カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(17)

翌日の未明。

 いよいよ旅立ちの時を迎えた。

 少女にとっては宿敵の獅子をホームグラウンドで迎え撃つための進軍。俺にとってはうちに居ても、いつかは俺の臭腺に惹かれ、壁を破り俺を食らいに来るというライオンからの退却。

 もう一つ逃げなきゃならないものがある。この家に居る限り断続的に襲い来る、生きることへの無気力からの逃走。

 カッコよく言えば死の誘惑って言葉にもなるんだろうけど、そこまでのものじゃないと自分に言い聞かせた。

 さっさと旅支度を終えた少女と全く同じ服装の俺は、家を回って各窓の戸締りを確かめ、水道やガスの栓を閉じ、この家に引きこもって以来ずっと起動させていたPCの電源を落とした。


 いつまでかわからない不在の間にアニメを録画するレコーダーをどうしようか迷ったが、結局のところ節電や火災防止の理由をつけてコンセントごと抜いた。

 常にどこかから機材の作動音が聞こえていた部屋が静寂に満たされる。壁はコレクション棚で覆われているとはいえ、一般的な独身男性の部屋としてはかなり広く、俺にとって最も落ち着けるスペースが、牢獄か何かのように見えた。

 もしも無事少女のライオン狩りを終わらせてここに帰ってきたなら、部屋の模様替えでもしようと思った。

 少女は階下で出発を待っている。雨天でライオンの行動が制限される時間はそんなに長くない。俺は早々に部屋を出た。

 引きこもりながら出たいと思っていた部屋の外に出ることが出来た開放感を味わいながら外の廊下に出る。途端に部屋に帰りたくなって前へ進むのを拒む足を、強引に動かしながら階下へと降りる。

 

 少女は玄関前で俺を待っていた。視線だけで俺を急かす。ライオンが動けぬうちに出来るだけ距離を稼がなくてはいけないらしい。

 時間は夜明け前。夜行性の動物にとって光量がだんだん増していく朝の時間は天敵。それに加え今朝は嗅覚を制限される雨模様。

 少女と並んでレッドウイングのハンティングブーツを履き。紐を結んだ。ウールの靴下まで同じだが、オイルレザーのブーツは俺の新品と少女のくたびれた靴とでは見た目がだいぶ違った。

 足に合うサイズを選んだが、まだ革が固い。少女の履きこんだブーツは足の形に変形し、革の靴下のように見える。

 この真新しいブーツを自分の足にするには、外に出て使い倒さなくてはいけないんだろう。今までの暮らしを変えなくてはいけない。俺は先に立って玄関を開けた少女についていくように、その第一歩を踏み出した。


 まだ暗く湿っぽい玄関の外に出た俺は、一度中に戻って忘れ物を取りに行った。昨日俺が少女と同じ服を揃えた時に買い足した。少女の持っていないもの。

 俺が抱えてきたのは二つのヘルメット。バイク用ではなくミドリ安全の軽作業帽。色は二人揃いで穿いているジーンズに合わせたベージュブラウン。

 俺が玄関の戸締りを終え、既に庭に停めたハンターカブの前に居る少女にヘルメットを差し出すと、少女はハンターカブのサイドバッグから溶接用のバラクラバ帽を取り出しなが言った。

「いらない」


 俺は有無をいわさず少女の金髪の頭にヘルメットを被せる。サイズはちょうどいい様子。俺も自分のヘルメットを被った。

「山ではどうだか知らないが、都会ではヘルメットを被ってないとお巡りに狩られちまうんだ」

 少女は強引に被らされたヘルメットを外して放り出すと思いきや、顎のストラップを締め、首を動かしたり左右を見て視界が制限されないか確かめたりしている。

 それから同じヘルメットを被った俺を見た。この少女に似合わず見た目も気にしているんだろうか。

「いいだろう」

 少女はそれだけ言ってハンターカブのキックレバーを蹴り下ろし、エンジンをかけたカブに跨る。


 俺が選んだヘルメットを気に入ったのかはわからないが、とりあえず山でライオンを狩る邪魔にはならないツールとして認めてもらったらしい。

 あえて重いバイク用ではなく、軽量で視界を遮るものの無いヘルメットを選んだ甲斐があった。俺はミドリ安全の軽作業帽に装備されている、飛沫や切削片から目を守る透明なガードを引き下ろし、ハンターカブの荷台に乗った。


 少女は特に何も言わずハンターカブを発進させた。彼女のそういうところにはいい加減慣れてきた俺は、既に掴んでいた荷台の後部と少女の腰に回した手に力を入れた。

 数日前ライオンの牙に裂かれ、少女が応急処置した肩の傷は、あれから一度洗浄してラップを巻きなおし、軟膏を塗っただけだったが、サンタマリア・ノヴェッラ薬局の軟膏が効いたのか、鈍く微かな痛みがあるだけで出血も発熱も無い様子。

 庭から門を通って外の道路に出る時、我が家を振り返った。

 母が生きていた頃に受けた虐待。外に出ることなく外の世界をモニターで見ていた日々。あまり愉快なことは思い出さなかった。 

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