カブたん

トネ コーケン

深夜徘徊しませんか(前編)


 夜が深夜に変わる頃。

 町田市の北部から多摩市に至る細い都道を原付で走っていた。

 並行する鎌倉街道を走ったほうが目的地まで早く着けるが、一週間楽しみにしていた土曜の夜。深夜の車が作る速い流れの中を原付で走る気分ではなかった。

 それに、急ぐために走っているわけじゃない。

  

 小野路の旧宿場町を抜ける細くて暗い道路を北上し、町田市と多摩市の境目にある尾根幹線道路との交差点を右折した俺は、少し東へと走って鎌倉街道に達し、目的地に着いた。

 多摩にあるチェーン系大型古書店。

 元々は家具デパートだった建物で、広い4フロアの売り場を持つ古書、古着、中古家電等の総合リサイクルショッピングモールになっている。

 夜だというのに入庫待ちで並んでいる車を尻目に、俺は自分の原付を駐輪場に停めた。

 スーパーカブ50改88。

 中古のカブにタケガワの88ccボアアップキットを組んだ原付二種は、高校生の俺に手に入りうる最良の深夜徘徊ツール。

 

 子供の頃から、夜中の町並みや道路が好きだった。

 夜になるとよく親に頼んでドライブに連れてって貰い、行楽で遠出した時も、昼は車内で退屈な思いをしていた気がするが、日が暮れると車窓から夜景を飽きずに眺めていた。

 そのうち夜の散歩をするようになり、何か悪い遊びをしているんじゃないかと疑った親にしばしば外出禁止を告げられたが、そのたびに言いつけを破って外を歩き回った。ただそれだけのためだと言っても誰も理解してくれなかった。

 小学校高学年の頃から、土曜の夜は自転車に乗ってラジオを聴きながら走り回るようになる。補導されることも何度かあったけど、ほとぼりが冷めるとまた近所の深夜徘徊を始める。

 徘徊の範囲が大幅に広がったのは、高校に入り原付の免許を取ってからだった、夏のバイトで金を貯めて、自転車屋をやっている幼馴染のコネで程度のいい中古カブを手に入れ、ずっと昔からそうしていたように、土曜の夜を走って過ごす。

  

 中古のカブはガソリン代もかからず、壊れることもない原付だっが、深夜の幹線道路を走るには若干力不足。とはいえ大きなバイクを買う金の無い俺は、またバイトを重ねて自動二輪免許を取り、カブのエンジンを88cc拡大するボアアップキットを買った。

 エンジンのヘッド部分をノーマルのままボアアップできるキットとはいえ、その性能を活かすにはキャブやカムシャフト、オイルポンプ等買い足さなきゃいけない物は案外多かったが、組み付けは自転車屋の幼馴染がやってくれた。

 高校でつまらない時間を過ごす俺の土曜の夜を、何よりも好きな時間にしてくれるスーパーカブ50改88にしっかりと盗難防止ロックをかけ、俺は深夜営業の大型古書店に入った。


 古本屋に入ったからといって、特に探している本があったわけじゃない。

 ただ深夜徘徊の途中休憩を兼ねて、夜の古本屋の独特の雰囲気を楽しみにきただけ。都下のあちこちにある深夜営業の古本、中古オモチャ店はよく、その夜の徘徊コースを決める目安になっていて、家から比較的近い多摩の大型古書店は、その最初の一店になることが多かった。

 同じフロアにある中古オモチャを見て回った後、コミックコーナーをぶらぶらと歩く。立ち読みで少し時間を潰した俺は、一冊の単行本を手に取ろうとした。

 同時に別の指が本を摘む。隣から「あっ」という声が聞こえた。

 横を見ると、俺と同じ本に手を伸ばしたのは女の子だった。俺は自分の手を引っ込めながら言った。

「どうぞ」

 そう言いながら横の女の子を見る。土曜の夜に、見た限り一人で古本屋でマンガを漁る女子は、随分ともっさりした外見だった。

 梳かず自分で切ったみたいな感じの黒く長い髪。お洒落要素に乏しいただの銀縁眼鏡。ジーンズに布スニーカー。上階の古着コーナーで買ったみたいなフリースの上着には毛玉がついている。

 俺は自分の服を見下ろしながら、人のことは言えないな、と思った。今の格好はカブで徘徊する時にいつも着ている整備用の布ツナギに、貰い物のライディングジャケット。


 俺に古本を譲られた女の子は、引っ込めた両手を握って胸の前に持っていきながら、俺の顔を見ることなく言う。

「い、いいい、いえいえ、わたしいいですから」

 声を出すことに慣れてない様子。俺は書棚の中で少し出っ張ったコミックを指で戻しながら言う。

「俺も買わないし」

 引っ込められた女の子の手がもう一度伸びる、俺と女の子が同時に手に取ったコミックは、確か数ヶ月前にアニメ化した男子向けハーレムアニメのコミカライズ。古本として棚に並んでいるのは珍しいけど、俺はさほど興味なく、ただ何も買わず店を出るのも気が引けるので、立ち読みの代金替わりに一冊買おうとしただけ。

 女の子はコミックを取ると、俺に頭を下げる。

「あ、あの、あり、ありがとございます」

 俺は「うん」とだけ言って頷き、何か別のコミックを探すべく棚の前を並行移動し始めた。

 

 結局、何も買うことなく、22時の閉店時間アナウンスに追われるように大型古書店を出た。

 まだ夜はこれから。今夜も徘徊を楽しもうと思い、カブを停めた駐輪場へと歩く。

 前カゴに放り出してあったヘルメットを手に取りながら、隣に人の列が出来ていることに気付く。

 大型古書店から近隣の駅までを往復する無料送迎バスを待つ人たち、その中のさっきの女の子が居た。

 ヘルメットを被る俺と、胸の前に古本の入った袋を抱える女の子の視線が合った、女の子は少し頭を下げてすぐ視線をそらす。

 もういちどチラっとこっちを見たので、俺は片手を上げてカブのエンジンをかけ、駐輪場から外の道路へと走り出した。

 バスに乗ってくるあいつらより、自分のカブで来る俺のほうが恵まれていると思った。


 月曜。 

 自宅から徒歩で通える都立高校に通学した俺は、後ろの席から声をかけられた。

「カブどう?」

 褐色がかった柔らかい髪を後ろでポニーテールにした女の子。俺のカブを面倒見てくれている自転車屋の幼馴染。

 小学生の時にはよく一緒に遊んだが、中学に上がり、俺が自転車での深夜徘徊にのめりこむようになってから疎遠になった幼馴染とは、偶然同じ高校に進学したことをきっかけにまた喋るようになり、その縁で俺に格安のカブを売ってくれた。

 それからカブという共通の話題が出来たが、それ以外のことをあまり話すことは無い。

 幼馴染は原付も取り扱っている自転車屋の娘だけど、客の原付の試走以外で原付に乗ることは無く、俺の趣味である深夜徘徊については全く理解していない。


 俺は二人の間での、もう朝の挨拶になった言葉に返答する。

「調子いいよ。昨日も小野路から鎌倉街道に出て、多摩セン通りから野猿街道を抜けて相原まで行ってきた」

 朝はいつも不機嫌な幼馴染はあまり興味なさそうに話を聞いた後で、ぶっきらぼうに聞く。

「ちゃんと点検してるんでしょうんね?ブレーキ、オイル、タイヤ、チェーン、ランプ、ヨシオはだらしないからすぐさぼる」

 俺が中村良夫という平凡な名前を自覚させられるのは、この幼馴染と居る時。

「壊れたらヨシエが直してくれるんだろ?」

 俺をヨシオと呼んだ幼馴染のヨシエは、ジト目で俺を睨みながら言う。

「ハァ?修理で幾ら稼げるってのよ?やんないからね、よそ持ってきなさい」

 幼馴染の桜井淑江は、俺の背をシャーペンでつつきながら言った。 

 (中編に続く)

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