった。そのトラジ自らが、ヒナに話しかけて来た。何か重要な要件があるのだろうが、とりあえずはモフろう。モフっておこう。

「いい加減にしてほしいんだがな」

 トラジの声が不機嫌だ。言葉が通じなかった頃も、ヒナに散々撫で回されて逃げていた。向こうから来てくれるなんてまたとない機会だ。ちょっと無視しておこう。モフモフ。

「噛むぞ」

 なんだよ、ケチ。

「何か御用、トラジ?」

 澄ました顔で尋ねる。ナシュトとかと違って、猫相手には言葉を声に出して会話をする必要がある。ハルが横にいるけど、意識してトラジにだけ話しかければ、会話していること自体が悟られない。ちょっと気色悪いけど、この場合はしょうがない。銀の鍵の力、特に思考に関する部分は、猫相手にはタブーなのだから。

「今日は使いだ。銀の鍵、お前に言伝を預かってきた」

 その、銀の鍵って呼び方はやめてほしい。ヒナは好きで銀の鍵を持っているわけじゃない。出来ることならさっさと捨ててしまいたいくらいだ。ヒナはヒナであって、銀の鍵ではない。トラジにしてみればどうでもいいことかもしれないが、ヒナにとってはその呼ばれ方は屈辱的だ。

 まあいいよ。で、なんですか、言伝って。

「この地を預かるトヨウケビメノカミより、迷い子の障りをよくぞ除けてくれた、謹んで御礼申し上げる」

 ああ。

 そういうことか。そのトヨなんとかって、さっきの女の子の神様だよね。ヒナのことをなんで助けてくれたのか疑問だったんだけど、ようやく合点がいった。ヒナが迷子の呪いを解いたことを知っていたんだ。なるほどね。

「呪いの主に関してはこちらで預かる。後のことは任されよ、とここまでだ」

 ありがとうトラジ。もう一回撫でさせて。今度は普通に、お礼だから。ぶすっとした顔で、トラジはじっとしていた。そんなに嫌わないでよ。ヒナは別にトラジのこと、嫌いじゃないのに。

 善行というのは積んでおくものだ。神様はちゃんと見ていて、困った時に力を貸してくれる。それが身に染みて解った。ヒナは神様ってもうちょっとドライなのかと思ってた。一緒にいる奴がそんなんだからさ。

 ありがとう、可愛い神様。もう一回お礼を言っておく。トラジにも伝言を頼んでおこう。

「その神様に言っておいて、ありがとう、とっても助かりましたって」

 名前なんだっけ?トヨなんとか?後で調べてみよう。

「あ、あとお友達になりたいんだけど、何処に行けば会えるかな?」

 トラジが呆れた表情を浮かべた。

「銀の鍵、お前いくらなんでも図々しすぎるだろう」

 えー、でもレアだよ。ヒナもちゃんとした神様のお友達欲しい。ちゃんとした、ってところがミソね。ちゃんとしてない神様はもう懲り懲りだから。おい、聞いてんだろ。お前だよお前。

 あと、一応真剣なお願いごともあるんだ。出来ることなら、一度ちゃんと会ってお話ししたい。難しいかな。

「そうだ、トラジ、私のこと銀の鍵って呼ぶのやめてくれる?」

 これはトラジにお願い。その言われ方、地味に傷付くんですよ。ヒナは銀の鍵じゃない。気持ち悪い。

「俺にとってお前は銀の鍵だ」

 はいはい、そうですか。猫もナシュトと同じで、変なところで融通が効かない。嫌だって言ってるんだから、それくらい聞き届けてくれてもいいのに。いじわる。

「トラジはヒナに良く懐いてるな」

 ハルがにこにこしながら言った。でしょ?ほーらトラジ、可愛がってあげるよ。大人しくしてな。

 ひらり、とトラジが身を翻した。ちっ。

「とにかく、伝えたからな。用事は終わりだ」

 お疲れ様、ありがとうね。神様によろしく。ああ、そうそう。

「トラジ、久しぶりに話せて楽しかった」

 本当にそう思う。銀の鍵を手に入れる前は、普通に良く撫でてやってた。言葉が通じるようになってからは、何度か話をして、結局こじれて疎遠になっちゃってた。ヒナはトラジのこと、結構好きなんだ。神様のご縁でまたこうしてトラジと話せるなんて、これも予期せぬ嬉しいご褒美だ。

 別にヒナは猫の世界の秘密なんて興味が無い。銀の鍵で心を読むことも、ほとんどしなくなってる。こんな力なんか関係無く、トラジとは仲良くしたい。もっとも、猫の方が怯えてヒナのことを避けちゃうから、厳しいのかもしれないけど。

 トラジはじっとヒナのことを見ている。簡単には信じてもらえないか。でも、ヒナは一方的に猫の側から拒絶されてるんだ。ヒナの言い分だって、聞いてくれても良いんじゃないですかね。

 それに、本気で猫の世界の秘密を暴くつもりなら、もうとっくに猫相手に銀の鍵を使ってるよ。それをしていないって、トラジには判ってるでしょ。ヒナは最初から猫相手に力は使ってないし、不可侵条約も守ってる。そろそろわかってほしい。

「もうすぐ雨が降る。この先の東屋で雨宿りすると良い」

 ふい、とトラジは踵を返した。そういえば風が冷たいもんね。ありがと。

「じゃあな、ヒナ」

 暗がりの中に、トラジは姿を消した。何も言う暇を与えなかった。トラジ、ちょっと。

 トラジはもういない。草むらの向こうは、しんと静まり返っている。ヒナはしばらくトラジの消えた方を見つめていた。なんだよ、お礼のあと一言ぐらい、聞いていってくれてもいいじゃない。

 ゆっくりと立ちあがって、ハルの手を握る。ねえ、ハル。今日、ヒナはすごく色んなものを手に入れた気分。失くしてしまったもの、気付かない間にこんなにあったんだ。ヒナは嬉しい。世界には、まだこんなにいっぱい、ヒナのことを認めてくれる何かがある。

 ハルの身体に体重をかける。胸の中が熱い。この気持ち、懐かしい。何かが出来るって、出来ることがあるって、そういう感情。ヒナは、ずっと諦めてた。そういうものだって、思ってた。

 ハル。

 ぽつ、と鼻の頭に水滴が落ちた。トラジが何か言ってたっけ。雨が降るとかなんとか。

「ハル、雨だ!」

 慌てて走り出す。ああ、もう、こんなにすぐ降って来るなんて。ハルと並んで走る。トラジを構っている間に、周りはほとんど無人になっていた。ええ?そんなに遊んでたっけ?

 トラジに教わった方に向かうと、東屋があった。雨脚が強い。これ、ゲリラ豪雨ってヤツかな。どばぁーって、シャワーの一番強いのよりも激しい感じ。うひゃあー、勘弁してー。

 屋根の下に辿り着いた。はあ、濡れはしたけど、そこまでではなかった。危ない所だった。あと一歩遅ければ完全な濡れネズミ。トラジ、サンキュー。


 激しい雨は、なかなかやむ気配がない。汗をかいた時用にタオルは持ってきていたので、さっと身体を拭く。風邪を引くってことは無さそうかな。

 東屋は、屋根と柱と、ベンチが一つだけの小さなものだ。ヒナとハル以外には誰もいない。他の人は、また別な所で雨宿りしているのかな。傘がないと身動きが取れそうにない。あっても酷いことになりそう。

「車で迎えに来てくれるってさ。とりあえず小降りになるまで待とう」

 ハルが携帯でお母さんと話を付けてくれた。帰り道までハルたっぷりの予定だったんですけどね。とほほ。残念。

 花火大会終了直後だし、同じことを考える人もいるだろうから、お迎えが来るまでには少々時間がかかる見込み。今、こうして二人っきりでいられるのが、本日最後のいちゃいちゃタイムかな。壁も何にも無い東屋だし、滅多なことは出来ませんがね。

 ベンチに座る。木製のベンチはひんやりとして冷たい。ハルが隣に座る。今日何度目かな、こうやって並んで座るの。これが当たり前のようになってくれると、とても嬉しい。ヒナは、ハルといつまでも一緒にいたい。

「ヒナ、身体冷えてる」

 ハルがヒナの肩を強く抱く。ハルの手、暖かい。懐かしい、この感じ。

 強い雨の音を聞くと思い出す。昔、ハルがヒナのことを助けてくれた日のこと。あの日、ハルはヒナの全てになった。ヒナはハルに恋をした。今でも恋してる。こんなに優しい、素敵なハル。

 ヒナは、ずっとハルのことを想ってきた。ハルに好かれるために頑張ってきた。ヒナにとって、ハルは人生の全て。大袈裟じゃなく、心の底からそう思ってる。ハルが居なければ、今のヒナはあり得ない。

 すごくワガママだと思う。たった一人の男の子のため、ヒナはきっと色んな物や人を犠牲にしてきた。意識的にも、無意識的にも。そうじゃなきゃ、ハルの隣で、今こうしていることなんて出来なかった。

 ただ、ハルに愛されるために、悪いことだけはしないようにしてきたつもり。そんなことをして、後でハルにバレてしまったらそれまでだからだ。ハルと一緒にいて、ハルに愛されて、恥ずかしくない自分であろうとしてきた。

 唯一の失敗が、銀の鍵。なんだろうね、これ。あまりにも突拍子が無さすぎて、ヒナは振り回されっぱなし。本当なら試すこともせずに、気の迷いとして永遠に心の中に封印しておくべきだったのかも。ナシュトがウザいけど。

 確かに、この力に助けられていることもある。目に見えない悪意。ヒナやハルの周囲に、そういったものは存在している。それに対抗する力があるのと無いのとでは、大きく違う。

 蛇の呪い、蠱毒の蜘蛛、そして今日の迷子の呪い。どうも最近、ヒナの周りではそういったものが目立っている。嫌な感じだ。ヒナやハルのすぐ近くに、そんな悪意が存在しているなんて、考えたくもなかった。

 見も知らない子供を迷わせる。親とはぐれて泣く子供。子の名前を呼ぶ親。そんなことして、何が楽しいんだ。人を傷つけて、苦しめて、一体何の得があるんだ。何のために、そんなことをしているんだ。

 ハルの体温を感じる。ハル、ヒナはハルのことを守りたい。ヒナのせいで、ハルを巻き込んでしまうのは怖い。でも、ハルや、ハルの家族、ヒナの家族までこんな悪意に惑わされるようなことがあれば、ヒナには耐えられない。

 ううん、それだけじゃない。ヒナの友達、ハルの友達、学校の皆。ヒナと、ハルに関わる全部の人。ヒナの目が、手が届く全ての人。世界。ヒナは、そこに意味の判らない悪意に入り込んでほしくない。

 銀の鍵の力、正直上手く使える自信は無い。気持ち悪い。胸糞悪い。良いことなんて何もない。

 ・・・そう、思ってた。

 でも、今日、ヒナは神様に助けてもらえた。誰かのために力を使って、笑顔を守って、神様に守られて。トラジともまた話せて。ハルとも、こうやって一緒にいられる。初めてだよ、ハル。この力が、こんなにヒナを喜ばせてくれたの。

 ねえ、ハル。ヒナは、みんなを守れるかな。ヒナ一人だと、多分無理だと思う。ヒナはそんなに強くない。せめてハル、ハルとヒナの家族、これくらいは、ヒナの手で守れないかな。

 これもワガママだよね。それだけしか守れないなんて。もっとみんな、誰であっても守れる、助けるって言い切れれば良いんだけど。ふふ、それじゃ神様だ。ヒナは、神様にはなれそうにない。

 なれるとしたら、ハルだけの神様。そうだね、そうなれたら嬉しい。ヒナは、ハルの神様になって、ハルのことを守るよ。うん、それだ。

 銀の鍵をいつまでも否定していてもダメなんだ。出来ることを探さないと。ヒナは、この力でハルを守る。ヒナとハルの家族を守る。見えない悪意なんかに、負けない。

 ぼんやりと、雨のカーテンを眺める。なかなかやまないな。ハルに抱かれながら、ハルの背中のことを思い出す。雨が降る度に、もうハルのことばかり思い出してしまいそう。

「あ」

 思わず声が漏れた。酷い土砂降りの中に、あの女の子の神様がいた。全然濡れてない。そうか、神様だからか。不思議とその姿はくっきりと見えている。ヒナの方を向いて、にっこりと笑っている。

 やっぱりそうだ。あの神様は、好きな人がいるんだ。ヒナは確信した。そうじゃなきゃ、あそこまで可愛く出来ない。あれは見られるためのお洒落だ。ヒナはいつもやってるから良く解る。とっても可愛いですよ、神様。

 神様はきっと、ヒナのことを励ましに来てくれたんだ。ヒナは間違えていないって。守れるものを、守れる範囲で守りなさいって。判りました。ヒナはハルと、二人の家族を守ります。だから、ちょっとお願いしても良いですか?

 ひらひら、と神様が手を振った。良かった。ありがとう。銀の鍵にこんなに感謝したのは初めて。これからは、せめて嫌いじゃない程度にまで思えるようになるといいかな。

「ヒナ、どうかした?」

 ハルが訊いてくる。

「今ね、可愛い女の子の神様が、こっちに向かって手を振ってた」

 怪訝な顔をしてるけど、ヒナはハルに嘘なんかつかないよ。これは本当のこと。

 神様は音も無く何処かに走り去っていった。ああ、なんか去り際まで素敵だな。いいな。結構本気でトレード出来ないかな。

 雨が小降りになってきた。虫の声が聞こえてくる。涼しくて、一足先に秋が来たみたい。


 街灯の光を反射して、水溜りがきらきらと輝いている。サンダルだし、濡れてもいいや。ひょい、ひょいとジャンプするみたいに進む。ぴしゃ、ぱしゃ。小さな水飛沫。揺れる波紋。

「転ぶなよ」

「はぁーい」

 ハルは心配性だなぁ。大丈夫だよ。ヒナだってちゃんと成長してるんだよ。もう、昔のヒナじゃないんだから。

 公園の出口に向かう道。雨がやんだら、その辺からお仲間の花火見物客がぞろぞろと出てきた。みんな雨宿りしてたんだね。通り雨で良かった。

 最初の頃ほどは混雑していない。雨の中ダッシュで帰った人もいるのかな。今はなんというか、普通。夜の公園という状況からしてみれば、ちょっと人が多いかな、っていう程度。

 ハルのお母さんの車が、公園の出口のところまで来ているらしい。あんまり待たせる訳にもいかない。やや急ぎ足でそちらに向かっている最中だ。転ばない程度に。

 ハル。振り返って、にっこりと笑う。今日は最高の一日だった。この喜び、感動をどう表現すれば良いだろう。誰に伝えれば良いだろう。まずはやっぱり、ハルだ。ヒナの大切な人。ありがとう、ハル。

 ヒナは、ずっと一人だった。銀の鍵なんて良く解らないモノを、ヒナはずっと抱え込んできた。そのせいで、ハルに打ち明けられない秘密を持ってしまった。ハルに話せないことを、他の誰かになんて話せる訳がない。たった一人で、ヒナは戦ってきた。

 トラジとも、銀の鍵のせいで疎遠になっちゃってた。本当の友達なんて誰もいない。銀の鍵の力が、ヒナに人を信じる気持ちを失わさせる。何もかもが銀の鍵のせいだって、そう思ってた。

 ハルがいてくれれば良い。ヒナには、ハルがいるからそれで良い。ハルはヒナの全て。そのことは、今でも変わらないんだけど。

 今日、色々あって、ヒナは思い出したんだ。ヒナにも、広い世界があったんだって。銀の鍵は、ヒナの思うようにしか動かない。ヒナが正しく使えば、きっと世界は応えてくれる。

 神様だって助けてくれる。トラジだって帰って来てくれる。ヒナは、知らない間に色んなものを失くしていたんだ。

 ハルを好きな気持ちに、神様の助けなんていらない。それは今も変わらない。そこを譲るつもりは無い。ヒナの想いが、そんな意味不明なモノにどうこうされる謂れは無い。

 たった一人で、ヒナはその想いだけを力にして、ここまで歩いてきた。つっぱってたんだ。その間に、どうもぽろぽろと零れ落ちてたものがあったみたい。今日、あの女の子の神様が、それを拾って届けてくれた。大丈夫だよ、って。ヒナのこと、ちゃんと助けてあげるよって。応援してあげるよって。

 ハル、ヒナは一人じゃ無かった。無理して一人で走ることなんて無かったんだ。どうしようもなくわがままで、ハルのことしか考えてないヒナだけど、道さえ間違えていなければ、ちゃんと味方になってくれる人はいるんだ。

 あ、人じゃ無くて神様か。まあいいや。だって、なんだかちっとも神様っぽくないんだもん。

 だから、まずはあの神様に会ってみたい。会ってお話がしたい。ハルに話せなかった沢山のこと、相談したい。ずっとずっと、ヒナの中に仕舞ってあった、苦しい気持ち、吐き出したい。ヒナのこと、解ってほしい。

 ハル、ヒナはちょっと変わった。何処がどうって説明するのはちょっと難しい。でも確実に変化した。もう昔のヒナとは違う。ニューヒナだ。語呂が悪い。

 何ていうのかな、手応えだ。今までは、何をしたって、何も変わらないっていう気持ちがあった。世界なんてどうしようもない。ヒナがどう足掻いたって、結局はなるようにしかならない。銀の鍵なんてその程度だって、考えてた。

 そんなことはない。一回神様に助けてもらったぐらいで調子が良いのかもしれないけど、ヒナが変わるにはそれで十分だった。ヒナは、世界を動かせる。ヒナ一人で出来ることに限りはあっても、そこを引き金にして、大きな流れを作り出せる。それはとても大事なこと。

 この力で、ハル、ヒナはみんなを守るよ。ヒナは、自分が正しいって信じられる。間違えたら、教えてくれる心当たりも出来た、ハルだっていてくれる。それならもう、怖いものなんて何もない。

 雲が流れて、星空が見えた。一瞬の通り雨。ステップを踏むヒナの後ろから、ハルが付いてくる。

 ハル、大好きだよ。ヒナは、ハルと、ハルのいるこの世界が大好き。

 だから、絶対に守るよ。


 蝉の声が騒々しい。今日も朝から日差しが強い。暑い。暑い。日焼け止め特盛にしてきたけど、これはもう歩いているだけでこんがりと焼けちゃいそう。

 住宅街の真ん中を、細い参道が延びている。こんなところに本当に神社があったんだね。知らなかった。ヒナの家からはちょっと離れてるし、一応市境をまたいでいるから、今まで気が付かなくても不思議じゃない。

 地図で調べると、神社のマークは確かにあった。参道の入り口に、白い石造りの鳥居もあった。でも、未だに半信半疑だ。何しろ情報の出所はトラジだし。

 それに、このお供え物。

 トラジに言われるままに準備したけど、ホントにこれで良いのかな。ヒナはまだ納得していない。いくら女の子の神様だからって、これはバカにしているとか思われないんだろうか。もしこれのせいで色々決裂したりしたら、猫相手に全面戦争を構える所存だ。神でも猫でも容赦はしない。トラジ、大丈夫なんだろうね。

 クリーム大福八個入り。ヒナのお小遣いでも何とかなる程度の、ちょっとしたスイーツ。これを神様にお供えするっていうのはどうなんだ。甘党か?甘党なのか?

 少し歩くと、今度は朱塗りの鳥居が見えてきた。ああ、あったあった。何かそういう気配も感じる。神社関係はそういう力が強いので、ヒナには良く判る。これは、神様がいるタイプの神社だ。

 それほど広くない境内に、手水と拝殿だけがある。後は倉庫か。社務所とかは無いので、宮司はいないのだろう。その割には綺麗に片付けられている。ふーん、地元に愛されている感じか。

 人影は全くない。蝉の声だけが響いている。朱の鳥居を潜ったところで、空気が変化していた。静謐で、穏やか。ここの神様はしっかりしてるね。雰囲気作りが上手だ。それだけに、あの見た目とのギャップが際立つが。

 拝殿の方に向かう。賽銭箱と、鈴。本坪鈴だっけ?麻縄がついて垂れ下がっている。

 えーっと、お賽銭入れて、鈴鳴らして、二礼二拍一礼、だっけ?

「あー、そこまで厳密でなくても良いから」

 それは助かります。

 って、え?

 いつのまにか、賽銭箱の上に巫女装束の女の子が腰かけていた。うわぁ、ビックリした。神様関係はどうしてこういう登場の仕方をするんだ。脅かさないといけない決まりでもあるのか。

「やっ」

 女の子は片手を上げて挨拶してきた。うん、どう見てもヒナと同い年くらい。綺麗な黒髪、素敵な金の髪飾り。気さくな笑顔。可愛くて、それでいて美しい。

 あと、間違いない。この子、恋をしてるね。ヒナにはわかるよ。恋する神様。うわぁ、激レア。

 おっとっと、見惚れていても仕方が無い。今日は大事な用があって来たんだ。このお供え、ホントにこれで良いんだな、トラジ。信じるぞ。

「あの、今日はお願いがあって来ました」

 神様にお願いなんて、ヒナは変わった。少し前なら、絶対にしなかった。

 今は、それだけ大事なことがあるということだ。どうしても守りたいものがあるんだ。譲れないんだ。

 ハルと、ハルの住むこの世界を守りたい。そのためなら、ヒナは何だってする。助けてくれるっていうなら、遠慮なく助けてもらう。

 そうじゃなきゃ、世界なんて変えられるはずがないんだから。

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