第52話 教習


 翌朝

 旅行先では寝つきの悪かった舞は、今までにないくらい良く眠れた。

 茶室に敷かれた布団から体を起こす。横にはもう一組の布団。仁樹が布団の上に置かれた人形のように微動だにせず眠っていた。

 同じ部屋で一夜を明かしてしまった。夕べは疲労していて気にもしなかった舞は、なんだか自分が悪いことをしてしまったような気分になったが、自分が修学旅行をすっぽかして京都を遊びまわってる身だということを思い出し、今さら気にしてもしょうがないという気持ちで、横の布団を爪先で蹴った。


 仰向けのまま、寝ているのか死んでいるのかわからない様子だった仁樹が目を開ける。腕を伸ばし、寝るときも着けたままの時計を一瞥してから体を起こした。

 ここで舞は一つ大事なことを忘れてた。仁樹は寝る時にいつもパジャマの類を身につけないということ。裸にブルガリのクロノグラフだけを身につけた仁樹が布団から出た。

 舞はすぐ横で動く仁樹の裸体に短い悲鳴を上げた。背を向けて茶室の襖を開けようとしていた仁樹が振り向いて言う。

「先にシャワーを浴びるか?」 

 舞は枕を投げつけながら叫ぶ。

「さっさと行って来なさいよ!」

 朝からとんでもないものを見せられた、そう思いながらも、舞の視線は茶室の廊下を歩き、突き当たりの浴室に向かう仁樹の姿を追っていた。


 仁樹に続き舞もシャワーを浴びたところで、旅籠のお婆さんが朝食を届けに来た。

 ご飯に柚子と松茸のお吸い物、鰆の塩焼き、水菜の酢味噌和え。おばんざいと言われる京都の家庭料理を味わいながらも、気が急いている様子の舞にお婆ちゃんは言った

「もう用意してますから、朝ごはんを食べたら早速始めましょう」

 舞は自分が笑顔になるのがわかった。旺盛な食欲で朝食を平らげ、仁樹にも早く食べるよう促す。自ずと仁樹の横で彼のお茶や醤油や、ご飯のお代わりを出していた。仁樹はいつも家に居る時と変わらない様子で京風の朝食を食べ終え、食後のお茶を飲んでいる。

 相変わらず猫舌でお茶を飲むのに時間をかけている仁樹の腕を掴み、早く早くと急かした舞は半ば仁樹を引っ張るように茶室を出た。外は桂川の畔にある庭園、その川寄りの敷地にお婆さんは仁樹と舞を案内した。


 河原はアスファルト敷きの広い空間になっていた。駐車場のような感じだがそれらしき白線は無い。あるのはあちこちに散在する赤い三角コーン、タイヤの擦られた跡が無数のブラックマークとなって地面に残っている。

 敷地の隅にあるプレハブ作りの建物の前にある物を見て、舞の呼吸が少し早くなる。心臓が締め付けられた。

 白いバイク。夕べお婆ちゃんと仁樹、そして舞の三人で組み上げたホンダRC30改。

 さっそく跨ろうとする舞は、サーキットのスタンドのようなプレハブの中でお婆ちゃんに着替えさせらた。革ツナギと思いきや、学校で着ているようなジャージ上下と、膝と肘のプロテクター。舞はあまりカッコよくないと思った。

 白バイ隊員やオートレース選手も、訓練の時はこんな感じの服装だという。見た目はどうあれ、このバイクに乗れるならどうでもいい。舞は早速RC30に跨った。


 発進の方法からブレーキ、ギアチェンジなど、基本的な事から教えて貰う。長らく京都でレース活動をしているお婆ちゃんはさすが教え上手だったが、それより舞は仁樹の意外なほど多弁で、熱意すら感じさせる姿のほうが面白かった。

 舞は広いアスファルト敷きのスペースで、RC30を走らせる。発進と低速での走行、ギアチェンジは教わった通りにやったところスムーズにできたが、乗車姿勢を安定させるのが意外と難しかった。

 それから舞は、直線の走行やブレーキ、三角コーンを置いてスラロームや、白線を橋に見立てた一本橋走行など、教習所でやるような事をした。


 初夏の陽気に汗が吹き出る。自分の足や自転車で走ってるわけでもないのに体力を消費する。ジャージを着てよかったと思った。

 舞は息を切らしバイクを走らせながら、同級生が京都、奈良の観光を楽しんでるであろう時間に自分は今何をしてるんだろうと思った。 正直、体も頭も疲労していてよくわからなかったが、ひとつだけ確かだったのは、同級生たちよりずっと濃密で楽しい時間を過ごしていること。

 修学旅行の目的がその名の通り学び修めることならば、わたしは今そうしている。

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