カブ・ハンター ~forest princess in tokyo~(2)
しばらくの間、ライオンが消えた路地に向かって散弾銃を向けていた金髪翠眼の少女は、銃を下ろしひとつ息を吐いた。
俺が跨ったままのハンターカブに取り付けられたケースに、銃身と銃床を短く切った散弾銃を仕舞った少女は、俺に向かって言う。
「あの獅子はお前を獲物とした。いずれお前の前に姿を現し、お前を食らうだろう」
長らく外の世界を知らなかったとはいえ、自分が東京二十三区の住宅街に居ることが信じられなくなるような言葉。続けざまの体験で気力を削がれた俺は、乗っていたハンターカブから降りながら言った。
「家に帰るよ」
やっぱり俺には家の外に出るのは早すぎた。世の中にはネットやテレビではわからない危険が溢れてる。さっさと家に帰ってライオンも散弾銃を持ったハンターカブの少女も居ない世界で、分相応な暮らしをしようと思った。
少女は俺を見上げる。踵の高いペコスブーツを履いてるとはいえ、男子としては中背の俺よりだいぶ背が低いらしい。翡翠色の目で俺を見つめながら言った。
「あの獅子は獲物を逃さない。いかなる堅牢な箱に入っていても容易く壁を壊し、中身を貪るだろう」
俺には少女の言っている言葉の意味がわからなかったが、理解を拒むことをしなかったのは、言葉よりも奇異な見た目のせいだと思った。それに、俺を見る少女の目は揺ぎ無い。真実を述べている人間の目。完全に気の触れた人間も同じような目をする。
昔から他人より余計に人を見る目があったのは、金貸しをやっていた母親のせいだろう。生きてる間はしばしば俺を殴ってた母だったが、国と納税を敵視していた母は俺が食っていけるだけの財産を残してくれた。そのオマケのようなもの。
俺はハンターカブに跨ろうとする少女に言った。
「俺はあのライオンに食われるのか?」
少女は何の迷いもせず言った。
「そうだ」
家に居てライオンに襲われるなんてことがあるわけが無い。他人に何かを奪われるのが何より嫌いだった母が建てた無駄にセキュリティの優れた家は、猛獣どころか泥棒だって一度も入ったことは無い。でも、俺はそこまで帰れるんだろうか。
俺は目の前でハンターカブに乗り、灰色の溶接用バラクラバ帽を被りなおしている少女に言った。
「ライオンはお前を見て逃げたな」
少女はハンターカブのキックレバーに足をかけ、小柄な体に似合わぬ脚力でキックレバーを蹴り下ろしながら言った。
「私はあの獅子を狩ることが出来る。あの獅子はそれを知っている」
エンジンを始動させたハンターカブに乗った少女は、一言の挨拶も無く、俺を見ることもせず走り去ろうとする。ライオンの居る街でオいけてぼりにされそうになっ俺は不安に駆られ、少女の肩に手をかけた。
一瞬、少女の姿が消えたように思った。
少女の着ていた汚れたマウンテンパーカーが翻ったかと思うと、さっきまで俺の手か届くくらいの間合いでハンターカブに乗っていた少女の体は俺に触れんばかりの場所に居た。銀色の光。
少女は俺の喉にナイフを突きつけていた。
鍛造の刀身とステンレスの柄を持つランドールのサバイバルナイフを俺の喉に当てながら、少女は言った。
「私に触れるな」
俺が両手を上げると少女はナイフを下ろし、マウンテンパーカーの下に着たウールシャツの背中にナイフを収めた。
心臓が早い鼓動を打つのを感じながら、俺は少女に言った。
「お前、これからどうするんだ」
少女はさっき一瞬で開いたマウンテンパーカーの前合わせを閉じ、外すのは一瞬だが留めるのには手間がかかるらしきスナップボタンをいじくりながら答えた。
「お前がここに居る限り、獅子もここに現れる。私はこの街に野営し、今夜の糧を狩る」
今まで長らく他人とはネット越しでの会話ばかりしていたが、現実の女子というのはこんなに非現実的な喋り方をするんだろうかと思った。
ネットで女子高生の友達同士での会話を盗み聞いた時も似たようなもんだと思い、俺は少女に言った。
「良かったらうちに泊まらないか?ライオンが来たら何とかしてくれ」
少女は俺の顔を見た。俺は言った後で自分が女の子を家に連れ込もとしていることに気付いた。今度はあのナイフで首でも刎ねられるのかもしれない思ったが、もう遅い。
少女は意外とあっさり答える。
「そうすることにしよう。伏せるなら餌の近くがいい」
俺はハンターカブの荷台に跨った。カブにはミカン箱程の大きさの荷物が積まれていたが、何とか端にどかして座る。
「道順を教えるから、そこまで連れてってくれ」
そう言いながら、走り出したハンターカブの上で体を安定させるべく少女の肩に手を置いた。
今度はナイフを抜かれることは無かったが、カブの操縦はひどく乱暴な様子。
肩幅は、子供のように狭く華奢な女の子だった。
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