第4話

 一一月下旬の休日の夜、健吾はなぎさと東京駅で待ち合わせして、新丸ビル内のなかなか予約が取れなくて有名なイタリア・スペイン料理店に向かった。

 なぎさは、トップがレザーのライダースジャケットにニット、ボトムがデニムのミニスカートとブーツというなかなかパンチの効いた服装だった。

「相変わらずロックテイストだね」

 健吾は褒めたつもりで言った。

「健吾さんもなかなかおしゃれなんだね」

 健吾は黒のコーデュロイジャケットにタートルネックの白ニット、ベージュのパンツに黒のサイドゴアブーツという装いだった。それは、健吾の考える精一杯のおしゃれだったので、なぎさの賛辞に満足した。

 七階にある店は、入り口の通路の両側がワインセラーになっていて、ひんやりしている。店員に案内されて、二人はフロアに配置されている円形の四人掛けのテーブルに着いた。健吾は、ミラーボールのようなきらびやかな照明に目を奪われた。店内はすでに満席に近かった。

「新丸ビルには初めて来たよ」なぎさは店内を見渡して、言った。「この店、よく来るの?」

「いや、あまり。そもそも予約を取りづらいし」

「ふーん、そうなんだ。それにしても、おしゃれね。わたし場違いな格好してきたかも」

 なぎさはそう言うと、健吾に向かって微笑んだ。

「カジュアルレストランだから問題ないよ」

 二人はまず赤ワインのグラスとタパスを三つ頼んだ。オーダーの取り方にしても、自然な笑顔にしても、店員もどこか洗練されているように感じられた。

 二人は赤ワインで乾杯した。

「美味しいね」なぎさが一口飲んでから言った。「そう言えば、わたしがクリスと付き合ってることクリスから聞いたんだよね?」

「ああ、聞いたよ。俺も結婚してるから、これでお相子だね」

「奥さんにはわたしのこと話してるの?」

「いや……」

「じゃあ、お相子じゃないね」

「……ま、この際、お互いのパートナーの話はよそう。そうそう、訊きたかったんだけど、ショーしてる間、俺のこと見てたよね?」

「えっ? そうだった?」

「えっ!?」

 健吾のワイングラスを持つ手が震えた。

「なんて、嘘。もちろん、覚えてるよ。ハハハ、何て顔してるの」

「……ハハ、何だ。なぎさちゃんも人が悪いな~」

「あれはファンサービスなんだけどね。お店側から止めるように言われてたんだけど、どうせもう劇場もなくなるわけだし、まあ、ちょっと気まぐれというか」

「……なるほど。とにかく、あのときの強烈な体験がなかったら、こうしてなぎさちゃんを誘うこともなかったかも」

「そんなにわたしの眼力すごかった?」

「そうだね。ストリップでは裸こそが最大の商品なんだろうけど、俺には君と交わしたあのときの眼差しの方がよほどインパクトがあったよ」

「そう言われると、嬉しいのか、悲しいのかわからないな」

「そりゃあ、嬉しがるべきだと思うね。少なくとも、俺は嬉しいね。たとえ片思いであれ、恋愛できたのだから」

「フフ、わたしも嫌いじゃないよ。健吾さんのこと」

 健吾にはその曖昧な態度で十分だった。むしろ、「好き」と言われるよりも、良かったのかもしれなかった。追いかけるほうが健吾のしょうに合っていたから。

 タパスを二人でつついた。どれも悪くない味だった。追加でデキャンタの白ワイン、アボカドのサラダ、鴨のロースト、魚介類のパスタをオーダーした。

「そう言えば、わたしの将来のこと知りたがってたよね?」

「ああ、そうだね。是非、教えてほしいな」

「実は、アダルトグッズのビジネスをしようと思ってた。だけど、クリスとVSを試してから変わった。VSの登場で、VRは完全にアダルト業界の主流になるって確信したの。だから、VSでちょっと稼ごうかって、考えてるの」

「VSで稼ぐって……。まさか……」

「そう、VSで売春しようかって」

 健吾は冷や汗が出てきた。

「ストリップの次は売春か。一生、この世界で生きていくつもりなの?」

 健吾は自分の声のトーンが上がったのがわかった。

「一生はないよ。でも、わたしはやっぱり、プレーヤーとして生きて行くのがいいかなって思うの。ビジネスって考えたらしょうに合わないような気がして」

「確かに商魂逞しいタイプに見えないな。でもだからと言って、売春ってのもね」

「わたしは売春も職業の一つだと思ってるの。実際に売春婦を自営業者として扱っている国もある。日本にもそのような主張を掲げているNPOもあるし、わたしは日本もそうなって欲しいって思ってる」

「合法化されれば、自営業者になるよね。それでも、やはり好きな子が売春ってのはちょっとね。オジさんはそこまでリベラルじゃないかな。まあ、VS専用の売春婦が登場するだろうとは予想しているけどね。まさか君がそんなことを考えているとはね」

 パスタが届いた。健吾は皿に取り分けて、なぎさに渡した。

「結局、わたしは男の人が自分に欲情しているところを見るのが好きなんだ。まあ、いつまでもってわけには行かないけどね。わたし今、二五だから、まだ後五年はこの世界で生きて行きたい」

「結婚や子育てには興味ないんだ」

「そうだね」

「オーケー」健吾はそう言って、両手を挙げてみせた。「まあ、俺はなぎさちゃんの恋人でも夫でもないんだから、君の身の振り方についてとやかく言う権利がないことは認めるよ。ただ、自分が心血を注いで開発したVSを通して、君が売春の道に足を踏み入れるとしたら、VSの開発者としては複雑な思いだ。VSがそれほど気に入ったの?」

「VSとストリップが似てるのは、どちらも擬似セックスを提供するってことなの。VSではアタッチメントを付けるけど、あれを付けなくてもできるし、これまでのキャリアを活かせる仕事なんじゃないかって思ったの」

「……擬似セックスか。まあ、そう言われても仕方ないか」

「違うっていうの?」

「いや……、その通りだ。VSに関わって、リアルなセックスのすごさ、というか不思議さに圧倒されているよ。VSでも生物学的には同じ体験をしているんだけど、なぜこうも違うのかってね」

「そうね。わたしもそれは感じた。お手軽な分だけ、何かが決定的に欠落しているような。思うに情報なんじゃないかな。通常のセックスでは五感を通して、いろいろな情報を得ている。とりわけ、触覚からね」

「確かに。VSでも触覚は再現されているけど、実際に触れ合うときの感覚には遠く及ばないからね。触覚の違いは大きい。ただ、これは技術の進歩でどうにかなるように思うんだ」

「アバターはどう? アバターの顔は一人ひとり違うけど、体はほとんど同じじゃないの? わざわざ欠点を再現する必要はないから」

「その通り。体と性器のパターンは限られてるんだ。顔にしても、いくら実物に忠実でも、所詮はグラフィックスだから、決定的に異なっている。ただ、リアリティというのは、年々改善すると思う。で、リアリティが改善したら、メイクラブと呼ばれるような高次元のセックスに到達できるかどうか。それはわからないけど、俺は、もしかしたらリアリティ以上に必要なものがあるんじゃないかって思ってる」

「それは……何?」

「それは……。なぎさちゃんはわかってるんじゃないの?」

「……愛?」

「もちろん愛は必要だけど、愛し合ってる二人ならば、今のVSでメイクラブができるのかどうかが疑問なんだ」

「それじゃあ、試したい? わたしと」

 健吾は心臓の鼓動が早くなるのがわかった。健吾は彼女と視線を絡ませた。なぎさ以外のすべてが時速二二〇キロで遠のいた。

「そりゃあ、もちろん」

 なぎさは、その言葉を飲むように、ワイングラスを口元に運んだ。


 飲食の後、健吾はなぎさを「部屋」に誘った。「部屋」とはVSの道具一式がある、日暮里の安アパートの一室である。週末なのに混んでいる山手線の中で、健吾は右手でつり革に捉まりながら、左手でなぎさの手を握った。

 二〇二号室の部屋は、およそ生活感に欠けていた。セミダブルのベッドと枕元の照明器具、部屋の隅のダンボール箱しか見当たらない。

 二人はフローリングを模した床に直接座って、コンビニで買った酒で乾杯した。健吾はエアコンを入れた。

「この部屋に女の子連れ込んだのわたしで何人目よ?」

 なぎさは、この部屋に来てから、無口で不機嫌になったように見えたが、健吾はようやくその理由がわかった。

「誤解しないでくれ。子どもにはVSの道具一式を見られたくないんだ」

「へぇ、子どもがいるんだ。意外」

「俺も今年で四六だからね」

「そんなに年いってたんだ」

「……うん」

「まあいいか。それにしてもムードのない部屋だね」

「ヤり部屋じゃないから。でも、電気消せばムードは出るよ」

「そう?」

 健吾は天井の電気を消して、なぎさの後ろのベッドの枕元にある照明を点けた。LEDだが、柔らかい光が特長のランプである。なぎさは、両足の間に尻を落として座る、いわゆる女の子座りをしていたが、薄暗い部屋の中で、靴下とスカートの間から覗く太ももが非常な魅力を放っていた。健吾は我慢できず、「なぎさちゃん」と言って、なぎさに後ろから抱きつき、太ももを撫でた。しかし、なぎさに払いのけられた。

「ちょっと、わたしたちはバーチャルセックスするんでしょ。さあ、マスクとスーツ出してよ」

「……わかった。今、出すよ」

 健吾は電気を点けると、ダンボール箱の中からVSに必要な道具一式を出した。二人は服を脱ぎ、それらを装着して、ベッドに横たわった。お互いにアバターを設定した後、〈公園〉、〈ビーチ〉、〈ホテル〉のロケーションから最近追加した〈ビーチ〉を選択すると、二人はVRへと飛んだ。


〈ビーチ〉は、白い砂浜と透明な海水というタイの楽園のイメージを再現していた。デフォルトでは太陽が照りつける昼間だが、いつでもジェスチャーでサンセット~夜の時間帯にすることができた。なぎさは、水色の生地に黄色の水玉のビキニで実際以上にスタイル抜群だった。健吾もまた、実際とは大きく異なる、引き締まった体つきのアバターを選んでいた。

 なぎさは海に向かって駆け出し、お腹の辺りまで海水に浸かって、両手で海水を掬い上げた。

「うわ~、水の感触だ。すごい!」

 なぎさはひとしきり泳いだりして、海水の感触を楽しんでから、ビーチパラソルの下に戻ってきた。

「いや~、すばらしいね。VRってこと忘れるよ」

「ありがとう。水の感触は苦労したところなんだ」

「不思議ね。水の感触はあるんだけど、濡れてないの。健吾さんも泳いできたら?」

「俺は、さんざん泳いだからいいよ」

 健吾はそう言うと、「Z」の字を空中に描いた。すると一瞬にしてサンセットの設定になった。

「なにこれ、すごい!」となぎさははしゃいで言った。

 健吾はなぎさの肩に手を回し、頬にキスした。それから、ビキニの紐を緩めて外すと、押し倒し、体をまさぐったが、アバターの体はどれも似たり寄ったりでもう飽きていた。首から上もなぎさの顔とは似て非なる顔だった。行為中、健吾はさっきなぎさを後ろから抱きしめたときの感触を思い起こしていた。

(あの感覚とは違うな。まるで手袋をした手で触っているかのようだ。この展開は、最初からある程度予想していたが、やはりリアルでヤりたいと言うべきだっただろうか。いや、それはできなかった。VSも俺の情熱の対象だから。こうしてなぎさとVSをヤるのは、開発者としては願ったり叶ったりだ。香とは実現できなかったことを今こうして実現している。開発者ならば、すごくヤりたい相手とVSをヤる機会を持てたことを感謝しなければならない。これで、本当に満足できるセックスをできたら、VSの開発者としての俺も達成感を感じられるはずだ)

 健吾はアバターのなぎさの目を覗き込んだが、どこにも輝きを見出すことはできなかった。相手の眼差しは確かに自分を捉えているようには見えるが、いくら見つめ合っても、リアルで見つめ合ったときの途方もない感覚はなかった。

(ここには魂がない)

 健吾は魂という非科学的な概念を持ち出すことに合理主義者としての敗北を感じた。しかし、他に言いようがありそうもなかった。

 健吾はアバターの性器を愛撫しているとき、どうにも我慢できなくなった。

(VS開発者としての探究心? それともプライド? そんなもののために俺は、なぎさのアバターとこうして茶番のようなセックスに興じるというわけか。隣にリアルななぎさが横たわっているというのに。そんなのゴメンだ!)

 健吾はなぎさから離れると、叫んだ。

「クローズ!」


「ちょっと、どうしたのよ?」

 健吾よりもやや遅れてマスクを外したなぎさは、驚きの表情を浮かべて隣の健吾に言った。

「ごめん。やっぱり、俺はこっちの方がいいんだ」

 健吾はそう言うと、なぎさのスーツを脱がし、股間のアタッチメントを外し、下着一枚のなぎさの上に覆いかぶさった。なぎさは「しょうがない人ね~」と笑った。健吾はなぎさの髪の中に顔を突っ込んで深呼吸した。それから、なぎさの目を覗き込んだ。二つの黒目は小刻みに動き、一瞬毎に表情を変えていた。そこにはやはりなぎさの小宇宙が凝縮されているように感じられた。

「なぎさちゃん。キレイだよ」

 健吾は思わずそう口走った後、照れ隠しでなぎさの唇に自分のそれを押し当てた。

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