第6話 写真

 四月を迎えて数日経った頃

 三月の末に東京の一軒家に引っ越してきた三姉妹にとって、節目となる日を迎えた。

 その日の朝、仁樹は三階のダイニングに居た。

 食卓には彼一人だけ。前夜に真理からこの時間に朝ご飯を食べに来て欲しいと頼まれ、仁樹はその通りにしたが、リビングにもダイニングにも誰も居ない。

 三人揃って約束を忘れ、早々に出かけたにしてはキッチンには朝食の準備が整っている。なぜか真理の言うことは無条件に聞く仁樹は、特に動じることなく、いつのまにか彼の専用席となった椅子に座って待っていた。

 リビングのドアが開く。入ってきたのはブレザーにチェックのスカート姿の末っ子まる。

「じゃ~ん!見て見てお兄ちゃん!まる中学生になったんだよ!」

 

 この春から同じ学園の中等部、高等部、大学部に入ることとなった三姉妹。

 おなじような制服姿の次女、舞がリビングに入ってくる。

「なんでコイツに制服姿とか見せなきゃならないのよ!朝から廊下に隠れさせられて最悪よ」

 そう言いつつまると並んで仁樹の前に立つ舞。二人で感想を求めるべく仁樹の顔を見た。

 椅子に座ったままの仁樹は、無表情に二人を見回した後で言った。

「時間は大丈夫か?」

 まるは仁樹の腕につかまりながら言った。

「もっと褒めてよ~!まるはこの制服着たくて受験勉強頑張ったんだよー!」

 舞は呆れたように仁樹を見る。こんな男に制服姿を見せたいなんて思わなかったが、社交辞令の一つも言えないとは、思った以上の社会不適格者だと思った。

「バスが来るまでにはまだ余裕がありますよ」

 最後に出てきたのは真理。この春から大学の法学部に進む彼女は、卵色のスーツ姿。

 仁樹は舞とまるの、胸のリボンの色が違うだけのブレザー姿を見た時と同じ表情のまま真理を見た。それから口を開く。

「可憐です。とてもよく似合っている」

 真理は両手を頬に当てて感動した。

「ありがとうございます!仁樹さんに綺麗と言ってもらえただけで、今日は今までの人生で最高の入学式です」 

 まるは不満そうに喉を詰まらせたような声を上げる。舞は鼻を鳴らしてる。仁樹が三姉妹のうちで真理にだけ異なった反応を示す理由を、真理は聞いても教えてくれない。

 

 真理はスーツの上にエプロンを身につけ、朝食の準備を始める。最近は洋食と和食が半々だったけど、今朝は初めての制服やスーツで腹が張らないようトーストと卵、ベーコンとサラダの洋風。

 舞とまるも席につき、制服姿で朝食を食べ始める。三姉妹はこの風景がこれから何度も繰り返される朝の時間になると予感していた。まるは仁樹を見て安心したような笑顔を浮かべ、舞はあからさまに邪魔者を見るような目つきをしている。

 朝食を終え、いつも通り礼の言葉と共に席を立つ仁樹を、真理が呼び止めた。

「お願いがあるのですが」

 仁樹は足を止める。少なくとも妹たちが今まで知る限り、仁樹が真理の頼みを断ったことは一度も無い。

「俺に出来ることなら」

 真理は仁樹の言葉を聞き、リビングのソファ前のテーブルに置いてあった黒い箱を持って来る。

「わたしたちの写真を撮ってもらえますか?入学式の時には必ず父がそうしてたんです」

 仁樹は黒い箱を受け取る。中身は旧いポラロイド式のカメラ。フィルムの箱も入っていた。

「プロのように上手くは撮れませんが、俺でよければ」

 そう言うなり、仁樹はカメラの裏蓋を開いて中を覗きこみながらシャッターを押し、動作を確認している。


 仁樹はポラロイド・フィルムを装填した後、リビングを歩き回り天窓の下で立ち止まり一枚撮る。

 カメラから出てきた誰も居ない空間の写真を見ながら言った。

「ここでいいでしょう。レフ板はありませんが室内にしては光量も充分ある」

 まるは目を輝かせて仁樹の手つきを見ていた。

「すごーいお兄ちゃんカメラマンみたい!写真も好きなの?」

 仁樹はリビングにあったガムテープを床に貼りながら答える。

「雑誌の仕事で写真を撮ることもある」

 仁樹のことを胡散臭げに見ていた舞は、自分の制服姿を隠すように腕で体を抱きながら言った。

「あたしはイヤよ!こんな奴に制服姿撮られるなんて!それはパパのカメラなのに」

 仁樹は舞の言葉に反応を示すことなく、リビングのソファを動かして撮影位置を確保したり、テープを貼った撮影位置の背後にある邪魔な椅子や置物をどかしたりしている。

「準備が出来ました」

 仁樹はまるで真理一人と喋っているかのように、真理に手を添えて撮影場所に連れて行く。

 真理がテープを貼った位置に立つと、仁樹は後ろに下がってカメラを構えながら言った。

「テストで一枚。それから本番で二枚撮ります」


 ポーズの指示は無し。仁樹は真理がどんな姿の撮影を求めても何一つ文句を言わず撮るだろう。スーツ姿で立つ真理は両手を体の前で合わせる行儀いいポーズを取り、カメラではなくそれを撮る仁樹に見せつけるように微笑んだ。

 フラッシュが三度閃く。意外なほどあっさりと撮影は終わった。真理はきっとこの人は仕事で写真を撮る時も、こんなふうにさっさと撮って次の作業に入るんだろうと思った。

 仁樹はカメラから出てきたポラロイド・フィルムを真理に渡す。まると舞まで写真を見にきた。

「すごーい真理姉ぇモデルさんみたーい!」

「なんかスーツ特売のチラシとかパンフレットみたいなんだけど」

 撮られた写真をしばらく黙って見ていた真理は、仁樹に駆け寄って彼の手を取る。

「ありがとうございます!わたしはこの写真を一生大事にします」

 真理が見せびらかす写真を、商品に瑕疵が無いか確かめるような目で見ていた仁樹は、真理に言う。

「あなたに礼を言われるには及びません」

 そこへ末っ子のまるが仁樹のところにやってきた。

「次はまるを撮って!」


 仁樹はフィルムの残量を確かめながら、さっき真理が立っていたテープの位置を指差す。

「さっきと同じだ」

 まるは言われた通りテープを貼られた位置に立つ。それから足を開き、カメラに向かってピースサインをしながら満面の笑みを浮かべる。

「動くな」

 それだけ言って三枚をあっという間に撮り、出てきたポラロイドフィルムをまるに渡す。

 真理の時と違って出来上がった写真をチェックしている様子は無い。それでもまるは写真に写った自分の制服姿に大満足の様子。

 仁樹たちのやりとりを一歩離れて眺めていた舞に、真理が声をかけた。

「さっ次は舞ちゃんよ、背が高いからモデルさんみたいに綺麗に撮れるわね」

 まるは舞の後ろに回って背を押しながら言う。

「おっぱい大きいしねー」

 長身な舞はバストもかなり大きい。中背の真理は胸も身長相応で、まるはまだ成長が始まってない様子。

 顔を赤くしてバカ!やめて!と言っていた舞は姉と妹に促され、渋りながら撮影位置に立つ。

「早く撮りなさいよ!さっさと済ませて学校行かなきゃいけないんだから」

 舞は制服姿を撮られるのを拒むように、両腕で自分の体を抱きながら顔をそらす。体もカメラの前でまっすう立つことをせず斜めになっている。

 ノルマをこなすように粛々とファインダーを覗いていた仁樹が意外そうな顔をする。それからフラッシュが四度閃いた。

 撮っては出てくるポラロイド・フィルムが四枚。舞はひったくるように受け取る。

 写り具合を見に来た真理とまるが写真を覗き込んで声を上げた。

「舞姉ぇカッコいい!」

「さすが仁樹さんですね」

 写っていた写真は、ポーズといい遠くを見ている目線といい、記念写真然とした真理やまると違ってファッション誌のグラビアか映画の1シーンのようだった。


 「こんなのがいいの?全然かわいくないじゃない」

 舞は三人の撮影を終えてさっさとカメラを片付けている仁樹に不満を漏らしつつ、写真を制服ポケットにしまった。

 撮影のため移動した家具を元に戻そうとしている仁樹に、真理が声をかける。

「最後はみんな一緒の写真です、さぁ仁樹さんは真ん中に」

 仁樹は最初のうちは「三人でどうぞ」と渋っていたが、真理に頼み込まれて自分でテープを貼った撮影位置に立つ。

 舞も撮影のためとはいえ仁樹と並んで立つことを拒んでいたが、まるが仁樹の前に立ち、背を押し付けてるのを見て渋々左横に立つ。

「こいつが何かやらかした時の手配写真が必要だからね」

 カメラのセルフタイマーをセットした真理が仁樹の右横に立ち、腕を組んで頬を寄せた。

 フラッシュが閃き、ポラロイド・カメラに装填された最後の一枚が出てきた。

 撮影を終え、カメラを片付けた仁樹は朝食の礼を言った後、さっさとリビングを出て階下のガレージへと降りて行った。

 真理は三姉妹と仁樹の写真をしばらく眺めていたが、舞の「そろそろ出ないとバス間に合わないわよ」の言葉を聞き、スーツのポケットに大事そうにしまい、入学式出席の準備を慌しく始めた。

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