カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(5)
ここで誰かと食事をするのは何年ぶりか。
母が死んで以来ずっと家から出ることなく、一人で暮らしているが、生前の母は晩酌を飲むと俺への虐待がエスカレートしていたので、俺はいつも一緒に食事をするのを避けていた。
遺産相続の手続きで家に来た税理士や弁護士も、気を利かせて長引くなら出前でも取りましょうか?と言うと、みんな揃って仕事を早々に切り上げてそそくさと帰る。
母が生きていた頃に溜め込んだゴミを処分し、専門の業者に頼んで各部屋を綺麗にしても、この家に残る空気には独特の居心地の悪さがあったんだろう。
おそろしく汚い格好でハンターカブに乗って俺の前に現れた目の前の少女は、そんな雰囲気など意に介さぬ様子で、俺がケータリング業者に二人前注文したチキン照り焼き弁当を興味深げに見ている。
とりあえずお茶を煎れ、少女に弁当を勧めた。ついさっき俺はこの少女が家に居る間は食事の面倒を見ることを約束した。
そうでもしない事には、この大きなナイフと切り詰めた散弾銃を持った少女は、自分の食う物を得るために東京の真ん中で狩りを始めてしまう。
今までの人生で警察沙汰だけは避けてきた俺は、面倒事を回避する第一歩として、少女と夕食を共にすることにした。
少女は意外と躾の出来た子らしく、手を合わせていただきます、と言った後、箸を手に取る。
俺も小学校の給食の時間以来言ったことの無いいただきます、の言葉を発し、弁当に手をつけた。
少女は弁当の米を一口食い、それからブロイラーの照り焼きを少量取って口にした。まるで毒見でもしているかのように長い時間をかけて米と鶏を噛み、それから飲み下す。
それで少女なりの安全は確認したらしく、あまり上品とは言えない仕草で弁当を食い始めた。強靭な歯と顎でチキン照り焼き弁当を食べてる様は、少女の金髪と小柄な体、グリーンの瞳とはミスマッチ。
長らく人目の無い場所で飯を食っていた俺もマナーに関しては大差無いが、こんなに食欲旺盛に何かを食べたのは随分昔のような気がする。
物も言わず一心に弁当を食べ続ける少女に、俺は声をかけた。
「聞きたいことがある」
少女は意外なことに、弁当を食べる手を止めて俺を見た。
「何だ?」
俺も箸を置き、人との会話という慣れない作業をする前の下準備としてお茶を一口飲んだ後、
「あのライオンは何なんだ?」
少女はグリーンの瞳で俺を見ながら答える。
「あの獅子は、わたしの暮らしていた森に居た」
この子が日本、あるいはそれ以外のどこから来たのかは見た目からはわからない。
「あの獅子は強く速く賢く、長らく森の主として君臨していた。私の祖父はあの獅子に殺された」
湿っぽい話を聞かされるのは沢山なので、話題を変えた。
「俺が知りたいのは、何でそのライオンが東京までやってきて、どうして俺の身が危険になるかということだ」
少女は俺の体を上から下まで眺めながら答えた。
「お前は、昔から動物に縁がある人間だっただろう」
覚えが無いこともない。小学校の時にはよく近所の野良犬に追いかけられ、中学では学校行事で山や森に行くたび、うちの暮らすは動物の襲撃に遭っていた、高校を出てから始めた配達バイトでも、行く先々で普段は吠えないという犬に吠えられた。
「そうだった気がする」
どちらにせよ、家の外に出ない暮らしでは、動物なんて動画サイトかテレビの動物番組でしか見ることは無い。
「あの獅子はお前の臭腺から出ている匂いに反応し、その匂いの元を探してここまでやってきた。それを絶つまでこの街に居続けるだろう」
話の内容はよくわからなかったが、とりあえず俺が外に出ようなんて馬鹿げた考えを起こさず、家で大人しくしていれば回避出来る物だということはわかった。
俺に手を出せないライオンは、いずれ猟友会にでも射殺されるだろう。
「ここに居る限り安全なんだな」
少女は即答した。
「私が居るからな。私と祖父はあの獅子に深手を負わせたことがある。それから私と森で会うことを避けるようになった」
俺は自分の腕をクンクン嗅いだ。この体から動物を興奮させる何かが出ていると言われても納得は出来ない。
とりあえず、その東京に現れたライオンについての情報は、理解できる範囲で収集することにした。それが珍事であるならいずれテレビやネットで騒ぎ立てられるだろう。詳しい話はそれからでも遅くない。今は俺の生命線とも言える存在らしき少女との良好な関係の構築に努めた。
「自分で獲物を狩ってるなら、こんなブロイラーは不味くて食えたものじゃないだろう」
少女は弁当を一口頬張り、目元を少し緩めながら答えた。
「これも都会の味。少々薬臭いが慣れるであろう」
少女は甘いタレがかかった鶏腿肉を箸で摘みながら言い足した。
「しかしこの鶏は羽ばたいたことが無いな、それが少し不憫だ」
なんだか自然保護系のサイトが好んで使うような物言いだと思った。
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