深夜徘徊しませんか(中編)

 あれから一週間経った土曜の夜。

 俺は先週と同じように、スーパーカブを走らせていた。

 土曜の夜はカブで徘徊する、ずっと変わらない趣味。先週との違いがあるとすれば、細い旧道ではなく表通りの鎌倉街道を選んだこと。

 幼馴染の自転車屋の娘、淑江が組んでくれたカブが50改88が、幹線道路でも充分な性能を有していることを確かめたかった。そしてもう一つ、理由になっているような、なっていないような目的。

 俺は街道の坂を登りきり、町田と多摩の市境を越えた少し先で右折し、先週も行った大型古書店にカブを乗り入れさせた。

  

 深夜営業の古書店というのは、徘徊の中継地点にすることが多いというだけで、俺にとって目的地というわけでない。

 特に古本や中古オモチャを買い漁る趣味も無く、カブへの出費でその余裕も無い俺にとって、深夜営業のスーパーマーケットやディスカウントストアと同じ、休憩地点に過ぎなかった。

 俺はカブを駐輪スペースに停め、ヘルメットとライディンググローブ替わりの滑り止め軍手をを前カゴに放り込んで店内に入った。

 ここに来た理由らしきものは、先週この店で会った一人の女の子。

 偶然同じ古本を手に取って、譲ってあげた、ただそれだけの事だったけど、あの女の子が妙に気になった。

 夜だというのにそこそこ客の入っている大型古書店の店内を歩きながら、先週ここで会った女の子のことを思い出した。

 正直なところ顔はよく覚えていない。眼鏡をかけていたということが印象に残っている。お洒落には縁遠いジーンズとフリースのパーカー、布スニーカー。体型は男としては中背の俺よりだいぶ低い。

 特に記憶に残る可愛らしい顔や声、あるいは体型というわけではないのに、俺はその女の子から漂う希薄で線の細い雰囲気が気になった。

 土曜の夜に無料の送迎バスで古本屋に来て、コミックを買っていく、それだけしか楽しみの無さそうな女の子。

 俺にとってカブでの徘徊が土曜夜の楽しみであるように、あの子にとって古本のコミックを買い、家に帰って読むことが娯楽なんだろうか。

 なんだかそれが寂しく、憐れなことであるように思えた。自分のカブ徘徊がそれより高尚な趣味だとは思わないし、地球環境とやらの視点から見れば、こっちのほうが世間的な印象は悪いんじゃないかとも思う、ただ、あの子の体から漂う何とも生命力に乏しい雰囲気が俺にそう思わせているんだろう。

 なぜか幼馴染の淑江の顔が浮かんだ。あいつは楽しみどころか、家業の原付バイクと自転車の整備とその修行で趣味らしきものが無い。それでも俺にとっての印象が常に強烈なのは、あいつが無駄にエネルギッシュな日々を過ごしているからだろう。

 

 ぶらぶらと店内を歩く俺を追い越すように、スーツ姿の女性が少女マンガの棚へと歩いていく、女性は棚に並んだ古い少女マンガを数冊纏めて持っていたカゴに放り込み、踵を返しレジの方向へと歩いて行った。

 確かあの女の人は、俺が駐輪場にカブを停めた時、向かいの駐車スペースに白い営業車っぽい軽自動車を停めて出てきた女。きっとあの女の人はどこかの勤め人で、土曜の夜の仕事帰りに漫画を買い込み、家で酒でも飲みながら読むんだろう。

 本質的にはあの女の子と変わらないのに、こっちはみすぼらしくない、幸せにも見える。

 何が違うんだろう、と考えながら、俺は青年向けコミックのコーナーで足を止めた。先週あの貧相な女の子と出会った場所。こんなとこに来てまで、俺は自分がやってることを思い返し、少し恥ずかしくなった。

 古本屋でちょっとした挨拶程度の言葉を交わした、ただそれだけの縁を頼りに、もう一度会えないかなと思って同じ店に、同じ曜日の同じ時間に来る。少女マンガの女の子みたいな行動。

 だいたいこんなに客の居る店内で、そうそう会えるものじゃない、そう思って店を出ようとした。

「あ」

「あ」

 俺の目の前に、先週会ったあの子が居た。


 外見の印象があまりにも薄いので、すぐ隣でコミックの書棚を端から見ていた彼女に気付かなかった。相手も同じらしく、俺の顔を見て驚きの表情を浮かべている。 

「あ、あ、あの、先週はどうも」

「あ、うん」

 自分でもみっともないと思ううらい不器用な返答。それで終わり。それだけの関係。彼女気弱そうに頭を下げ、それから書棚を見る作業を再開している。

 俺は別の棚を見た。何か適当なコミックでも買って店を出ようと思った。手に取ったのは、先週彼女に譲ったライトノベルのコミカライズ本。

「あの、それ、その作品がお好きなんですか?」

 挨拶を交わし、それで終わったと思った女の子に、不意に話しかけられた俺は、棚から引き抜いたコミックを落としそうになった。今度は何とか平静を装いながら返事する。

「うん、アニメを見てた」

 人の目を見て話すことが出来ないらしき女の子は、しばらく俺の手元にあるコミックを見ていたが、水泳の息継ぎのように口を開き、言った。

「あ、あの、原作っ、原作はもう読みましたか?」

 俺は手に取ったコミックを裏返したりして眺めながら答える。

「まだ読んでないんだ、文庫は揃えると高いし」

 正直、このラノベ原作アニメもテレビでおっぱいとパンツがやたら出てきたから見ただけで、文字しか無い原作小説は読む気がしなかった。

 女の子は、そこに俺の顔があるように手元のコミックを見ていたが、顔を上げて言った。

「あ、あの、こっち、こっちに」

 女の子はそれだけ言って歩き出す。すぐに足を止めて振り返った。ついてこいという意味だと思って俺も足を進めると、何度も俺を振り返りながらどこかに歩いていく。

 

 女の子が俺を連れていったのは、ライトノベルの百円コーナーだった。少女が足を止めて棚を指差す。俺が持っているコミカライズの原作本が並んでいる。

「あの、これ、三巻まで読むと、面白いですから!」

 俺の顔を見つつ、目ではなく口元に視線を合わせてるような女の子。俺は小説なんて買う気は無かったが、言われた通り三冊のライトノベルを手に取った。

 特に意識せず書棚から引き抜くと、少女は手を伸ばして本を押さえる。

「あ、あの、こっちのほうが綺麗です」

 少女の言う通り、同じ巻が数冊ある中で、俺が手に取った物は日焼けし変色していた。書棚に戻し、少女の指差したまだ真新しい本を引き抜く。

「ありがとう。読んでみるよ」

 少女は俺を見て笑った。貧相な印象がほんの少し明るくなったような気がした。

「あ、あの、ごめんなさい、ありがとうごさいました、ごめんなさい」

 俺が本を買って儲けるのは本屋で、喜ぶのは作者なのに、なぜか少女はわけのわからない感謝と謝罪を述べた。

「ありがとう。帰って読んでみるよ」

 俺は買う気も無いのに手に取ってしまった文庫とコミックを目の高さに差し上げながら言った。

「じゃ、じゃあ、じゃあまた」

 ひどく不器用な言葉をと共に、、少女は一礼して歩き去った。俺も手を振る。

 俺は文庫本を棚に戻そうかとも思ったが、買ってもカブの満タンより安いと思い、レジに向かった。


 三冊の文庫と一冊のコミックをお買い上げした俺は、雑誌コーナーで少し立ち読みした後、閉店のアナウンスに追われるように店を出た。

 カブの前カゴからヘルメットを取り出し、古本屋の袋を放り込んだ俺の目に、さっき話したあの女の子の姿が映る。

 女の子は先週と同じように、近隣の駅まで往復する無料送迎バスの列に並んでいた。近づいて来る俺に気付いたのか、控えめな会釈をする。

「さっきはありがとう、いい買い物が出来た」

 お互い目当ての物を探し回る身の店内と違って、立ち止まっていることが前提のバス待ちの列なら、さっきより落ち着いて話が出来る。

「あ、あの、わたしも、あの作品を好きな人とお話しできてよかったです」

 それで話が終わりそうな雰囲気。何か別の話題は、と考えている間に、会話を続けてくれたのは女の子だった。

「あの、バイクで来ているんですか?」

 女の子は俺が手に持っているヘルメットを指差しながら言った。俺は後ろを振り返りながら言った。

「原付だけどね、今夜もあと数軒回ってみるんだ」

 女の子は俺の視線を追うように、駐輪場に並ぶバイクを眺めながら言った。

「いいな、私バスだから、この店にしか来られない」 

 二人の間に短い沈黙。お互い人と話すのに慣れてないことだけはわかった。俺はこの店に入り、この子のことを思い出した時から言いたかったことを言う。

「良かったら、一緒に古本屋を回らない?来週もこの時間に来るから」

 俺がこの子に抱いた憐れなイメージは、この女の子が土曜の夜に古本屋で漫画を買うことを楽しみにしているからじゃない。古本屋に行くのが好きでも、その手段を持っていないから。でも、俺のカブさえあれば。

 女の子を口を手で覆い、驚きの表情をしている。言ってみたものの拒絶されるかもと思い、俺の鼓動は早くなる。

「あ、あの、いいんですか?」

 俺が黙って頷いたのは、まだ心臓がドキドキして言葉がうまく出てこなかったから。女の子は何かに気付いた顔をして、自分の頭を押さえる。

「でもわたし、ヘルメット持ってないんです」

 やっと落ち着きを取り戻し、俺は言う。

「持って来るよ、バイクに乗れるような服で来てくれればいい。その格好でいいよ」

 少女は勢い良く頭を下げながら言った。

「あ、あの、ありがとうございます!」

 そこで送迎のバスが到着し、俺たちの話は終わる、女の子は俺に手を振り、バスに乗り込んだ。

 俺は車内から見ているであろう女の子の視線を意識しつつ、ヘルメットを被りカブに跨った。キックしてエンジンをかけ、出来るだけズムーズに駐輪場を出る。

 道路に出た俺は、片手でも操縦できるカブのハンドルから左手を離し、ガッツポーズをした。

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