第51話 エンジン交換

 京都市街の外れ、桂川畔の閑静な旅籠の一角。

 バイクと整備設備の整った土蔵の中で、舞と仁樹、旅籠のお婆さんは一台のバイクをいじり始めた。

 作業内容は、仁樹がかつて乗っていたホンダVFR750R、型番名RC30に同一車体の中型バイク、RVF400のエンジンを載せ換えること。

 作業エプロンを着けたお婆さんは、見た目に似合わぬ膂力でホンダV4エンジンを乗せた台車をRC30の横に転がして来ながら言った。

「エンジンアッセンブリーの交換。仁樹くんなら一時間あれば充分ね」

 仁樹は勝手知った様子で部品が積まれた棚を漁り、ホンダ純正部品の箱に入ったパーツ類を夕飯の買い物でもするかのように手元のコンテナに入れながら答えた。

「消耗部品の交換も一緒にやります。出来れば今日中に試走したい」


 土蔵の真ん中の整備台に置かれたRC30を中心にてきぱきと動く仁樹とお婆ちゃん。舞はなんだか仲間はずれになったようなような気分。バイクレース中のトラブルでピットに入った時のレーサーも同じ気分になるらしい。

 舞は今さらながら自分がこのバイクを貰ってしまっていいのか不安になった。跨った途端誰にも渡したくなくなったとはいえ、バイク一台は安いものではない。特にレース仕様のバイクは金を積んで買えるものではないことぐらい知っていた。

 二人の邪魔にならぬよう、隅のベンチに腰掛けた舞は、仁樹とお婆ちゃん、どちらに言うでもなく聞いてみた。

「あの、このバイク、私が乗るの?」

 既に作業を始めている仁樹が迷うことなく言った。

「そのための作業をしている」

 仁樹のために工具を出しているお婆ちゃんも言う。

「私のRC30に乗ってくれるという人をずっと待っていたんです。それがタカさんの娘さんとあれば、これほど嬉しいことはありません」


 しばらくその言葉の意味を考えていた舞は、ベンチから立ち上がった。

「手伝います」

 仁樹は舞を見た、舞は仁樹の目つきで言いたいことが大体わかるようになった。表情も視線も変わらないが、普段の行動と体の動きで多少のことは判断できる。

 邪魔するな、とか、座ってろ、とでも言いそうな感じで口を開く仁樹に被せるように、お婆ちゃんが言った。

「じゃあ一緒に部品磨きでもしましょうか」


 舞はお婆さんに習いながらバイクの各部品や工具類を洗浄、清拭し始めた。お婆ちゃんは作業をしながら色んなことを話してくれた。

 このバイクは正確には仁樹のものではなく、お婆ちゃんが以前ホンダから購入して以来ずっと所持していて、仁樹は借りていたということ。

 お婆ちゃんは京都で長い間バイク用革ツナギの仕立て職人をやっていて、現在は京都、近畿を中心に活動しているレース団体の理事として、レースチームの援助や競技車の維持管理をしているという。


 お婆ちゃんはもう一つの昔話を聞かせてくれた。仁樹がこのバイクに出会った時も、土蔵でこのバイクを見せられた彼は引き寄せられるように跨り、俺はこのバイクに乗るといってそのまま自分のものにしてしまったらしい。

 その時の仁樹は今の舞と同じくらいの年頃で、今よりも口数も表情も豊かだったけど、いつも何かに怒り、苛立っていたと。

 舞はバイクの整備作業に集中している仁樹の顔を見た。まるで聞いていないフリをしているかのような仁樹の横顔を見つめながら、舞は十五歳の仁樹を想像した。

 舞は思わず吹き出し、工具を落っことしそうになった。

 

 作業は順調に終了し、RC30改にはガソリンとオイルを入れられる。仁樹は特にもったいつけることなくエンジン始動スイッチを押した。

 現代なら騒音その他の規制に引っかかって市販されることは無いであろうホンダV4エンジンの音。舞の全身が震える、足が勝手に動くような気分でバイクへと歩み寄り、そのまま跨ろうとした。

 お婆ちゃんが舞の肩に手を置く。

「明日走らせましょう」


 本音としては我慢できない気分だったが、とりあえず言う通りにした。舞と仁樹は工具と部品を片付けてお婆ちゃんから今夜の宿として提供されている離れの茶室に戻る。

 一間だけの茶室には布団が二組敷かれていた。仁樹と同じ部屋に二人きり。舞の頭はなぜかそれを意識することは無かった、さっきまでの興奮の反動で疲れが湧いてきた。早く眠りたい。

 舞は仁樹が同室に居るのも構わずパジャマに着替え、そのまま布団に倒れこんだ。

 横で仁樹が服を脱ぎ、隣の布団に入る気配を感じつつ眠りについた。

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