カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(13)

 

 遠く祭囃子が聞こえる住宅街の路地。

 地元の祭りと屋台に思いのほか満足した俺と、屋台の食い物に文句ばかり言いつつ旺盛な食欲を見せていた少女。

 ハンターカブに二人乗りして、上機嫌とも言えなくもない気分で家路についていた俺と少女は、数日前に遭遇した巨大なライオンと再び出会うことになった。

 カブを操縦する少女の全身が緊張で硬直するのが背中からわかる。金色の髪が僅かに逆立つ。

 俺と少女の乗るハンターカブから十メートルほど離れた位置にある街灯の影で、まだ紫色に光る目しか見えないライオンが、襲撃の位置を微調整するように、音もなく横に移動する。 

俺の臭腺を追ってくるライオンを、少女は必ず狩ると言っていた。俺よりだいぶ体格の小さい少女の背中が、俺を守ろうという強い意志を感じた。この少女と居れば俺は大丈夫だと思った。

 次の瞬間、少女は後ろに手を伸ばし、俺をハンターカブの荷台から突き落とした。

 路地に尻もちをついた俺を振り返りもせず、少女のハンターカブがライオンに向かって急発進する。


 ライオンの位置は変わらぬまま、両目が下に動いた。頭を下げている。獲物に飛び掛る前の収縮の姿勢。

 次の瞬間、ライオンの瞳は見えなくなった。正確には肉眼では捉えられないほど速く移動した。

 アスファルトの路面越しにこちらにまで振動が伝わってきそうなほどの強力な跳躍で、ライオンは飛翔する己の姿を街灯の下に現した。

 ネットの動画に出てくるライオンより大きな、牛ほどもある巨体。全身を覆う金色の体毛は、動物園で見かけるライオンのくすんだ茶色とは異なる、全身に純金を纏うような色。

 ライオンが他の猫科の動物との差異を誇示する、顔の周りを覆うたてがみは、たった今獲物を食らったかのような赤みがかった色だった。  

 綺麗な獣だと思った。もし自分の身を襲おうとしているのではなく、動物番組の中でモニター越しに見たなら、自分のPCの壁紙にしようと思うだろう。


 優美な筋肉を駆使して跳躍するライオンに向かって、ハンターカブに乗った少女が駆けていく。

 ライオンと少女は十mほどの間合いを一瞬で詰め、双方のほぼ中間地点で擦れ違う。

 少女の脇を掠め、地面に座り込む俺のすぐ近くまで来たライオンは、俺を視界に収める。あと一飛びで俺の喉に食らいつける位置。逃げようにも、尻もちの衝撃と動揺、それからほんの少しの畏怖で、体が動かない。

 少女は路地でハンターカブをターンさせ、ハンドル右側のスロットルを、腕をクロスさせ左手で握りながら、右手でマウンテンパーカーの内側に手を突っ込む。

 少女がパーカーの内側から一瞬でショットガンを取り出したのが見えた。やっぱり祭りの間もショットガンを持ち歩いていた。


 銃身とストックを短く切り詰めた上下二連の散弾銃を、片手で中折れさせて装弾を確かめた少女は、片手でスロットルを握る左腕に右手で構える散弾銃の銃床を乗せるようにして、カブで接近しながらライオンに狙いをつけている。

 ショットガンにどんな弾を装填しているか知らないが、その位置からライオンを撃てば、うまくライオンの体内で弾が止まらない限り俺に当たる。少女はそんな事を全く気にしていない様子で、射撃の好機を測るようにハンターカブで接近してくる。

 俺を見ていたライオンは、少女に向き直る。

 このライオンの目的が俺を食うことだったとして、今、少女に背を向けて捕食を行えば確実に撃たれる。

 俺でもわかる事をライオンは俺よりだいぶ早く気付いたらしく、少女に向かって再び跳躍すべく身を沈めた。

 少女のショットガンの銃口が少し上を向く。次の瞬間、ライオンはバイクかロデオ馬のアクロバットのように後足だけで立ち上がり、そのまま方向を転換する。

 少女とは反対方向に鼻面を向けたライオンは、そのまま俺に向かって駆けてくる。予想外の動きに少し焦った様子の少女は、狙いを低く修正したショットガンを発砲する。

 銃声というより砲声といったほうがいい音が周囲に響いた。


 音が耳に届くより一瞬早く、俺に向かって突進してきたライオンが、肉眼で捉えられる限界に近い速さで腰を捻るのが見えた。

 トラックや道路工事の機材とはケタ違いの、何か物凄いパワーで路面が撃たれる感触が伝わってくる。少女が撃ったのじゃ散弾銃で主に使われる何粒もの鉛弾を発射する弾ではなく、特大サイズの弾が一発だけ装填されたものらしい。

 ライオンは背後からの射撃を間一髪といった感じで避けつつ、俺の真横を通過する。獣臭さというより。以前面白半分で通販で買ったことのある麝香に近い香りが鼻をくすぐる。それは次の瞬間、甘いような生臭いような臭いに変わる。

 左腕が風に撫でられるような感じがしたのでアロハシャツの左袖を見ると、牙や爪に触れた感触すら無いまま、俺のシャツが切り裂かれていた。血が吹き出してくる。

 あまりにも非現実的すぎて、痛みも恐怖も感じない、ただ、住宅街の路地で散弾銃を持った少女と対峙しつつ、即座に不利な条件に気付いて俺を食うことを諦め、傷だけを残して一時撤退するライオンは、とても賢いなと思った。


 少女はハンターカブでライオンを追いながら、二連散弾銃を再び発射した。肩の傷の至近を弾が通過したらしく、今さらながら腕が捥げそうな痛みを感じた。

 既に逃走の体勢を取っていたライオンは、横っ飛びして弾を避けつつ路地裏に消えた。

 俺の横を通り過ぎてライオンを追おうとした少女は、無駄だと気付いたらしくハンターカブをターンさせて俺に走り寄ってくる。

 カブを停止させた少女は、手に持っていた散弾銃を中折れさせて空薬莢を弾き出し、マウンテンパーカーのポケットにしまった。それから別のポケットから出した予備の弾を装填した後、俺に声をかけた。

「大丈夫か?」

 俺は半ば腰の抜けた体で何とか立ち上がった。

 住宅街に響いた二連発の銃声。少し離れた場所にある高層マンションの部屋に次々と灯りがつくのが見えた。

 俺はカブの荷台に跨り、少女に声をかけた。

「逃げよう、それから救急病院に連れてってくれ」

 左腕からは心臓の拍動に合わせて血が流れ出てくる。遠くなりそうな意識を何とか保ちつつ、右手だけでハンターカブの荷台に掴まった。

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