第19話 モーニングコール
藤巳は夢を見ていた。
夢の中でまで車に乗っていたが、自分が何に乗っているのかわからない。
乗り心地がよくて快適な車だと思ったら、突然の衝撃が藤巳を襲う。
車体全体を震わす振動に、シャフトかエンジンマウントでもイったか?と思い、藤巳は咄嗟にクラッチを切った。
高性能車の重いクラッチに慣れた藤巳だったが、そのクラッチペダルはドカっと何かにぶつかるような奇妙な感触がした。
クラッチを切ったというのに振動は去らない、腹に響く連続的な衝撃は重くなったように感じる。
キーを捻ってエンジンを切ろうと手を伸ばすと、車が声を出した。
「……きて……起きて、トーミ、起きて」
来賓宿舎のベッドで目覚めた藤巳の上にはレベルが乗っていた。
仰向けに寝る藤巳の上に跨って揺さぶっているレベル。藤巳は女にこんなことをされた記憶は無いが、ずっと昔、休日の朝によく父をこうやって起こし、ドライブに行こうと言っていた気がした。
頭を持ち上げて周囲を見渡すと、ベッドの足元でブラーゴが尻もちをついていた。
無表情ながらどこか楽しそうなレベルと違い、憎しみのこもった目で藤巳を見ている。
「…人がぜっかく起こして来てあげたのに、いきなり足蹴にするとはいい度胸じゃない…」
藤巳は片手を上げるだけの仕草で謝罪の意志を伝えた。それから自分に跨っているレベルのわき腹をポンポンと叩く。
「降りてくれ」
レベルは藤巳を見下ろしながら言う。
「起きる?」
「あぁ、起きるよ」
上半身を起こした藤巳に、レベルは両手を出す。下ろしてくれということだと判断した藤巳は、小柄なレベルの体を持ち上げてベッドの脇に下ろす。
レベルはまだ何か言いたげに藤巳を見る。藤巳はレベルの頭をポンと叩いて言った。
「ありがとう、ベル」
微かに笑顔とわかる表情で頷くレベル。続いてブラーゴの蹴りが飛んできた。
「さっさと着替えて顔を洗いなさい!あんたのせいでナビのわたし達まで遅刻したら迷惑なのよ!」
藤巳はブラーゴとレベルが、新入生の藤巳をお姉さまとして指導するナビ役に選ばれたことを思い出す。
「君もありがとう。さっきは済まなかった」
藤巳は掛け布団を剥いだ。その下は素肌に着たローマ貫頭衣風のパジャマ。藤巳はベッドから降りながら、ブラーゴとレベルに言う。
「着替えるから外で待っていてくれ」
藤巳のジーンズとボダンダウンシャツを両肩にかけたレベルが、藤巳のボクサーパンツを両手に持って駆け寄ってくる。
「今、洗濯の魔法をかけた。着替え手伝う。わたし、藤巳のお姉さまだから」
藤巳が自分の服を受け取ろうとしたところ、ブラーゴが割って入ってきた。
「レベルあんた何やってんのよ!こんな汚いもの触っちゃダメ!」
そう言ってレベルの手から藤巳の服をひったくったブラーゴは、藤巳に服を叩きつけて言う。
「五分で着替えてそのシボレードラゴンを外に出しなさい!遅れたら置いてくわよ」
それだけ言って、まだ部屋から出るのを渋るレベルの襟を引っ張り、部屋のドアを開けて外に出るブラーゴ。
とりあえず藤巳は彼女たちを遅刻させぬよう、お姉さまたちの言いつけ通りシボレーのエンジンをかけた。
シボレーを暖気させている間、貫頭衣風のパジャマを脱いでボタンダウンシャツに袖を通す。
レベルは洗濯の魔法をかけたと言っていたが、確かに着たきりの木綿シャツはクリーニングから返ってきたばかりのような感触になっている。
藤巳は不思議と不気味な現象への警戒や不快感は沸かなかった。その魔法とかいうものが車、この世界で言うところのドラゴンに乗る上での様々な面倒事を引き受けてくれるなら、その恩恵はありがたく頂戴しようという気分。夕べ藤巳が思った通り、ここが車の墓場なら、墓守りの自分にだってそれくらいの報酬はあって然るべき。
ボダンダウンシャツを着て下着をはき、ジーンズをはいて分厚い銀のバックルがついたベルトを締めた藤巳は、昨日アンチモニー校長に貰ったキャメルイエローの上着に袖を通す。
それまで着ていた赤いコットンジャケットはシボレーの車内に放り込み、枕元に置かれた水瓶の水で口をすすいだ藤巳は、木製のシャッターを開けてシボレーを外に出した。
焦れたような表情で藤巳を見ていたブラーゴが、田舎のモーテルみたいな来賓宿舎の前に停めたフェラーリに乗りこむ。レベルはポルシェ・カレラRSRの前から藤巳のシボレーのとこまで、いつも通り歩幅は狭いが歩調の早い歩き方で寄ってきて言う。
「わたしたちが先に行く、ついてきて」
藤巳が頷くと、レベルは藤巳の額を指で突つきながら言った。
「理解した?」
「分かったよ、その学校というところまでベルが連れてってくれ」
レベルは自分の額を指でつつく。
「理解した、トーミと一緒に学校に行く」
そのままトトトっとポルシェのとこまで戻るレベル。入れ違いのように一度乗ったフェラーリから降りたブラーゴがやってきた。藤巳に何かを投げつけてくる。
「朝食の時間は無いからね、この残飯でも食べなさい」
藤巳の乗るシボレーの運転席に放り込んできたのはロウ紙の包み。中身はインドのナンみたいなパンに何かを挟んだサンドイッチ。
ブラーゴにも礼を言ったが、彼女はさっさと歩き去りフェラーリに乗り込む。
レベルのポルシェが動き出す。ブラーゴのフェラーリもその後ろをついていく。藤巳のシボレーは最後尾について走り出した。
藤巳は厚い肉の挟まったまだ温かいサンドイッチを片手で齧りながら、あのフェラーリの女も根は悪い奴じゃないのかな、と思った。
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