カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(21)
俺を深い眠りから叩き起こしたのは、顔にさしこむ朝陽と遠い銃声だった。
女の子の匂いがするような、しないような。見た目だけは可愛らしい赤白ギンガムチェックのシーツがかかったアメリカン・カントリースタイルのベッドで、そこそこ快適な就寝時間を過ごした俺は、グースダウンの布団をはねのけた。
夜明けと共に目覚めるのは久しぶりな気がする。東京の家に引きこもっていた頃は、深夜から早朝にかけての時間は夕べ放送されたアニメを見る時間。朝になって人々が動き出す物音が家の中まで聞こえてくると、その音から逃げるように眠るのが常だった。
借り物のベッドから降りた俺は、朝の太陽に照らされた山小屋の中を見回した。
アーリーアメリカンの調度品で飾られた室内。左右の壁には銃器とバイク。夕べランプの灯りで見たものと何も変わりない。少女の姿が見えなかったが、さっき聞こえた銃声がその答えなんだろう。
俺がキッチンで水道を見つけ、冷たく清涼感のある水で顔を洗っていたら少女が山小屋に入ってきた。
カーキ色のデニムジーンズにオレンジのウールシャツ。モスグリーンのマウンテンパーカーにオイルレザーのブーツ。見慣れた少女の姿。今は俺も同じ格好をしている。
パジャマなど持ってこなかったので、夕べはジーンズにウールシャツのまま寝たが、意外と落ち着く。
少女の手には見慣れぬ物が幾つかあった。普段持ち歩いている短く切った散弾銃ではなく、銃身が長くスコープのついたライフル銃。もう片方の手には、血まみれの野鳥をブラ下げていた。
少女は血で染まった手を軽く挙げて言った。
「雉を撃ってきた。朝食を作るから少し待て」
俺は何もすることが無さそうなので、ネットで動画でも見ようと携帯を取り出したが、今時よほど人里離れた場所でないと見られない圏外の文字が表示されている。しょうがないので少女の料理する姿を眺めた。
ライフルを箒か何かのように壁に立てかけた少女はマウンテンパーカーを脱ぎ、台所で腰から下げた長いナイフを抜いて雉の首を刎ねた。まだピクピクと動く雉の血を首の切り口から抜き、羽根をむしっている。
手際よくむしられて丸裸になった雉の腹をナイフで割き、内臓を取り出している姿は、食肉をケータリングで届けられらた肉料理でしか知らない俺が目をそむけたくなるものだったが、何となく見とかなくてはいけない気がして最後まで見た。
解体した雉に塩をすりこみ、米と共にダッチオーブンという分厚い鋳鉄の鍋に入れた少女は、夕べから火を絶やさず燃やし続けている薪ストーブを開け、燃える薪の中にダッチオーブンを丸ごと押し込んだ。
俺が動画で何度か見た料理とは道具も手順も異なる山の朝食の準備を終えたらしき少女は、立てかけてあったライフルを手に取って銃器が飾られた棚に歩み寄り、装弾の道具が置かれたデスクの前に座ってライフルの分解清掃を始めた。
クリーニングしたライフルを壁に架け、ナイフを研ぎ終わった少女はデスク前の椅子から立ち上がり、薪ストーブの窓を開けた。
燃やされてなお芳香を発する木の香りと、野鳥の油が焦げる芳ばしい匂いが伝わってきて、思わず腹が鳴る。少女はストーブ横の鍋掴みを手にはめ、ダッチオーブンを取り出した。
蓋を開け、テーブルに並べた大皿に中身を盛り付ける。横に置かれたグラスに夕べも飲んだ山の湧き水を注いだ。
少女が俺を手招きするので、テーブル前に大人しく座る。少女も着席した頃合に俺はフォークを手に取って言った。
「いただきます」
夕べ鱒のムニエルを食べた時は少女に言ったが、今朝は少女に撃たれ解体され、俺の朝食になった雉に向かって言った。
少女の作った塩味だけのチキンライスならぬ雉ライスは、文句なしの美味だった。
朝食を終えた俺が、洗い物をしようと言うと、少女は首を振ってさっさと後片付けを始めた。ただの居候になった気分だが、俺にも自分の役割がある。少女があのライオンを撃つため、ライオンのエサとして食われるという役目が。
手早く洗い物を終えた少女は、銃器が飾られた壁の向かい側にある、レンガ敷きの一角に停められたハンターカブの整備を始めた。
ゆっくりとした時間が流れる中で、朝食後も何をするでもなく熊の敷き皮の上でゴロゴロしているうちに昼がやってきた。
昼は朝に食い残した雉と香菜を黒パンに挟んだサンドイッチ。マヨネーズは無いかと聞いたら無いというので物足りない思いだったが、食べてみてマヨネーズは無駄だということを知った。
ブロイラーとは比べ物にならぬ野鳥の脂と塩、クレソンに似ているがずっと香りの強い葉、そして黒パンの味には何も足すべきものが無い。
東京とこの山を往復したハンターカブの消耗品交換をしていた少女を手伝っているうちに陽は暮れ、時計などいらない一日が終わる。夕食は少女が東京に来る前に撃って軒先にブラ下げていたという鹿肉のステーキだった。
赤身だけで脂の無い肉を見て本当に食えるのか疑わしい気分だったが、口に入れた途端肉汁が迸り、牛肉のステーキを食べても200g少々で歯と顎と胃袋が降参してしまう俺が450gほどの塊をペロリと食べることが出来た。
その晩も俺は少女のベッドを借りて眠り、少女はキャンプベッドと寝袋のある中二階の屋根裏で寝た。寝る前に夕べ少女が言っていた。ゆっくり眠れるのは今夜が最後だという言葉を思い出したが、人は陽が沈んだら、夜明けまで寝るものと決めてさっさと眠った。
翌日もその次の日も、食っては何もせず、毛皮の上でゴロゴロする日々が続いた。少女が撃ってきた猪の骨つき肉の夕食に満足し、その晩も眠ろうとした時。少女が中二階の階段から降りてきた。
窓の外から月の光が照らす夜。青白い逆光を追った少女は、足音をたてる事無く俺の寝ているベッドまで歩み寄ってくる。
薄目を開けたが、まだ事態が飲み込めず動かない俺に、少女は覆いかぶさるように顔を寄せ、囁いた。
「起きろ」
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