カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(22)

 事態を理解するまでには少し時間がかかった。

 少女の暮らす山小屋での暮らしが続き、今夜も少女が夏に撃って軒先に吊るし、熟成させていたという鹿肉のステーキを堪能し、幸せな満腹感と共に眠りについた。

 灯りなど何も無い真っ暗な山小屋の中、窓から差し込む月の光を受けて、少女のグリーンの瞳はギラギラと輝いている。車のヘッドライトに照らされた猫の目を思い出した。

 少女は俺がここ数日占拠しているベッドの上に乗り、俺に顔を近づける。甘い香り。息が顔にかかる。少女は聞こえるか聞こえないかの小さな声を出す。

「早く起きろ。静かに」


 眠っていた頭が目覚め、どうなってるのかはわかったが何でそうなったかはわからない。この少女が俺を男として意識し、獣がそうするように男と女がすることをしようとしているのか。

 俺はベッドに仰向けのまま、少女の金色の髪に手を伸ばそうとした。少女がゆらりと動く。俺の手が弾き飛ばされ、いつのまにか抜いた長いナイフが喉元に突きつけられていた。

 少女は目を細め。俺の背筋が凍るような冷ややかな声で言った。

「殺して引きずっていったほうがいいなら、そうする」


 とりあえず、俺の首など簡単に飛ばせる刃物を持った少女の言うことには従うことにした。ベッドから静かに体を起こし。ベッドのヘッドボードにかけていたデニムズボンとマウンテンパーカーを身につける。

 少女の足元をチラっと見てから、ウールの靴下とハンティングブーツを履き、靴紐を結んだ。月明かりの中で少女の姿を見るに、こんな夜中に外に出かける積もりらしい。

 俺がごく簡単な身支度を終えたのを確かめ、少女はさっさと山小屋の玄関に向かう。俺は少女の後ろからついていくように、ドアを開けて外に出た。


 外の世界は、暗闇でも日照りでもない、銀色だった。

 街灯など何一つない山奥の湖畔は、俺が今まで見たことの無いような明るい満月に照らされていた。

 日が暮れると手元さえ見えない真っ暗闇と違って、木々も地面もはっきりと見える。昼間が裸電球の直接的な照明なら、屋外全体が間接照明で照らされているような優しい光に満ちている。

 少女はこんな月の光を見せたくて、俺を夜中に叩き起こしたんだろうか?もうしそうだったとしたら、そうする価値は充分あったと思いながら、青白い月を見上げる。都会の月より近く、クレーターまではっきりと見える。


 ただ何もせず月を眺めている俺を尻目に、少女はハンターカブのエンジンをキックレバーで始動する。ヘッドライトが点灯し、無粋な人工光を発する。

 俺と同じことを思ったのか、一度ハンターカブに跨った少女は、カブを降りてヘッドライトをいじってたが、何かの電気配線部品を引っこ抜き、ライトを消した。

 一切の灯りを発しないカブ。この月明かりの下ではそんなものいらないだろう。再びカブのシートに尻を置いた少女は、俺を見て後ろの荷台に顎をしゃくった。


 乗れ、の一言さえ省略するとは不精な奴だと思いながら、もうすっかり慣れたカブの荷台に跨る、右手で少女のデニムズボンのウエストを掴み、左手で荷台を掴む。

 少女は一言も発しないままカブを発進させる。どこに行くのかを言わないので聞こうと思ったら、少女はカブを木の塊のように見える夜の森に突っ込ませた。

 ハンターカブは獣道を走る。月明かりが作る葉陰が体中を流れるのが見えた。自然物が作るロマンチックな光景。これで俺の手足を絶えず木の枝に叩かれてなければもっといいだろう。少女を真似たが秋口には少し厚着だと思ったマウンテンパーカーを買ってよかったと思った。


 獣道を走るハンターカブの荷台で、時々カブが木の根や石ころを踏んだ拍子に振り落とされそうになりながらも、俺は今まで聞いてなかった事を少女に聞いてみた。

「どこに行くんだ?」

 前方を見据えながらカブを走らせている少女は、後ろを振り向くことなく答える。

「山だ」

 山と言われてもあの小屋があった場所も、目の前に広がるものも、今走ってるのも山の中。もっと詳しく聞こうとしたが、少女は何も言わずとも俺の疑問を感じ取ってくれたらしく、問いに答えてくれた。

「今夜、あの獅子を狩る」

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