第48話 河辺の宿

 舞と仁樹の、フェラーリで古都を周る奇妙な修学旅行は日暮れ時を迎え、二人は今夜の宿に向かうこととなった。

 観光シーズンでホテルが軒並み満室の京都で、仁樹はもう宿を予約しているという。

 これからどこに連れて行かれるのか、不安で胸がドキドキする舞を乗せたフェラーリは京都市内に入り、二条通りを西へと走る。 

 夜の灯りがフェラーリのボディに反射し流れていく中、舞は京の夜景と仁樹の横顔を交互に見ながら黙り込んでいた。

 どこかヘンなとこに連れて行かれるのか、まさかこの男は私を、姉や妹と暮らす我が家から遠く離れた街で仁樹と二人きり、頭の中に色々な妄想が思い浮かんで耐えられなくなった頃、フェラーリは市街の外れ、桂川沿いの一軒家に入っていく。

 どこにも旅館の看板の無い板塀に囲まれた、表札すらない一軒家の門をフェラーリで潜ると、中は広い庭園だった。

 庭園の妙で深山幽谷に迷い込んだような気分になる、曲がりくねった小路を通った先に、京町屋作りの母屋と、離れの茶室があった。

 仁樹のフェラーリは、洋館と渡り廊下で繋がった茶室の前にフェラーリを停める。

「着いたぞ」

 

 それだけ言ってシートベルトを外し、フェラーリのドアを開ける仁樹。舞は慌てて一緒にフェラーリを降りた。

 市内の町屋を移築したような母屋から、着物姿の老婆が出てきた。

 仁樹は軽く頭を下げながら言った。

「お世話になります」

 外見は老婆ながら足取りの軽いお婆ちゃんは、仁樹と舞の前まで駆けて来て、目を細めて笑った。

「お久しぶり仁樹くん、舞ちゃんもこんなに大きくなって」

 向こうは自分のことを知っているらしい。舞は慌てて頭を下げた。


 お婆ちゃんは舞と仁樹への挨拶もそこそこに、背後のフェラーリに擦り寄る。フェンダーを撫でた後、フェラーリの背後に回りこみ、しゃがみこんで四本の排気口と後部から見えるミッションケースを眺めた。

「元気、みたいね」

 仁樹はまた軽く頷きながら言う。

「非常に良好です」

 フェラーリのエンジンフードを上から見て、ルーバーと言われるブラインド状のカバー越しに見えるシリンダーヘッドやインタークーラーを覗き込んでいたお婆ちゃんは、いい年してオモチャで遊んでいるのを見られたようにステップバックし、仁樹の舞の前までやってくる。

「長旅でお疲れでしょう。ゆっくりしてって頂戴。お風呂の使い方はわかるわよね」

 仁樹はまた頷き、それから思い出したように言い添えた。

「後で、会わせてもらえますか?」

 お婆ちゃんは一度背後のフェラーリを見て、それから一瞬、舞を見てから、仁樹を見て笑った。

「もちろんよ、いつでもいいわよ」

 仁樹と舞は、お婆ちゃんの案内で、今夜の宿になるらしき離れの茶室に入ることとなった。


 舞には幾つか気になることがあった。一つ目は仁樹と舞のことを知っているらしきお婆ちゃんのこと。

 これに関してはさほど重要度が低くない。顔の広い舞の父には知り合いも多かっただろうし、その繋がりで舞や仁樹のことを知っていたとしても不思議じゃない。

 もう一つは宿の問題。今夜は仁樹と一緒の部屋に泊まるなんてことになるんだろうか。そう思った時、舞の頭に、一つの布団と二つの枕という風景が思い浮かんで、ボっと顔が赤くなった。今すぐ別の考え事をしないと頭がどうにかなってしまいそうになる。

 舞が考えたのは最後の疑問。仁樹がお婆ちゃんに会いたいと言ったのは何なのか、誰なのか。

 旧友か昔の女か、まさか隠し子なんてことは。さっきのヘンな妄想は頭から吹き飛んだ。舞は遠慮がちに仁樹に聞いてみた。

「ねぇあんた、さっき言ってた、会いたいって誰のことよ」


 これじゃ昔の女を気にする彼女、どちらかといえば愛人とか不倫相手の物言いだ、そう思った舞に、仁樹はあっさり答える。

「俺が愛していたものだ」

 予想のド真ん中の答えは、舞を動揺させた。これならまだ隠し子のほうがマシだったかもしれない。目を泳がせ、どう言えばいいのか迷う舞に、仁樹は言った。

「これから会いに行く。一緒に来るか?」

 舞は手に持ったままの旅荷物のバッグを少し乱暴に床に置いた。黙って前に足を踏み出し、視線で仁樹に早く連れてけと促す。

 それが何であれ、仁樹の秘密に係わることなら見てやろうと思った。この男の弱みを握れることになるかもしれない。

 舞の催促に従い、茶室を出て渡り廊下を歩く仁樹、舞は手を伸ばし、仁樹の手を掴み取るように握った。

 こんな広い庭園で迷ったら困る。

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