第10話 送迎
三姉妹の入学式から数日。
新入学のオリエンテーションが終わり、三人が一年生として入学した中等部、高等部、大学法学部の通常授業が始まった。
朝はいつもジョギングから帰った舞、朝食の準備を終えた真理が二人がかりでまるを起こし、制服に着替えた舞とまる、大学に行く私服を着た真理が朝食のテーブルを囲む。
そしてもう一人。三姉妹の暮らす家の一階ガレージに暮らす、仁樹という男が共に朝食を摂る。
真理に朝食を一緒に食べてくださいと頼まれて以来、仁樹は前夜のフェラーリで遅くまで走っていた日にも朝食時間には起きてきて、作業ツナギ姿で黙って席につく。
最初は彼が朝食のため勝手に入ってくることに文句を言っていた舞も、ここ最近は彼に突っかかることが少なくなっていた。居ないものとして意識から締め出すことを覚えつつあった。
まるは自分が寝坊しているくせに、仁樹が階下のガレージまで起こしに行く前に起きて来るのがちょっと不満な様子。
同じく何とか眠る仁樹を起こしにいきたいと思っていた真理は、彼に出来たての朝食を食べてもらうことを優先している様子。
今朝も三姉妹と仁樹は、ご飯と味噌汁、鯵の干物と藜のお浸しの朝食を終えた。
人間的な食べ物の好き嫌いが無いように見える仁樹は和食、洋食問わず朝食を残さず食べる。真理も仁樹の皿を幸せそうに洗い、魚を綺麗に食べている様に感心しながら、仁樹のためにお茶を淹れている。
いつも仁樹は食後のお茶かコーヒーを飲むと、真理に朝食の礼を述べてガレージへと降りていく。その後はガレージで仕事をしたりフェラーリの整備をしたり、走りに行ったりしている。
真理は彼が三階リビングで過ごす時間を出来るだけ引き伸ばし、あわよくば洗い物と学校の準備を終えた後で仁樹とお喋りなど楽しもうと思い、猫舌気味の仁樹に出来るだけ熱いお茶を淹れていた。
まるも今日の授業の準備もそこそこに仁樹に話しかけている。仁樹はまるの言葉にはごく短い最小限の言葉を返すだけだが、それでもまるは楽しそうにしている。
そんなまるを舞が急かして朝の準備をさせるのも、いつもの朝の風景。
カウンターキッチンで洗い物を手早く済ませた真理が、お茶を持ってダイニングテーブルにやってきた。
煮えたぎるほど熱いジャスミン茶を置き、自分の分を仁樹の席の隣に置いた真理は、一息ついた様子で椅子に座る。
「ありがとうございます」
そう言って茶器を手にした仁樹は、湯を熱くしすぎて若干飛び気味のジャスミンの香りを嗅ぐ。飲めるようになるまでにはまだ時間がかかる様子。
そんな彼を見た真理は、今朝は少なくとも十分は仁樹とお喋り出来ると皮算用していた。
起きたままの寝癖のついた髪でお喋りに加わろうとするまるを、洗面所まで引き戻した舞が、真理に向かって言った。
「そんな男の面倒見てていいの?今朝は講義前のミーティングがあるんじゃなかったの?」
目の前の熱い茶器を置いたまま、その必要が無い時は動くことも喋ることもない仁樹の横顔をニコニコしながら見ていた真理が、表情を変える。
「忘れてた!」
大学部に通う真理は、中等部、高等部のまる、舞よりも講義の始まる時間が遅いことが多く、妹達より遅いバスに乗って講義には間に合った。
それでも真理は出来るだけ三人一緒のバスに乗るようにしていたが、時々バスを遅らせることがある。
真理が言うには「仁樹さんといい雰囲気の時」という事らしいが、舞の記憶ではこの男の機嫌や口数が変動したことは、酒を飲んだ時を含めて皆無に近い。
今朝も仁樹と飲むために買ってきたというジャスミン茶を淹れた真理は、妹たちを先に学校に行かせて自分は少しでも仁樹との時間を楽しむ積もりだったが、舞の言葉で今朝は早く登校しなくてはいけない事を思い出した。
食卓から立ち上がった真理は、リビングのソファに置いていた通学用のバッグを引き寄せ、中身を確認する。それから電話の前の壁に貼ってあったバスの時刻表を見た。
「間に合わない~どうしよ~!」
まるの髪にブラシをかけていた舞は、落ち着き払った様子で言う。
「タクシー呼べばいいんじゃないの?」
三姉妹はこの家の近隣にあるバス停から駅を経由して隣市まで行くバスで学園まで通学している。
バス一本ながら大きく回り道をする関係で40分ほどかかるが、大学までの直線距離はそれほど遠くなく、タクシーや自家用車で市境の山道を越えれば半分足らずの時間で行ける。
数日前なら引越しに使った四人乗りのトラックがあったが、一昨日借りていた中古車屋に返してしまった。
真理は電話前の壁を見ながら言う。学校や出前等の連絡先に混じって、最寄のタクシー会社の電話番号も貼られている。
「タクシーが来るまで時間かかるし間に合わないかもしれない、それに、タクシーで通学なんて遅刻しそうで慌てて来たみたいでカッコ悪いじゃない」
まるは呆れたように言う。
「その通りなんだからしょうがないよー」
それでも電話しようとしない真理に替わってタクシーを呼ぶべく、舞が電話を取ろうとすると、食卓からお茶を啜る音がした。
舞がこんな時にノンキな男に舌打ちしていると、仁樹は茶器をテーブルに置き、席を立った。
「俺のフェラーリで学園までお送りします。下で待ってますので準備したら降りてきてください」
まるでフェラーリが階段を登り、リビングまで真理を迎えに行けない事を恥じているかのような態度。
不意をつかれた真理は「は、はいっ!」と言いながら慌てて身支度と授業の準備を始める。
やっと準備を終えたまるが仁樹の腕に掴まりながら言った。
「いいなーいいなーわたしも乗せてってー!」
階下に行こうとしたのを引き止められた仁樹は、困惑も苛立ちも感じていない様子で言う。
「一人しか乗れない」
舞はまるを引っ張りながらリビングを出る。
「勝手にすれば、ほらまる早く行くわよ」
舞とまるが二階への階段を降りると、後ろから仁樹がついてくる。急かすでもなく一定の距離を取っていた彼は、二階の玄関から外に出ようとする舞たちと分かれ、一階のガレージに降りていく。
「お兄ちゃん、行ってきまーす」
まるが手を振ると、律儀に一度立ち止まった仁樹は振り向いて言う。
「気をつけて行って来い」
舞は鼻を鳴らし、まるの手を引きながら玄関を出た。
玄関から階段を下りて外の道路に出る途中、一階ガレージ内部でフェラーリが始動する音が聞こえた。
小走りに家からバス停までの道を急ぐ途中、舞は一度後ろを振り返った。
学校までの最短距離を行くフェラーリは反対方向に走ることを思い出し、再び前を見た舞は、まるの手を引きながら走り出した。
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