第13話 ジャケット

 藤巳はシボレーのベンチシートから体を起こした。

 慣れぬ環境による疲れは慣れ親しんだ寝床での二時間少々の仮眠で取れた気がした。藤巳は周囲を見回して、さっきまでの出来事が夢でなかった事を知らされる。

 車ごと中に入るようになっているスイートルーム。校長が来賓室だと言っていた部屋は豪華ながら落ち着かない。目覚めた後もシボレーの運転席に座っていた藤巳は、自分が空腹であることに気付いた。

 ドアを開けてシボレーから出た藤巳が何か食べ物を物色しようとしたところ、玄関のドアがノックされる音がした。 

 シボレーを乗り入れさせた巻上げ式の木戸の隣にある人間用らしきドアを開けると、そこにメイドのトミカが立っていた。

 背後には彼女の車、ここの言葉でいうところのドラゴンだというホンダ・シビックが停まっている。

「お疲れのところ申し訳ありません。校長が貴方を夕食に招待したいとの事でお迎えに伺いました」

 藤巳はこの不可解な世界に来て以来、出会う人たちに対する不信や疑念が拭えなかったが、あの校長に関してはそれを棚上げにしようと思った。

 ランボルギーニをあれほどに扱える女なら信用してもいいのかもしれない、そう思った藤巳は、トミカに礼を言った後シボレーのエンジンをかけ、木製のシャッターを手で開けた。

 学園の敷地内。曲がりくねった道のあちこちに独立家屋の寮が点在する。コテージ式のラブホテルを大きくしたような学生寮区画をシビックについて走る。

 薄暗くなり始めた空、紫に近い不思議な色の夕焼けの中、寮だという石造りの建物には灯りがついている。藤巳が居た来賓室と同じく車を中に入れる構造になっているらしく、どの家も巻き上げ式や両開き式、あるいは上に跳ね上げる大きな入り口を備えていた。

 丸っこく愛嬌のあるシビックの後姿を見ながら、藤巳はついさっきまで居た校長室の前にシボレーを乗りつけた。

 校長のランボルギーニが建物の外に出されアイドリングしている。漆黒のボディは昼間でも迫力があるが、夜の灯りを反射する様はさらに妖しい魅力を放っている。

 藤巳がシボレーを降りると、このオアシスの島では珍しい木造一戸建ての校長室からアンチモニー校長が出てきた。

 昼に着ていた黒いゴシックドレスとは異なる、同じ黒でも光沢のある素材の、少し派手で露出の多いドレスに着替えている。

 手にはハンガーにかかった上着を持っていた。

 厚手の布で作られたブレザースタイルのジャケット。ベージュに近いが黄色味の強いキャメルイエローっぽい色で、肘にはアリゾナの田舎でも古臭いと言われそうな革のエルボーパッチが縫いつけられている。

 ジャケットを持った校長は藤巳のところまで駆け寄ってくる。背は低く体は細く、顔も幼い、洋装の市松人形のような外見はとてもランボルギーニを自在に扱えるようには見えなかった。

「招待に応じていただいて感謝いたします。このジャケットは買ってはみたもののタンスの肥やしになっていたのですが、よろしければ貰っていただけますか?」

 藤巳は自分のジーンズとボタンダウンシャツの上に着た赤いコットンジャケットを摘んだ。これから夕食を共にするという校長の唐突なプレゼントは、多少なりとも見苦しくない格好をしてくれないと困るという意味と解釈して、ジャケットを受け取った。

 袖を通してみると、ツイードに似た生地は厚手で丈夫そうでありながら芯は柔らかく、高校で着せられたペラペラなくせに窮屈なブレザーより着心地は良かった。

 横に行儀良く控えていたトミカが藤巳の姿を見て明るい声を出す。

「まぁとっても素敵です。シボレードラゴンにもよくお似合いですよ」

 自分を褒められてもあまりいい気分のしない性格の藤巳は、シボレーを褒められると少し気分がよくなる、シボレーに乗る自分を褒められると、とてもご機嫌になることに気付かされた。校長にジャケット姿を見せるように体を向ける。

「ありがとう。これ、借りるよ」

「あなたに差し上げた物です。末永く大事になさってください」

 校長はメイドのトミカに声をかける。

「ここまでの案内ご苦労様でした。本日の時間外勤務分については余分につけておきましょう。では明日の授業でお会いしましょう」

 トミカは校長に深く一礼し、藤巳にも頭を下げる。顔を上げたトミカは藤巳に少し色気を感じさせる視線を向けた後、シビックで走り去った。

 「それでは夕食に行くことにしましょう。市街地区のグリルを予約しています」

 校長はそれだけ言うとランボルギーニ・カウンタックに乗り込む。

 ついさっきの体験で、この校長は常に後続車を振り切らんばかりの勢いで走ることを知っていた藤巳は、慌ててシボレーに乗り込みシートベルトを両肩にかける。

 新しいジャケットを着た藤巳はシボレーのステアリングを握り、ギアを一速に入れるべくシフトレバーに手を落とした。

 運転のしやすい服だと思った。

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