第11話 ナビ

 藤巳はアンチモニー校長の許しを待たず、目の前に置かれた茶菓子に手を出した。

 ブラーゴは校長の「どうぞ」の声に頷いてお茶のカップを手に取り、レベルは待ちかねたように菓子に手を伸ばす。

 お茶には砂糖を入れないと飲めない藤巳にもそのままで飲める甜茶のようなお茶と、焼き菓子だけどキツネ色というより純白に近い塊。

 こっちはお世辞にも美味とはいえず、藤巳が以前興味半分で食べた救難食料の味を思い出させた。

 アリゾナの博物館を出て以来数時間何も口にしていないことを思い出した藤巳は、一杯のお茶と菓子で幾らか落ち着きを取り戻した。カップを置き、椅子から腰を浮かして校長を見据える。

「記憶喪失。身元不明。俺をそういう事にするのか?」

 アンチモニーはお茶の香りを楽しむようにカップを両手で包みながら微笑み、返答する

「それが最善でしょう。あなたの事をあまり多くの人に知られると、あなたに、そしてわたし達にとっても望まない混乱を呼ぶことになります」

 言いくるめられたような気分になった藤巳は椅子に座り直す。さして美味くない菓子を手に取ってムシャムシャと食べた。

 自分が何かしらの保護が必要な立場であることは自覚しているし、だからこそ入学書類なるものにサインした。わけのわからぬ物に流されるのはやむをえないんだろう。

 藤巳の諦念を察したらしき校長は、後ろの席で遠慮がちに茶菓子を摘むブラーゴと、もう食べつくしてしまったレベルにも声をかける。

「そういう事です。くれぐれもこの件は内密にお願いいたします」

 ブラーゴとレベルは緊張した面持ちで頷く。校長はそれでこの話は終わりといった感じで、机の引き出しから帳面を取り出し、めくりながら話し始める。

「トーミさんにはこれから入学の諸手続きをしていただきます。さしあたっては貴女方を彼が学生生活を送るナビとして任命します」

 それまで校長を前に萎縮気味だったブラーゴがガタっと椅子から立ち上がる

「なんで私がコイツのナビを?こんな奴を妹とか無理です!」

 またしても出てきた、藤巳が聞いたことはあるが意味は異なるらしい単語。藤巳は校長に聞いた。

「ナビって何だ?」

 校長は帳面を開き、藤巳に見せながら疑問に答えてくれた。

「ナビというのは当校に設けられた制度です。途中編入や留学、聴講入学などで学内に不案内な新入生徒を、先輩生徒が姉となって教導します」

 藤巳は立派な革装の帳面を受け取り、文字を追ってみた。相変わらず知らない文字なのに読める。ビッシリと書かれた校則らしき文面。藤巳はデスクのペン立てから勝手にペンを一本取り、ナビのところに印を書き込む。

 校長は藤巳のナビになることを拒絶したブラーゴに、噛んで含めるように言い聞かせる。

「お気持ちは分かりますが、どうか彼に力を貸して頂けますか?ブラーゴさんあなたはドラゴンドライブの成績は極めて優秀ですが、学科の成績にムラがありますね、もし彼のナビを引き受けてくれたら、そちらの単位について善処いたしましょう」

 ブラーゴは痛いところを突かれたらしく絶句する。その横で黙って話を聞いてきたレベルが立ち上がった。

「理解できない」

 意外な発言だと思ったのか、校長は少し首を傾げつつ話の続きを促す。レベルは白い肌を少し紅潮させながら話し始めた。

「トーミとわたしは出会った。わたしはトーミを理解した。トーミはわたしをベルと呼ぶ。わたしはトーミをトーミと呼ぶ。ナカヨシになった。わたしはレベルお姉さまじゃない。トーミは妹じゃない。対等なナカヨシ」

 長く喋ることに慣れていないらしきレベルは、少し息を切らしながら校長に訴えた。

 校長は今までの油断ならない微笑みとは違う、好奇心をそそられたような顔をしつつレベルを諭した。

「もちろんナビを務めてもらうのは学内で、何かわからない事があった時のみ。放課後や休日はその限りではありません。私はあなたがたがナビ、あるいは先輩後輩である以前に良き友人であることを望んでいます」

 レベルはまたしても歩幅は狭いが歩調の早い独特の歩き方で藤巳の横に寄って来た。椅子に座った藤巳と同じくらいの目線の高さ。不安そうな顔で藤巳を見る。

「トーミは、ナビになっても、わたしとナカヨシ?」

 藤巳はレベルの頭をポンと叩いて言う

「もちろんだ。君のようなポルシェ乗りと仲良くなれて嬉しい」

 それまで表情に乏しく、特に笑顔らしきものを見せなかったレベルは初めて藤巳の前で笑った。

「うん、よろしく、トーミ」

 藤巳は椅子から立ち上がり、二人のやりとりを眉間にシワを寄せながら見ていたブラーゴに向き直る。

「よろしく頼む。素晴らしいフェラーリ乗りの君にはこの学校の事、ドラゴンの事を色々と教えて欲しい」

 フンと鼻を鳴らしたブラーゴは、藤巳の顔を見ることなく手を差し出した。藤巳も手を出してブラーゴの手を握る。女にしては大きい手で握力も強い。ブラーゴは藤巳の手を握りつぶさんばかりに力をこめながら言った。

「ブラーゴさんって呼ばせたいとこだけどブラーゴでいいわ。ブラーゴお姉さまなんて呼んだらブっ飛ばすわよ」

 アンチモニー校長は立ち上がり、パンパンと手を叩いた。

「それではブラーゴさん、レベルさん、そろそろ終業のホームルームが始まります。トーミさん、今から皆さんに紹介では慌しくなるので、それはとりあえず明日ということで」

 ブラーゴとレベルは校長に挨拶した後、一軒家の校長室を出て表のフェラーリとポルシェに乗り込んだ。

 藤巳は目の前の校長に、さっきから言いたかった事を伝えるべく、校長室の隅に置かれた漆黒の車を指差した。

「これ、乗せてくれるって約束だったろ?」

 校長は立ち上がり、デスクに置かれた鍵やメモ帳らしき物をゴシックドレスのポケットに入れ、いそいそとお出かけの準備らしきものを始めている。

「もちろんです。これからトーミさんにこの学園のあるオアシスをご案内いたします」

 ランボルギーニ・カウンタック。藤巳はこの車に乗せてもらうために半ば言いなりになっていた。

  

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