第54話 機械
夕食を終え、舞と仁樹は二組の布団が敷かれた茶室で眠りについた。
昨日と同じような二人同じ部屋での一泊も、舞は気にならなくなっていた。
ただひたすらバイクに乗る昼間の時間が心理的にも肉体的にも強烈すぎて、不慣れな茶室と同室者を気にする余裕が無かったのかもしれない。
隣の布団で標本か何かのように仰向けになっている仁樹は、床に入り部屋の灯りを消した途端、スイッチを切られたように眠りに落ち、微動だにしない。
相変わらず寝る時に身につけているのは、ブルガリのプラチナ張りクロノグラフだけだが、それにも慣れてきた。仁樹も舞に裸を見せないよう最小限の気遣いらしきことをしているらしく、寝るまでは昼間ずっと着ているグリーンの整備用ツナギを身につけている。
舞は旅行荷物の中に入ってたパジャマ姿。修学旅行で不用意に目立たぬよう地味なグレー無地のパジャマを選んだが、もう少し可愛いパジャマを持ってくればよかったかな、と少し思った。
そんな物を着たところで見せる相手は仁樹しか居ないが、この細部にまで意匠を凝らした茶室と庭園に手抜きのパジャマは不似合いだと思った。
舞は布団の上で寝返りを打った。ついさっきまでは昼の疲労で早く風呂と食事を済ませて寝たいと思っていたが、いざ布団に入ってみると眠れない。微かに香の薫る茶室も柔らかすぎぬ布団も安眠には申し分ない環境だったが、まだ昼にバイクに乗った時の振動が体に残ってる気がする。
舞は横を見た。眠る仁樹。息を殺して耳を澄まさないと聞こえぬほどの微かな寝息で、かろうじて彼が死んでいるのではなく眠っているということがわかる。
舞は以前、仁樹が姉の真理に尽くす理由を聞いたことがある。そのうちの一つは自分がフェラーリという機械の部品ではなく、フェラーリを操縦する人間であり続けるため。
もしも仁樹が本当にがそう望んでいるのなら、今の彼は失格点だと思った。目を閉じたまま一切動かず、肉体の細胞を維持するのに必要なだけの呼吸をしている仁樹は、スイッチを切られた機械にしか見えなかった。
それに、すぐ隣に、一応は女であるわたしが居るというのに。
舞は自分の布団を出て、両手足で這うように仁樹に近づいた。
仁樹の布団に擦り寄った舞は手を伸ばし、そっと仁樹の頬に指を触れた。仁樹は目を覚ます様子が無い。
指先だけでか、彼に体温があるのかどうかさえわからない。舞は仁樹の寝顔に自分の顔を寄せた。
「何安心して寝てんのよ」
舞は仁樹の顔を間近で見た。微かに彼の温もりが伝わってくる。頬に、唇に。
「わたしだって、尼さんじゃないのよ」
舞はさらに顔を近づける。象牙色の肌。ほぼ無臭の皮膚からは、微かにさっき入った風呂に備え付けられた石鹸の匂い、舞と同じ匂いがする。
「オオカミにだってなっちゃうかもしれないわよ」
舞は仁樹の額に唇を当てる。仁樹の頬がピクっと動き、舞は慌てて飛びのいた。
そのまま布団の中に戻ろうとする、どっちの布団に、と一瞬考え、頭を振って自分の布団にもぐりこむ。
仁樹はそのまま動かず、さっきまでと同じような寝息を発てていたが、舞には自分の心臓の音がうるさすぎて聞こえなかった。
何でこんなことをしたんだろう?きっと夕飯に食べた野性味溢れる鴨鍋のせい。
それとも、自分を変えるかもしれないあの白いバイクのせいかもしれないと思った。
舞があのバイクの音と振動、パワーの感触を思い出した途端、今までの奇妙な感情が消えた。
明日に備えて早く寝なきゃという義務感に駆られた舞は、目を閉じて眠りについた。
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