第8話 入学

 藤巳はここに来るまで、自分の置かれた状況を別の州か誰かの私有地に迷い込んだものだと思い込んでいた。

 どこまでも広がる塩湖も、高性能スポーツカーを乗りこなす少女も今まで見たことが無いわけではない。

 そんな彼の強引な思い込みを揺るがしたのは、校長と名乗る幼い外見の女アンチモニーが見せた文字。これが読めますか?今まで藤巳が見たことも無い文字なのに読める。読み解くことが出来るというより、目で文字を追うに従って脳内に英語でも日本語でもない言葉の意味が入ってくる。

 藤巳はアンチモニー校長とデスク越しに向き合って座っていた椅子から立ち上がった。

「夢だ」

 アンチモニーは席についたまま、デスクの上で藤巳が知らない奇妙なペンを弄びながら言う。

「どちらに行かれるのですか?」

 藤巳はデスク前に立ち、アンチモニーを見下ろす格好で言った。

「これは夢だ、俺は夢を見ているか、ドラッグか何かで幻覚を見せられている。ここに居ては夢は醒めない」

 それだけ言って出入り口を振り返り、部屋を出ようとしたところで、さっきから席すら勧められず藤巳の後ろに立ちっぱなしだったブラーゴが目の前に立ちふさがる。

「あんた逃げる積もり?」

 藤巳は黙ってブラーゴの肩を横に突き飛ばす。藤巳と同じくらいの背のブラーゴはつんのめりながらも踏みとどまり、藤巳の腕を掴んだ。

「このポケール・ドラゴンスクールの管区で校長に無許可でドラゴンを走らせることが出来ると思ってるの?」

 話してるのは藤巳と同じ言語。それでも藤巳には何を言っているのかわからなかった。苛立ち始めた頭は理解を拒んでいた。

 腕を振りほどこうとしたところ、レベルが小走りに歩み寄ってきて藤巳のコットンジャケットを掴む。

「わたしはあなたの名を理解した。あなたはわたしの名を理解した。わたしたちが理解すべきことはまだたくさんある」

 無機質な口調なのに、声からは悲痛な感情が感じ取れる。ブラーゴとレベル、二人は藤巳をしっかり捕まえている。

「お離しなさい」

 藤巳の後ろから聞こえてきたのはアンチモニーの静かな声。

「でも校長」

「理解できない」

 ブラーゴとレベルは藤巳を掴む手の力を緩める様子は無い。

「お離しなさい」

 二度目。藤巳には同じような言い方に聞こえたが、なぜかブラーゴとレベルは怯えたように手を引っ込める。

 藤巳はこの校長と名乗る女に退去の挨拶くらいしようと思ったが、お茶の一杯も出ていないことに気付いて黙って部屋を出た。

 横目でランボルギーニをチラっと見る。これに乗せてもらえなかったのは心残りだけど、今は一刻も早くこの部屋を出て、この場を立ち去りたかった。

 藤巳が感じていたのは、わけのわからぬことを言う女達への怒りではなく、自分でも何が起きているのかわからない事態への恐れだった。

 木造の家屋を出て、外の敷地に停めてあったシボレーに歩み寄る。ガソリンの残量が心配だったが、スタンドの場所は誰か別の人間に聞けばいい。

 シボレーのエンジンを始動し、さっきまで聞いていた女の声より慣れ親しんだV8OHVエンジンの音と振動を感じて幾らか安心した藤巳は、メーターパネル内の燃料計に目をやった。

 針は満タンの位置を示している。今までの走行距離から察するに燃費の悪いシボレーのガソリンは三分の一程度しか残っていないはずだが、計器等の電装故障はよくある事、メーターを軽く拳で叩いた。

 目視確認したほうが確実だと思った藤巳は、一度シボレーの外に出て運転席ドアのすぐ後ろにある燃料キャップを開けた。 

 給油口から燃料タンクまで長いパイプで繋がっている普通のセダンタイプの車と違って、シボレートラックは給油口のすぐ下が燃料タンクだから中を覗きこんだだけで大体の残量確認が出来る。

 藤巳は給油キャップを片手に燃料口に顔を近づける。ハイオクでも100オクタン程度の日本と違ってアメリカでは一部のスタンドで売られている120オクタン級のガソリンの匂いがする。

 しばらくその格好のままで居た藤巳の後ろに、いつのまにか家を出たアンチモニー校長が居た。

 黒くスカートが短めなゴシックドレスに白い肌と黒い髪。茶汲み人形みたいな外見の女は太陽の下で見ると余計に人ならざる者の雰囲気を感じさせる。

「先ほどわたくしが申し上げた事を少しでも信じていただけましたか」

 藤巳はほぼ満タンの位置で全く減っていないガソリンを見ながら答えた。

「手の込んだ真似をしやがって、このペテン女が」

 誰かが藤巳の目を盗んでガソリンを給油したのかもしれない。藤巳は自分が車のことをドラゴンと呼ぶ別世界に迷い込んだなんて到底信じられなかたが、校長と話している間も窓越しに目を離さなかったシボレーが満タンになっているのを見て察した。    

 自分とシボレーは誰かの掌の上に乗っていて、とりあえず現状、ここから逃れられない。

「あなたがこの世界をどう認識しているにせよ、何らかの保護を受ける必要性があることはわかっていただけたかと思います」

 藤巳は振り返り、アンチモニー校長と向き直って言った。

「もう少し話を聞こう」

 家の戸口から二人並んで顔だけ出して様子を窺っていたブラーゴとレベルが安堵の表情を浮かべるのが見えた。

 再び家の前に戻り、先ほどと同じ席に座ったアンチモニーと藤巳。アンチモニー校長はデスクから幾つかの紙を出して藤巳の前に置いた。

「トーミさん、あなたが必要な保護と扶助を受ける最善の方法は、我がポケール・ドラゴンスクールに入学していただく事です」

 一方的な口調。やっぱり未知の文字なのに読める文面。どうやら契約書らしき書類。これでも一応サイン一つで生死を分けるアメリカで働いている藤巳は、差し出されたペンを手に取る前にアンチモニーに言った。

「これに乗せてくれるなら」

 アンチモニーは藤巳が指した自室内のランボルギーニ・カウンタックを見て、それから藤巳を見てから、今まで見せなかった笑顔を浮かべながら言う。

「ええ、喜んで」

 後ろからブラーゴの声。

「ウソでしょ?校長がランボルギーニに人を乗せるなんて」

「理解できない。我が国の皇子も断られた」

 藤巳は書類の文面をろくに見ることなくサイン欄にペンを走らせた。ペン先は自然と未知の象形文字を描き、それが自分の名を書いているという事がなぜか理解できた。

 藤巳がデスクの上を滑らせて書類とペンを返すと、受け取って記載を確かめた校長は立ち上がって藤巳に握手の手を差し出した。

「ようこそ、ポケール・ドラゴンスクールへ」

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