第34話 勤労奨学生
藤巳は教えられた寮の前でシボレーを停めた。
外に出た藤巳は、後部の荷室に積んだ大きな木箱を持ち上げる。
両手が塞がっている状態でどうやってドアをノックするか迷った藤巳は、開けっ放しの運転席ドアに足を突っ込み、スニーカーの爪先でステアリングにあるクラクションのスイッチを押す。
シボレーが発したクラクション音を聞いた寮の主がドアを開けて出てきた。
「ありがとうトーミ君」
寮から出てきたのは、普段は話すことの無いクラスメイトのソリド、シトロエン2CVドラゴンに乗る、セミロングの髪の小柄な女の子。
藤巳は分解されたタンスが納まった木箱を玄関先に置いた。
市街地にある転移魔法事務所から荷物を運ぶ仕事はここまで。帰ろうとする藤巳をソリドは引き止めた。腰をふりふりさせながら甘い声を出す。
「トーミ君おねがい、組み立てもやってほしいの」
ポケール・ドラゴンスクールに入学してから数日。
藤巳は自分が今まで居た場所とは違う世界らしき地での暮らしにようやく慣れてきた。
自動車をドラゴンと呼ぶ塩湖の世界に、シボレーのトラックに来た藤巳は、彼に興味を持ったアンチモニー校長によって学園の勤労奨学生として受け入れられた。
自らの職場であるアリゾナの博物館に帰ることを望み、そのためにも今は何らかの保護を受ける必要があると思った藤巳は、学園の生徒になることを了承したが、藤巳はこの世界では車を走らせる上での障害や制約が存在しない事を知った。
ガソリンはいくら走っても減らず、消耗部品も必要としていない。ぶつけて傷をつけても翌日には自然に直る。コストの無い移動、輸送機械となったドラゴンは、転移魔法の進化したこの世界では古臭い習い事としての意味しか持たないらしい。
とはいえこの世界の各所から物質を転送する転移魔法の設備は数少なく。地上の大半を塩湖が占めるというこの世界では、人や大きい荷物を転送する設備は大きな島にしか無い。
藤巳の感覚ではロスのディズニーランドくらいある学園の島にも、大規模で高価な設備と語学をひとつ覚えるほどの魔法技術が必要になる転移事務所は市街地に一つあるだけで、そこからの輸送は人力、あるいはドラゴンによって行われる。
藤巳はその島内輸送を手伝う事で奨学金を得て、通常は多額の入学金を必要とするドラゴンスクールの生徒となった。
通常は女子しか乗れないというドラゴンに選ばれた稀な男ということで、男手の必要な作業を引き受けるのが藤巳の仕事だが、乗っているのはトラックタイプのドラゴン。自ずと荷物運びの仕事が多くなる。
以前は同じく勤労奨学生でホンダ・シビックドラゴンに乗るトミカが、苦労して何往復もして運んでいた荷物を、一度に運べるようになったことで、藤巳はそれなりに役立つ存在となった。
二十数人の女子しか居ないドラゴンスクールの男子新入生ということで、当初は藤巳のことを警戒していた他の女子生徒も、好感を抱かないまでも気軽に用を頼むようになった。
現在は藤巳のさほど親しくないクラスメイトで、クラスの中ではお洒落なことで知られているソリドが、故郷から転移魔法で取寄せたタンスを、市街地の転移魔法事務所から学生寮区画のソリドの寮まで運んでいる。
やってる事はアリゾナの博物館に居た頃と大して変わらないな、と思いながら、ソリドに頼まれて部屋の中にタンスの木箱を運び入れた。
各部屋が独立したコテージタイプの寮。ソリドの部屋は服とアクセサリーで一杯だった。部屋に乗り入れられたシトロエンもインテリアアイテムの一つのように見える。
「どこに置けばいいんだ?」
ソリドは部屋のあちこちを歩き回り、そこにタンスが置かれた様を想像している。どうやら届いてから考えるつもりだったらしい。
「トーミ君はどう思う?」
意見を求められた藤巳は、仕事を早く終わらせたい一心で答えた。
「ベッドと玄関の間に置くといいだろう。入ってすぐベッドが見えると訪問者にだらしない印象を与えるし、タンスで玄関からの音や空気が遮断されて睡眠環境がよくなる」
ソリドは玄関に立ったりベッドに寝転んだりしてしばらく考えてたが、不満そうに答える。
「えーお洒落じゃないなぁ」
藤巳は部屋中に散らかった服を見ながらソリドに聞いた。
「この服を全部タンスにしまうのか?」
ソリドは自分のコレクションを見て肩を竦める。
「詰められる分はね、後は外に架けたり乗っけたり」
藤巳は外車の販売を仕事にしていたが、ミニカーの収集も好きだった父を思い出した。父のオフィスには片付けきれないミニカーがあちこちに落ちていた。
「じゃあドラゴンの横の壁に置いたらどうだ?服がたくさん詰まったタンスの前にシトロエン、いい風景になる」
室内に停められたシトロエンをしばらく見ていたソリドは、指をパチンと鳴らしていった。
「それいい!じゃあ早速組み立てよう」
藤巳は分解されたタンスの詰まった木箱を開けながら、やっと仕事が終わりそうな事に安堵した。
ガレージの車の横にコレクション棚。お洒落な車雑誌で時々見る構図で、父はそれを真似してガレージにミニカー棚を作った。
藤巳はこんな物置くくらいなら工具を手に取りやすい場所に並べてくれと思ったが、ガレージに収まった車の運転席に乗りながら、壁一面に並ぶミニカーを見てご満悦の父を見て、こんなのが楽しいと思う奴も居るのか、と思った。
藤巳なら絶対やらない。地震でも起きてタンスが倒れたら、シトロエン2CVのボディはクシャっと潰れる。
二人で協力して作業し、タンスの組み立てはすぐに終わる。藤巳の仕事、いや仕事以上の作業はこれで終わり。藤巳はさっそく服をタンスに仕舞おうとしているソリドを制止した。
組み立てで余ったネジと、部屋のキッチンで見つけた鉄板で手製のステーを作り、タンスを壁にしっかりと固定する。学園の勤労奨学生としての仕事は終わったが、藤巳はこれも自分がドラゴンに対してすべき事だと思った。
タンスを固定する作業が終わったので、待たせていたソリドにもう服を入れてもいいと言ったが、ソリドは一抱えの服を持ったまま動かず、藤巳を見ている。
「トーミ君ってさ、いい人だよね」
藤巳はタンスの組み立てに使った工具を片付けながら答えた。
男は家事をする女の後姿に、女は大工仕事をする男の背中に欲情を覚えることが多いと聞いたことがあるが、今の藤巳にとってそれは煩わしいものでしか無かった。
「覚えとけ、男が女にいいことをする目的は金か下心だ」
空になって木箱を持ち上げ、部屋を出ようとする藤巳にソリドは言った。
「今度は鏡台を注文するの、その時はまたお願い」
「次は置き場所を決めとけよ」
寮の部屋を出た藤巳は、シボレーの後部に木箱を積み、運転席に乗りこんでエンジンをかけた。
必要とされている仕事を果たし。一時期は最低に近かった人望や好感を着実に積み上げている。それが藤巳にとって好ましいことではなく、逆に苛立ちを感じさせる物だった。
「俺もシェビーも、仕事をするためのモノじゃない」
ここ数日シボレーで全然走ってない。通学や荷物を運ぶ作業は藤巳のシボレーにとって走りとはいえない。一千馬力のシボレーにふさわしい走りをいくらでも味わえる、そのためにこの世界に留まろうと思ったのに。
ドラゴンの操縦を学ぶスクール。午後を自由に走れたのは初日だけで、それ以降は島の実習区画と呼ばれる教習所のようなスペースで、延々と車庫入れや狭路走行のようなことを繰り返させられる授業だった。
授業を終えて寮に帰ってからの時間も、シボレーで荷物を運ぶ仕事に使い回される。この島では男手が必要な仕事がだいぶ溜まっていたらしい。
沸々と不満を抱きながら迎えた何日目かの授業。相変わらず何を教えているのかさっぱりわからない午前の学科を終え、全ての授業を教えているアンチモニー校長が生徒たちに告げた。
「本日の午後の実習は四百です」
生徒たちの反応は様々。喜んでる子も居れば面倒くさそうな子も居る。藤巳は隣席のコーギーに聞いてみた。
「四百って何だ?」
他の生徒同様に、藤巳が魔法と故郷の記憶を失った男だという校長の作り話を信じているコーギーが教えてくれた。
「簡単よ、ドラゴンで四百マールをどれだけ速く走れるか競争するの」
藤巳がこの世界に来て戸惑った事の一つは、ドラゴンを走らせるのに必須の各種数値。この世界では単位は同じながら呼び名が違う。キールマールがキロメートルだということは知っていた。
どうやらこれから四百メートルを走り、そのタイムを競い合うらしい。日本ではゼロヨン、アメリカではSS1/4と言われるドラッグレースの一種。
やっと藤巳が望んでいた時間が始まるらしい。
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