2個目 パン屋さん、世界を知る
「そろそろお客さんが来てもいいと思うんだけど……」
風向きは風上なので大丈夫だな、と思いつつ村の方へと目をやるとログハウスのような建物の影に隠れている子供達が数人見えた。
よくよく見ると誰が行くかで揉めているようだが、ややあって体格の良さそうな子が背中を押されつつ柵の近くに来る。
その間、試食用のメロンパンを手に持ち、営業スマイルで近づいて来た子を見た。
(……あれ? ヒゲ面の……小さいおじさん??)
子供だと思っていた子は、浅黒い肌に白っぽい金ショートヘア、もじゃもじゃの
前々からなのだが、眼鏡の度が合ってなくて2m先がぼやけており、その所為で見間違えていたのだと思うと買い替えを本気で考えなくてはいけないなぁと現実逃避していたら微妙な距離を取ってる体格の良さそうな子――もといヒゲのおじさんが突然大きな声で良く分からない言語を叫んだ。
『Τι κάνεις !〈何をしている!〉』
耳から入って来る言葉は聞いたことがなく、知らないはずなの言語だ。
なのに、何故か脳がちゃんと変換してくれている。
二の句を継げないまま混乱している所へ謎言語でヒゲのおじさんがまた叫ぶ。
『Ποιος είσαι εσύ !〈お前は誰だ!〉』
一応、何を言っているのか分かるので、一か八か答えようと謎言語に意識を振って声を張り上げてみた。
『Είμαι ένα αρτοποιείο!〈
『Μην τρώτε ένα?〈
思わず口を塞ぐ程に驚いたが、謎言語が口から出て来た。
警戒しているのか、ジリジリと近づいてくるヒゲのおじさんに武器は持ってないですよー! と、手に持っていた試食カゴの中身を見せつつ引きつる笑顔を向けた。
ヒゲのおじさんは威嚇するように叫んでいる。
「お前はこの村へ攻めてきたのか!? 何処からどうやって来たんだ!」
「攻めて……えっと、僕は敵対しませんし、このような丸腰では何も出来ません。この車で移動しながらパンを作り、売っているだけです。何処からどうやって来たのかと問われると、市内中心部からなんですが……迷ってしまって、あの森からここに出てきました」
通り抜けて来た森の方を指差すと、ヒゲのおじさんは目をまんまるに見開いて神妙な顔で足先から頭のてっぺん、そして車の方を何度も見た。
「あそこは神の森だ。何人たりとも近寄れない結界が張ってある。そうなるとお前……いや貴方は神の遣いか……。その装いも、車という銀の箱も、何もかも見たことが無い。貴方がパンを売っているのは何故なんですか?」
「ええっと、神の遣いかどうかは分かりませんが、僕はパンが好きなので気がついた頃から趣味として作っていました。大学の友人にこのパンは売れるレベルだと言われ、僕のように色々な所を転々として固定の店舗を持たない売り方である移動販売ブームに乗って販売しています」
「ふむ……良く分からないが、そうか。神の遣いなら害は無いでしょう。知っていると思いますが、私は
「僕は
「気軽に、か。分かりま……分かった」
ラドミールさんは渋い顔をしつつも警戒を解き、近くまで来てニッコリと手を差し出してくれた。
「<パン屋>シノゴゼ・タツユキ殿、宜しく頼む。さて、神の遣いに皆で挨拶せねばな!」
ラドミールさんは後ろを振り返り建物の影にいた仲間へ向けて手旗信号のような合図を出した。
(ん……あれ? 今
驚きを顔に出さずに隠しつつ、合図を終えて振り返ったラドミールさんに試食用のまだほんのり温かいメロンパンを差し出した。
「メロンパンおひとつ如何ですか? 甘いものが苦手でなければ、どうぞ食べてください。先程焼いたばかりなんですよ。皮がパリパリザクザクしてて、中はふんわりで美味しいですよ」
不審な目で見ているラドミールさんを安心させる為、欠片を自分の口へ放り込み、味わった後、名残惜しいが飲み込み、メロンパンの入っている籠を差し出す。
まじまじと観察し匂いを嗅ぎ、意を決した様にメロンパンの欠片をつまむと、ギュッと目を閉じ口に放り込んだ。
目を閉じたまま数回
(さすが役者さん、リアクションすごいな! メロンパンを初めて食べた演技なのかな?)
「なんだこれはッ!? これが、この柔らかいふわっとしているのがパンなのか!? なぁ、おい、これはパンなのか!?!?!?」
「ええ。他にも甘くないパンや固めのパン、パンに肉や野菜を挟んだもの、ジャムやクリームを挟んだものもありますよ」
大体のパンはこの説明できっと想像付くだろう。
ラドミールさんは顎鬚を撫でながら楽しそうに聞いてくれた。
「ほうほう、色々な種類があるんだな。タツユキ殿の作ったパン全ていただきたい、のだが……なぁ」
「どうかしたんですか? あ、申し訳ないんですがカードは使えないので、現金でお願いします」
「やはりそうか……俺達は行商から物を買う時には肉や装飾品と物々交換をしてきた。カードもゲンキンも良く分からないが、手持ちの銀貨と金貨が殆ど無くてな」
「物々交換、そうですか……。ではなるべく食材などでいただいても大丈夫でしょうか? それでしたらパン作りに使えるので……」
「それなら大歓迎だ! 今、直ぐに渡せるものが肉なのだが、全然足りないんだ。あとは細々とした添え物くらいしかないが、良いだろうか?」
先程からの表情の浮き沈み激しいラドミールさんが食い気味に来たので気圧されてしまう。
「……ええ、大丈夫ですよ」
(撮影所にお金置いてないのかな? そういう設定なのかな? でも肉も食材もある……ただ、パンを買うほどの肉は無い。……ならスーパーで売ってるパック肉くらいか)
食材ならば――物にも寄るが――大体使えるだろうと踏んでの判断だ。
もちろん自分が損するだろうとは思っているが、食べて美味しいと言ってもらえればそれでもう大満足だ。
村の入り口にいた人達にラドミールさんが説明し、芸が細かいと思ってしまうくらいの演技で、半信半疑な顔をしたまま散り散りにどこかへ行った。
きっと食材を取りに行ったのだろう。
待っている間、手持無沙汰になったので村を見渡してみると、不安そうにこっちを見ている子達――ラドミールさんより小さいが、恐らくはヒゲのおじさん――が目に付いたので、笑顔で手招きをし籠の中のメロンパンを見せる。
ラドミールさんが美味しかったぞ、と言うと小さい子達はゴクリと喉をならし、我先にとメロンパンの欠片を取って一斉にパクっと口に入れた。
彼らがほにゃーっとした嬉しそうな表情でもぐもぐと咀嚼するのを満足気な顔でうなずきながら見るラドミールさん。
(うーん……やっぱり特殊メイクすごいな。違和感ゼロだ。小さい子も演技力すごいな)
そうこうしている間に、散って行った村人さんが手に何か持って入口にぞろぞろと集まってきた。
それを確認すると、ラドミールさんは僕の隣に立ちなにやら演説を始めた。
「集まってくれて感謝する。皆は半信半疑だろうが、神の使い<パン屋>タツユキ殿が創り出すパンは神のパンだ! 白くて柔らかく、甘く、これが神の御技と言わずなんと言えようか!! 」
「「「「「おおおおおおおおおーーー!!!!」」」」」
少し言い過ぎなような気がするが、手放しに褒められているのでついつい顔がゆるんでしまう。
さすが役者さんだなぁ……とぼーっと聞いている間に、ラドミールさんが熱が籠ったようにパンを語りっていて、やりきった顔で拍手喝采を浴びていた。
聞いていなかったのは自分が悪いのだが、何となく置いて行かれた気分になってしまった。
「さて、タツユキ殿。パンは合計何個あるのだ?」
「そうですね……」
声を掛けられると思っていなくて、慌てて腰に巻いていたエプロンから電卓を出し、今日焼いた数を思い出しながら数字を叩く。
山形食パン半斤6、メロンパン――1個試食に使ったので5、バターロール12、白パン12、レーズンパン12、クロワッサン12、フランスパン6、プレーンベーグル6、パストラミサンド6、クリームチーズ6、バター蜂蜜6……合計89個。
「11種類、89個あります。いくつお買い上げになりますか?」
「うーむ、そうだなぁ……持ってきた肉と食材に工芸品も足していいか? 全員に行き渡るよう全部買い上げたいんだが、
「それでは本日はサービスしましょう。皆さんに食べていただきたいですし」
「そんじゃ、パン1個でこの肉1つと交換でいいか?」
ラドミールさんが指さしたのは精肉店でも見たことがないような10kg以上はありそうな肉の塊だった。
パン1つに10kgの肉塊をなんて貰いすぎだし、それを――工芸品もあるとは言え――89個分も保存出来るわけがない。
そして、その肉の種類は見ただけで分からないが、綺麗な霜降肉も混ざっていて、安く見積もってもキロ5万円前後くらいはするだろう。
うちのパンは200円から600円の価格帯で、全部売っても3万円以下、つまり50万くらいのブロック肉なんて貰いすぎにも程がある。
これはお肉を適正な量に切り分けて貰って、それをいただこう。
「あの……ラドミールさんが用意してくれたお肉が多いので、この食パンくらいでちょうどいい量なんですが……」
「いやいやいやいや。タツユキ殿、それはサービスし過ぎだろう。あのパンにはこれくらいで適正だ」
いやいやいやと、同じやり取りを数回繰り返した。
これでは進まないので貰い過ぎになるが、多めに貰う事にした。
「あまり大量に受け取っても保存する場所がありませんし、僕の価値観だと過剰です。なので折衷案は如何でしょうか?」
「ふむ、そうなのか……。して、その<せっちゅう案>とはどういう案なんだ?」
僕が出した案とは、肉塊3つで30kgほど――これ以上は冷蔵庫に入らないので――と、ラドミールさんたちが他に持ってきた食物で欲しいものを僕が選ぶ。
そして、ラドミールさんが選んだ工芸品を2つ貰うという提案だ。
肉がダメなら持ってきた食材全部、工芸品全部と交換すると言いだしたので、これなら折れてくれるだろうか、と出した案だ。
ちなみにその食材全部は、ペンギンマークの某H社製品1000L冷蔵庫の3つ4つは埋まる量だったので、うちじゃ入り切らないというのもある。
入らない、使い切れないと説明すると、渋々だが納得してもらえた。
(それにしても、こんなに良いお肉……撮影所の人たちでバーベキューでもする予定だったのかな? だとしてもパンと交換だなんて……)
食材を選ぶ前に、パンを種類ごとに大きな紙袋に分け、ラドミールさんに味や食べ方などを説明する。
他の人も興味があるようで、声が聴こえる所に移動して静かに聞き耳を立てている。
「こちらは食パンと言って、スライスして軽く焼き表面にジャムなどを付けて食べたりします。焼かずに食べても勿論おいしいです。メロンパンは先ほど食べたので飛ばしますね。こちらの長いパンはフランスパンです。こちらもスライスして食べます。固いのでスープに付けて食べたり、料理を上に乗せて食べたりしてもいいと思います。あと、こちらのパンは……」
全てのパンの説明が終わり、次は受け取る食材を選ぶ作業に入る。
先ほどと打って変わってラドミールさんが説明をしてくれる。
名前は聞いたことのないものばかりだが、何故か脳内で知ってる物に変換されていく。
(これなら僕の説明でも理解出来てたかな?)
貰ったのは木の実と香辛料とピンクの岩塩と青い岩塩、野菜、果物、ハーブだ。
ほとんどが変わったものばかりで、例えばこの梨っぽい果物は味バナナの食感梨、他にもとても甘いピーマン、からし菜みたいな味のレタスなどなど頭が混乱しそうなものばかりだった。
そして工芸品は、良く切れそうなナイフとA3サイズくらいの革で出来た格好いいブリーフケースをくれた。
両方とも意匠を凝らした高そうな品で、ナイフの柄と革のカバーには鷹を模した彫りを施してあり、ブリーフケースの方はワニ革みたいな革製でフタ部分にツタのデザインがあしらわれていた。
ブリーフケースは手で持てる、肩に掛けれる、背中に背負えると3WAYになっていて、ラドミールさん
僕が交換するものを選び終えるとラドミールさん以外の村人は残った食材と配られたパンを手に三々五々に帰っていった。
「本当にこれだけで良いのか……?」
「いえいえ、貰いすぎくらい貰ってますので大丈夫ですよ」
「そうか……タツユキ殿が言うならそういう事にしておこう。その工芸品はな、村の職人に作らせたナイフで血に濡れても切れ味が落ちない
(ん? え……今、なんて?)
実生活で聞いた事のないような、耳を疑いたくなるような言葉が聞こえた。
役立ててくれと言いながらラドミールさんが食材を
まるでブラックホール――見たことはないが形容する言葉が僕には見当たらない――のように食材を吸いこんで、最後には巨大な肉塊もするりと飲み込んでいった。
食材が全部収納され、今までの雰囲気を総合してある結末に辿り着く。
「あ、あの……申し訳ないんですが、今日って何月何日ですか?」
「"
「ありがとうございます。あの……ふらっと来てしまったのでここ辺りの地理に疏いんです。良ければ教えてもらえませんか?」
「おお、それくらい気にするな! ここは<ヴァルトル>という
今日の日付と国の名前を聞くとまったく聞いたことのない。そして
暦も聞いたことのない言葉で、かろうじて脳内変換先生が5月7日だと理解させてくれたが、自分の住んでいたところには領主なんてない。
僕が求めた答えは、少し前まで居たはずの<日本>――もしくは海外のどこかの国――だが、全く聞いたことのない
ついさっき貰った食材も日本には存在しないどころか世界中どこを探しても見つからないだろう。
そして、目の前のラドミールさんの存在だ。120cmほどのおじさんなんてそう大勢いるはずがない。
妖精か。
気付いてみるとなんて事はない。
そもそも、変な現地語が脳内で変換されている時点で変な事は分かっていた……いや、分かりたくなかった。
最近書店でよく見かける<
ツーっと流れ落ちた額の汗に我に返り、ラドミールさんに笑顔を向ける。
「いえいえ、大丈夫です。ただの汗っかきですので。そうですかー、ツァルダまで来てしまっていたんですね! 情報ありがとうございました。それでは後片付けなどありますので、僕はこれで」
汗を拭いながら早口で捲し立てるように説明し、車周辺に広げていたものを片付け始める。
「おう、がんばれよ! 片付け終わったら俺の家に来てくれ。せっかく来てくれた神の遣いを
「わかりました。御相伴にあずからせていただきます。手土産にパンを焼いて行こうかと思いますが、リクエストはありますか?」
「それなら肉料理に合いそうなものを頼む。家は一直線にまっすぐ来てくれればすぐだ」
あぁ、何からなにまで良い人、いや良いドワーフだ。
片付けていると落ち着いてきたので、良く分からない状況は頭の端に追いやって、現実逃避がてら持っていくパンの事だけ考えよう。
外に出していた物を収納し終わったので、昼休憩だ。
昼ごはん用に持って来ていた鮭とツナおにぎりを冷蔵庫から取り出し、ラップに包んだままレンジへ突っ込む。
ボールに野菜の残りを入れ、パストラミの切れ端を入れ、さっぱりドレッシングを掛ける。
温まったおにぎりとサラダが入ったボールを助手席に置き、自分は車の運転席へ座り水筒から暖かい紅茶を注ぐ。
「……持っていくのはカンパーニュにしよ。」
呟き、昼食を頬張りながら脳内でレシピを検索する。
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