2駅 桜餅
『ほれ。』
差し出されたビニール袋の中で、小さなパックが転がった。
ぶっきらぼうに目の前に出されたそれに、慌てて袋の底を両手で支えた。 危ない。落ちるとこだった。
『なに、これ。』
『ん?やる。』
ガサガサ言う袋をのぞきこむと、小ぶりの桜餅が白いパックに綺麗に並んでいた、のだろう。若干端に寄ってしまったそれを、やむなくトントンとたたいて元の位置に戻した。
早朝のオフィスには私と、この同期の宮本だけだ。繁忙期ど真ん中、始業時間から仕事していたら間に合わない。
そろそろ、他のみんなもやってくるだろう。
ちらりと見た時計は、始業時間の2時間前。本当なら全神経を集中してキーボード叩いてるはずなのに、私は今桜餅を持って戸惑っている。
それなのに当の本人は、まったくこちらを見もせずに、ふぁぁぁっと派手なあくびをした。
袋の中の桜色は、淡くて綺麗。
なんで?いきなり桜餅?
首をかしげてうーんと考えてみてピンと来た。
あー、あー、そうか。と、笑ってしまった。
こういうことするんだよね。
ほんと、この人。
けど、ちょっとズレてるのよ。
昨日、休憩時間にカレーを食べていた。たまたま隣に座った宮本は、相変わらずきつねうどん。男のくせに、そんなので足りるの?といいながら大盛にしてもらったカレーをほおばった時だった。
流れてたテレビで天気予報士が言ったんだ。
この週末の雨で、桜も散ってしまいますね。
オフィス街には桜はない。
大きな通りにはイチョウの木が植えられて、秋は銀杏の襲撃に、誰もが苦労するというのに桜なんぞ一本もない。
春に繁忙期がやってくる仕事をしていると、桜っていうのは画面で見るもの。
その、匂いや木の温度、花びらの淡さを、五感で感じることはそう多くはない。
『‥桜。また見てないなぁ』
特に、思い入れがあるわけではない。
けど、思い返せばもう何年も花びらに触れていないんじゃないかな、って、それぐらいのもん。
そんなつぶやきを、聞いてたのだろうこの人は。
手のひらでコロンとした桜餅をみていたら、頬が緩んできた。深呼吸したかのようにホッとして、ピンでひっ詰めていた前髪を思わず下ろしてみたら、宮本がくふふと笑った。なにさ、一気に恥ずかしくなるじゃないか。
『宮本、こんなん食べるんだっけ?』
『‥春だろ。なんかそれ』
『どこで買ってきたのよ。』
『‥‥下のコンビニ。』
『‥ふうん。』
小さなパックの中の桜餅は、居心地悪そうに身を寄せ合っていた。
丁寧なのかざっくりなのか。やっぱこの人はよくわからない。
まだ食べてもないのに、口の中で桜の葉の塩辛さとか、こしあんの甘さがふと思い出されて、なんでだか桜の木の下にいるような気がしてきた。
散り際で、はらはらと花びらが舞う下に。
『‥ねぇ、今夜暇?』
桜餅のパックを開けた。
甘い香りがする。
『暇なわけねぇだろ。このくそ忙しい時期に。』
『飲みにいこうよ。』
『聞いてる??俺、忙しいの。』
『いいじゃん。桜、どっかに見にいこう。』
ったく、って宮本はにやりとした。
『お前。桜餅なんかで俺に釣られるなよ。』
宮本はそう言って、私の口に桜餅を突っ込んだ。
むほっと咽て、でも甘い。
『春だろ?』
なんでか得意気なこいつが、今日は男前に見えた。
口もぐもぐさせながら、鼻の奥に香った桜の葉の香りに、
『‥うん、まぁ。春よね。』
それから、満足そうに私を見て微笑む宮本に。
今、ちょっと遅めの春がきた。
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