第49話 「地下迷宮」
魔法の書の宝物庫になったルゥのおばあさんの自宅を散策するワシ達。素人目から見ても、たくさんの難しい魔法書が、本棚に埃をかぶりながら埋まっている。
そこからあぶれた魔法書は、机の上や床下に無造作に重ねられていたり、地面に転げ落ちている。
「二人には、本当に心配かけてごめんね。私のせいで」
思い詰めた顔で、ルゥがワシとエヴァに再び謝ってきた。
「もういいわよ。ルゥが何も怪我なく、無事なら」
エヴァが、そんなルゥに優しく声を掛けた。
「エヴァちゃん……ありがとう」
ルゥが嬉しそうに答える。
「何事もなしじゃろ。あとは帰って、あの怖いお母さんに怒られるだけじゃ」
ワシは、わざと少しいじわるそうに言った。
「トーブ、もうあんた。せっかくルゥを優しく向かい入れたんだから、それをぶち壊すのやめてよね」
エヴァが、口を尖らしながら言った。
「分かっておる、分かっておる。すまなんだ。
ルゥ、おかえり」
ワシは、平謝りしてから、微笑んでルゥを向かい入れた。
「トーブ君もありがとう。それにもうお母さんに怒られるのは分かっているから」
ルゥが、諦めたかのように言った。
「中々の怖いお母さんじゃな。ワシも苦手じゃ」
「私も。話してると緊張してきてさ」
ワシに続いて、エヴァもルゥの母親についての印象を語る。
「私も緊張する。一緒に住んでいるのだけど、未だに慣れないの……」
一緒に住んでいるのだけど未だに慣れない。ルゥのこの言葉には、ワシ達とは異なる重みがあった。
まぁ、無理もないか。
自分の母親と一緒にいて、常に緊張状態で落ち着かないのじゃから。
大抵は、母と子の関係じゃと母は安心感を子に与えるんじゃがな。
緊張感を与えるということは、それとは真逆の行為じゃ。
「じゃが、まずは帰ろう。帰って心配している庭師の方には、無事を伝えねばなるまい」
ワシは、ここの情報をくれた庭師の老人を思い出す。
「あぁ、そっか。心配かけちゃったのね。ヴェスじいにも」
ルゥが、申し訳なさそうに言った。
「ヴェスじい?」
ルゥが、聞きなれない言葉を聞き返した。
「うん、庭師のおじいさんのこと。ここに来たときから優しくしてくれるの」
ルゥの表情がうって変わり明るくなった。
庭師であるそのヴェスじいのことが余程好きなんじゃろう。
「そうか、ここのことを教えてくれたのも、そのヴェスさんじゃった。物腰の柔らかいご老人じゃったわ」
ワシは、さきほど話した老人のたくましい髭を思い出した。
「それならそのヴェスじいには、きちんとルゥの元気な姿。見せてあげないとね」
エヴァが、にかっと笑って言った。
「うん、分かってる。二人のことも改めてヴェスじいに紹介するわ。私の大切な親友二人だって」
ルゥが、弾けるように微笑んだ。
「よし、ならば長居は無用じゃ。早速ルゥの自宅に戻ろうではないか。遅くなればなるほど、ヴェスさんも心配すると思うしのぅ」
ワシは、二人に帰るように促す。
どうやら何事もなく、無事に帰れそうじゃ。
ワシは胸元に隠し入れている小刀と、腰に忍ばせている杖を使わずに済むなと思い、少し安心する。
気のない今、ある程度の強さの敵と遭遇したら、二人を守るどころか、二人に守られてしまうお荷物になってしまうからじゃ。
「わかったわ。ルゥ行きましょう」
エヴァが、ルゥの手を引き、勢いよく歩き始めた。
正面入口に向かって歩き出すワシ達。
「どこ行くの? 裏口はあっちだよ」
ルゥが、正面入口とは反対の方の廊下を指差す。
「裏口? 入口正面からルゥは入ってないのか?」
ワシは、ルゥにすぐに聞き返した。
「うん、正面は固く鍵で施錠されていて、開くのは無理だよ。裏口は、鍵がかかっているけど、私はどこに鍵が置かれているか知っているから」
ルゥの返答を聞き、ワシは、妙な不安感が押し寄せてくる。
「おかしいわね。私とトーブは、入口正面から、入ってきたのよ。正面の鍵は始めから開いていたし」
エヴァが、首をかしげながら言った。
どうにもおかしい。
お互い、話しが食い違っている。
「私は、昨日ここに裏口から入ってきたの。そしてきちんと内側から裏口に施錠した……」
昨日の記憶を辿りながら、ルゥは言葉を続ける。
「ルゥのその説明ならワシ達が、ここに入ってきた説明が着かん。ワシとエヴァは間違いなく、正面入口から入ってきたのじゃ」
ワシは、エヴァに同意を求める。
エヴァはうんうんとうなずいている。
「ならどうして正面入口の鍵が開いてるの?」
ルゥが、恐る恐るワシに聞いてきた。
おそらく、答えはルゥ自身も心得ているはずじゃ。
「ここには、ワシ達以外にも誰かいるというわけじゃ。間違いなくな。しかもご丁寧に正面の鍵を壊すことなく、解錠しているところから、それなりの盗人の知識はあるわ」
ワシは、自分の顎に手をやり、考えながら説明をする。
「一体いつの間に、でも私が、ここに入ったときには人の気配がなかったけどなぁ」
ルゥは返答する。
「おそらくルゥが、ここに来る前にはもう忍び込んでいたというのが妥当じゃろうなぁ。ルゥはいつもの通り、正面には鍵が掛かっていると思い込んでいるから、正面入口の鍵は、注意して見ないで、おそらく裏口に直行したじゃろ?」
「うん、いつもの通りに裏口に行った」
ワシの問いかけに、ルウは即答する。
「なら、その線が濃厚そうじゃな。正面入口を確認していたら、ルゥはここに入ることはなかったじゃろうし。すぐにここを出て自警団に報告しよう。そうすれば問題はない。適切に処理してくれるはずじゃ。それにしてもそんな奴らが同じところにいるのに、知らないとは言え、よくここで眠れておったな」
ワシは、少し驚きながら話す。
実際、そんな輩がいたら、寝ることなぞできやしないからじゃ。
「だってルゥ本人は、そんな人がいるとは思ってないから、いつも通り行動しただけだし。いつも通りよ、いつも通り」
エヴァが、ルゥの代わりに答える。
まぁ、実際の所そんなもんじゃろう。
「うん、全然気が付かなかった。いつも通りにここに来て、おばあちゃんの思い出に浸っていたから」
ルゥがそう、答える。
なら本当に怪我がなくてよかった。
最悪、遭遇していたら事件に発展していたかもしれない。今回は本当に運がいいと、言わざるをえない。
「ならば、すぐに帰るぞ。その輩が戻ってきても敵わんしな」
ワシは、すぐに二人にここから出るように声がけをする。
正面の入口に向かう。
みしみしと軋む廊下を進み、正面入口にもう少しで到達する時だった。
いきなり、自分の身体を支えていた地面、この場合はこの廊下じゃが。
その廊下がみしみしと音を立てて、ワシ達の体重に耐えかねたかのように、足場が崩れ去った。
「ぬっ!?」
「きゃ!?」
「えっ!?」
突然の出来事で、三人共対応することが出来ず、その流れのままで、下に落ちていく。
途中、坂道のような傾斜の付いた坂のようなところにぶつかり、後はその流れのままで落ちていく。
ようやく、まっ平らな地面が見えてきた。
転がりながらも、目視する。
身体に致命的な外傷もないようじゃ。
ワシは坂道から、投げ出されるような形で、地面に叩きつけられた。
続けて、エヴァにルゥもワシ同様に投げ出されるような形で到着する。
「いたたたた……一体なんなの」
エヴァが仰向けの体勢でぼやく。
「うん、突然床が抜けたのかな……」
ルゥが、腰の当たりを抑えながら立ち上がる。
「ルゥの言うとおりじゃな。老朽化の床抜けが妥当じゃろうて。それにしてもここは……」
ワシは、自分たちが落ちた周囲を見回す。
地下迷宮といったように、外壁は明らかに人の手によって作られたものだ。
小さな煉瓦上の石を何個も重ねたものだ。
発火性の石と炎の精霊を閉じ込めたほの暗いが明かりも左右にある。
「ルゥ、地下があるなんて心当たりは?」
ワシは、ルゥに聞いてみる。
ルゥは知らずともおばあさんが生前、話したことがあるかもしれない。
「ううん、聞いたことないわ。こんなの初めて……」
ルゥは周囲を見回しながら、ワシの質問に答える。
どうやら本当に知らないようじゃ。
「エヴァは、大丈夫かのぅ?」
ワシは、さっきまで倒れていたエヴァに声をかける。
「大丈夫よ、まさかのルゥのおばあさんの家の下にこんなところがあるなんて」
エヴァは、なにげに嬉しそうじゃ。
ワクワクしているという表現が合う。
エヴァが、その盗人をとっちめましょうと言わないか、はらはらしていたが、それ以上に今は悪い現状になってしまった。
ワクワクしている場合ではないぞ、エヴァよ。
こういうときに気がないのが、不甲斐ない。
そして、その気がないことを嘆く、自分が情けない。
「どうする? と言っても進むしか帰る方法はないか」
「そうね、行きましょう」
エヴァが、うんうんとうなずく。
「ルゥもいいか?」
「うん、進むしかないよね」
自分に言い聞かせるかのように言い、ルゥは頷いた。
ワシも不安は残るが、進む以外選択肢はないので、それに従うことにする。
落ちてきた頭上の穴も届きそうにない。
ほんのりと湿り気のある石畳の道を歩きながら、常に前方に注意を払っている。
何かあった場合、先に動けたほうが数段有利だ。
そのために、こっちは常に情報を先に先に仕入れなくてはならない。
「それにしても、まさかルゥのおばあさんの家の下にこんな地下通路があるとはのぅ」
二人が何も話さないので、ワシは二人に話しかけた。
「なんでこんなのがあるんだろう? おばあちゃんは私に隠してたのかな」
ルゥが、物静かに言った。
「どうじゃろうな。そう考えるのも性急ではないか。敢えてルゥのことを思い、話さなかった場合もあるし、おばあさん自体がこの存在を知らなかった場合もあるし、いずれ時がきたら話そうと思っていた場合もあるし。考えるときりがないのぅ」
ワシは、話を聞いている限り、魔法に精通しているルゥのおばあさんに限って、この地下の存在を知らないということはほぼ考えにくいとは思うが。
「そうね、もし分かっているとしたらおばあちゃんだけだもんね。でもおばあちゃんはもういない。おばあちゃんに会いたいな……」
ルゥが大好きなおばあちゃんを想い、嘆いた。
「それにしてもどこまで続くんだろう。ここってようはシルトの町の地下の部分でしょう?」
エヴァがワシに聞いてくる。
「まぁ、そうじゃと思うが。まさかシルトの地下にこんなのがあるなんて大抵の人は知らないじゃろうな。ワシ達も今回、正面からではなく裏口から帰っていれば、この地下の存在には気が付かなかったじゃろうしな」
ワシはエヴァの問いに答えつつ、二人に止まる様に指示した。
まっすぐだった道を、くるりと右手に曲がると、そこには大きな乳白色のナメクジがいた。
ナメクジと言えば、指に乗る大きさのはずじゃが、ワシの目の前に写っているナメクジの大きさは、ワシ達と変わらないくらいの大きさじゃ。
こっちには、まだ気が付いていない。
ワシ達に背面を見せて、地面にある餌でも摂取しているのであろうか。
時折、頭の部分についている二本の触覚がひょこひょこと動いている。
「何あれ!?」
小声で声量を抑えて、エヴァが言った。
「ナメクジ?」
ルゥが冷静に答える。
「……のようじゃな。じゃがワシ達の知っている従来の大きさの比ではないようじゃ」
ワシは少し呆れたかのように答える。
「気持ち悪いわね……どうする?」
エヴァが、セスルートから貰った杖を構える。
不必要な戦闘は極力しないほうがいいのじゃが。じゃが一匹としてのナメクジの個の力を調べておきたいというところもある。
判断が難しいわ。
「私も杖はあります」
ルゥが、服の中に忍ばせていた愛用の杖を取り出した。
エヴァとルゥがワシに選択を求める。
真っ赤な瞳と漆黒の瞳が、ワシを見つめる。
「相手は一匹だけ、気をつけて対処しようぞ。もし勝てそうにない相手じゃったら、逃げる。これでよいか?」
ワシは、二人に簡単な指示を出す。
開幕は、エヴァの渾身の一撃。
まずはこれで様子を見る。
その後は、ルゥとワシで対応。
エヴァは詠唱するといった感じじゃ。
大抵は、エヴァの初撃で殲滅か、漏れたところをワシかルゥでとどめを打つというのが、一番望ましい形じゃ。
「それじゃ、始めるかのぅ。不意打ちとはあまり誇れることではないが、こっちも緊急事態なのでのぅ」
ワシは、エヴァに開始の指示を出した。
エヴァが詠唱を始める。
「火の精霊よ、我に力を。この暗闇を照らす猛き炎となれ! 火球!」
エヴァが、詠唱を唱えると、赤き火炎の球が、エヴァの周囲に浮かんだ。
「ええい!」
エヴァが杖をナメクジのほうに振りかざし、吠えた。
すると空中に浮いた火球が、ナメクジに吸い込まれるように飛んでいった。
ナメクジに火球が一つ、また一つと直撃していく。ナメクジは初撃の火球が直撃した時点で声にもならない悲鳴を上げていたので、おそらくエヴァの魔法で事足りるような気がする。
五発の火球が全てナメクジを襲い、燃やし尽くした。ナメクジは火球の熱によって溶かされたようじゃ。
「エヴァちゃん、伸び悩んでるって聞いてたけど、魔法自体の威力は増してる感じだけど」
ルゥが、久々に見たエヴァの魔法について、感想を話している。
「うん、威力は上がったような気はするんだけどね。まだまだ自分では納得してない部分があってね。ごめん、うまく説明出来なくて」
エヴァがルゥに答えた。
「ううん、大丈夫。その向上心があれば。私も負けてられないな」
ルゥが、エヴァの魔法を見て、感化されたようじゃ。
さっきまでのしょげているルゥより、やはりこっちがいいわ。
「さっきのナメクジ程度なら問題無さそうじゃな。ならば警戒しながら、合力して進んでいくか」
ワシは、この上向き上昇の気持ちを利用し、先に進むことにした。
石畳の洞窟のような道を進む毎にナメクジに、ムカデ、蚊、バッタのような巨大昆虫が私達の前に姿を現した。
そのときもワシ達は、慌てることなく、対応する。
基本的に虫達は数が揃っていても、揃って攻撃してくることはなかったので、各個体一匹ずつ、各個撃破していく。
エヴァは、火属性の魔法を主に、ルゥは水属性の魔法を主に、ワシは立ち回りとして、二人の援護をしながら、小刀で虫達を斬り裂いていく。
一撃では倒せないので、自分の速度を活かし、様々な角度から攻撃を繰り返す。
「本当に気持ち悪いわね……」
エヴァが、顔をしかめながら答える。エヴァは虫があまり得意ではないのじゃ。
「うん」
ルゥも同意するが、声に力がない。
「流石にこうも連戦じゃと疲れるじゃろ。少し休むか」
進めど進めど、中々景色も変わらないし、出て来る敵も変わらないものばかり。流石に飽きてくるのも無理はない。
ワシ達は、比較的乾いている地べたに座った。
「ルゥのお父さんってどんな人?」
エヴァが、ルゥに聞いた。
「優しいお父さんだけど、仕事が忙しくて、中々会えないの」
嬉しさ反面、寂しさ半円の顔でルゥが答える。
「そうなんだ。どんなお仕事してるの?」
エヴァが、続けて聞いた。
「うん。フォルセルの中央の方で、王族警護の魔道士として仕えているって聞いてる」
ルゥが、嬉しそうに言った。
自然と現れる微笑みは、本当に父親のことが好きなことを現している。
「ならこの間の建国祭のときに、私達もしかしたら会ってたかもね」
エヴァが、ワシに聞いてくる。
「確かに、その可能性も無きにしもあらずじゃな」
ワシも頷く。
「そっか、二人は建国祭に行ったんだもんね。私は高熱が出ていていけなかったんだ。せっかくお父さんに会える機会だったんだけど」
ルゥは残念そうに答える。
「それは残念ね」
エヴァもせっかくの父と会える機会を逃してしまったルゥの心を察する。
「でも最近だけどきちんと会いに来てくれたからいいの。建国祭で会えなかったからなって言って」
ルゥは本当に嬉しそうな顔をしている。
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