第5話

 ――半年後。VSの発売日の二〇二x年五月某日には、VSを買い求める人たちの長蛇の列が電気店にできた。発売日が近づくに連れ、VS関連の記事は大いにバズった。発売日の二週間前に世界展開しているテクノロジー雑誌で発表されたクリスの記事は、SNSでの拡散数が群を抜いていた。だから、予想できたことだったが、健吾はこの快調な滑り出しにホッとした。

 その日、VSチームによる打ち上げがあった。健吾は、貸し切った居酒屋で、乾杯の音頭を取り、チームメンバー全員に感謝の意を表した。


 二次会の後、一一時過ぎに健吾は原田と二人で高架下の屋台で飲むことにした。夜の暖かさが心地よかった。原田はチームの他の人と同様に始終上機嫌だった。新橋から有楽町方面に歩いている途中、原田は、「今度レースに出場する予定なんです」などと趣味のロードバイクの話をしていた。二人は、中年サラリーマンで賑わっている屋台に割って入ると、禿げた中年男性の店主にコップ酒とおでんの盛り合わせを頼んだ。

「実は俺、VSのチームを抜けようと思ってるんだ」

 コップ酒で乾杯すると、健吾は言った。

「……また、また。何を言うかと思えば、冗談きついなぁ」

 原田の表情が一瞬固まったが、すぐに笑顔に変わった。

「本気なんだ。すまんな」

「……り、理由をきかせてください」

 原田は真顔だった。

「実はだいぶ前からVSに興味がなくなってたんだ。VSの限界を知ってね――」

「ちょっと待ってください。VSの限界なんて、神じゃない限り、わかりっこないですよ」

「皆、リアリティが上がれば、リアルなセックスと遜色がなくなるって言うけど、俺はそう思えないんだ。なぜなら、メイクラブとしてのセックスというのは常にリスクが伴うものだから。それは、お互いに最も無防備な部分をさらけ出して、リスクを引き受けることなしにはあり得ないことなんだ」

「ですが、VSでは実際の性行為と同等の測定値を得ているんですよ。これはどう説明するんですか?」

「あれはオナニーの快楽だよ。実際の性行為と言ってもね、測定値には現れない要素もあるだろ。何もかもが測定できるわけではないんだ。とにかく、VSは恋人を使ったオナニーでしかないんだよ。それでも、遠距離恋愛のカップルには、画期的な製品だとは思うけどね」

「……リスクを引き受けないと、メイクラブできないという根拠は何なんですか?」

「根拠ね。愛はそういう非合理な行為自体にあるように思うんだ。非合理性こそが愛を担保するというか。キスにしても、病理学的に高リスクな行為であることはつとに知られているでしょ」

「う~ん。僕はむしろ、そうしたことから解放されることがVSの長所だと思うんですが」

「確かにそうとも言える。だけど、安全な場所に留まっていては、お互いを真に受け入れることはできないんだ」

「それはそうかもしれませんけど……、何とか辞めないでもらえませんか。加藤さんが抜けたら、VSの未来は暗いですよ」

「どっちにしても、VSの未来は暗いよ。VRポルノのバリエーションの一つでしかないからね。結局、テクノロジーは万能ではないんだ。何でもテクノロジーで実現できると考えるのは、技術者の奢りではないかな」

「そんなぁ」

 原田はコップ酒を一気飲みすると、店主におかわりを求めた。

「おいおい、あんまり無茶な飲み方するなよ」

「これが飲まずにいられますか! 今の僕の気持ちをわかってるんですか。天国から地獄ですよ……」

「正直、俺も辛いんだ。敗北を感じるよ。原田の気持ちもわかる。俺も認めたくなかった。だが、認めざるを得なくなる出来事があったんだ」

「何ですか? それは」

 原田は目が座っていた。


 健吾が泥酔した原田をタクシーに押し込み、原田の自宅住所を名刺の裏に書いて運転手に渡したとき、午前一時過ぎだった。健吾は、別のタクシーを捕まえて、六本木のポールダンスが見られるバーに向かった。クリスによると、なぎさはそこでポールダンサーとして働いているという話だった。

 タクシーは、日比谷通りを進み、交差点で外堀通りを虎ノ門方面へと進んだ。車窓が切り取るひっそりとした夜のオフィス街の風景が健吾の今の気分にフィットした。六本木駅周辺は、深夜でもなかなか人出があった。

 健吾はタクシーを降りると、エレベーターで雑居ビルの三階に進んだ。俄に期待と緊張が高まった。バーの重い鉄の扉を開けると、賑やかな音楽が健吾を出迎えた。(了)

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VS(ブイ・エス) spin @spin

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