トーブとマンダリン ~指導~
早朝、小鳥のさえずりで、ワシは目が醒めた。
いかん、寝過ごしたかと思ったが、まだ外が暗い。
随分起きるのが、早い鳥もいたもんだとワシは少し感心する。
さっさと着替え、顔を洗い、歯を磨いて、心配させないように父、母に置き手紙をして、ワシは自宅を出た。
まだすこし肌寒い。口から白い息が出る。
河原まで走ると、いい準備運動になるかもしれない。
約束はしたが、マンダリンは、はたして来ているであろうか。
河原が見えてきた。見てみると巨大な黒い影がある。
ふっ、結構結構。いるのであれば、何も問題はない。
ワシは、待ち合わせ場所に到着し、
「おはよう、待たせたかのぅ」
挨拶と共に、声を掛けた。
「おはよう。待っていたぞ……」
少し身体を震わせながら、マンダリンは答えた。
寒いのであろうか。
ガタガタと震えている。
「寒いのか?」
ワシは、試しに聞いてみる。
「さ、寒かねぇやい。それより早く始めようぜ。身体を動かさないと……」
マンダリンが、起きたてのせいなのか、いつもより、か細い声で答える。
「寒いのなら正直に寒いと言えばいいじゃろ」
「寒い……」
マンダリンがぼそりと答えた。
しかたがないのぅ。
「とりあえず、少し河原でも走って身体を温めよう。話は、まずはそれが終わってからじゃ。
そう言うと、マンダリンはこくりとうなずき、河原を走り始めた。
巨体を揺らしながら走る姿がなんとも言えない。
そして意外と素直だ。
いつもはとっつきにくく、誰も寄せ付けないような雰囲気を出しているが、今日は少し違った。
さて、奴が走っているうちに、ワシは今日やることを考えるかのぅ。
少し時間が経過すると、マンダリンがちらりちらりとこっっちの様子を伺っている。マンダリン的にはもう身体は温まったと言いたいのであろう。言いにこないところがなんとも滑稽だが。
「よーし、よいぞ。こっちに来てくれ」
ワシは片手を上げて、マンダリンを呼んだ。
河原を音を立てて、こちらに巨躯が迫ってくる。
「はぁはぁはぁはぁはぁ……」
かなり息を切らしている。体力が少し足らないようじゃの。
つまりは持久戦は苦手で、短期決戦向きということじゃ。
「温まったようじゃな」
ワシは、身体から白い湯気を出しているマンダリンを見ていった。
「あぁ……少し温まりすぎたところだ」
呼吸を整わせながら、マンダリンは答えた。
「そうじゃな。まずはワシとやり合うか。お主の実力というものを見せてもらうぞ」
ワシは、マンダリンに試合を申し込んだ。
「いいのか? 本気でやっても?」
マンダリンは、ワシに聞いてきた。
「何が言いたいんじゃ?」
ワシは、その質問に質問で返す。
「だから本気の力で、戦っていいか聞いてるんだよ」
抑揚のない声でマンダリンが聞いてくる。いつもの奴がどうやら戻ってきたようじゃ。
「言ったはずじゃ。本気でかかってこいと。それに心配せずともお主ではワシに一撃も浴びせることは出来んよ」
不敵に笑い、ワシはマンダリンを挑発する。
こうでもしないと、彼は本気で戦ってくれない。
マンダリンの実力が、どれほどのものか知りたいのだ。
「おい、トーブ。後悔するなよ。お前がいいっていったんだからな」
そういうとマンダリンは、ずんずんとワシの前に近づいてきた。今日のマンダリンはいつも以上にでかい気がする。
「ごたくはいい。マンダリン、早く来るがいいわ!」
ワシは手の指を立てて、かかってこいという合図を出した。
「ぷっおおおおおおおおん!」
マンダリンが吠えた。河原にその咆哮音が鳴り響いた。
凄まじき気迫よ。その年齢でそれほどの気迫をだせるものは中々おらんわい。
じゃが、ワシにはそんな咆哮などは通用せん。
マンダリンが、拳を振り上げた。叩きつける攻撃だ。ワシは後方に飛び退いた。ワシがいたであろう場所に凄まじい、一撃が放たれた。
地面には拳の跡が付き、陥没している。
「逃げたか……次は外さん!」
マンダリンの巨躯が動いた。
自慢の脚力を利用した跳躍だ。
「まさか、そこからここまで届くとは恐れいったわ。ワシの予想を少し上回ったわ」
ワシは、マンダリンの跳躍力に素直に感心していた。良い発見をしたと思う。
「いつまで逃げまわってるつもりだ。闘うつもりならば、トーブ。お前も打ち込んでこい!」
マンダリンはそういいながら、ワシに対して、拳を打ち込んできた。
恵まれた巨躯を活かした攻撃。直撃すれば大怪我だが、当たらなければ意味が無い。
ワシはまたその拳も左右に跳躍して逃れる。
「ちっ、なんで当たらないんだ!?」
マンダリンが叫ぶ。
一発でも当たればマンダリンの勝ちなのかもしれないが、その一発を当てるのが遠い。
「どうしたのじゃ? 自慢の拳が、一発でも当たればお主のおそらく勝ちじゃぞ。早く当ててみんか!」
ワシも少しずつ、感情が高まってくる。
かつてヴァンにワシが、稽古をつけていた時もこんな感じじゃったかのぅ。
そして必ず弟子が、痛感してしまうのが師匠であるトーブの圧倒的な強さである。
ヴァンには、僕が三回くらい生まれ変わって修行していたら、ようやく到達できるような強さと子供ながらに言われた。
懐かしいのぅ。
ヴァンよ、今どこで何をしておるのじゃ。もし生きているのなら、早く会いたいものじゃのう。
「むっ!?」
前方から来るマンダリンの動きが変わった。
ワシの目の前の地面をわざと殴り、ワシを跳躍させた。
少しは考えたというわけか。
空中で、一定の動きしか出来ないワシにマンダリンは仕掛けてきた。
来い来い、若き猛々しい武よ。
マンダリンが構えた。
自慢の右腕から繰り出される一撃が、ワシに迫ってくるのかと思ったが……
繰り出してきたのは軽い突きだった。そして続け様に左手、足と小刻みに刻んでくる。
大振りを止めて小振りにしたか。それも一つの手じゃな。いつ渾身の一撃を打ち込んでくるのか楽しみじゃ。
「ふんっ、せい!」
マンダリンの掌打は中々見事なものだった。
自分の利点をうまく利用している。
ワシより長い腕の長さを利用し、途中から別の技を繰り出したり、ワシの身体の重心を、ずらそうと攻撃してきてみたりと、意外と考えて攻撃してきている。
流石は、オーク族じゃ。
その流れる血に、今までの戦士達の闘いの礎が、刻み込まれておるようじゃわ。
そういいながらも、攻撃を繰り出しているマンダリンが、いつ我慢しきれず、大技を繰り出してくるのかを待っている。今のところは意外と我慢しているほうではある。
「はぁはぁはぁ……」
マンダリンの呼吸が、僅かながら乱れ始めた。
体力が切れてきたのぅ。そろそろじゃな。
ワシは敢えて、マンダリンの掌打を初めて受け止めた。思ったよりもしっかりと重みがある。マンダリンは、ワシが掌打を受け止めた機会を逃さなかった。
「ぷおおおおおおおおおん!」
久々に聞いた咆哮音。マンダリンの渾身の拳がワシに打ち込まれた。
砂煙が舞い、マンダリンの拳は誰もいない地面に打ち込まれていた。ワシはというと最低限の動きで、その拳から逃れただけだ。
「馬鹿な……。ここまで、ここまで遠いのか……」
マンダリンは呆然とした表情で言った。
「マンダリンよ。これが今のワシとお主との差じゃ。分かったか?」
ワシは酷なことだが、事実を告げる。
「お前の強さを感じた拳を交えただけで何となく分かる。これは試合ではなくて、指導だな」
マンダリンがうなだれ気味で答えた。
試合ではなく、指導か。
よい言葉を使う。
「安心しろ。この世には、ワシよりも強い子供もいれば、お主より弱い大人も五万といる。要は、自分をどこまで高めることができるか。己との闘いじゃ」
ワシは諭すように答える。
「あぁ、そうだな」
開始したときよりも、明らかにマンダリンの声には覇気が無くなっている。
「今日見たところ、お主は、闘いが長引けば長引くだけ不利じゃ。鍛えるべきところは短期決戦で確実に相手を倒せるようにするか、体力を鍛えて、長期戦でも耐えれる体力を付けるかじゃ。選ぶのはお主じゃ。ワシから言えるのは以上」
ワシはそう言い、空を見上げた。
ようやく日が登り始め、河原が少しずつ、日の光で照らされていく。
綺麗なものじゃ、非常に清々しい。
さてと今日は、これくらいにするとしようかのぅ。
「マンダリン、では今日はこれで終わりじゃ。また明日やる気があるのなら、ここに来い。以上じゃ」
ワシはそう言い、河原を後にした。
後ろを振り向くと、まだマンダリンが河原に佇んでいる。
ここから前に進むか、何もせず停滞していくのか。
それは、マンダリンお主次第じゃぞ。
強くなるためには、それ相応の覚悟をしなければならない。
明日来たとしたら、ワシの目には狂いはなかった。来なかったら……いや来ないことは考えないようにしよう。
帰り道にうんうん考えながら、ワシは両親が待っている自宅へと帰宅した。
次の日の早朝、河原までの道のり。
「やはり短期決戦で仕留めるほうがよいか。オーク族として自分の得意分野を鍛えるほうが効率がいい」
ワシは河原に向かいながら考える。
じゃがもし、体力もあって長期戦も可能なオーク族の戦士がいたら、それは非常に面白い。
それにワシ自身戦ってみたいものじゃ。
ワシも足らない筋力を、もっとバシバシ付けなければならんな。
長所を伸ばすのは簡単だが、短所を克服するのは難しい。
よし、ようやく到着だわい。ワシは河原に着いたが、そこにマンダリンの姿はない。
なんじゃと……
まさか昨日コテンパンにしすぎたせいでと、一瞬そのことが脳裏を過ぎったが、それで来なくなるともはやしょうがない。自分の弱点を、自分で知るためには必ずしなければならなかった通過点の一つだ。
周囲を見渡すがあの分かりやすい巨躯はいない。
マンダリン。
お主はもう少し、骨のある奴だと思っていたんだがのぅ。
ワシは河原の上に寝そべった。
まだ暗い空が、ワシを覗いているのが見える。
日はまだ登らんか。
「?」
その時、ワシの耳に何か聞こえた。
こっちに何か音を立てて、近づいてくる。
ワシは音のする方を見た。視線の先には、背中に砂の入った大きな容器を背負い、息を切らしながら、こっちに向かって、走ってくるオーク族の少年がいた。身体から滝のように汗をかいている。地面に大きな汗の雫が、ぽたぽたと身体をしたり落ちているのが分かる。
「お主!」
ワシは、にたりと笑った。
「口やかましい師匠がよぉ。身体を温めておけとうるさくてな。少し遠出してしまったぜ」
マンダリンはそう言うと、どかりとワシの横に座った。凄まじい熱気を感じる。
こやつ、一体いつから走りこみをしていたのじゃ?
「来ないのかと思ったぞ」
ワシはマンダリンに言った。
「すまない、時間配分と距離数を間違えてしまった」
マンダリンが軽く頭を下げた。
「よいわよいわ。来てくれただけでよしじゃわ」
ワシは逆にマンダリンに礼を言いたくなった。
「誰が来ないなんて言った。俺はニハトやトッド達のために強くならないといけないんだ。それもみんなを守れるくらいにな。だからこんなところで止まっていられない」
マンダリンは、空を見上げながら言った。
何故そこまでして仲間を守ろうとするんだお主は。
いずれ聞かせてもらうぞ、マンダリン。
ワシは、その理由をマンダリンの口から聞けると信じて、今日の修行を始めるのであった。
当面は基礎体力作りに専念じゃ。
マンダリンが自ら弱点である体力の少なさを、克服したいと言ってきたので希望通り、そうすることにした。
毎日の走り込みはもちろん、疲れたら、少し休み、少し回復したらまた走りと自分の心臓に負荷をかけて、鍛えていくことにする。
体力面は、それを毎日行っていくこと。
あとは戦闘技術じゃが、それは迷わず、自分の父親や大人達に聞けとワシは促した。ワシが教えることが、出来るのは一般的な戦闘術であり、オーク族のものでない。そのため一番いい選択は親世代の大人から教えてもらうことだとワシは思う。もちろん頼まれたら教えるが。
それでたまに会って、試合をしようということになった。今度は指導ではなく、試合になればいいなと思うが、そうそう埋まるものでもないと思う。ワシの鍛えてきた六十年の武はそれほど甘くない。
「トーブ。今度、村で武闘大会がある」
マンダリンから話を聞くが、どうやら毎年恒例の祭りみたいなもので、この大会で後継者が決まったり、結婚相手が決まったりと好成績を残すと、これからの自分の未来が明るい。
「無差別の部で出場したいと思ってる。同年代には正直負ける気がしないからな」
マンダリンは言い切った。確かに同年代でマンダリンに勝てる奴がいるなら、ワシが戦いたいものじゃ。
「無差別級は様々な奴らが出場する。ほとんど大人だとは思うが。その中で現状自分がどれくらい成長したかを知りたい」
マンダリンは言った。確かな実力が自分に備わってきているか試したいのだ。
「参加すればええ。お主の自由じゃ。納得のいく結果が出るとええな。あとお主が思っている以上に、力より速力のほうが伸びている。相手を速さで翻弄できるかもしれんぞ」
毎日あれだけいじめにいじめ抜いた。体力だけは、ほかの者達の追従は許さないと思うが。
「ぜひ見に来てくれ。招待する」
マンダリンは、厚意で言ってきたが、ワシは断る。
「お主は優勝する。絶対にな。大丈夫じゃ。自分を信じて戦い抜いてくれ。ワシもお主に負けないように頑張らないと。最近のお主の著しい成長に嫉妬すら感じるわ」
ワシの物言いにマンダリンは、少し驚いたようだ。
「そこまで言われたのなら優勝してやらぁ! お前がも嫉妬するように実力をめきめき上げてな」
マンダリンが不敵に笑った。
いつかマンダリンが、ワシの武に追いついてきたら本当におもしろくなりそうだ。そしてワシのこの苦悩も分かるだろう。伸びしろが無くなってからが本当の意味での修行じゃ。
「なら後で結果だけ教える。優勝以外はないと考えておいてくれ」
自信満々に答えてマンダリンは修行に戻っていった。
優勝か。いい響きじゃ。マンダリンは、自分で思っている以上に、自分の実力が伸びていることに気がついていない。
向上心のないオーク族が、相手だったらマンダリンが負ける余地も理由もない。
もしマンダリンと同じことを、考えているオーク族がいたら、いい試合が見れそうな気がする。ワシはマンダリンの方を見た。速力をさらに鍛えているようだ。周囲の丸太を動かし、自分は最小限の動きで、その丸太の動きを見切り、避けている。
修行熱心な奴じゃわい。ワシもうかうかはしていられない。
数日後、オーク族の村で武闘大会が開催された。ワシはいかないと啖呵を切ったもののやはり見に来てしまった。闘技場が村の中央にある。客足は上々だ。ほぼ満席に近い状態になっている。
いたいた。マンダリンが緊張した面持ちで舞台の上でいる。
「硬い表情だのぅ」
遠巻きに見ても分かる。あやつ、緊張しておるのぅ。
また、十歳であるマンダリンが無差別級に出るのは、血迷った行為だと観客からもやじが飛んでいる。
見せてやれ、ここにいるオーク族全員に生まれ変わったお主の力を。
行け! マンダリン!
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