第14話 紫のワイン

 藤巳はアンチモニー校長のランボルギーニの後をシボレーC-10トラックでついていった。

 昼に藤巳を助手席に乗せ、学園敷地を案内してくれた時には、狭く曲がりくねった道をランボルギーニの極太タイヤを鳴らしながら激しく走り回った校長。

 今度も藤巳を振り切らんばかりのスピードを出すと思い、それなりに気負っていたが、校長は拍子抜けするほどゆっくりと、丘の頂上近くの校長室から伸びるワインディングの坂を降りていく。

 一応は藤巳を先導しているという意識を持って貰っているのか、それとも藤巳のシボレーがナメられているのか。

 それならば、と思い、藤巳はシボレーのアクセルを踏み込んで車間を詰めた。

 カウンタックは走る後姿にいささかの動揺も見られない。思い切って追い抜いてやろうか、と藤巳が思った途端、カウンタックのエンジン音が一段高くなるのが聞こえた。

 ギアを落としたらしきカウンタックが加速していき、次のカーブでもう軽くタイヤを鳴らしながら藤巳の視界から姿を消そうとする。

 藤巳は慌ててシボレーのアクセルを踏み、カウンタックの倍ほどの騒がしい音をたてながら後を追う。

 ガソリンはついさっき不可解な現象によって満タンになっていることを確認した。それならばこのタイヤはどうなんだろうと思っているうちに、カウンタックとシボレーは市街地区に着いた。

 藤巳が最初にここに来た時に抱いた印象は、見た目も大きさもロスのディズニーランドみたいだという感想だったが。それならばここは土産物屋の集まるメインストリートだろうか、と思った。

 四車線分はありそうな中央道路の左右に店が広がっている。その道を四百mほど走った先は野球場ほどもありそうな花壇になっていて、そこを周回する道路に取り囲まれている。

 花壇の先は外の塩湖と学園のある緑地を隔てる塀になっていて、藤巳が入ってきた反対側の門より狭いながら立派な装飾が施された入り口。

 きっと藤巳がブラーゴやレベルについて入った門は学生が利用する正門で、こっちは外部の客が利用する門なのかと思った。

 校長はわざわざ花壇の周りを一周した後、左右に並ぶ店のうちの一つに車を乗り入れる。

 

 屋根とテーブルだけのオープンスタイルのレストランで。あちこちに焚かれた篝火がテーブルを温かみのある光で照らしていた。

 普通の店と異なるのは、サッカーコートほどの広い店内はテーブルの横に車を乗り付けるスタイルだということ。

 藤巳が働いていたアリゾナも車が欠かせない場所で、車ごと入る映画館やファーストフードショップはあったが、こんな店は見たこと無い。

 客の入りは八分目ほどで、充分に周囲のスペースを開けて設置されたテーブルの横には、各国の様々な種類の車が停まっている。

 ランボルギーニがレストランの敷地に入ると、アーリーアメリカンスタイルのエプロンドレスを着た女性従業員が滑るように寄ってきた。走るには広すぎる店内をローラースケートのようなものを履いている。

 スケートを履いたウェイトレスは校長のランボルギーニと藤巳のシボレーを店の奥へと誘導した。

 指示通りシボレーを停めた藤巳はドアを開けて車から降りる。ランボルギーニの降りにくいシートから車外に出ようとする校長に手を貸そうとしたが、校長は慣れた様子でサイドシル上で尻を滑らせ、ゴシックドレスのスカートを乱れさせることなく降りる。

 藤巳が知っている電光式の誘導棒に似ているが、電気にしては不自然な発光をする棒を持って駐車誘導をしてくれたたウェイトレスにチップを渡そうとしたが、ついさっきこの世界ではドル札が使えないことを思い出した。

 ジーンズのコインポケットに何枚か残ってたニッケルの25セントコインでも渡したら物珍しさで喜んでくれるかな、と思っていたら、ウェイトレスは校長からポーカーのプラスティック製チップのようなカラフルなコインを受け取り、スケートで滑って行った。

 なんだか自分が余所者だということを思い知らされつつ藤巳は席につく。校長がブレザースタイルのジャケットを着せてくれたことを感謝した。

 ウェイターが椅子を引いてくれるほど高級な店ではないらしいが、周囲の客はそれなりに着飾っている。なぜか男性の姿を殆ど見かけず、逆に女性客の好奇の目が自分に注がれているのを感じる。

 校長が向かいの椅子に着席しようとしているので、藤巳は一度立ち上がり校長のために椅子を引いてあげた。チップを替わりに払ってくれた礼の積もりだったが、つまらない事を色々と教えてくれた父親には感謝した。

 校長は礼を言って席に座ったので、藤巳もテーブルを回って自分の椅子に座る。

 テーブルは無垢の木材らしいが、ほとんど純白に近い木で出来た丸テーブルで、クロスのかかっていない光沢のある素材は店内の篝火に映える。それから藤巳は顔を上げ、もう一つの効果に気付いた。

 向かいに座る校長の顔。この白いテーブルはカメラ撮影に使うレフ板みたいに、女の顔を綺麗に見せる効果がある。

 昼間に校長室で会った時は、不気味な外見の抜け目無い女といった印象の校長だったが、薄暗い店で向かい合って座ると、切りそろえた黒髪と白い肌、吸い込まれそうな大きな瞳。

 藤巳が目の前に座り、微笑むアンチモニー校長をミステリアスな美少女に見えなくもないと思ったのは、背後に停まっているランボルギーニの効果もあるんだろうと思った。

 さほど待つこともなく、さっき案内してくれたスケート履きのウェイトレスが、赤いチェックのエプロンドレスを翻しながらテーブルにやってきた。

 クルっと回ったウェイトレスは片手の指に挟んだ二つのグラスを藤巳と校長の前に置き、もう片方の手に持ったワインを胸ポケットから出したソムリエナイフのコルク抜きで開け、二つのグラスに注ぐ。

 藤巳が親や博物館の館長に連れられて行った高級と呼ばれる店のマナーとは異なるが、軽妙でリズミカルな仕草。赤というより紫っぽい色のワインを注いだウェイトレスはボトルをテーブルに置き、また忙しげに去っていった。

 校長がグラスを差し上げるので、藤巳も持ち上げると校長はグラスを軽く当ててきた。この風習は変わらないらしい。

「コースは私のおすすめでよろしいですか?」

「お任せします」

 藤巳はワインを飲み干した。

 浦島太郎や邯鄲の夢。この世ならざる世界に迷い込み、美酒美食に溺れ帰れなくなる話は世界中にあるらしいが。

 藤巳は自分が酒好きでなくて良かったと思った。

 口中に広がる葡萄畑に迷い込んだような味は、まだ目の前のランボルギーニほど魅力的では無い。

 あるいは、ワイン一杯で早々に頬が赤くなり始めたアンチモニー校長ほどではない。

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