第33話 ボディ
夜の塩湖でシボレーを走らせていた藤巳は、ジャガーに乗るコーギーと出会った。
藤巳が昼に話した、コノリーレザーのシートを肌で感じる裸のドライブ。コーギーは今夜試すと言っていた。
広い塩湖で藤巳は、彼女の秘め事に遭遇してしまった。
右ハンドルのジャガーと左ハンドルのジボレー、並走するとすぐ近くにコーギーの姿が見える。
ジャガーより少しだけ車高の高いシボレー、アリゾナの満月よりも明るい星空の下、コーギーは本当に裸らしく素肌の肩が見える。
コーギーが藤巳に何か言っているのがわかるが、互いに窓を閉めているので藤巳には聞こえない。顔を赤くしている。どうやら恥ずかしい姿を覗く藤巳に文句を言っているらしい。
藤巳がジャガーに接近したのは、目印の何も無い塩湖を走っていて帰路がわからなくなったから。しかし近づいてみると星明りに照らされたジャガーの流麗なボディと、その中に居るコーギーの姿に魅せられてつい不必要なほど近づいてしまう。
これじゃ水浴び中に裸で出くわしてキックを食らったブラーゴとの初対面の繰り返しだと思った藤巳は、コーギーにまで嫌われたらイヤだと思い、ステアリングを握る手に少し力を加えた。
進路を変えた藤巳のシボレーはジャガーと距離を取る。とはいえここでジャガーと離れたら帰り道は分からない。付かず離れずの位置で並走するシボレーを見るコーギーの表情がかろうじて見えた。
コーギーはあっさり離れたシボレーに拍子抜けしたような顔をこっちに向けている。それから正面を見たコーギーはステアリングの握り位置を変えた。
それまでステアリングの下側を持ってクルージングしていたジャガー。コーギーは腕を上げ、十時十分と言われるステアリングの上部に持ち替える。サーキットやワインディングロードを走る時に握る位置。
藤巳が横を見ると、離れて並走するジャガーの中に、コーギーの白い肩と腕が見える。前方を見ているコーギーが一瞬、横目でシボレーを見た、それからコーギーの腕が動く。
ジャガーの進路が切り込むように曲がっていく。さっき離れた藤巳のシボレーにジャガーのほうから再接近してくる。近づいて来る濃緑色のボディ。
藤巳はコーギーが自分に裸を見られても気にしないのか、それとも、見せたいのかとちょっと勘違いした。ちょっと助平心の湧いた藤巳は、危険なほど寄って来たジャガーへの対処が遅れる。
車を愛好する者なら耳を塞ぎたくなるような衝撃音。ジャガーはシボレーに体当たりしてきた。
突然の出来事に、今度は藤巳がコーギーに向かって拳を振り上げる。
「何てことしやがる!」
藤巳が怒ったのは、乗っている二人にとって危険な行為ではなく、自分のシボレーの事ですらない。ジャガーの美しいボディを傷つける行為が許せなかった。シボレーは欧州や日本の車とは鉄板の厚さからして違うし、ボディパネルの板金修理は大した手間じゃない。
藤巳が心配した通り右のドアとフェンダーをベッコリ凹ませたジャガー。乗っているコーギーはといえば陽気に笑ってる。それからコーギーは、もう一度ボディをぶつけてきた。
さっきより強い衝撃、藤巳のシボレーが浮き上がる。弾き飛ばされたジャガーに乗っているコーギーは大笑いしている。
この世界でドラゴンと呼ばれる車は、どんなに傷をつけても勝手に直る。アンチモニー校長が実演交じりで説明した事を藤巳が思い出したのは、ぶつかった瞬間に見たコーギーの姿。
ドアとドアが触れ、教室の隣席より近い位置にいるコーギー。やっぱり何一つ身につけぬ裸だった。かろうじて肌を隠すのは、両肩のシートベルトだけ。
こんな綺麗なものを見られるなら。半ば疑っていたドラゴンを修復する魔法というものを信じていいような気分になってくる。
ジャガーがもう一度ぶつかってくる。今度は藤巳もステアリングを切り込んだ。二台の間に散る火花。二人の距離が、肩と肩が当たりそうになるまで近づく。
藤巳もさっきは一瞬見えるだけだったコーギーの体をしっかりと見させてもらった。視線を意識したコーギーは一瞬、腕で体を隠そうとしたが、藤巳を見て悪戯っぽく笑い、シートベルトを外した。
隠すものも守るものも何もない姿のコーギー。またぶつかってくる。互いの窓ガラスはとうに割れて砕け散っている。藤巳にはジャガーの振動で揺れるコ-ギーのバストまで見えた。コーギーはシートベルトを着けてない体が弾むのが面白いらしく、何度もボディを当ててくる。
ジャガーとシボレーの、子猫がじゃれあうようなぶつけ合いはしばらく続いたが、コーギーが当て所を間違えてホイールをヒットさせ、足回りの歪んだジャガーは蛇行し始める。
コーギーが手を下に振り下ろすような動作をするので、藤巳はシボレーを減速させる。二台が停止する直前、ジャガーがシボレーから離れ、そのまま距離を取った位置に停車した。
シボレーを停めた藤巳は、軋むドアを強引に開けて外に出た。やっぱりシボレーのボディはひどい有様になっていた。
無数の凹み傷。割れて無くなったサイドガラスだけでなくフロントグラスにまでヒビが入っている。ミラーもどっかに行ってしまった。
遠くでコーギーが運転席のドアを開けようと苦労していたが、シボレーよりずっと損傷の激しいジャガー。ドアが歪んで開かないらしく、左の助手席ドアを開けている。
ジャガーの影から顔だけ出して藤巳を見たコーギーは、何かゴソゴソとやっている。それからジャガーを回りこんできたコーギーは、車内に置いていたらしきパジャマのシャツを着ていた。
コーギーはシャツの短い裾を気にしながら、シボレーに寄りかかる藤巳のところまでやってくる。さっきジャガーごとぶつかってきて、自分の体を見せてきた時とは違う雰囲気、藤巳を見ては視線をそらす、というのを繰り返している。
「あの……トーミ君、その、ごめん、ね」
素肌にシャツ一枚のコーギーに気を使い、顔をそらしていた藤巳のことを、いきなりぶつかってきてシボレーを傷だらけにされて怒っていると勘違いしたらしい。
藤巳はコーギーに向き直った。いざ見てみるとやっぱり目のやりばに困る姿だけど、星明りに照らされるコーギーから目が放せない。
「謝るのは俺のほうだ、覗くつもりは無かったんだ、でも、楽しかったよ」
藤巳の顔色を窺うようだったコーギーの顔がパっと明るくなる。いつもの明るく騒がしい隣席の女の子に戻ったコーギーは、藤巳の着ているシャツを掴む。
「なんでトーミ君は脱がないの-?」
藤巳はシボレーの運転席を指差して言った。
「俺のシェビーのシートはビニールレザーだ、裸で運転すると蒸れたり滑ったりする」
コーギーは藤巳のはぐらかしのような言葉にいつものように陽気に笑うことはしなかった。俯いたコーギーは掴んだ藤巳のシャツをぎゅっと握る。
「トーミ…くぅん…」
藤巳を見上げるコーギー、星空を映した瞳は潤んでいる。唇から微かに吐息を漏らしながら、コーギーは少しづつトーミに身を寄せてきた。
そのままコーギーの肌に吸い寄せられそうになった藤巳は、ひとつ頭を振ってからコーギーの後ろに視線を送った。
「ジャガー、直るかな」
コーギーはしばらくキョトンとしていたが、プっと吹き出して笑い始める。
「こんな時にドラゴンの心配?そっかトーミ君は魔法の記憶を無くしちゃったんだっけ?あれくらいすぐ直るわよ」
コーギーの言う通り、ジャガーのサイドウィンドがいつのまにか元に戻っていた。藤巳は背後のシボレーに手を触れる。折れ飛んだはずのバックミラーがいつのまにか装着されている。
「そうか、直るのか」
藤巳には理解できぬ現象に、不思議と笑いがこみあげてくる。くすくすと笑う藤巳に、コーギーが言った。
「帰ろっか?」
「あぁ、帰ろう」
藤巳はコーギーに背を向け、シボレーのドアを開ける。いつのまにか滑らかに開くようになったドアはガラスも元通りになっているけど、ドアパネルの凹み傷はそのまま。少し不安になってひび割れた塗装に指を触れた。
「大丈夫だって!明日までには元通り綺麗になってるわよ」
藤巳は振り返った。コーギーが笑ってる、その姿は、一枚だけのシャツを脱ぎ捨てた裸だった。
「こんなふうに、ね」
充分なバストに締ったウエスト、意外とたっぷりとしたヒップ。コーギーは思わず手を伸ばそうとした藤巳をからかうように後ろにステップバックし、裸のままジャガーのところまで駆け戻る。
さっきは開かなかった運転席のドアを開け、ジャガーのエンジンをかけてさっさと走り出すコーギー。藤巳は迷子にならぬよう、シボレーでジャガーを追いかけた。
二人で学園のある島に戻り、コーギーの寮の前で手を振って別れた藤巳は、自分の寮に戻って、コーギーの体を思い出しながら眠りについた。
シボレーとジャガーの傷はコーギーの言うとおり次の日には直ったが、それは翌日の昼過ぎまでかかり、朝の登校で同じような場所に傷のある二台のドラゴンを見たレベルとアンチモニー校長は、藤巳を尋問に近い質問攻めにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます