第六章 反撃
壱
「いたぞ」
夢人の周りに門人達が駆け寄る。次々と刀を抜き放つ。
「木刀は振り慣れんのだがな」
夢人はすこしぼやきながら、片手で二、三回ほど木刀を振る。その度にビュッビュッと風斬り音が鳴る。
「やはり今ひとつだな」
「きえぇ」
正眼に構えた門人が一人、切っ先を振り上げて踏み込む。夢人も合わせるように踏み込むと門人の振り上げた切っ先を脇から叩きつけるように払う。
ギィンと鋼の弾かれる音。門人が体制を崩したところで木刀を肩筋に打ち込む。鎖骨は簡単に折れるものだ。
肩を打たれた門人は刀を取り落とすとその場に崩れる。
続く門人が切り込んでくる。半身で避けるとまずは膝の脇に打ち込む。体制が崩れたところで後頭部に一閃。鈍い音と共にばったりと倒れこむ。
「なかなか使うようだな」
遠巻きになる門人を制し、大きな男がのっそりと現れる。巨漢だ。僧兵の様な姿から見ると、厳岳坊と呼ばれる男だろう。
「旦那」
夢人の背後を守っていた牛がずいっと前にでる。
「こいつは私にくださいな。人の身体をべたべたべたべた触りやがって。この好色坊主」
「ほぅ。さっきの女か。よほどわしに可愛がられたいらしい」
厳岳坊は顔を歪ませる。笑っているのか。しかしその厳つい顔は笑うというより威嚇しているように見えた。
「痛めつけて鳴かせるのもまた一興」
僧とは思えぬ言葉と共に腰を落とし身構える厳岳坊。全身の筋肉が盛り上がり気が込められていくのが肉眼でも見て取れる。
「できるものならやってごらんよ」
牛も構える。柔らかそうに見えていた四肢が硬く膨れ上がる。
はじめに仕掛けたのは厳岳坊。その巨体をからは考えつかないほどの素早さで駆け寄ると矢継ぎ早に蹴りを繰り出す。丸太ほどもある太い脚が唸りを上げて襲い掛かる。
牛も身を翻して脚を避ける。避けるばかりでなく手刀で受け流す。
「ほう、やるな」
双方の動きが止まる。厳岳坊の脚は所々衣服が切り裂かれ血が滲んでいた。
「あんたも図体だけってわけじゃあなさそうだね」
牛も手についた血をぺろりと舐める。
再び構える。静寂する刻。
弐
「死にたい方からおいでやす」
百足は大野太刀を頭上で唸らせ威嚇する。既に足元には三人の門人が切り刻まれて屍を晒す。どの屍も一刀両断。溢れ出た鮮血が地面を赤々と染め抜く。
「百足殿、正気か」
百足を囲む門人の一人が、切っ先を向けたまま叫ぶ。ほんの数日前までは仲間だった女である。
「堪忍しておくれやす」
百足は少し神妙な面持ちになる。
「うちもあんさん達を斬りとうはないんおすぇ」
振り回していた大野太刀を肩に担ぐと廻りを見渡す。じりじりと囲みが狭まり始める。
「もっとも邪魔しなはるなら容赦はしまへん」
身を落とすと低い大勢で大野太刀を勢いよく振る。円弧を描き刃が一周する。逃げ送れた門人が足首を切り裂かれもんどりうって転げまわる。
「引きなはれ。あんさん達では相手にならしまへん」
「では私が相手になろう」
黄道館の門の前に一人。総髪で袴を履いた体格の良い男が立つ。
「……ひゃぁ……軍学はん」
「百足よ、勝手気侭もここまでだな」
軍学はすらりと刀を抜くと中段に構える。その切っ先はまっすぐ百足の心の臓を指す。
「恐い事いわんといておくれやす」
百足も大野太刀を構えなおす。後ろに引いた下段の型だ。腰を落としじりじりと間合いを計る。
しかし軍学に隙は無い。間合いが広く有利なはずの百足がその一歩を踏み込めない。百足の額から冷たいものが伝い始める。
いつの間にか立ち位置が逆転する。軍学は屋敷を背に百足は門を背に。
「軍学。これは何事じゃ」
屋敷の奥から良師の怒鳴り声が上がる。軍学表情がぴくりと動く。
まずは実道の処分を付けなければならない。軍学は瞬時に判断する。彼が万が一にも大岡側の手に落ちれば厄介な事になる。世直しなどと口走られては最悪だ。
「百足……貴様の処分は後だ」
軍学は踵を返すと屋敷に駆け込む。百足も追いすがる。そこに飛来する三筋の影。百足は瞬時に飛びのくと三本の火箸が突き刺さる。
「吉助はんっ」
吉助は玄関の置くからひょいと顔を出すと、そのまま軍学に付き従う。百足も屋敷に入ろうとするが、わらわらと門人が立ち塞がる。
「どいつもこいつも死にたいんおすか」
百足の大野太刀が再び唸り声を上げた。
参
「もう切れたか。若いもんは回復が早いのう」
取り囲む門人を掻き分け、ひょっこりと現れたのは小柄な老人。
「御老体にはいっぱい食わされましたな」
夢人はゆっくりと屈むと、倒した門人の手から刀をとる。一振り二振り。思ったよりも良い刀だ。
「お主達はさがっておれ」
塞翁は門人の囲みを解く。遠巻きになる門人達。その中央で夢人と塞翁が対峙する。
「ではまいろうか」
ビュッと塞翁の竹杖が振られる。その先端から黒い影が飛ぶ。更に杖の反対側を勢いよく振り出す。こちらからも何かが飛び出した。
夢人はまずは一手目をかわす。地面には手裏剣が突き刺さる。二手目も身を翻すが、その軌道が夢人を追うようにぐるりと曲がる。
ひゅおん
夢人を掠めたそれは、更に塞翁の頭上をビィウビィウと鳴き叫ぶ。塞翁の杖から一丈の鎖分銅が飛び出し風を切る。
「踏み込めるかの」
塞翁は分銅を振りながらさらに杖を捻る。カシュっと小さい音と共に分銅の反対側から杖とは垂直に刃が起き上がり、丁度鎌のようになる。
塞翁の頭上では更に勢い良く分銅が回り始める。切る風が旋風を起こす。夢人はゆっくりと刀を下段に下ろす。地摺り下段。
牽制するように塞翁が分銅を繰り出す。しゅっしゅしゅっと分銅が風を切る。分銅を素早く戻すと再び頭上で旋回させる。
夢人は切っ先を地面すれすれに構えたまま右に引く。刃が夢人の右脇後方にくる形になる。そのままずっずずっと間合いを計る。
「流石の貴公も踏み込めまいて」
塞翁の手が更に早くなる。既に頭上の鎖分銅は、その速さから残像が黒い円盤のように
なり、風斬り音も更に激しく甲高くなっていた。
夢人は引き下げた切っ先を一気に振り上げる。そこにあった石ころが狙い違わず塞翁の顔へと飛んでいく。
「む」
杖を動かし石を弾く塞翁。しかしその瞬間に僅かな隙が生まれる。
夢人は石と共に一気に踏み込むと横なぎに凪ぎきる。
がきん
更にそれを杖で受ける塞翁。どうやら杖には鋼が仕込んであるらしかった。
塞翁は後ろに跳び引こうとするが、それにあわせるように更に踏み込む夢人。間合いを離しては再び鎖分銅の威力を発揮させてしまう。それを避けるには接近するしかなかった。
塞翁は鎖を左手に短く持つと細かく振る。ひゅんひゅんと分銅が夢の眼前を掠める。避けたところを鎌でかき切る。身を捻るようにそれをかわす。
「うぬ」
再び分銅を振る。右に左に激しく振られる。四振り目の分銅が大きく変化し夢人の刀にぎゃりんと巻き付く。
老人とは思えぬ腕力でギリギリと鎖を引き絞る。力が拮抗し両者の動きが止まる。夢人が更にググっと力を込める。それに呼応するかのように塞翁も鎖を引き寄せる。
とその瞬間、夢人は刀を手放す。力の拮抗を失った塞翁は大きく仰け反る。夢人は駆け寄りながら宙に浮いた刀をつかむとそのまま塞翁に突き立てる。
「ぐぇ」
ずぶりと切っ先が塞翁の咽下に突き刺さる。ごぼっと血の泡を吹くと、塞翁はそのまま事切れた。
「冷や水が過ぎましたな。御老体」
夢人は突きたてた刀を打ち捨てると、新たな刀を拾う。
「さて、お次はどなたかな」
四
涼は崩れた土蔵の穴から外の様子を伺う。あちこちで剣劇や怒号が飛び交う。牛と呼ばれた大きな女からは土蔵の中にいるようにといわれたが、そんな事は出来なかった。
お父様……
話の感じでは、どうやら二人は黄道館を探っていたらしい。そうなるとおそらく公儀の者だ。父親の言動を探っていたのかも知れない。
世直しなどと声高に唱えていたのだ、もしそうならば父親の身が危なかった。
お父様にお知らせしないと……
その思いだけで涼は土蔵を抜け出し、屋敷へと向かう。敷地内は夢人たちが暴れまわっている為か大混乱となっており、涼を見咎めるものは誰もいなかった。
「軍学。これは何事じゃ」
屋敷から父親の怒号が聞こえる。まだ無事なのだ。おそらくは祈祷所だろう。涼は急いで父親の元へと走った。
五
「せやっ」
ボボボッと牛の正拳突きが繰り出される。
厳岳坊もそれをいなすと逆に回し蹴りを繰り出す。蜻蛉を切ってそれをかわすと、身を捻って蹴りを繰り出す。
両者とも攻防が一進一退、決め手に欠く状況だった。
「ぬん」
今度はがっちりと両の手を合わせると力比べに入る。双方の両腕から肩にかけて膨張した筋肉がぎしぎしと音を立てながら盛り上がる。
力比べは上背体重共に上回る厳岳坊のほうが有利か。
次第に牛の上に覆いかぶさる。牛は逆に相手を引き込むと、足払いを繰り出し、更に巴投げの要領で相手を後方へ突き飛ばす。
「むぅわしを投げるとは」
飛び跳ねるように素早く身を起こす厳岳坊。牛も素早く起き上がると対峙する。
「埒が明かないねぇ」
「そうでもないがな」
厳岳坊がにやりと笑う。体格を見るに体力的には厳岳坊が有利だ。戦いが長引けば長引くほど厳岳坊の思う壺である。
「まぁゆっくり楽しもうではないか」
「お断りだね」
牛は再び蹴りを繰り出す。身を捻りながら二回三回。しかしその分厚い肉の壁にすべてが打ち止められる。
「どうした。もっと攻めてまいれ」
余裕を見せる厳岳坊。
「言われるまでも無いよ」
果敢に攻めかかる牛。手刀を打ち下ろし、掌底を繰り出し、正拳で突く。
人中、首筋、鳩尾、脇腹。
鍛えられない急所への攻撃。しかし急所への守りは堅く、ことごとくがいなされる。
逆に厳岳坊の攻撃は、体重を乗せ守りの上から容赦なく打ち込まれる。
次第に劣勢になる牛。肩の動きが上下に激しくなる。白い肌に汗が浮き、珠となって飛び散る。
「どうした。もう終わりか」
畳み掛けるように厳岳坊が攻めかかる。重い一撃一撃が牛の身体に蓄積していく。
「どうだ、命乞いをすれば助けてやらんでもないぞ」
「……」
急に牛はうつむき加減にぼんやりと棒立ちになる。両の腕はだらりと力なく垂れ下がり、正に無防備となっていた。
「ん。気でも失ったか」
絶対の自信からか、厳岳坊は不用意に牛に近づく。その瞬間を牛は見逃さなかった。
余分な力を抜き、速さのみを乗せた平手打ちを厳岳坊の両耳に叩き込む。女性のしなやかな腕は鞭に等しく、そこから生み出される衝撃は鼓膜を破るには十分な威力がある。
ぴしゃっ
激しい破裂音が厳岳坊の鼓膜を襲う。鼓膜は鍛えることの出来ない急所である。厳岳坊はぎゃっと悲鳴を上げると両耳を押さえながらよろける。
すかさず牛は喉仏に手刀を打ち込む。ゲェッと喉を詰まらせた厳岳坊はそのままどうと倒れこむ。更に心の蔵に掌底の一撃。厳岳坊はビクンと身体を震わせる。そして沈黙。
「天狗倒し……こんな古典的な術が効くとは思わなかった……」
六
「軍学、軍学っ」
祈祷所に越賢良師の怒号に近い声が響く。右へ左へ落ち着かない様子で動き回る。
「ここに控えております」
軍学は抜き放った刀を後ろに回すと片膝を付き一礼する。
「この騒ぎは何事じゃ」
「賊が押し入ったものかと」
「賊じゃと。よもや公儀の手のものではあるまいな」
良師の顔が見る間に青くなる。
「ご心配には及びません」
軍学はすかさずなだめる。落ち着いた低い声は不思議と他者を落ち着かせる力に満ちていた。
「うむ、そうか」
幾分落ち着いた面持ちを取り戻す良師。しかし不安が全て拭われたわけではない。
「してどうするのじゃ」
「賊が公儀の手のものだとしても、表立ってそれを名乗っているわけでは御座いません。人数も少数の様子。相手も確固たる証拠を握ってはいないものと見受けます」
「なるほど」
「となれば、相手に証拠を握られさえしなければ、事は済みます」
「うむ」
「良師様に置かれましては……」
ここで軍学はすっと立ち上がると手に持った刀を下段に構えなおす。
「心安らかにお逝き下さい」
七
「お父様」
祈祷所には父実道と軍学、そしてその後ろに吉助が控えていた。
はじめ軍学は傅き何かを語ったいるようであったが、すっくと立ち上がるといきなり切っ先を振りかざし、袈裟懸けに切りつける。
悲鳴をあげる暇もなく実道はがっくりとその場に膝を落とす。逆に悲鳴をあげ実道に駆け寄る涼。
「お父様っ」
「これはお涼様」
軍学は右の手に刀を下げたまま一礼する。
「お父様、お気を確かに……」
「お涼……」
実道は薄らと目を開け涼を見る。
「すまなんだな……」
実道の全身から力がすうっと抜ける。涼の手の中でずしりと重くなる。肩口から胸にかけて切り裂かれた傷口から鮮血が流れ落ち、緋袴の朱が更に深く染められていく。
「何故です軍学」
涼が声を上げる。軍学は再び慇懃に一礼する。
「公儀に目を付けられた以上、こうするより他は無いのです」
「結局大事は己の身ですか」
「無論」
軍学は無表情のまま刀を振り上げる。
「お涼様もお逝き下さい」
「おのれ軍学」
涼の目がかっと見開かれる。
その黒目がちの瞳に形容しがたい光が宿り、長く流された洗い髪がざわざわとなびく。
「うぬ」
軍学の襟元がちりちりと煙を上げるとぼぅっと火を噴く。慌てて飛び退る軍学。涼はゆっくり立ち上がると、軍学を睨みつける。
「お父様の敵」
袖口から裾から、次々と火が上がり始める。
「なんと……力をお持ちだったのはお涼様の方でしたか。しかしなるほど合点はいく」
軍学は慌てる風も無く、鷹揚に頷く。
「なればまだそのお命を頂くわけには参りませぬな」
軍学はゆっくりと構えなおす。着物から噴出した火が徐々に広がり始めるが、気にも留めない。じりじりっと間合いを詰める。
目に見えぬ気迫が軍学の全身を覆い涼に重く圧し掛かる。異能を持つとはいえ、歳若い娘に過ぎない涼に、その気迫をおし戻すだけの胆力は無かった。次第にその気に呑まれていく。
「キハッ」
気勢と共にお涼に一気に詰め寄ると、刀の柄をもって当身を当てる。うっと小さくうめくと、涼はがくっと気を失う。軍学はその身を素早く支える。
「なかなかに肝が冷えた」
軍学は着物の火を払うとお涼の身を吉助に預ける。吉助はお涼をひょいと肩に担ぐ。
「もはやここには用は無い。行くぞ吉助」
八
「さて、お次はどなたかな」
「か、囲みこめ」
門人の一人が声を上げる。見ればその男、左の手に鎧の小手をつけている。
「ほほう、あの時の……」
「この左手の恨み、晴らしてくれる」
男は小手の上に刃を立てて構えると、切っ先を向けて勢い良く踏み込む。無論夢人は難なくかわす。両手そろって勝てぬ相手に片手で挑むのは無理があった。
「ぎゃっ」
かわした夢人の切っ先が男の右手を切り落す。ゴトリと右手が刀ごと落ちる。返す刀で首筋を斬り裂く。両手を失った男はそのまま前のめりに倒れる。
「おのれ」
刀を振り上げ左右から斬りかかる門人。
右の刀を己の刀で弾き上げるとそのまま左に斬り下ろす。斬り下ろしたところで更に右へと薙ぎ上げる。門人二人が血飛沫と共にどうと倒れる。
夢人は切っ先を突き出し牽制しながら再び新しい刀を拾う。右に手にした刀で周囲を牽制しながら新しく取った刀をみる。手入れはされているようだ。
振り返りざまに右に手にした刀を投げ付ける。不意を討たれた門人の胸にズブリと突き刺さる。崩れる門人を横目見ながら新しい刀をすっと構える。
門人の囲みがゆっくりと広がり始める。
その中を夢人が進む。
行く手を塞ぐ門人が左右に割れ道ができる。
「どういたした。来ぬのであればこちらから参ろう」
夢人の刀が風を巻き、血煙を起こす。
九
「哀れだな」
祈祷所にたどり着いた夢人はその様子を見て呟いた。
部屋の中央に神主姿の男が一人、血に塗れて息絶えていた。肩口から胸にかけての一刀の傷が致命傷だろう。その斬り口は見事の一言に尽きた。
「館主はん斬られとる……夢人はんがやらはりましたん」
「いや……私ではない」
後から来た百足の言葉に夢人は首を横に振る。百足の持つ大野太刀は血と脂ですっかり濁っている。
「おそらく軍学って言う男でしょうね」
牛が後ろから話し掛ける。
「佐渡守様とつながっていたのはその男のようだから。おそらくは口封じ」
「口封じか」
世直しの件が表に出るのを恐れたのだろう。なんにせよ手を打つのが早い。
「まぁこうなれば黄道館も終わり。ひとまずは落着かな」
「……そうでもないかも知れんな」
夢人は床に散らばる足跡を指し示す。
一つは体格の良さそうな男の草履跡。もう一つは小柄な女性の素足のものだ。いずれも外から上がりこんだのだろう、土がはっきりと跡になっていた。
「この足跡は……お涼ちゃん」
「軍学め、娘の力に気がついたのかもしれん」
「ちからって……あ」
牛は導線に火をつけたことを思い出す。あれは確かに異能の力だった。
「それじゃ黄道館で奇跡を起こしていたのって」
夢人は頷く。そして娘の話を掻い摘んで話す。
「ひゃぁ。知りまへんでした」
感嘆の声を上げる百足。知らないのは無理も無い。軍学はおろか、おそらくは館主さえ知らなかった話なのだ。
「それじゃ軍学がお涼ちゃんを攫って行ったってことかい」
「おそらくな」
「どこへ」
「佐渡守の屋敷だろうな」
「そうなっちゃ手は出せないですねぇ」
牛は肩をすくめる。
「どちらにせよここまでですね。あとはまぁ大岡様が巧くやりますよ」
「ここまで……か」
夢人は楽しそうに笑みを浮かべる。
「ちょっと旦那。変なこと考えているんじゃないでしょうね」
「変なこととは」
「よもや佐渡守様の屋敷に押し込もうとなんか」
「ほう」
夢人がさも感心したように驚いてみせる。
「良くわかったな」
「ちょいと旦那」
牛は血相を変える。
「幾らなんでもそりゃ無理ですよ。相手は五万石の大名ですよ」
「行った先はおそらく下屋敷だろう。手勢はせいぜい百人ほどかな」
「百人ほどって……」
「旦那はんが行きはるならうちは行きますぇ」
百足は嬉々として答える。頭を抱える牛。
「そんな無茶な……そもそも大岡様が聞いたらなんと言うか」
「そうだな、牛は大岡殿の手前が合ったな」
「旦那だってそうでしょうに」
「私は破落戸浪人だからな」
カラカラと夢人が笑う。
これから大名屋敷に押し込もうという、そういった雰囲気は微塵も感じさせない。
「では行こうか」
「あい」
「ああもう……旦那ぁ」
牛も観念したように付いて行く。
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