第12話 カウンタック
藤巳はアンチモニー校長に促され、カウンタックのポップアップ・ドアを開けた。
ここに来る前に働いていたアリゾナの博物館でもメンテナンスや実走を行い、実家の外車輸入屋でも商品として扱っていたので乗り方ぐらいはわかった。
分厚いサイドシルを跨ぎ、低いバケットシートに尻を落とす。真上に跳ね上げられたドアは開けたまま。
アンチモニー校長はスカートの短いゴシックドレス姿で運転席に滑り込んでくる。
イタリアでは女性がこの車に乗る時には手を貸すのがマナーと言われているそうだが、オーナーであるアンチモニーは慣れた仕草で、、一度サイドシルに腰掛けた後、そのまま尻をすらして運転席に納まる。
校長はステアリングとペダルの位置を確かめた後、キーを差し込んでエンジンを始動する。藤巳とアンチモニー校長の背中で、V12のエンジンが始動した。
校長は何度か軽くアクセルを踏み、エンジン音を確かめている。
藤身はこの室内からランボルギーニをどう出すか興味があったが、校長が聞いたことのない発音と言語で何かを唱えると、ランボルギーニ背後の書棚が横に動き始める。
それまで排気ガスを噴きつけられていた蔵書は、藤巳が書店で見かけても自動車雑誌のコーナーに行く前に素通りするような場所に置いてある立派な装丁の全集。たぶんさほど大事にしていない、家具のようなものなんだろうと思った。
ランボルギーニ背後の書棚がスライドして出来上がった大きな開口部。校長は運転席からサイドシルに座りなおし、アクセルを吹かしながらランボルギーニをバックさせる。
ルームミラーでの後方確認がほとんど出来ないランボルギーニを、体を半ば外に乗り出しながらバックさせて建物の外に出した校長は、運転席に座り直して体を伸ばし。ドアを閉めた。
「シートベルトをご着用ください」
一連の仕草に少し見とれていた藤巳はベルトを両肩に通し、腹の前でバックルを締める。校長もベルトを締め、ギアを左後ろのローに入れた。そのまま外の広いスペースでランボルギーニを転回させる。
「では行きます」
校長はその言葉と共にほぼ暖気無しでアクセルを吹かし、クラッチを繋いでランボルギーニ・カウンタックを急発進させた。
ランボルギーニはさほど高くない丘の頂近くにある校長室から、曲がりくねった下り坂を、タイヤを滑らせながら降りていく。
校長は発進と同時に口を開き始めた。
「このポケール・ドラゴンスクールは五つの区画に分かれています、まずは本校舎区画から」
校長室から丘の稜線を回った裏手あたりにある建物。校舎といっても石造りの平屋で、役所か何かのように見える。広い前庭があった。
ブラーゴとレベルの話によれば今は終業前のホームルーム中。前庭には何十台もの車が整然と並んでいる。
「それから当校の学生が生活している学生寮地区」
丘から降りた裾野にある、迷路のように曲がりくねった道が縦横に伸びた一角。あちこちに一軒家のような感じの家があるが、どれも平屋で二階建ての家がほぼ無い。
「それから市街地区。ここには転移魔法の設備があって、各国から来た方々が学生や職員のための商業活動を行っています」
さっきの学生寮地区と違い、碁盤の目に近い整然とした道路。街のようなものが出来ていて人々が行き交っている。ランボルギーニで駆け抜けると歩行者や店先の人間が手を振っている。
そして実習区画。生徒たちによるドラゴンドライブの授業が行われます」
教習所のような感じで囲いの中に色んなコースが作られていた。車は見えない。体育館ほどもある広い建物もある。
「そして公園区画。休日にはここで散策をしたりピクニックをしたりします」
鬱蒼とした木々の中を通る道路だった。時々芝生の広場のようなものを見かける。どこまで白い平面があるだけの塩湖を走ってたらこんな緑も心の癒しになるんだろうかと藤巳は思った。一つ確かなのは自分には無縁な場所だということ。
校長室や本校舎のある中心部と、それを囲む四つの区画を案内するランボルギーニでのドライブは数分で終わった。ランボルギーニが校長室前に戻るまで、一言も発することなく助手席に座っていた藤巳は額の汗を拭った。
ディズニーランドくらいの広さはあるが、道の狭さもあって走ると小さいオアシスの島。ずっとアクセルを踏みっぱなしの校長はあちこちでタイヤを滑らせ、今にもぶつかりそうな勢いだった。
藤巳はブラーゴやレベルがアンチモニー校長を恐れる理由が少しわかった。この校長と彼女の乗るランボルギーニに塩湖で会いたくないと思った。
自分の乗っているシボレーC-10は大概の高性能車に負けることは無いと思っていたが、狂った車には勝てない。
まだドキドキの収まらな藤巳が、おぼつかない足元でやっとランボルギーニから降りると、校長は運転席に座ったまま言う。
「トーミさんに入寮していただく学生寮の準備は翌日になります。今夜は学園の来賓室にお泊りください。これからご案内します」
藤巳は校長室前に停めていた自分のシボレーに乗り込む。慣れ親しんだ運転席。ここに座るとさっきまでの弱気が幾らか記憶から消え、あのランボルギーニにだって負けないという気分になってくる。始動したV8エンジンの音が根拠の無い勇気を与えてくる。
あのランボルギーニがどれくらい速いか知らないが、狭い学園敷地内ならシボレーでも遅れを取ることは無いだろう。
藤巳がシボレーに乗り、エンジンをかけてベルトを締めたのを見て、さっさと先行しようとするランボルギーニ。せいぜい後ろから煽ってやろうと思った。
藤巳は走り出してすぐ、自分の目論見が間違っていたことに気付く。彼が以前の職場や実家で知っているランボルギーニは宣伝文句ほどの最高速など出ない見掛け倒しの車だった。
ただ、コーナリング性能に関してはフォーミュラ・レーシングカー並みだということを思い出した。
藤巳はシボレーのアクセルを思い切り踏み込み、車体が横向きになるほどのドリフトをしてやっとついていったランボルギーニの案内で、学生寮区画の端にある来賓室に案内された。
アメリカ郊外のモーテルを思わせる来賓室前にシボレーを停める。校長は鍵だけ渡してさっさランボルギーニで走り去った。
部屋の鍵を玄関の鍵穴に差し込むと、玄関横のシャッター状の木戸が大きく開く。さっきまで居た校長室みたいに車ごと中に入る構造らしい。シボレーで乗り入れると中は豪華で貴族趣味的なスイートルーム。
シボレーを停めたリビング状の部屋とは別に設けられたベッドルームは綺麗にベッドメイクされ、寝巻きらしき物まで置かれている。
部屋の中を見回した藤巳は、シボレーのドアを開け、ベンチシートに横になった。
これが夢なら目が醒めた時にはアリゾナに帰っているに違いない。ならば自分のシェビーから離れたくない。
そう思いながら目を閉じると、すぐに睡魔がやってきた。
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