カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(25)

 あの祭りの夜。東京の住宅地であのライオンを見た時は、美しい獣だと思った。

 俺が動画で知っているライオンよりもずっと雄大で、四肢は猫科動物の筋肉が最も発達した形をしている。ファンタジー小説の挿絵で見たグリフォンに似ている気がした。

 全身を覆う体毛は日中には太陽の光を受けて金色に輝き、今夜のような月夜には白銀の光を纏う。

 赤みがかったタテガミに覆われた、好男子にも美女にも見える顔立ち。夜闇に輝く紫色の瞳で見つめられると、魔法でもかけられたように、その場から動けなくなる。


 もしも、この獣が綺麗なまま生きていく糧となるなら、人生の意味や目的など何もない俺の体など食われてもいいとさえ思った。

 そして今、俺は空を飛ぶようにこちらに向かってくるライオンから必死で逃げている。少女が俺に言った言葉通り、俺を食おうとするライオンを確実に撃ち殺してくれることを願った。

 実際に食われ、殺される身になってみると、そんな綺麗事なんて言ってられない。あの野生動物がどういう事情を抱えていて、いかに飢えていようと俺の知ったことではない。生きる目的など無いと言ってもそれは長期的な話であって、来週のアニメとか短期的な願望は幾らでも残っている。

 例えば、あの少女とこれからどうするか、とか。


 俺は非力な人の足で何とか逃げようとしたが、まるで何かに追いかけられる夢を見た時みたいに、足が言うことを聞かずうまく走れない。こちらに向かってくるライオンの動きがスローモーションのように見えるのは、それだけ俺の生命が危機に瀕していることだろう。

 もう少し危険度が上がり、いよいよ死へのカウントダウンが迫ったなら、今までの人生の走馬灯なんてものが見えるんだろうが、どうせ見せられるのは、思い出したくもない事ばかり。

 ライオンの背後で散弾銃を構えた少女はまだ撃たない。このライオンが銃撃からの退避能力に優れていて、動いている状態では当てることが出来ないのは、俺の肩に傷を残した今までの遭遇で知らされた。この綺麗な体毛が防弾繊維のように強靭で、散弾銃のスラッグ弾で撃っても急所を外されれば殺せないことも知っている。


 もっと強力な銃弾で遠方から撃ったらどうなのかと思ったが、少女が山小屋の壁に飾られた五〇口径の狙撃銃ではなく、散弾銃とナイフを持ってきたのがその答えなんだろう。

 俺にとって未知なのは、このライオンが捕食を行っている時なら射殺が可能だという少女の言葉。どれだけ当てになるかもわからない推測は、これから俺の身を以って実証するしか無いらしい。

 ライオンの爪が俺に触れる。最初の一撃で殺されたらそれで終わり。でも俺には抗う力など無い。

 あと一歩。あと数メートルだけ逃げられる。そこで俺の命は狩られるんだろう。死への覚悟など無い。さほど生きたいとは思わないが、死ぬのが辛く痛いなら死にたくなんてない。俺はその一歩を出来るだけ長引かせるべく前に飛んだ。


 俺の数倍の跳力でライオンが追いついてきた。口を開けて俺の体に牙を立てようとしている。野生動物や軍用犬がそうするように首筋を狙うのではなく、まるでこのライオンが俺の捕食という儀式を厳かに行おうとしているかのように、心臓に食らいついてくる。

 ライオンの口が発する、獣臭さというよりムスクのような香りと共に、牙が胸に刺さる。マウンテンパーカーとウールシャツを容易に貫き、何の抵抗もなく皮膚を切り裂くのがわかった。 

 二連発の重い銃声が聞こえた。次の瞬間、俺の心臓まであと数ミリの位置に牙を立てていたライオンが、真横に吹っ飛んだ。

 

 胸に広がる血の感触。少女が散弾銃を中折れさせ、空薬莢を弾き出すのが見える。少女は上下二連銃身の散弾銃に、口にくわえていた二発のスラッグ散弾を再装填している。少女は空薬莢が地面に落ちる前に散弾銃を閉じ、次弾の発射準備を終えた。

 次の瞬間、少女が凄い勢いでこちらに向かって駆けてきた。

 二発のスラッグ弾で一度吹っ飛ばされたライオンは、致命傷を避けたらしく再び俺に飛びかかってくる。

 ライオンと少女。二体の獣が俺という獲物を争うように、俺の元にやってきた。

 

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