カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(16)

 それがどこかの県を指しているのか、それとももっと大きな範囲なのか、北の端にあるという少女の山に向かうべく、俺は旅の準備を始めた。

 とはいえ旅行の経験など小学校の修学旅行くらいしか無い。金融業をしていた母親は俺を旅行に連れて行く暇があるくらいなら、俺を家に置いて情夫と出かけるような女だったし、中学、高校の旅行は病気だと言って参加しなかった。

 大学生活とバイトの中で、そうしなくてはいけないという義務感に駆られて一緒に遊びに行くような友達を作ったこともあったが、泊りがけのお出かけには参加しなかった。 

 結局のところ、大学卒業後は数回ヘンな勧誘の電話がかかってきて以来一切交流が無くなったその友達というのも、普通の人にとっては必要なものだったのかもしれないが、俺はそれに適応できなかったんだろう。

 

 そんな事を考えながら旅準備というものを始めてみたものの、何を揃えればいいのかわからない。

 今まで生活の中では発生した疑問を概ね解決してくれたネットを用いても、ライオンに追われながらカブではるか遠くまで走るなんて特殊な状況に対して答えが得られるとは思わない。

 俺を自分の山に連れていくことになった少女に聞いてみようにも、少女は旅立ちを決めて以来、俺のスマホで熱心に天気図を見ていた。

 とりあえず、今までの自分の知識だけで対応するしか無さそうだ。旅行の経験は無くとも、動画サイトやブログで旅行記くらい見たことはある。


 俺は身につける物と持って行く荷物の選択を開始した。一体どんな格好で何を持っていけばいいのか、細かいことはともかく、大筋の方向性を検討する。

 旅慣れたと自称する奴のように普段着のままで行ける旅じゃない。ハンターカブの後部荷台に乗せてもらうとはいえバイクの旅。ツーリング用のウェアと器具を揃えるべきか。

 それとも街を出て山まで行くならアウトドアファッションか、あるいは俺を狙うライオンを少女の地元で迎え撃つという目的なら、狩猟用の服か、俺のような一般人の常識では測れぬ獣が相手なら、全身をミリタリー装備で固めるべきか。


 あれこれ考えているうちに思考が混乱してきた俺は、さっきから気象衛星の画像を見ている少女の後姿を見た。

 この少女の姿は、初めて会った時から変わらない。あちこちが破れ、獣の血で汚れたマウンテンパーカーを俺が持っていた同一製品の新品に替えただけで、ハンターカブに乗っている時もライオンと戦った時も夏祭りで夜店を回った時も、家でくつろいでいる時さえ同じ格好をしている。

 俺よりだいぶ背の低い金髪翠眼の少女の、小さいのに大きく見える背中を見た俺は、少女の持っていたスマホを奪い取った。


 何か彼女にとって何か大事なものらしい天候の確認を中断させられた少女は不満の声を漏らしたが、怒っているわけではないのがわかる。

 彼女が怒った時は、パーカーを跳ね上げて、室内でもほとんど肌身離さぬショットガンとハンティングナイフに手をかけている。

 俺は少女とスマホを交互に見ながら、旅の準備を進めた。画面に表示される商品を次々とタッチし、お急ぎ便で注文する。

 怪訝そうに俺を眺める少女にスマホを返した俺は、少女に言った。

「俺の準備は終わった。明日の午後以降ならいつでもいい」

 再びスマホの操作を始めた少女は、表示させた天気図を眺めながら返答した。

「明後日の未明に小雨が降る。その時ならば気付かれることなく出発できるだろう」


 あの驚くほどの身体能力を持ったライオンは、雨の中では感覚が鈍るという話は以前に聞いたことがある。雨が降れば面倒事が増えるのは人間も同じこと。ただ、晴天の時と同じ装備のまま動ける小雨、霧雨の中でのみ、あのライオンに先んじることが出来るらしい。

 俺たちが無防備に外に出るのを待ち構えているライオンを振り切り、少女のホームグラウンドで迎え撃つのに必要な時間稼ぎが可能なのは、天気予報より当たるという少女自身の天気図分析によれば、明後日の夜明け前。

 それなら問題ない。その頃には俺の準備はもう終わっている。


 お急ぎ便を駆使したおかげで、俺が注文した品は翌日に届いた。

 ライオンに襲撃される可能性など微塵も考えてなさそうな宅配業者に礼を言って商品を受け取り。早速包みを解いてテーブルに広げた。

 シェラデザインのモスグリーンのマウンテンパーカー、LL.Beanのオレンジのウールシャツ。リーのベ^ジュ色のジーンズ、レッドウィング・アイリッシュセッターのハンティングブーツ。

 俺が揃えたのは、少女の着ている物とまったく同じだった。

着る物に迷ったなら経験者に真似ればいいという結論。 色まで合わせたのは、少女と一緒に居ることで、彼女が身につけている物は色彩に至るまで厳選した物だということを知ったから。

 狩りをする時に山の中で周囲に溶け込むモスグリーンのパーカーと、単独ではなくチームで動く時や、救助を求める時に必要になる派手なオレンジのシャツ。

 幸いどれもアウトドアの世界では名作と言われる定番品だけあって、大手通販サイトには在庫があった。

 唯一フィルソンのウールソックスだけは間に合わなかったので、少女の持っていた予備を借りた。


 少女は自分と全く同じ服装をした俺を眺めていた。女子は絶えず同級生や同僚、あるいは道を歩く他の女をファッションチェックしていて、他人が同じ服を着ているのを見ると非常に不快になるらしい。

 軍隊で新兵を教育する鬼軍曹は、兵士に絶えず規律正しい軍服の着用を求め、着崩したり私物を身につけたりして自分と違う格好をしていると、即座に蹴っ飛ばすと聞いた。

 少女はそのどちらでもない。どちらかというと呆れているといった顔をしていた。

 服装の準備は出来た。持ち物は俺が乗ったらそう多く荷物を積めないハンターカブなので洗面道具と財布、携帯程度にすると決めた。少女はもう一度スマホで天気図を見て、出発の予定は変わらないと言う。

 俺は今日買ったばかりの服を着たまま、眠りについた。

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