カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(14)
腕に怪我を負った俺は、少女に病院に連れて行くよう頼んだが、少女はハンターカブを俺の自宅方向へと走らせた。
「わたしに任せろ、そこらの医者よりはマシに縫い合わせてやる」
静脈まで切れた裂傷の縫合をどこから来たとも知れない少女にやらせるなんて御免こうむりたかったが、外傷と失血で軽いショック症状を起こしていた俺は、それ以上何も言わずハンターカブの荷台に身を委ねた。
どうせ余所者の彼女にスマホで救急病院の位置をナビしてやろうにも片手は使えないし、俺としてもここからどれだけかかるかわからない病院に行くより、数分で到着する我が家に帰りたかった。
ハンターカブは自宅の門を通過し、荒れ放題の庭に停まる。カブから降りた少女は俺に手を貸すことも気遣うこともしない。
俺が無事な右手でポケットから鍵を取り出すのに苦労しているのを見た少女は、庭に面した大窓に回り、マウンテンパーカーのポケットから取り出したワイヤー鋸を窓の隙間に差し込んで、鍵のかかった窓を開錠する。
大窓を開けた少女はハンティングブーツを脱ぎながら、我が家のように、あるいは仕事に慣れた空き巣のように室内に入った。
俺が怪我をした身で庭と窓の段差を乗り越えるのに苦労しているのを見た少女は、小柄な体に似合わぬ力で俺を引っ張り上げる。
少女が腕を伸ばした時、マウンテンパーカーの前合わせが開いて中に着ているウールシャツが見えた。それから、薄い鋼板をオイルレザーで挟んだビアンキ社のホルスターで肩から吊られた散弾銃も。
俺はまだ火薬の臭いを発する散弾銃から顔をそむけた。
体を曲げるたび左肩の傷が開いて痛む。庭から窓に上がる時より、靴を脱ぐほうが難行だったが、体を曲げて片手で何とか両足からスニーカーを引っこ抜き、窓の外に放った後、窓を閉め、少女のような者が入り込まないように電動のシャッターを閉めた。
夏祭りに行ったはずが予想もつかぬ災難に襲われ、やっと慣れ親しんだ我が家に帰った俺は、部屋でくつろぐ暇も無く少女に怪我をしている左腕を引かれ、風呂場に連れ込まれる。
少女は俺を浴槽の縁に座らせ、血で染まったシャツを剥いだ。そのままシャツを洗濯機に放り込む。
血の汚れは乾く前に洗濯すれば綺麗に落ちるが、俺はこのアロハシャツを肩の切り裂き傷を繕ってまでもう一度着ようとは思わなかった。正直なところ衣装部屋にある他のアロハシャツと一緒に捨ててしまいたかった。
脳天気な模様がプリントされたアロハシャツに袖を通すたび、女の子と一緒に祭りだ夜店だと浮かれていた自分自身の馬鹿さ加減を思い出してしまいそうだ。
あまり気が進まないが、シャツを剥がれて露になった肩の傷を見てみた。獣の爪に裂かれるという未経験の怪我は、血に染まった上腕の三角筋のあたり。皮膚に一筋刻まれた直線から血の流れ出る様は、以前工場バイトをしていた時に切削機で切った傷と変わらなかった。
少女は上半身裸にした俺の体を浴槽の上で反らせた。傷の痛みに声が漏れたが、少女は気にしたり労わったりする様子も無く、シャワーを手に取り、お湯を出す。
手に当ててぬるま湯の温度を確かめた少女は、俺に何も言うことなく肩の傷に湯をぶっかけた。そのまま傷をぬるま湯洗いする。ビリっと痺れるような痛みが走り、血を洗い流した湯で風呂桶が赤く染まる。
静脈まで切られた裂傷は、お湯で洗っているうちに血が止まった様子。マンガに出てきたシーンで得た知識のうろ覚えで、布で縛って止血なんてしなくてよかった。
少女は白くふやけ、僅かに血が滲むだけになった傷を見て言う。
「これなら縫合はいらないな」
そう言った少女は「少し待て」とだけ言って、風呂場から出ていった。
すぐに戻ってきた少女が持っていたのは、ウガイ薬のイソジンと台所に置いてあったサランラップ、それから少女が持っていた予備の靴下。
傷口にイソジンをかけた少女は、マウンテンパーカーのポケットから瓶を取り出し、クリーム状の中身を傷に塗った。
瓶にはイタリア語で製造元が記されている。サンタマリア・ノヴェッラ薬局。フィレンツェにある世界最古の薬局である事は知っていたが、少女が傷に塗った軟膏は使ったことが無い。興味が無かったわけではなく、薬事法で日本への輸入が制限されているから。
少女は傷に軟膏を塗り、俺の上腕をラップで巻いた。それから背中に吊ってあるハンティングナイフとは別に持ち歩いているらしき五徳のポケットナイフで、ウールの靴下を半分の長さに切り、出来上がった筒状の布に俺の腕を突っ込ませる。
少女は「終わったぞ」と言って風呂桶にシャワーの湯を流し、血の混じったお湯を流している。
切り傷の処置は十分少々で終わった。病院ではなく少女に任せるのは不安しか無かったが、病院に行っていれば今頃まだ順番を待っていただろう。病院と違って処置後のぐったりした体には辛い治療費の手続きも無し。
少女はまるで獲った獲物の解体を終えた後のように、てきぱきと道具を片付けている。礼を言うべきか、それともこんな面倒に巻き込んだ事への文句を言おうか、あるいは。
この少女に色々よ言いたい事はあったが、とりあえず久しぶりの外出と祭りの夜に浮かれ、少女の足手まといになってしまった事への詫びを言おうとしたところ、少女は俺に背を向けたまま言った。
「すまない」
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