第35話 四百
藤巳がポケール・ドラゴンスクールに入学してから数日。
彼は勤労奨学生として学費の免除を受けつつも、自らのドラゴンであるシボレーC-10トラックを便利な実用車として使われることに不満を抱いていた。
そんな中、午後の実習授業が行われた。それは四百というもの。単純に四百メートル、この世界でいうところの四百マールを走る速さを競うというもの。遂に藤巳が求めていた時間が始まった。
昼食の時間、既にフェラーリに乗るブラーゴは高揚を抑えられない様子だった。ジャガーに乗るコーギーも、いつも通りの飄々とした態度ながら、楽しそうに呟く。
「今日は真面目に走ってみようかなー」
藤巳をお姉さまとして指導する役割のレベルは、藤巳のことを心配している。
「トーミ、無理しないでね、速く走れなくても怒らないから、トーミを笑う子が居たらわたしがやっつけるから」
藤巳はこの学園に来て以来の常食となったフライドライスを食べながら答える。
「大丈夫、俺のシェビーは速いから」
ブラーゴやレベル、コーギーは藤巳の言葉を聞いて、困った子を見るような目をしている。会話を聞いていたらしき周りの子たちは笑っている、この荷物運びのトラック型ドラゴンに乗った新入りは四百というものを知らないんだろうという態度。
藤巳は周囲の反応より、自分自身がシボレーをどう走らせるかという思考に集中していた。
日本でもアリゾナでも、あらゆる車で何度も繰り返したゼロヨン。シボレーが現在の仕様になってからは初めてで、塩湖でドラッグレースをした経験も無い。何回転まで回せばいいか、シフトアップのポイントは、何度も頭の中でシュミレートする。こんな時間を過ごすのは久しぶりで、自分はこういう時間が無いとダメになる。
午後、生徒たちはドラゴンに乗って、学園のある島の広い面積を占める実習場に集まった。
アンチモニー校長も自身のランボルギーニ・カウンタックに乗ってやってくる。遅れ気味だけど校長は朝と昼食後にいつも遅刻するので、生徒たちも慣れっ子。
四百の実習授業が始まる。出席番号順に走り、上位の人間がもう一度走ってタイムを競う簡易的なトーナメント方式。
タイムの測定は、首からアナログのストップウォッチを下げたアンチモニー校長が行うらしい。
全員が整列し簡単な準備体操をした後で、最初の生徒がドラゴンに乗り、教習所のような実習コースの真ん中を貫く直線道路の端までやってくる。
四百マール先の校長が何かの紋章が染め抜かれた旗を持っていた。旗は振り下ろされ、ドラゴンが走り出す。
それから生徒たちは順番に、各々のドラゴンで四百マールを駆け抜けたが、あまり真剣に走っている生徒は居ないらしく、藤巳がブラーゴの腕時計を見せてもらって測った大体のタイムは二十秒前後。
藤巳は自分がドラッグレースに興奮して盛り上がってるのが場違いのように感じた。この子たちはドラゴンと呼ばれている車に乗っているが、自分とは別種の生き物なんだろう、つい自分も不用意に目立たぬよう手加減して走ろうかなと思い始める。
ブラーゴの順番がやってきた。スタートラインで早くもフェラーリのアクセルをフォンフォンと吹かしている。旗が振り下ろされ、フェラーリのエンジン音が高くなる。一瞬身を沈めたフェラーリはタイヤを鳴らし、塩湖の砂を巻き上げながらスタートダッシュした。
遠ざかっていくのに鼓膜とハラワタに響く音。ブラーゴはフェラーリ操縦の教科書通り、三千回転でスパっとクラッチを繋ぎ、各ギアで八千回転まで引っ張っているらしい。
赤い影となって四百マールを走りきったフェラーリ、藤巳はタイムを見ることも忘れたが、十二秒そこそこだろう。やっと見つけた、自分と同じ領域を生きる人間を。
遠くへと走り去るフェラーリをずっと見つめてる藤巳の袖をコーギーが引く、横を見ると、コーギーの目はギラギラと輝いていた。
「見ててね、わたしのジャギュアを」
いつもは授業中もお喋りを絶やさないコーギーはそれだけ言ってジャガーに乗る。スタートラインについたジャガーはフェラーリよりだいぶ静かだったが、走り出したジャガーはV12エンジンのが交響楽のようなサウンドを奏でる。
ゼロ加速はフェラーリより不利ながら高回転の伸びでブラーゴに劣らぬタイムを出したコーギー、いつもフェラーリでブっ飛ばしてるブラーゴと違い、コーギーがこれほどジャガーを本気で走らせるのは珍しいらしく、他の生徒がヒソヒソと話してる。
その中で「オトコが出来たから」という言葉を聞いたが、藤巳は自分の存在が影響したとは思えなかった。
きっと彼女を変えたのは藤巳じゃなくてジャガー。ならば藤巳は自分がシボレーに乗る姿。本当の姿を見せるだけ。
何台かさほど速くない生徒を挟んでブラーゴのポルシェ・カレラも走る。ターボエンジンの有利をあまりうまく使えなかったらしくタイムは振るわない。藤巳ばレベルが自分に、速さより無理をしない走りを見せたかったのかもしれないと思った。
「もう無理だよ」
遂に藤巳の順番。
七千ccのV8エンジンドロドロと低い排気音を発する、藤巳の乗ったシボレーはスタートラインに停止した。
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