第48話 「ルゥの祖母の家へ」

 後ろから声をかけられて、振り向くとそこには老人がいた。

小柄で、口の周辺に白き逞しきひげ、眉毛、まつげは、伸び放題でさきっちょの方はくるりと半円を描くかのように丸みを帯びている。顔の表面には、肌のそれとは違う明るみの色を帯びた染みが多数ある。

髪の毛はというと頭に絹糸性の帽子をほっかぶっているせいか、髪型はよくわからないが、帽子の外にはみ出ている髪の毛もないようなのでそこまで生えてはいないじゃろう。

しかし、そこまでは年相応の老人じゃったが、体つきは年齢とは異なり、中々の筋力の量を有している。

二の腕は中々の太さを持ち、半袖の肌着から見える部位には、何かに擦れて出来たであろう生々しい傷痕がある。

胸板も厚く、逆三角形までとはいかないが、中々の鍛え方をしているようじゃ。

肌着の上から、うっすらと老人の胸部と腹部の割れた筋肉が分かる。

腰も別段曲がっているわけもなく、真っ直ぐである。履いている作業用の洋袴のせいで見えないが、その上半身を支えている下半身も中々のものじゃと感じた。


「ん? 違ったかな?」


老人が首を少し傾げて、言った。

ワシとエヴァに話しかけた言葉に反応がなかったからじゃろう。


「いえいえ、こちらもいきなり声を掛けられてびっくりしたものでごめんなさい」


ワシは、老人にすぐに返事を返した。


「おぉ、それはすまなかったねぇ。私は、君たちがお嬢様のお友達かと思ってね。声をかけてしまった。もし、違っていたら申し訳ない」


老人は、そしてぺこりと頭を下げた。


「ええとお嬢様というと……」


ワシは考え込む。

ルゥのことか。

それともこの家にまだ他にそのくらいの年齢の年子がおるということかのぅ。


「あぁ、ルゥお嬢様だよ。私にとっては、お嬢様は彼女しかいないよ」


老人が、にこりと微笑んだ。

ルゥと名前を呼んだ辺りで、老人の表情がさらに緩んだので、老人は、ルゥのことが好きなんじゃとワシにはすぐに分かった。


「あっ、もしかしてルゥがいつも話していて、出て来る庭師の方って……?」


エヴァがここで、老人の正体に気がつく。

まぁ、そうじゃろうな。

まず間違いない。


「あぁ、もしかして私の事かな? 嬉しいねぇ、お嬢様が私の事を話してくださるなんて」


老人は、ほっほっほっと屈託のない笑顔で笑った。顎ひげの笑う度に豪快に揺れている。


「よかった。すぐに見つかって。あの、お聞きしたいことがあるんです?」


エヴァが、早速本題に入ろうとする。


「私に用? お嬢様じゃなくてかな? それはいったいどうしてまた」


老人は不思議そうな表情で、返答する。

んっ? 

老人の口ぶりから、この老人はルゥが家出をしたことを知らないのか。


「そのルゥについてなんです。ルゥが昨日から家出してしまって、どこにいるのか皆目検討がつかない状況なんです。そこでルゥと仲の良かった貴方なら何か知っているんじゃないかなと思って」


エヴァが、単刀直入に聞いた。

老人は少し驚いていたが、すぐに表情を戻した。


「なるほど。家出とな。昨日から姿が見えないと思っていたが、まさか家出しているとは。

奥方様はお嬢様に厳しいからな……」


老人は、軽くため息を付いた。


「それでどこかルゥが、行きそうな場所はありますか?」


ワシは、老人に聞いた。

事件性も否定できないため、迅速に事に当たらなければならない。


「そうだな、私が思いつく限りだと、今は亡き、ルゥお嬢様の祖母様であるミナンダ様のかつて住んでいた家か、そのミナンダ様とルゥ様が一緒にお出かけになられた、ここの家からさらに西に進んだところにある湖かな。そこにも小さな小屋がある。だがミナンダ様のところは、普段鍵が掛けられていて封鎖されているはずだ。それにしてもいつもは私に行き先を告げてからお出かけになられるというのに、この度はそれがなかった。お嬢様はここから出ていく時、大層お怒りだったんだな」


老人は、私達が出てきた大きな扉の向こうをやるせない視線で見ている。

その雰囲気から、この老人の大体言いたいことは理解している。


「情報ありがとうございます。ではその二箇所をこれから当たってみようと思います。何だか信憑性もあって、ルゥがいそうな気がします」


エヴァはそう言い、老人に頭を下げた。


「いやいや、こちらのほうこそ礼を言わせてもらうよ。ここに住んでいる者全員の代表として。本当にありがとう。私もすぐに飛んでいきたいところだが、中々厳しくてね」


老人の視線の先には、建物の中の窓からこっちを突き刺さる視線で見ているルゥの母親がいた。

やれやれ、監視ってことか。

ワシは、ルゥがこの母親を好きになれない理由が何となく分かった気がした。。


「では情報ありがとうございます。ルゥを見つけて帰ってきますので、戻ってきたら暖かい目で迎えてあげて下さい」


ワシはそう言い、老人にお願いした。


「もちろん。ここに仕えている者でお嬢様を嫌いな者なんているものか。全員が帰りをお待ちしております」


そういうと再び老人は頭を下げて、この場を後にした。


「よかったわね。いい耳寄りな情報が聞けて。とても有益そうな内容だったし。すぐに向かいましょ。時間がもったいないわ。ルゥも不安だと思うし」


エヴァがそう言い、目的地に向かい、足を動かそうとした。


「まずどちらから行く?」


ワシはエヴァに聞いた。

両方ともワシは初めての場所であるため、選択権はエヴァにある。


「まずはここから西に進んで、湖から行くことにするわ。そこは私も何回かルゥと一緒に行っているから」


エヴァが、すぐに答えた。

場所への行き方が分かるなら、ワシも何も文句は言うまい。


「分かった。道先案内人しかとお願いする」


ワシはそう答え、エヴァの後を付いて行く。

ルゥの自宅から出て、並木道を迷うことなく、まっすぐ西に向かうと、場所が開けて、大きな湖が見えた。

日光が水面に反射して、とてもまばゆくて美しい。

湖の周囲には草木が生い茂り、湖の水を求めて、動物や鳥たちが静かに休んでいる。

気持ちのよいところじゃな。

シルトにも、このような場所があるとは。

ワシは、その光景に心を奪われながら、老人の言っていた例の小屋を視認する。

あれか?

湖の畔には、一軒の小屋があった。

人が中に居ても、何ら問題もない小屋だとワシの目には写った。


「あれだわ。いきましょ」


エヴァが、すぐに小屋に向かおうとしたので、ワシも周囲の美しい光景を眺めながら、付いていく。

木製の小屋の前まで行く。

入口の戸を、エヴァがゆっくりと開いた。

戸を開けた瞬間、少し埃臭さが鼻をついたが、気にすることなく、エヴァは中に入っていく。

中央に暖を取る場所があり、他は何もない。

しばらく人が入った形跡もない。

どうやらここにルゥはいないようじゃ。

間違いない。

エヴァもワシと顔を合わせて、こくりとうなずいた。

とりあえずここには、ルウはいない。

すぐに小屋から出て、残りのルゥの好きだった祖母の家に向かうことにする。


「湖の方は駄目だったけど、こっちの方は可能性は高いと思うわ。何度も私はルゥからよくお祖母様の話は聞いていたから」

「ふむ、ルゥはおばあちゃん子なんじゃな。まぁ、あの母親じゃ、無理もないか」


ワシは、誰が言うまでもなく納得する。


「そうね、ルゥがお祖母様の話をするときは、瞳が輝いていたから。あとはそうね、本当のお母さんのお話をしているときも何だか嬉しそうだったわ」


エヴァが、思いだしながら言った。

ルゥの祖母の家は、これもまた外れにある。

位置的にシルトの町の中央広場から南下して、シルトの町の南入口付近の自然豊かな場所にあるとエヴァから聞いた。


「本当のお母さんか。あのさっきの人もルゥにもっと優しく接してあげればいいのにね」


エヴァが、嘆息混じりに言った。


「そうじゃな。あの態度だとお互いぶつかり合い、傷つけ合うだけじゃしな」


ワシも同意はしたが、それは中々難しい話じゃと理解している。それにワシ達が、何と言おうと当人達が解決しないことには意味がないからじゃ。

シルトの中心まで駆け足気味で向かい、すぐに南下する。

町の中心部では、何かのたたき売りをしている。威勢のいい声が広場に響き、それを囲む民衆がいる。いつもと変わらないシルトの町じゃ。


「そろそろかな」


エヴァが、周囲を気にし始める。

町の中心部から大分南下した。

辺りには、ぽつりぽつりとしか民家がない。

大分外れのほうに来たみたいじゃな。

ここまで来ると、町中というよりかは木々の中に民家が建っているといったほうがしっくりと来る。


「どうじゃ?」


ワシは、エヴァに答えを促す。


「待ってよ。私も本当に数えるくらいの数回しか来てないんだからさ!」


エヴァから、ぴしゃりと言われてしまった。


「すまぬ、気が急いてしまってのぅ」

「いいわよ、私も少し強く言い過ぎたわ」


双方が、謝ったところで、エヴァがようやくルゥの祖母の家を発見した。

想像通り、中々の立派なお屋敷じゃ。

家のところどころを、軸となる大きな柱が支えている。

入口は、正面に大きな扉が一つ。

ルゥの自宅のそれと非常に酷似している。

外壁もかなり風化はしているが、壊れている箇所はなさそうだ。

素材のものがいいのかどうか定かではないが、破損している箇所が見る限り見当たらない。

また、その邸宅を囲むようにある庭もかなり綺麗だ。

住んでいる人はいないというのに、この手入れの良さは、もしかしたらさっきの庭師の老人がたまに来ては、庭の世話をしているのかもしれない。

時季的な植物が、色とりどりよく、形よく並んでいる。

これは誰かが手入れをしない限り、自然で出来るとは非常に考えにくいからのぅ。


「エヴァ、見とれているのも良いが、ささっ、進もうぞ」


ワシは、エヴァに先に進むように指示を出した。


「あぁ、ごめんね。あまりに綺麗なのと、久々にきたから懐かしくなってしまって」


エヴァはそう言うと、入口に向かって、進んでいく。

進む速度はゆっくりめで、警戒しているようじゃ。

まぁ、警戒するにこしたことはないからのぅ。

庭を抜けて、入口の扉にたどり着いた。

扉の取っ手を見ると、さっきの湖とは異なり、埃がなく、ま新しさが残っている。

そして、使用されたような形跡がある。

ワシとエヴァは、顔を見合わせる。

ワシはもしやと思い、勢い良く扉の取っ手を回した。

音が鳴り、扉が開いていく。


「妙じゃな。鍵はかかっていると聞いていたが、鍵なぞかかっておらんぞ」


ワシは、何も抵抗なくすんなり開いた扉を怪訝そうな表情で見る。


「ということは簡単じゃない。ルゥがこの中にいるってことよ」


エヴァが、すぐに答える。

確かに、そう考えるのが普通じゃとは思うが。

ならいいがのぅ。

ワシとエヴァは、入口からゆっくりと進む。

軋む廊下を進み、居間らしき部屋が見えた。

大きさから見て、間違いはないじゃろう。

中を恐る恐る覗くとそこには……。

黒髪の小柄な少女が寝息を立てて、長椅子の上で寝ていた。

ルゥ。

周囲には、魔法に関する本や、ルゥが生前のお祖母さんから学んだであろう書物が散らかっている。ワシはルゥの口元に手を持っていき、呼吸を確認する。


「どうやら息もしておるし、無事のようじゃな」

「うん、本当によかった。全く、いつもは私が、心配かけてばかりだけど、今日はその逆なんだから」


ワシと同時にエヴァにも安堵の声が漏れた。

早速、ルゥを起こしにかかる。


「ルゥ、ルゥ。起きて、起きて」


エヴァはルゥの横に移動して、優しく、肩を揺すりながら、名前を呼ぶ。


「ううん……おばあちゃん」


ルゥは、夢でも見ているのか、祖母の名前を口ずさんでいる。


「ルゥ、ルゥ……」


エヴァが、さらに呼びかける。

すると、


「うぅん……あれ? あれ? エヴァちゃんにトーブ君? なんで?」


ルゥが、ワシ達の顔を見て、とても驚いている。

ここにいるのがそんなに驚くことかのぅ。


「迎えに来たんだよ、ルゥを。探したんだからね」


エヴァが、少し感情的になりながら、ルゥに抱きついた。

安堵の抱擁というやつか。


「あっ、そうか。ごめんね……私、昨日お母さんと喧嘩して、家を飛び出してきたんだった」


ルゥの記憶が、次第に鮮明になっていっているようじゃ。


「まぁ、単純な家出でよかったわ。自宅にいる親御さんはあまり心配しておらず、探すことすらしていなかったしのぅ。庭師のおじいさんから、ここにいるかもと聞いてやってきたんじゃ」


単純なここまでの流れをルゥに説明する。


「そうだったんだ。本当にごめん。二人には謝っても謝り足らないくらい。お母さんのこともごめんね。あの人は、いつもああいう感じだから気にしないで」


ルゥは、頭を下げながら謝った。

母親の事に対しては、やはり二人の間には、埋まらないものがあるのが、何となく伝わってくる。


「さて、ならばルゥも見つけたことじゃし、帰るとするかのぅ」


ワシは、ルゥが見つかり、目的を果たしたので帰還しようと二人を促そうとする。

しかし、エヴァが、その場から動こうとしない。

何かを読み漁っているようじゃ。


「どうした? 何を呼んでおるのじゃエヴァよ」


反応がないエヴァに対して、ワシは声を掛ける。


「あっ、ごめんごめん。この魔法書を見ていてさ。この魔法書内容が深くて、読解するのが中々難しいんだよね。それにあそこにあるのも、これもこれも」


この部屋にあるあちらこちらの魔法書を、エヴァはちらちらと見ながら、頷いたり、感心したりしている。


「凄いこの部屋は、魔法に対する知識に満ち溢れているわ」


エヴァが、歓喜の声を上げた。

それならば、もしかしたら、ワシのこの気を癒やしてくれる魔法もあるかもしれんのぅ。

淡い期待をしてしまう。


「おばあちゃんは研究熱心だったからね。だからこそ私も、そんなおばあちゃんから魔法について学ぶのが好きだった」


得意げに満足気に、ルゥは答えた。

その様子から、本当にルゥの祖母は、出来た御仁であったことが伺える。


「ならここだとちょうどいいかも。ルゥに元々会う理由が、最近魔法で伸び悩んでてどんなことをしたら、そこから抜け出せるのかなぁて相談しようと思ってたんだ」


エヴァが、当初の目的を話す。


「そうだったんだ。私なんかが助言していいのかどうか……」


ルゥが、顎に手を当てて、考えている。


「大丈夫、なんでもいいわ。ルゥは少なくとも私より、魔法に精通しているから。間違いはないと思う」


エヴァが、自信満々に答える。

そこはエヴァが、答えるところではないとは思うが。


「うーん、そうだなぁ。意外と自分の得意な属性魔法だけでなく、他の魔法を使用してみると見えていないことが見えてくる。繋がっていそうにないことが、意外と繋がっていることがあるかも」


ルゥが、答える。

答えになっているようで、答えになっていない。

理解するには、少し難しい内容だ。

言われたエヴァも、考えている素振りをしている。


「おばあちゃんの受け入りだけどね。だからエヴァちゃんは、炎属性以外の魔法も練習してみよう。そうすれば様々な魔法の知識や幅も広がって総合的に強くなるってことじゃないかと私は思ってる」


ルゥが凛とした口調で答える。

確かにそう言われたらそうかもしれない。


「……そうかぁ。わかった、とりあえず他の属性魔法も取り入れて、練習してみるね」


エヴァは、ルゥの言葉にどうやら納得したようじゃ。

果たして分かっているのかいないのか。

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