第27話 塩湖の温泉

 少女たちが藤巳が居た世界では車と呼ばれていたものの操縦を学ぶ、ドラゴンドライバーズスクールの午後。

 午前中の退屈な学科を終えた生徒たちは、午後の自由走行時間を迎え、学園敷地の外に広がる塩湖へと走り出した。

 シボレーC-10トラックに乗る新入生の藤巳と、記憶を失った事になっている彼をお姉さまとして指導する役割を任ぜられたフェラーリに乗るブラーゴ、ポルシェのレベル、そして教室で席が隣り合い親しくなったジャガーのコーギー。

 四人の乗った四台のドラゴンは、塩湖をブっ飛ばした先にある島のような場所に着く。

 温泉が湧いているという緑地の島。ここで午後を過ごすことにしたブラーゴは、藤巳に島の外で待っているように命じた。コーギーは混浴できず残念そうな様子。

 ここでは先輩でお姉さまのブラーゴの言う通り、シボレーの中で昼寝でもしようとした藤巳の袖を引いたのは、小さな体でほぼ競技車に近いポルシェに乗るレベル。

 「トーミ、一緒に入ろう」

 藤巳は返答に窮した。レベルはまだ幼い見た目とはいえ一人でお風呂に入れないようには見えない。

 温泉のある森に入ろうとしたブラーゴが引き返してきて、レベルの腕を引く。

「あんた何考えてんのよ!こんな男とお風呂なんて、ヘンなことになったらどうすんのよ!」

 藤巳もレベルのヘルメットみたいな銀髪をポンと撫でて言う。

「俺は女の子と一緒に風呂に入ろうとは思わない」

 レベルはブラーゴに引っ張られ、藤巳に一緒の入浴を断られても動こうとしない。


 その場で俯き、考え事をするかのように人差し指で頭をトントン叩いていたレベルは、何か思いついたような顔をした。

「え、えーん、えーん、トーミはわたしと一緒にお風呂に入るのをイヤだという、えーんえーん、わたしはトーミのお姉さまなのに、トーミはナカヨシのわたしを汚いものだと思ってる、えーんえーん」

 ウソ泣きにもなっていない棒読みが逆に藤巳の気持ちを変化させた。同じスクールの同級生なのに、レベルという女の子はほっとけないと思ってしまう。

 藤巳は日本に居た頃、外車屋をやってる父の客で旧いレース落ちのポルシェに乗ってた知り合いが居たのを思い出した、彼は自分のポルシェを、乗っても乗らなくてもトラブルが起きる、いつも手をかけていないといけないという文句を、とても楽しそうに言っていた。

 

 藤巳がブラーゴ達と時間をずらすなりして、レベルと一緒に入るかと思いかけたところで、先に森の中に入っていたコーギーが戻って来て言う。

「大丈夫じゃないの?トーミ君もおいでよ」

 藤巳は言われた通り、サッカーコートほどの大きさの森の中に入る。踏み固められた道ができていて、その奥には岩塩か氷河を思わせる白い岩場があった。

 森の中にあったのは岩で囲まれた温泉だった。風呂は幾つかに分かれている。

 中央の大きな温泉から外れたあたりに、岩で仕切られた一回り小さい温泉があった。温泉に指を突っ込んで温度を見ていたコーギーが小さい風呂を指差して言う。

 「トーミくんはこっちね、ベルちゃんはわたしと一緒に入ろ」

 藤巳は頷いた。夕べは結局風呂に入らなかったし、男湯と女湯に分かれているなら温泉を楽しむのにも異存は無い。

 小さい温泉に入ろうとするレベルは、後からやってきたブラーゴに引っ張られ、脱衣所らしき岩の囲いに消える。

 コーギーは藤巳をチラチラと見ながらシャツのボタンを外し始めた。

「面倒だからここで脱いじゃおうかなー」

 岩陰からレベルが出てくる。制服の白いスラックスを脱いでいてシャツ一枚の格好のレベルは、カマキリの威嚇みたいに両手を振り上げて コーギーを岩陰の脱衣所に追い立てる。

 一息ついた藤巳は、小さい風呂の脱衣所になっていると思しき岩の囲いに入り、服を脱ぎ始めた。


 白い岩に囲まれた温泉は気持ちいいものだった。

 日本の温泉や銭湯より若干ぬるめだが、泉質はいいらしく水道水や硫黄の強すぎる温泉で感じるような皮膚への刺激が無い。

 藤巳の入っている男湯まで微かに聞こえてくる、女湯の女子たちの声を聞きながら、藤巳は今まであのシボレーを運転していて味わった最高の時間を思い返していた。

 思えばアリゾナに居た頃、シボレーで走るのは制約だらけだった。ローカルレース用のエンジンと足回りゆえのパーツ寿命の短さ、ワーキングホリデービザでの滞在には致命的な交通違反、そしてガソリンとオイル、タイヤ。

 もしもここが車の墓場だったとして、そんな心配から一切開放された世界なら悪くないんじゃないかと藤巳が思い始めたのは、ここに来てから出会った女の子たちのせいでもあったのかと思った。

 藤巳が今まで日本やアリゾナで出会った中に、藤巳の車好きを理解してくれる女は一人も居なかった。趣味の範疇として許容してくれる女は居た気がしたが、車好きだけが知る同じ世界を見ることが出来る女を藤巳は知らない。

 ここには、そんな女しか居ない。


 藤巳がブラーゴやコーギーの豊満な体を思い返して微笑んでいたら、岩の向こうから声がした。

「トーミ、そろそろ出る」

 もちろんレベルのことも忘れてない。と思い、藤巳は頭を掻きながら風呂から出た。

 背も低くバストやヒップも身長相応の女の子だけど、その体型はレベルの可愛さを何ら損なうものではない。

「あんな奴置いてけばいいのよ」「えートーミ君の湯上り姿見たーい」

 ブラーゴとコーギーの声。藤巳は今が授業中であることを思い出し、気持ちいい風呂から出た。石鹸も使ってないのに皮膚は滑らかになっている。

 服を置いた岩陰に着た藤巳は、自分がタオルを持って無いことに気付いた。

 濡れたままジーンズとシャツを身につけるか、と考えていたら、岩陰からレベルが顔を出した。

「トーミ、タオル貸してあげる」

 濡れたタオルを差し出したレベル。背を向けたまま礼を言って、まだ子供の匂いがするバスタオルを受け取ると、レベルは藤巳の体を見ながら言う。

「ちゃんと拭かないとダメ。手伝う」

 岩陰から顔と肩を出したレベルが、今にもこっちに来そうなので、藤巳は手早く体を拭いたタオルを返しながら言った。

「ベルも早く服を着ろ、湯冷めして風邪をひく」

 藤巳から受け取ったタオルに顔を押し当てていたレベルは、コクリと頷いて頭を引っ込める。

 シャツを着て下着とジーンズをはいてベルトを締めたところで、今度はコーギーが姿を現す。

 午前中にも見た制服姿だけど、頬を染め髪を濡らした湯上り姿。ポニーテールだった髪は解かれていて、クセっ毛が跳ねている。

「あら残念。もう着てるのね」

 続いてブラーゴがやってくる。同じく湯上りだけど、藤巳には乗っているフェラーリのせいもあって元からホットなイメージのある子なので余り変わらないが、濡れた長い赤毛は藤巳が見とれるほど綺麗だった。

 「早く帰るわよ、帰ったら今日の走行ログを書いて報告しなくちゃいけないんだから」

 藤巳はジャケットに袖を通し、ブラーゴとレベル、コーギーと共に着た道を戻る。

 森の外に停めてあった各々のドラゴンに乗りこみ、帰りもブラーゴの乗るフェラーリの先導で、学園までの道を飛ばした。 

 

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