第17話 衝動

 仁樹が自身の過去についての話をして以来、三姉妹と仁樹の距離は少し近くなった。

 真理は幼い頃に抱いた微かな記憶の正体が仁樹であることがわかり、以前にも増して彼に尽くすようになった。

 まるは自分の知らない母や、小学生の時に死んだ父の若い頃の話を仁樹に聞くようになり、仁樹も最小限の言葉ながら知っていることは話すことで、食卓での会話が増えた。

 舞はといえば、彼女自身は仁樹と親しくなったとは思えないし、舞にとって相変わら彼は三姉妹の暮らす家から排除しなくてはいけない危険な存在であることは変わらなかったが、今の姿とはあまりにも違う十代の頃の仁樹の写真を見たことで、彼に抱いていた恐れのようなものは少し薄れ、どきなさい、とか、いつまで食べてんのよ、など、主に不満や文句で占められた言葉を気軽に言うようになった。


 その日も舞は、家に帰ると当たり前のようにリビングのソファに座っていた彼を見て舌打ちした後、食ってかかるように話しかけた。

「何であんたが勝手に入って来てんのよ」

 以前の舞なら仁樹と会っても相手を居ないものだと思って無視していたが、彼が舞の問いにも真理ほど丁寧ではないが答えることを知ってから、何か怪しい行動をする前に注意、警告することにしていた。

 ソファに沈み込んでイタリア語で書かれた雑誌を見ていた仁樹は、姿勢を動かさず視線だけを舞に向けて答えた。

「真理さんがリビングで待っていて欲しいと言った」

 真理がここに引っ越した日にに会った時から仁樹に抱いていた好感は、それが初対面ではなく病に冒された幼少時代に出会った人との再会であることを知って以来、さらに強くなった。

 今ではバスで十分ほどのショッピングセンターに買物に行くたび、真理は仁樹の好きなもの、仁樹に気に入って貰えるようなものばかり探していて、まるもそれに影響されつつある。

「真理姉ぇがあんたに何の用があるのよ?」

 仁樹は一度雑誌に戻した視線をもう一度舞に向けて言った。

「真理さんはこれから行くところがある、俺はそこまでフェラーリで送る」


 真理の態度がどう変わろうと、仁樹は変わらない。ただ真理の言うことを無条件に聞く。

 仁樹が三姉妹の父から五千万円を超えるフェラーリを譲り受けたのが、幼い真理を病院まで送迎するという仕事を引き受けたからだというのが理由の一つだと聞かされたが、舞はそれだけでは納得出来なかった。

 舞が自身の疑問を更に問いただそうと思ったところで、リビングのドアが開いた。

 入ってきたのは真理。部屋着でも大学への通学に着ているものとも違う、それらよりワンランク上のコットン製ワンピースドレス姿。

「あの、仁樹さん、どうですか?仁樹さんと一緒にお出かけしても恥ずかしくない姿でしょうか?」

 仁樹は雑誌を置いてソファから腰を上げる。さっき舞が話しかけた時は視線と口を動かすだけだった仁樹は、真理に正面から向かい合う位置に立った。

「非常に素敵です。今日の気候にも合っている」

 四月半ばの昼下がり。今日は新しい服を出したくなるような晴天に恵まれていた

 真理の服装を褒めた仁樹はといえば、夕食の正装の時以外いつも着ているグリーンの布製ツナギ服の上に、古びた黒褐色の革ジャンを羽織っている。

「あなたの姿に見合った服に着替えたいところですが、今日の外出目的を考えるとこの服装が最善でしょう」

 真理は仁樹のツナギに指を触れながら言う。

「仁樹さんはその姿のままで充分魅力的です。服をプレゼントして差し上げたいところですが、好みを押し付ける女にはなりたくないんです」


 二人のやりとりが何とも不快になったので、舞は割って入るように姉に聞いた。

「こいつと出かけるってどこに行くの?」

 真理は喜色満面といった表情で返答する。こんなだらしない顔の姉は見たことない。

「引越しの時に借りたトラックがあったでしょ?あれを買い取ることにしたの。これから仁樹さんのフェラーリで連れてって貰って、帰りは乗って帰ろうかなって」

 自動車免許を取得済みの真理は引越し作業を自分でやるため、父の知り合いの中古車業者からトヨタ・ダイナの四人乗りトラックを借りていた。

 引越しが終わってからも買物等に使っていたトラックは数日前に返却したが、車が無いと買物一つにも苦労させられる都下の郊外。やはり車はあったほうがいいと思っていた真理が、借り物ながら気に入ってたトヨタ・ダイナの買取りを申し出たところ、父の旧友で生前は世話になったという中古車業者は、どうせ解体行きの車だからと言って登録費用だけで譲渡してくれることとなった。

 今から仁樹と一緒にトラックを取りに行くという真理は、仁樹と一緒に出かけられる口実が出来て嬉しい様子。

「晩ご飯の準備の時間までには帰るから、お留守番頼むわね」

 そう言って早速仁樹の腕を引いて出かけようとする真理は、仁樹がツナギの上に着ている革ジャケットに気付いた。

「仁樹さん、今日は外が暖かいですよ」

「それもそうですね」

 仁樹が自分の革ジャンを脱ぎ、ソファに放り出す。そのまま二人は出かけて行った。

 

 一人になったリビングで、舞は不機嫌な思いを味わっていた。

 なんで真理姉ぇはあんな男のことを気に入っているのか、三姉妹の暮らしに勝手に居座り、あのフェラーリに乗る男がどれだけ危険で異常なのかわかっているんだろうか。

 仁樹という男は自分たちの暮らす家に居てはならない。どこで手に入れたのかこの家の一階ガレージの所有権を持つ彼を、今すぐ追い出すことは出来ずとも、ここを彼に取って居心地いい場所にしてはならない。

 舞は自分自身にどんな理由をつけてみても、この気持ちは単に彼が生理的に嫌いだからだということがわかっていた。わかっていたからこそ、彼に対する攻撃的な衝動が湧いてきて抑えられない。

 舞の目に、彼が脱ぎ捨てて行った革ジャケットが目に入った。古びていてあちこち擦り切れた小汚い革ジャン。

 仁樹の悪趣味な服装にも腹が立ったが、何より彼がこのリビングを自分の家であるかのように、無造作に上着置いていったのが許せなかった。

 ソファから革ジャンを掴み取った舞は、革ジャケットを思い切り引っ張る。当然それくらいじゃ破れることも伸びることも無い。

 舞は革ジャンを片手に、リビングの食器棚の下の引き出しを開けた。救急箱や裁縫道具など生活に必要なものが入っている引き出しから、ハサミを取り出す。

 いつのまにか舞の息は荒くなっていた。もしもこれが陰陽道の人型か何かなら、彼を切り刻むことも出来るんだろうか。

 舞は革ジャンにそっとハサミを入れた。

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