第10話 メイドのトミカ
白い初期型シビックは藤巳たちが居る木造平屋の前で停まった。
実家が輸入車屋でアメリカに渡ってからの職場も高級高性能車の博物館だったこともあって、日本車に乗る機会がほとんど無かった藤巳も、ホンダが発売した車重一トンに満たぬ小型の前輪駆動車で、低燃費で乗りやすく、室内快適性も良好な実用車だという事は知っている。
中から出てきたドライバーは藤巳の目には少々奇異な物に映った。
ダークカラーのワンピースドレスに白いエプロンとヘッドドレス、メイドと呼ばれる格好。
藤巳が居たアリゾナではメイドといえばホテルのネームが入った機能的な作業着上下だったが、アメリカに来てすぐ滞在した英国風と称する中級ホテルでこんなメイドを見かけた。
髪は黒く長く、顔立ちも藤巳と同じ東洋を思わせる。長い髪とドライヴィングには少々不向きなロングスカートを翻してシビックから出たメイドは、後ろに回ってハッチバックのテールゲートを開け、日本の出前で見かけるオカモチを装飾過剰にしたような、手持ちのボックスを二つ取り出す。
二つの手提げ箱を持ったメイドは引き戸の玄関に回り、箱を一度下に置いてからノックする。校長が「どうぞ」と言うと引き戸を開け、岡持ちを持って室内に入り、もう一度岡持ちを置いて戸を閉めた後に一礼する。
箱を持ったままノックしたり片手で戸を開けながらもう片方の手で箱を持ち上げようとしたりしない、几帳面な仕草ながら無駄の無い動き。
校長室に入ってきたシビックのメイドは声を出した。
「お茶をお持ちしました」
外見も仕草も少し硬めのイメージながら声は明るい。涼しげな目が与える冷たい印象を和らげるに足る陽気な雰囲気のメイド。
「ご苦労様ですトミカさん。いきなり四人分に変更して大変だったでしょう」
校長の言葉に微笑んで首を振ったメイドは、岡持ち状のボックスを開けてティーポットとカップを取り出す。
まず校長に、それから校長の向かいに座っている藤巳の前に、それから部屋の隅にある丸テーブルを挟んで座るブラーゴとレベルの前にカップを置き、ポットからお茶を淹れる。
飛沫を立てることなく空気を含ませて淹れられたお茶のいい香りが漂う。トミカというメイドはお茶の横に茶菓子の小皿を置き、一礼して下がる。
ブラーゴやレベルとは顔見知りらしく、ブラーゴは藤巳に見せた険悪な態度よりだいぶ柔らかい雰囲気で話しかけている。
「いつもありがとうトミカ、シビックドラゴンの調子はどう?」
メイドのトミカは恥じらうような微笑みと共に返答する。
「おかげさまでよく走りよく働いてくれます。ブラーゴさんのフェラーリほどではないですけど」
ブラーゴは少し頬を膨らまして返事する。
「またブラーゴさんって言ったー、まだブラーゴとは呼んでくれないんだ」
お茶より横に添えられた茶菓子を見ていたレベルもトミカに話しかける。
「あなたはまだダイキャストの森に走りに来ない。残念」
トミカを首を振って返答した
「皆さんのように速く走れるドラゴンではないですから」
銀の盆を持って困ったように笑うトミカ。藤巳はポケットからステンレス製のクリップを取り出した。
クリップに挟まっていたのは分厚い1ドル札の束。三枚ほど取り出した藤巳は、トミカに渡した。
「これ少しだけど、良かったら受け取って欲しい」
藤巳がアメリカに渡る前、チップは払う機会をケチるな。払う額は渋れ、という言葉と共に父親がくれたマネークリップ。
チップの習慣の無い日本では何の役にも立たないが、アメリカでは財布とは別にチップ用のドル札は欠かせない。
都市部では多いホールドアップと言われる拳銃強盗に出くわした時も、マネークリップに挟まった紙幣を渡せば、犯罪に要する時間とリスクを天秤にかけ、クレジットカード等が入った財布を取らず百ドル少々の札だけを持って立ち去ってくれる事が多いらしい。
藤巳が渡したドル札を手に取り、ジョージ・ワシントンと合衆国国章が印刷された図案を眺めていたトミカは、藤巳に向き直り頭を下げた。
日本のお辞儀と旧いクリスチャンの礼が交じり合ったような仕草。
「こんな素敵なイラストカードを頂けるなんてありがとうございます」
世界中で通用しない場所は無いと言われるUSドルが使えない。藤巳はいよいよ自分が自らの知らぬ世界に来てしまった事を知らされる。
それまでこの学園では外部の来客くらいでしか見かけない男子を、礼儀として見ないフリをしていたらしきトミカが、好奇心に負けたらしく藤巳に話しかけてくる。
「あの、外の黄色いドラゴンはあなたのドラゴンですか?もしかして、その、男のドラゴンドライバーですか?」
藤巳の替わりに問いに答えたのは、それまでお茶の香りを楽しんでいたアンチモニー校長。
「この方は当学園に入学していただくトーミさんです。ご覧の通り男性のドラゴンドライバーですが、不幸にして出自やドラゴンに関する記憶を失い、先ほどこちらのブラーゴさんとレベルさんに保護されました」
藤巳は今になってやっと、アンチモニー校長がブラーゴとレベルの退去を許さず部屋に留め置いている理由が理解できた。
この校長はブラーゴとレベル、そして藤巳をとんでもないホラ話に巻き込もうとしていた。
「まぁそれはお気の毒です。何かわたしにご助力できることがあったらいつでもおっしゃってください」
トミカはデスクの上に置かれた藤巳の手を両手で包み、藤巳の顔を見つめてくる。今まで人とは車ほど積極的に係わっていなかった藤巳は少し気圧されながら言った。
「ありがとう。俺からも手伝える事があったら是非力にならせてもらうよ」
丁重な礼を言ったトミカは深く一礼し、オカモチみたいな箱を両手に下げてシビックで走り去った。
藤巳はさっきまでの鉄面皮的な微笑みとは違う、どちらかというと悪戯っ子のような笑顔を浮かべるアンチモニー校長と正対した。
どうやら一つどころじゃない。随分多くのことを聞き出し、確認しなくてはいけないらしい。
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