4駅七夕の赤い星

夜道が怖くなくなったのは、いつからだろう。


このクソ暑い日に、スーツであちらこちらと頭を下げ回った木曜日。これが金曜なら、よっしゃ!ビール飲むぞ!と、気分も上がるのだけれど。残念ながら、明日に日常を控える身としては、せいぜいコンビニで買ったチューハイをちびちび飲みながら帰るくらいだ。

急いで帰って、涼しい部屋で風呂でも入ってから、キンキンに冷えたのを飲むほうがずっと良いことぐらいわかってる。

けれど汗でべたつく脛や背中の不快感と、歩きながら酒を飲んでるテイタラク具合が、絶妙に自分を慰めることもある。


自分を自分の手に負える範囲で、ダメにしてやることは、おそらく明日の自分をちょっとだけ軽くする。


駅前のコンビニは、今日も明るかった。


通いつめたおかげで知ったのだが、終電一歩手前あたりでバイトは男だけになる。あと少し早ければ、女の子が弁当を温めてくれるし、釣りも手のひらに柔らかく乗せてくれる。今日は間に合わなかった。残念だ。

だから、今日の弁当は冷たいまま。野郎の手でほんわかにされた弁当など、受け付ける度量が今の俺にあると思うか。

ないだろ。ないから、酒飲みながら帰ろうとしてんだよ。

『あざしたー!』

店のドアをくぐると、背中に聞こえた声。深夜の騒音になり兼ねない音量に、苦笑いしながら一歩出ると、サラサラと風が鳴った。


笹だ。

色とりどりの、懐かしい飾り。三角が連なったこれは、一体なんの意味があるんだろう。子供の頃から疑問だった。

短冊も幾つか揺れる。あぁ、もったいない。立派な笹だというのに、短冊は輪ゴムで捻るようにくくりつけてある。

この店のスタッフと‥あぁ、客も書いてるのか。

昼間の光景なのだろう。子供の字も風に揺れている。ピーマン、食えるようになりたいか。そうか。プリキュアになりたいか、まだやってんのかアレ。今年こそ合格、まぁうん。君次第だ。星に頼るな。

で?あぁ。それは。

ひょい、とつまみ上げた一枚は、美しいとは言えないけれど、とても丁寧な字だった。


幸せに、なりたい。


妙に胸糞悪くて、ピンッとその短冊を弾いた。なんだそれ、つまらない。プシュっと開けた缶から、袋からろくに出さないままでチューハイを一気に飲んだ。

歩きながら飲みつつ、ちょっとだけやさぐれる予定が台無しだ。

すっかり本当にやさぐれた。


家までは徒歩15分。

無理にでも歩かなきゃ、運動しなくなったらやばいよな!なんて家賃の安さに目がくらんだとか、言えないで敢えて選んだかのように言った部屋。

駅から部屋まで歩かなくとも、もう今日一日どれだけ歩いて回ったんだか。これが正解。これは成功への道。そんな呪文を必死に唱えながら、毎日毎日靴をすり減らしてる。


幸せに、なりたい


無邪気な願いに混ざった、小さなつぶやき。当たり前のような、そんなのにどうして俺はこんなにイラつくのだろう。

お前次第だ!星に頼るな!と、さっきのどこぞの受験生のように、返して仕舞えばいいものを。

夜道が、怖くなくなったのは多分。

そんな暗闇よりもっと怖いものが、昼間の太陽の下にあることを、思い知ったからだ。


ささのは さらさら

のきばに ゆれる


べたつくスーツ。結局、荷物にしかならなかった上着。おしゃれな革靴は足を守りはしない。だから、次買うなら機能性重視する。


おほしさま きらきら

きんぎんすなご


家まであと、五分。

歩道橋を渡ればあと少し。ベタベタする体は重たくて、疲れ切った足は階段を余計に辛くする。手の中の缶をバキバキと鳴らしては、アルミが凹む分どこかズキズキと痛む。


きんぎん、すなご。

すなごって、なんだろな。


歩道橋の真ん中で、見上げてみた。夜空は端っこながらも都会らしく、黒くなりきらない。どうにもどこか明るくて、星なんて、きんぎんなんて、目を凝らしても薄くも見えなかった。

いつか見える夏があるのだろうか。見える場所まで、行かねばならないのだろうか。


ポケットから出した携帯で、調べてみた。

七夕、歌、すなご 検索。

知りたいことのキーワードを選ぶのも、能力の一つだ。

あ、なんだ。続きがあったのか。あの歌。


ごしきのたんざく

わたしがかいた

おほしさま きらきら

そらからみてる


見えやしないよ。こんな空じゃ。


コンビニの前で、さらさらと鳴った笹。こんな街の端っこの、夜中に人工の明かりに照らされて、それでもあんなにも願いを抱えて。


幸せに、なりたい。


ごしきのたんざく

わたしがかいた


あんな風になれたら、今日も頑張ったなんて俺は俺を褒めてやれるのかな。


おほしさま きらきら


歩道橋の下は、行き交う車たちのテールランプが赤く灯る。前にも後ろにも連なったそれは、さながら天の川だ。


ベコベコになった缶を、カバンに押し込んだ。

家までは、あと5分。

無理にでも歩かなきゃ。

自分で手に負えるぐらいに、絶妙にやさぐれても。


あの赤い星の中を、生き抜いてみせる。

幸せに、なりたいから。


おほしさま きらきら

きんぎん すなご


あ。すなごって、なんだっけ?


早く帰って調べよう。

家に急ぐべく、歩道橋を駆け下りた。

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