第50話 RC30

 舞は桂川の畔にある旅籠で、仁樹が以前乗っていたという純白のバイク、RC30に出会った。

 仁樹を怒らせるか困らせるかしたいという悪戯心でRC30に跨った舞は、自分の体に合わせて造られたかのようなバイクの迫力に呑まれ、仁樹にこのバイクをちょうだいと言った。

 仁樹は免許を取ってからという条件のみで、あっさりと譲渡を認めた。

 十五歳の舞が750ccのバイクに乗ることの出来る大型二輪免許を取れるようになるまであと二年以上。舞にはそれが耐え難いほど永い時間だった。

 仁樹のRC30を京都の土蔵で保管していた旅籠の婆さんは、二人のやりとりを微笑みながら見ていた。

 自分自身がこのバイクを乗り始めた頃は無免許、あるいは免許条件違反だった仁樹の、自分のことを棚に上げた身勝手さを笑っていたのかもしれない。


 舞は跨ったバイクから降りられなかった。仁樹が幾らするのか見当もつかぬバイクを舞にくれると言ったことも、舞にとって衝撃的だったが、それ以上に自分がこのバイクに乗るためには、あと二年と一ヶ月少々の時間が必要なことがショックだった。

 いっそこのまま法もモラルも無視して乗り回してやろうか。それによって起きる様々な波風については、その時考えればいいとさえ思ったが、それでは目の前に居る舞の大嫌いな男、フェラーリに魅入り感情も人間関係も失った仁樹と一緒だと思った。

「いいわよそれで、別に」

 舞はそう呟き、ハンドル根元にあるスイッチボックスの下部、エンジンをスタートさせる赤いボタンに親指を触れさせた。

「舞ちゃん、いいものがあるわよ」

 横から声をかけたのはお婆ちゃんだった。舞が横を向くと、お婆ちゃんは土蔵の壁際にあるスチール棚まで歩いていく。

 棚に並ぶバイクの各種部品を見ていたお婆ちゃんは、パーツの中でも重量のあるものを置いている棚の下段に置かれた、大きな機械を指差した。


「ホンダRVF400のエンジン。これを載せてうちで車検通せば、中型二輪の免許で乗れるわよ」

 婆さんの指差すエンジンをしゃがみこんで見ていた仁樹が振り向いた、舞の顔じゃなく舞の脚、その奥にあるエンジンを見ながら言う。

「中型二輪免許は十六歳から取得可能だ」

 舞の爪先から脳天へと震えが走る。あと一ヶ月ほどでこのバイクに乗れる。空に浮かぶ星ほど遠かった十八歳という年齢制限が、いきなり自分の手元に飛び込んできた気分。


 たかがバイクに乗れるというだけで感動している自分に戸惑う舞を余所に、仁樹はお婆さんに不躾な質問をする。

「このエンジン、幾らだ?」

 お婆さんは和服のどこに仕舞ってたのか電卓を取り出し、ボタンを叩いて仁樹に見せる。仁樹は電卓の数字を見てからお婆さんの顔を見た。

 お婆さんは仁樹の問いに先回りしたように言う。

「誰も乗れないバイクと、誰も使いこなせないエンジンの値段なんてこんなもんなのよ」

 お婆さんはバイクとエンジンではなく、仁樹と舞を交互に見て言った。

 

 それから仁樹とお婆さん、そして舞によるエンジンの載せ換え作業が始まった。

 バイクを降りることで我に返った舞は、自分は何をしてるんだろうと思った。

 修学旅行に遅刻し、同級生に追いつくため仁樹のフェラーリで京都まで来た舞は、結局修学旅行には参加せず、フェラーリで古都の名所を回った。

 そして今は、一日を走り通した末に落ち着いた宿で、風呂にも食事にもありつけぬまま手をオイルで汚しバイクをいじっている。

 仁樹はといえば、普段整備しているフェラーリとは違う機械。自分がかつて乗っていたバイクのエンジン交換作業を積極的に進めている。相変わらず感情の無い顔だが、舞には楽しそうに見える。

 舞は土蔵の開け放たれた戸から外を見た。京都の夜景を反射する桂川の流れ。今頃同級生は何をしているんだろう。同じ部屋の友達と枕投げでもしているのかな。

「私は、こっちだ」

 今の舞には、目の前の白いバイクのほうが魅力的に見える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る