第4話 仕事

 出版の街、千代田区神田。

 仁樹は雑居ビル一階にある喫茶店で、中年の男と向かい合っていた。

「先月の記事も評判がいい。仁樹も使い捨ての名義じゃなくてそろそろペンネームを一本に絞ってみたらどうだい?それとも本名で仕事をしたら…」

 仁樹は返事替わりに手を差し出した。

 彼が今日、生活の場である都下のガレージから神田まで来たのは、記事執筆に必要な資料の借り出し。

 仁樹は雑誌社に出入りする外注ライターの中では、仕事量も実力も高い評価を受けていながら、めったに編集部に来たがらず、出版業界の人間との繋がりを得るために必須の飲み会にも出てこない。

「あんたの記事を載せるたびに同業者から問い合わせが来るんだ。あの新人ライターの連絡先を教えろってな」

 仁樹はお喋りで資料を鞄から取り出す手がお留守になっている編集者を無表情に眺めながら返答した

「秘密にしているわけじゃない」

「無茶な仕事入れられて使い潰されるのが目に見えてる、あんたのことはタカさんから頼まれてるしな」

 その編集者も友人との約束を大事にする、その友人が死んでも約束は消えないと考える類の人間だった。

「GTOは?」

「秋葉原に知り合いのオフィスがある。そこの地下駐車場に停めている」

 仁樹にとってフェラーリは、人目に晒され悪戯や盗難のリスクがあるコインパークに停めていい車じゃない。

 彼にフェラーリを譲った元の持ち主は、好んで目立つ場所に停めていたが。

「あんた凄ぇフェラーリに乗ってるんだ、国産だけじゃなくフェラーリの記事ももっとどんどん書けばいいのに」 

「俺のフェラーリの知識は偏ってる」

 仁樹はスキンヘッドの頭を傾げて少し考える顔をした。

「でも、書かないと決めてるわけじゃないな」

 資料の貸し出しを忘れ、すっかりお喋りモードになった編集者は、喫茶店のテーブルに出した雑誌をめくりながら話し始めた。

「そういえば先月から始まった小説、あれは社内の評判もよかったが、さっそく書籍部の連中が単行本を出したいってよ」

 編集者が開いたページには、派手派手しい挿絵に平易な文体の、自動車雑誌の連載には少々不似合いな小説が載っている。

「それにしてもフェラーリが魔法の使い魔になるなんて、車好きとファンタジー好きの両方からソッポを向かれると思ったが、両方とも興味ないフリしながらしっかり読んでやがる」

「出版界で今最も金が取れるのははラノベ、なら車雑誌は車のラノベを書けば稼げる」

 仁樹にとって雑誌に文章を書く仕事は、なぜか自分自身に存在した適性をフェラーリ維持のため切り売りする仕事。

 彼は純粋に金のためだけに文章を書いていた。

「ところで、僕は今日こそ口説き落として来ないと会社から締め出すと社長に言われてるんだが、外注のライターじゃなくウチの正社員、正規の編集者にならないのか?」

「稼ぐなら今のままがいい」

 編集者は残念そうな顔をする。こういうお誘いはもう何度も繰り返している。

「そうか、あんたは書ける記事の範囲が広いし、写真撮影やレイアウト、活字組みも一通り出来る、うちのボスは雑誌をひとつ任せてもいいと言ってるんだが」

 編集者はやっと資料を仁樹に渡した。仁樹は封筒を開け、資料として請求した四十年前の新車カタログの確認をしている。

「じゃあ今月の記事も出来上がるのを待ってるぞ、進行があるから締め切りは2~3日前倒しで来週の火曜になるが…お前には不要だな」

「発注された仕事は今週末に送る」

 仁樹は資料の入った紙袋を掴むと席を立った。

「次から資料は郵送してくれ」

「郵送先の自宅はこれからも変わらないんだな?」

 仁樹は背を向けたまま「そうだ」とだけ言い、店を出た。

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