第参章 襲撃
壱
「首尾はどうじゃ」
こじんまりとしているが品のある座敷である。
その中に軍学とそれに対面して、上座に山岡頭巾を被り顔を隠した身なりの良い男が座っていた。
「は。……特に問題は御座いません」
「そうか」
頭巾の男は鷹揚に頷く。
「まずはこれをお納めください」
軍学は風呂敷包みをすっと差し出す。男が紐解くと中には小振りな桐の箱。その蓋を開けると中には切餅がぎっしりと詰まっていた。あわせて二百両ほどか。
「まずまず儲かっているようじゃな」
「今のところは」
男は満足げに頷くと箱の蓋を閉め、自分の脇に回す。
「実道めは今だ世直しなどとほざいておるのか」
「はい。少々常軌を逸しております」
「困ったものだな。最もそれゆえに御しやすいか」
「仰せの通りです」
「しかし気をつけよ。万が一にもそのようなこと起こさせてはならん」
「心得ております」
「うむ」
男が手を打つと侍が一人障子明け、一礼すると先程の桐の箱を持っていった。
「それとな軍学。どうも大岡が何かを嗅ぎ回っておるようじゃ。わしからも睨みは効かせておるが、奴はなかなかに喰えぬ。こころせよ」
「越前守が……なるほど、注意いたしましょう」
「うむ軍学。期待しておるぞ」
軍学は深く一礼した。
弐
「何かわかったか」
「へい、色々と」
黄道館の一室、軍学の前に吉助が控える。他の面々も回りを囲むように吉助の話に耳を傾ける。
「どうやら御本を手に入れたのは春夜夢人と名乗る浪人者のようで」
「春夜夢人?」
軍学は首をかしげる。
「奇妙な名だな。ただ春の夜の夢の如しか。平家物語だな。おそらくは本名ではあるまい」
「へい」
吉助もうなずく。
「ただもっと妙な事になってるんで」
「妙とは」
「へい」
吉助は一同の注意を促すように身を乗り出す。一同も釣られるように身を乗り出す。軍学のみは悠然と構えている。
「その浪人者なんですが」
「うむ」
「どうもうちの御浪人衆とやりあった浪人にそっくりらしいんで」
「そっくりらしい?」
「へい。あっしが直に見たわけじゃあねぇんですが、聞き及ぶ人相風体からすると。総髪を後ろに流した御浪人なんてそうそういるとは思えやせんし」
先を続ける吉助。
「それに、噂の出回るのも少々早すぎる気がしやす」
「罠かも知れぬ……と言いたいのだな」
「まだわかりやせん、が、慎重に越した事はねぇかと」
「浪人風情が何を弄するものか」
そう言って一笑に伏したのは僧兵のなりをした大男だ。
「噂が早く出回ったのも本人が言いふらしたに違いない」
「何のために」
「浪人が考える事などただ一つ、金よ。高く売りつける算段でもしているのだろう」
なるほど、それは道理だ。
「なんにせよ、見極める必要はある」
「では予定通り、あっしが鎌かけてみやすかい?」
吉助の問い掛けに軍学は頷く。
「そうだな、それがよいだろう」
「場合によっては、仕掛けても構いやせんかい?」
「まかせる」
軍学のその言葉に吉助の表情が明るくなる。嬉々とした表情。夢人と衝突する事を心待ちにするかのような、そんな表情だ。
かわって他の面々からは吉助に視線が集まる。羨望と嫉妬の目線。
「まぁあんじょうおきばりやす」
眼帯の女は少し拗ねた口調でそう告げた。
参
夢人はいつも通りふらふらと歩いている。あれから三日ほど経つが今の所取り立てて何も無かった。顔見知りの古道具屋が噂を聞いてちょっと興味を示した程度だった。
街中を抜け不忍池の辺をぶらぶらと歩く。日よりもいい。ぽかぽかと暖かい。気分もよかった。
思いもかけぬ大金を手にした。しばらくは食うにも困らぬし、贅沢もできる。金があるときに代わりの刀も買っておきたい。長屋に帰ればもう二振りほどおいてはあったが、いつどうなるか解らない。夢人のように頻繁に使えば、何時欠けたり折れたりするか解らない。そうなった時に代わりが無ければ生きていく術がなくなってしまう。
最も今なら越前守に頼めば差料の一振りや二振り融通してくれるだろうが、そこまで甘えるつもりも無かった。
「旦那」
擦れ違いざまに声をかけられる。見れば町人がひとり、こちらを見ている。遊び人風の男だ。取り立てて目立つところも無いが、目付きだけは鋭い。懐に入れた手で、何かを玩んでいるようにも見えた。
「なにかな」
「不躾で失礼しやすが、春夜夢人ってのは旦那ですかい」
「いかにも私が夢人だが。おぬしは」
「へい。あっしは『炭継ぎの』吉助ってけちな野郎で」
吉助と名乗った男はへへへっと愛想笑いを浮かべる。鋭い目元も笑ってはいる。笑ってはいるが、逆にそれが凄みを増して見せた。
「炭継ぎ。かわった渾名だな。何故炭継ぎなのだ」
「それはまぁ追々と。ひとまずはどうぞお見知りおきを」
ちょこんと頭を下げる吉助。しかし目は決して外さない。
「で、その吉助が何の用かな」
「旦那はなにか変わった本を手に入れなすったそうですね」
きた。夢人の直感がそう告げる。
「変わった本とは」
「太平要術書とか言うそうで」
「ああ、これの事か」
夢人は懐に手をやると、うちに入れた本をちらりと見せる。表紙は太平要術書だが実のところ中身は古本屋で手に入れた戯作本である。
吉助の目がわずかに細くなったのを夢人は見逃さなかった。思ったよりも早くに食いついてきた。なるほど、当たりということか。
「なんでも唐の国の秘術が書いてあると聞く。手にしているだけで運気が向いてくるような気もする。ありがたい事だな」
「どこで手に入れなすったんで」
「さる娘にもらったのだ。そう言っても信じてもらえぬかな。あれは天女だったのかも知れんな」
夢人は嘯く。
「旦那、その本どうするおつもりで」
「さて、どうするかな」
夢人は思案する振りをする。
「私が持っていてもしようが無いのかも知れんな。高値がつけば売ってもよいか」
「幾らなら売りやす」
「おぬしが買うのか」
「いや、あっしじゃなくてさるお方が欲しがっておりやしてね」
吉助も嘯く。
「そうだな……千両も積んでもらおうかな」
「千両」
吉助は言葉を無くす。言うに事欠いてこの浪人、千両ときやがった。
「べらぼうですぜ。旦那」
吉助は呆れたように笑う。夢人も悪びれなく笑った。
「しかし『黄道館』の者であれば、咽から手が出るほど欲しいのではないかな。違うか」
黄道館、その言葉に吉助の顔がぴくりと動く。
「旦那……旦那はどこまでご存知なんで」
「さぁてな」
夢人は笑う。
「食えないお人でやすね。今日のところは」
吉助は踵を返すと歩み去る。一先ずは引くのか、夢人は慎重に目だけで吉助の動きを追う。
「ああ旦那、そういえば」
五間辺り離れたところで吉助が振り返る。
「なんで『炭継ぎ』と呼ばれてるかって言ってやしたね」
「ああ、そうだな。何故だ」
「へい。こういった次第で」
吉助の懐に入っていた手が素早く抜かれる。その瞬間に三筋の黒い影が夢人を襲う。二筋目までは見切って避けるが三番手は避けきれない。キィンッと甲高い音と共の弾く。素早く抜いた大刀を構えて立ちなおす夢人。
地面に刺さったそれに目をやる。黒光りする長細い棒。先に行くほど細くなっているそれは、鋼でできた火箸だった。
「おそれいりやした。あっしの不意打ちを受け切ったのは、旦那で二人目でやす」
「一人目は誰だ」
「うちの旦那で」
吉助はさらに両手に二本ずつ、火箸を構えて対峙する。
「火箸を扱う故に『炭継ぎ』か」
「へい」
じりじりっと間合いを詰める夢人。しかし詰めた分吉助は間合いをとる。きっかり五間の間合いが保たれる。
「三本は落とされやしたが、四本ではどうでやしょう?」
さらに四筋の影が飛来する。絶妙な間隔である。どれかを避ければどれかに当る。風を切り裂く火箸を、夢人は素早い刀捌きで叩き落していく。
「おみごと。いや、流石でやすね」
手を叩かんばかりの勢いだが、その手には既に次の火箸が握られていた。片手に三本。両の手で六本だ。
「おぬしも只者ではないな」
夢人はゆっくりと刀を構えなおす。下段の構え。
「この状況で下段に構えやすか。間合いは五間。斬り込めやすか?」
「さぁてな」
じりじりりと対峙が続く。
間合いと得物から行けば、吉助が圧倒的に有利。
しかしそう簡単には攻め込めない。ちょっとした隙が命取りになる。それだけの技量を夢人は見せ付けていた。
「……こいつはちょいと分が悪そうだ」
吉助はじりじりっと身を引き始める。
「それじゃ旦那、今日は挨拶だけって事で」
言うが早いか左手の三本を投げ放つ。
打ち落としながら一気に間合いを詰める夢人。
しかしその時には既に吉助は踵を返して逃げ去っていた。足の速さも武器の一つなのだろう。見る間に小さくなっていく。
「なかなか面白くなってきた」
夢人は大刀を下げたまま満足げに呟く。これでしばしは暇を潰せるだろう。そうとでもいいたげな面持ちだ。
命のやりとりも夢人にとっては暇つぶしらしい。
「しかし……これはまいったな」
そういって刀を見る。
「やはり欠けているか。気をつけて払ったのだが」
鉄の棒を打ち落としたのである。刃も欠けようものだ。そして刃が欠けた刀では使い物にはならない。いざと言う時に命取りになる。
「あの火箸は厄介だな。何か策を講じねば」
夢人は刀を納めるとゆっくりと歩き始めた。
四
「いやぁ肝が冷えやしたぜ」
「もどったか。お前のそんな顔は久しいな」
吉助は肩で息をしながら縁側に突っ伏す。どうやら夢人から逃げてこっち、ずっと走ってきたらしい。
「おかげで一旦逃げ出したら止まれやしない」
「それほどまでの手練なのか」
縁側で刀の手入れをしていた軍学が問う。
「やっとうの腕だけなら旦那の方が上かもしれやせんがね」
門人の汲んできた水を受け取ると、一気にあおり、人心地付いた顔になってから先を続ける。
「あの見切りは恐ろしい。旦那、やつはあっしの不意打ちの三本のうち、二本を避けやした。打ち落とさずに避けたんでやすよ」
「ほう」
軍学は興味を示したように手を止める。
「あれを避けるか」
「へい」
吉助も頷く。
「一本なら避ける奴もいるでしょうが、二本は普通なら無理だ。それを奴は身をさばいて二本の間を抜けるように避けやがった。それだけならまだしも避けながら居合で三本目を打ち落としたんでやす。あの見切りは人間業じゃねぇ。一寸以下で見切ってやすぜ」
かの剣豪宮本武蔵は太刀筋を一寸で見切ったといわれているが、夢人もその域に達している事になる。
「その男、かなり場数を踏んでおるな」
「相当に修羅場を踏んでおりやす。いやぁ恐ろしい」
吉助はさも恐ろしそうに大げさに語る。しかしその顔は、どこか楽しげだ。
「あんな男もいるんでやすねぇ。その割にはあんまし噂になってねぇですし。どこに隠れていたんだか……いやぁお江戸はやっぱり広い」
「なんや、楽しそうな話してはりますなぁ」
眼帯の女がゆったりとした京言葉で語りかける。たっつけ袴に丹前姿。左の手には大野太刀。
「百足か」
その女、どうやら百足と呼ばれているらしい。一見可愛げな顔つきの女が毒虫の名で呼ばれる違和感はあったが、この場にいる以上、一癖も二癖もある人物なのは間違いない。
「つぎはうちにやらせておくれやす」
百足は軍学にしなだれかかりながら耳元でそう呟く。
「だめだ」
軍学はすげも無く言い放つ。顔色も変えずに言い放つその声に、微塵の容赦もない。
「なんでですのん」
百足は拗ねたような声を出す。左の目で軍学を睨み付ける。おっとりした雰囲気の中にも激しさがにじむ。
軍学はしばし沈黙していたが、程なく小さな溜息をつく。
「……といっても無駄であろうな。好きにしろ」
「わぁありがとぅ。だから軍学はん好きやわぁ」
「だがな百足」
軍学は嗜めるように言葉を継ぐ。
「目的は奴の首ではない。あくまでも太平要術書だ。それを努々忘れるなよ」
百足はひらひらと手のひらを揺らしながら答える。
「わかってますぅ。でも……たいぎやなぁ」
「もう一度言う。努々忘れるなよ」
「そんな恐い顔せんといてやぁ」
百足は口を尖らせて抗議するがその声に怒りは見られない。ただ遊んでいるだけなのだ。
「でもあれやろ……腕ぇとか脚ぃとかそこいらへんはかましまへんやろ」
「……本が戻りさえすればそれでよい。後は好きに致せ」
「へぇ」
百足はにっこりと笑う。魅力的な、可愛いとさえいえる笑みだ。しかしその言葉は血生臭いことこの上ない。
「そしたら吉助はん、その御浪人はんの住まいしらべといてくれはりませんか」
「へい。そりゃ構いませんが」
「あんじょうたのみますぅ」
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