第15話 ご褒美
フェラーリがガレージに戻って五分ほどした頃。
いつもながら機械のように正確に、仁樹は夕飯を食べにリビングまでやってきた。
夕食の時にはネクタイを締めるというルールもいつも通り。白い厚手のネルシャツにミッソーニの手織りネクタイ、ウールのズボンにブレザージャケット。
仁樹が三階リビングのドアをノックする前にまるがドアを開ける。
「お兄ちゃんお帰り!」
そのままダイニングの食卓まで手を引く。既に食卓に座っている舞が、向かいに座る仁樹を出来るだけ無視しているのもいつも通り。
仁樹の席には既にトンカツの皿と味噌汁の椀、豆腐サラダのボウル、飯が盛られた茶碗、お茶が淹れられた湯呑みが置かれていた。
最初は仁樹が着席するタイミングで出来立ての夕食を出していた真理も、何度か夕食を共にするようになってから、猫舌気味の仁樹を気遣って、出来上がってから少し間を置いた物を置くようにしていた。
仁樹は背を伸ばし、まるで真理と二人きりで夕食を取っているかのように、真理を見つめながら言う。
「いただきます」
真理がそれだけで夕食の提供に余りあるほどの見返りを受け取ったかのような嬉しそうな顔をするのもいつもの事。それから三姉妹が声を揃えて言う。
「いただきまーす!」
夕食の始まりの言葉は、仁樹が先導し三姉妹が追随するような形になる。真理は幸せそうな、まるは楽しそうな顔、舞はいつも偶然こんなタイミングになっただけ、といった表情をしていた。
仁樹と三姉妹は、騒がしく箸を動かしてトンカツと菜の花の味噌汁、豆腐サラダの晩御飯を食べる。仁樹はいつも自分から口を開くことはないが、食事中も黙ることを知らないまるが常に話しかけ、真理も食事中のお喋りを楽しんでいる。
舞は自分の前に置かれたトンカツにソースをかけながら、向かいで慎重な手つきでトンカツに塩と辛子をかけている仁樹に話すタイミングを窺っていた。
今日、学校で仁樹の過去を知っているらしき体育教師に会った舞は、この男がパパからフェラーリを奪った経緯について聞く積もりだったが、いつも通り舞の言葉には最低限の応対しかしない仁樹に、話す必要は無いと問答無用で一蹴されたら、せっかく大好きなトンカツが出てきた夕食の時間を愉快でない思いで過ごすことになる。
これは彼が夕食を終えたタイミングで聞くのがベストだろう、と舞なりに考えていると、真理は何か気付いて話しかけてきた。
「舞ちゃん、ごはん足りない?」
舞は慌てて首を振る。普段は体格に比例して三姉妹の中で一番多く食べる舞も、今日は食べ終わる時間を調整しなければならない。
幸い真理の気遣いが利いたのか、普段は猫舌で食べるのが遅めの仁樹も、トンカツと舞よりも少なめのご飯を食べ終わりつつある。
夕食を終えた仁樹が箸を置き、隣に座る真理に軽く頭を下げる。
「ごちそうさま。カツレツも美味しかったけど豆腐サラダが絶品でした」
「おそまつさま。今お茶を淹れます」
仁樹の斜め向かいに座るまるが椅子から腰を浮かしながら言う。
「豆腐サラダはねー、まるも手伝ったんだよー」
まるがふんわりしたポニーテールの頭を突き出す。
「そうか、美味かったぞ」
そのまま頭をふりふりさせているのを見た仁樹は、手を伸ばしてまるの頭を撫でた。
「ちょっとまる!お行儀悪いわよ!」
普段ならこういう事を注意する真理に替わって舞が声を上げた。キッチンでお茶を淹れていた真理は少し慌てたような感じでテーブルに戻ってきて、仁樹の前にお茶を置く。
「仁樹さん、お茶どうぞ!」
仁樹が椅子の上で体を回し、真理に向かい合って頭を下げる。
「食事中には薄い煎茶、食後に濃い粉茶、あなたの気遣いにはいつも感謝しています」
普段なら感動している仁樹の感謝の言葉に、真理はまだ物足りなそうな顔で応える。
「その、あの、まるちゃんにしてたようなことを、してほしいなー、などと思っては、ご迷惑でしょうか?」
仁樹は動じることも言いよどむこともせず答える。
「俺があなたに触れるのは、あなたが触れていいと言った時だけです」
傍で見ていた舞は、これでこの男が笑顔の一つでも浮かべれば多少なりとも好感を抱いていいと思ったが、仁樹の表情は変わらない。
「ナデナデしてください、お願いします、それでわたしは幾らでも頑張れるんです」
仁樹は躊躇することなく、真理が差し出した頭を撫でた。真理は髪を一撫でされるごとに四肢をビクンと震わせている。
満足しきった表情の真理が席についた頃合で、自分で淹れたお茶を一口飲んだ舞が口を開いた。
「そういえばあんたに一つ聞きたいことがあるんだけど」
仁樹が顔を上げた。無機的な瞳でこちらを見る。いいぞ、ともだめだ、とも言わない。彼が問いの内容を聞くまでは返答をしない男だということはわかっている。元より反応を窺う気も無かった舞は、いきなり本題に切り込んだ。
「あんた、何でパパのフェラーリに乗ってるの?」
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