第七章 五万石

     壱


「ではこの娘が力を持っていたというのか」

「御意」

 丹波篠山藩下屋敷、松平佐渡守信岑は軍学と対面していた。

軍学の脇には目隠し猿轡、両手両足を戒められた涼が、後ろには吉助が控える。

「なかなかに希有なる力。これを利用しない手は御座いません」

「ふぅむ」

 佐渡守は手を顎にして唸る。

俄かには信じられない話だが、黄道館は確かに金を生んだ。その力がこの娘にあるのなら、確かにこれは金の生る木だ。

「してどうする」

「しばしはこの屋敷にて。時期を見て追々と」

「この娘は言う事を聞くと思うか」

「その辺のやりようは、幾らでも御座いますれば」

「ふぅむ」

 佐渡守は涼に近づくと顎に手をかけ持ち上げる。目を隠されてはいるものの、キッとこちらを睨んだのがわかる。

「睨んでおるのか。その割には震えておるな」

 年若い娘がその身を拘束されて囚われているのである。恐怖を覚えるのは無理も無かった。それでも相手を睨みつけるのは気丈であるともいえた。

「神の力を持つ娘か……どのような声で鳴くのかのぅ」

「恐れながら」

「なんじゃ軍学」

「今はまだお手をつけてはなりませぬぞ」

 軍学は嗜める。佐渡守は手を離すと自分の座に戻る。

「無粋なやつめ。何故じゃ」

「確かめてはおりませぬがその力、純潔ゆえのものかも知れませぬ」

「ふむ」

「お手を出されるのは、一儲けしてからでも遅くありますまい」

「なるほどな。楽しみは取っておくか」

 佐渡守は満足そうに頷く。

「軍学、お前にはこれからも役に立ってもらうぞ」

「御意」

「約束通り、兵法指南役として二百石で召抱えてやろう」

「有り難き幸せ」

「時に実道のほうの始末は問題なかろうな」

「無論です。この手にて」

「うむ。あとお主達を嗅ぎ回っていた妙な浪人じゃが」

「そちらも問題ありますまい。よもや五万石の大名家相手に喧嘩を仕掛けてくるとは思えませぬ。たとえ大岡の手のものだとしても既に証拠はこの世に居りませぬ。そうなっては大岡も手は出せますまい」

「それはそうじゃな」

 はははは、笑い声を上げる佐渡守。軍学もあわせるように笑う。後ろで控える吉助も笑う。更に笑い声が加わる、四人目、五人目……

「ははは……表に誰か居るのか」

 明らかに自分たち以外の笑い声。軍学は立ち上がるとバンッっと障子を開け放つ。


      弐


 風変わりな男だった。

一見すると浪人のようだが、背まで伸びる総髪を結いもせずに後ろに流し、黒い着流しの裾からは女物の肌襦袢なのか薄桃色が見え隠れする。

脇差を腰に、大刀を手に携える。

「貴様……春夜夢人か」

「軍学殿とお見受けした。お初にお目にかかる」

 夢人は慇懃に一礼する。その左右には二人の女。右には着流しに菅笠の大女。左にはたっつけ袴に丹前を羽織った眼帯の女。牛頭陣八と百足である。

「軍学、何者じゃ」

「例の浪人で御座います」

「わざわざ斬られに参ったか、ご苦労な事じゃな。軍学、始末いたせ」

 軍学が声を上げる。屋敷の奥からわらわらと藩士が駆けつける。三人を囲みこむと次々に刀を抜く。夢人も手にした大刀を腰に指しなおすと鯉口を切る。

「わざわざ斬られに出て来るか。宮仕えは辛いな」

「ぬかせ」

 藩士が上段から斬り込む。しかしその切っ先は遅い。人を斬ったことのある藩士などいないのだ。真剣を振ったことのある藩士もそう多くないだろう。

竹刀や木刀ならあるかもしれないし、腕に覚えがあるものもいるかもしれないが、それとは勝手が違うのだ。

 夢人はやすやすとその切っ先を避け、擦れ違いざまに大刀を居合い抜くとその胴を薙ぎ斬る。藩士はわき腹を三寸ほど斬り裂かれ、もんどりうって倒れこむ。

 仲間が斬られたことに触発されたかのように、次々に藩士が斬りかかる。しかしいずれも切っ先に勢いが無い。夢人はまるで巻き藁を斬るように、やすやすと切り倒す。

 

 牛は両手に小太刀を構える。こちらも藩士に囲まれる。夢人よりも組しやすいとふんだのか、囲む藩士の数は多い。牛は少し困ったような表情を浮かべる。

「あまり斬りたくないんだよねぇ」

 越前守の手前、騒ぎをあまり大きくしたくないのである。正直来たくは無かったのだが……

「放って置くとやり過ぎそうで恐いしねぇ」

 溜息混じりにぼやく。

 しかし藩士は牛の事情など知る由も無い。彼等にしてみれば単なる曲者である。次々と斬りかかる。斬りかかられる以上、容赦をするほど牛も甘くは無かった。

 斬りつける刀を左の小太刀で弾くと右の小太刀を薙ぐ。薙いだところで今度は左で突く。更に身を沈めながら後ろの藩士の足を払う。巨躯に似合わぬ流れるような素早い動きで藩士を次々と斬り伏せていく。


 百足の大野太刀が唸りを上げる。百足の豪剣の前に小手先の受け流しや構えなどは何の意味も無かった。逆に多少の心得のあるものが、無理に受けようとして斬り伏せられていく。囲み来る藩士が増えれば増えるほど、百足の牙が猛威を振るう。

 百足は丹前を脱ぎ捨てる。白い肌が薄桃色に火照り、薄く湯気を上げる。筋肉が付き引締まってはいるが、一見すると細いその腕のどこに、大野太刀を振り回すだけの力が秘められているのか。

「さぁさぁ。楽しませておくれやす」

 百足は大野太刀を肩に背負うと大見得を切った。


      参


「なるほど、言うだけの事はある」

 軍学は藩士をさがらせるとずいっと前に出る。

夢人もそれに対峙する。

夢人は下段に軍学は中段に構える。

「殺すには惜しいな。私の腕にならんか」

「それも面白いかも知れんな。しかし遠慮しよう」

「そうか」

 遠巻きに藩士が囲む中、じりじりっと間合いの掴み合いが続く。

 不意に飛来する黒い影、夢人は一つ目をかわすと二つ目を刀の峰で打ち落とす。その隙に軍学が踏み込む。

二撃三撃素早い突きを繰り出す。

夢人は身を引いてかわす。

引いた分を軍学が踏み込む。

軍学の踏み込みに合わせるように、夢人も引いた身を瞬時に踏み込ませる。

擦れ違いざまに斬り上げる。

その切っ先を軍学はいなす。

両者再び対峙する。そして静寂。

 吉助が再び火箸を振り上げる。

その瞬間、夢人はすかさず小刀を抜き放つと、吉助目掛けて投げつける。

投げられた小刀は狙い違わず吉助の胸に突き刺さる。目を丸くする吉助。そのまま力なく崩れ落ちる。

 軍学が再び踏み込む。袈裟懸けに一閃、逆袈裟に一閃。

体をずらして切っ先をかわす。かわしておいて相手を引き込むと、足を狙って下段に薙ぐ。

跳んで避けると構えを直す。

再び静寂。

「埒があかんな」

「そのようだな」

 両人共にふぅっと息を抜くと構えをゆっくりと直す。

夢人は再び下段に、軍学は再び中段に。お互いがお互いを見つめる。

その目に激しさは無い。ただ静かに相手を見る。

内に込めた殺気のみが激しく燃え上がる。

「キハッ」

 気勢一喝、軍学が踏み込む。

疾風の如き速さで突き出された切っ先は夢人の咽笛を狙う。

夢人は身を捻る。

切っ先が咽を掠り朱が糸を引く。

 夢人は身を捻ったまま下段の刀を斬り上げる。

心の蔵から肩口までをばっさりと斬り裂く。

一拍置いてから大量の血が噴出す。

刀を突いた姿勢のまま軍学は事切れていた。


 更に夢人を取り囲む藩士。

夢人は刀を一振り。たぱぱっとこびりついた血が地面に点を描く。


      四


「もうよい。やめい」

 座したまま次第を見守っていた佐渡守が声を上げる。

「束になってかかってもこやつ等には勝てまい。これ以上藩士を失いとうはない」

 囲みがすっと広がる。夢人が前に出る。牛と百足も夢人の背後を守るかのように側に寄る。佐渡守は立ちあがると軒下まで進み出る。

「旦那」

「安心いたせ。手は出さぬ」

 藩主たる佐渡守を斬ったとなれば、それこそ事は収まらない、公儀の追求もあるだろう。夢人もそれは承知していた。

「何が望みだ」

「まずは娘を返していただきたい」

 佐渡守は指図する。藩士に戒めを解かれた涼が夢人に駆け寄る。

「夢人様」

 夢人は小さく頷く。

「他には」

「今日の事は無かった事にしていただく」

 佐渡守は苦虫を噛み潰したような表情になる。

しかし言われるまでも無くそうするしかないのだ。

たった三人の賊に進入を許し、更に大量の藩士を斬られたなどと、丹波篠山藩五万石の体面に傷がつく。それだけは避けなければならない。下手をすると心得不行き届きとして公儀から罰せられないとも限らなかった。内々に処理しなくてはならない。

そのためには無かった事にするしかなかった。

「よかろう。お主たちも他言無用じゃ」

「承知」

 夢人も頷く。

「左様ならば失礼仕る」

 夢人は慇懃に一礼する。

佐渡守が指図すると藩士の囲みがゆっくりと開く。

三人は涼を守るように、三方に睨みを利かせながら藩士の中を抜け、表門までたどり着くと門番に木戸を開けさせる。

そのまま一行は悠々と屋敷を後にした。


      五


「やりすぎじゃよ」

 越前守が苦笑する。

夢人たちはそのまま大岡の屋敷を訪れていた。討手を警戒しての事もある。しかしそのようなものは結局無かった。

「陣八よ。何故止めなかったのじゃ」

「申し訳ございません」

 平身低頭、牛頭はその大きな身体を縮こませる。

「止めるには止めたのですが……」

「牛に落ち度はありません。こちらが勝手にやったこと」

「まぁよい」

 越前守は笑う。

「まずは無事で何よりじゃ。佐渡守殿も表沙汰にはできまいて」

 そういってから更にくくくく、と含み笑う。

「彼奴の歯噛みする面が浮かぶの。うむ、溜飲が下がるというものじゃ」

 どうやら越前守は佐渡守とは折が悪いようだ。

「で、その娘は」

 夢人の後方に控えるように座っていた涼が深々と頭を下げる。

「涼と申します」

「件の館主の娘です」

「なんと」

 夢人は事のあらましを説明する。娘の事、館主の事、軍学の事、等々。

「なるほどそういうことであったか……」

 神妙に頷く。

「娘、父親は惨い事であったの」

「いえ……」

「しかし御公儀への反逆を企てた以上、遅かれ早かれこのようなことになったであろう。それは分かるな」

「……はい」

 ともすれば涼や百足なども厳しく罰せられる。しかしそのことについて越前守は追求しなかった。

「その力も悪戯に使えば、お主の意志とは関係なく世の混乱の種となる。それもわかるな」

「……はい」

 越前守は鷹揚に頷くと、さて、と話を切り替える。

「まぁやりすぎとはいえ……」

 越前守は再び笑う。牛が更に縮こまる。夢人はどこ吹く風だ。

「仕事を遂げた事には間違いない。良くやってくれたのう。褒美を取らせねばならんな。何か所望はあるか」

「それではさしあたって……」

 夢人は大小を前に置く。小刀は鞘しかなかった。

「大小の指料をいただきたい」

「使い潰したか」

「潰しました」

「随分斬ったな」

「斬りました」

「どのようなものが所望じゃ」

「斬れさえすれば何でも結構です」

「相解った。他には」

「そうですな。百両もいただきましょうか」

「それでいいのか。聞けば夢人、あの本を千両で売ると吹いていたそうだが」

「それでは千両いただけますか」

「無理じゃな。百両で手を打ってもらう」

 越前守は笑いながら脇に控えた勘兵衛に指図する。勘兵衛は座を辞すると程なくして藩士を連れて戻ってくる。片方は三方を、もう片方は数振りの指料を抱えていた。三方には切餅四つが載せられている。

「指料は好きなものを選べ」

 夢人は指料を手に取る。いずれもよく斬れそうだ。もっともこの屋敷に安物の指料など置いてはあるまい。程なくして肉の厚い大小を選ぶ。

「こちらをいただきます」

「うむ、それは三つ胴の一品じゃ。なかなかに目が利くな」

 三つ胴。つまり試し斬りにて三枚に重ねた胴体を一気に斬り落したということだ。それはなかなかの業物だ。

「さて……あとはその方達の処遇じゃな」

 その方達とは百足と涼である。百足は既に食客としてこの屋敷に厄介になってはいたが、この先もそうするのかは決めていない。

「まぁ……この屋敷で預かっても構わんが。どうする」

「お奉行様の仰せのままに致します」

 涼は深々と頭を下げる。百足も追従して頭を下げた。

「うむ……そうじゃな」

 越前守はにっと笑うとぽんと膝を打つ。

「夢人よ。この方らの面倒はお主に任せる」

「なんと」

 夢人が目を剥く。

「信賞必罰じゃ。事を成した褒美は与えたゆえ、やりすぎたことへの罰だと思え。お主のような風来坊には、おあつらえむきの罰じゃ」

「しかし私は長屋暮らし。無理があります」

「そうじゃな」

 しばし思案する越前守。しかし再び膝を打つ。

「屋敷をやろう。あの黄道館じゃ。どうせ召し上げても使い道の無い屋敷じゃ。お主に下げ渡す。それでよかろう」

「よろしくお願い致します」

「よろしゅうおたのもうしますぅ」

 涼と百足が夢人に対して頭を下げる。夢人は苦笑する。これはどうにも受けるしかなかった。

「うむ、これにて一件落着じゃ」

 越前守は声を上げて笑った。

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