転生 ~エヴァ・ジーズ―との出会い~

ここはいったいどこじゃ。

瞳を開けて、まず初めに思ったことはまずそれだった。

ワシは大きな寝具の上で、どうやら仰向けに寝ているみたいだ。身体に痛みなどはない。

奴はどこにいった?

いや奴は不可解な言動をして絶命したはずだ。ワシも胸を刺されて。

そう思い、胸辺りを見てみるが特に違和感がない。

いや、なんなのだ。この服装は。よく見てみるとワシは絹製の服に包まれている。

鎧はどこに・・・。

周囲を見る。寝具の周りには柵がある。それはあまりにも高く大きな柵だ。天井を見上げると光源がある。

あれは確か光蟲。光源が動いている。光蟲というフォルセルでいる一般的な蟲の一種だったはずだ。

ということはここはフォルセルなのか。いや光蟲を輸入して使用しているということもある。さらに周囲を確認すると箪笥や棚が置かれている。他には特に何もないただの部屋だ。

小奇麗な部屋だのぅ。

ワシがそう思っていたときに足音が次第に近づいてきた。

足音?一体何が来る。警戒していると戸を開けて男と女が入ってきた。

にこにこと優しそうな表情でこちらを見ている。

見たことがある。

確かリリス族。主に砂漠の国、バーズルに住んでいる種族だったはずだ。

人間族に比べて極端に低い身長、真っ赤な髪に、真っ赤な瞳。成人したとしても、以前のワシに比べたら腰くらいまでの身長であろうか。この低い身長がリリス族が小人族と言われる所以である。


「トーブ」


二人がワシの名を呼んだ。名前がばれている。


「大切に育てよう。2人でな」

「はい」


男の言葉に対して女がうなずく。

育てる?一体何のことだ。

分からないことばかりだ。

そう言うと2人はまた部屋から出て行った。状況が理解出来ない。

ワシは自分の周囲を改めて確認した。そこで驚愕の事実を認識する。

かなりでかい寝具だと思っていたこの寝具は特に大きくもない。冷静になり、周囲に置いてある物や配置物と比較しても寝具の大きさは普通だ。

ではその中にいるワシは一体・・・。

恐る恐る身体全身を眺める。


「!?」


どうやら信じがたいが現実として受け止めるしかなさそうだ。

ワシの体は驚くことに赤ん坊に戻っていた。

身体は赤ん坊だが内面はワシじゃ。

これは一体。状況が読めないどころか、分からないことばかりだ。

まずは・・・とそんなことを考えているうちに激しい睡魔が襲ってきた。

いかん。こんなときに寝てはいられん。

ワシは一番気になったソーマが使えるかどうかを試そうとした。

しかし、丹田に何も感じられない。

まさか・・・と思ったが次第にへその下にゆっくり気が潤滑油のように流れることをワシは感じた。

お前だけは、今のワシに残ってくれたか。

またからっぽの状態から出発じゃが、長い年月をかけて再び以前のようなおびただしい量に戻してやるわ。

ワシは気がまた使用できるということに安堵してしまったのか、いつのまにか意識が遠のいてしまった。






 1年が経過した。ワシが分かったことは名前はトーブ・ファンクルということ。

父がマルス・ファンクル。母がイーダ・ファンクル。共にバーズルから移民としてこのフォルセルの地にやってきたそうだ。マルスの仕事は建築関係。イーダは家庭内のことを切り盛りしている。

あとこのトーブの名前は、ペルトを守ったトウブという英雄からとったものだ。

つまりは・・・ワシの前世の名前から取ったものじゃ。

戦後、生き残ったペルト防衛兵の英雄譚の内容からワシの名前を知りえたらしい。

何ともむず痒くなる話よ。

 後々に分かることだが、あのワシが帝国と戦った日から現在は、10年の月日が経過しているとのことであった。その10年間の間で帝国は侵攻してきたが、3大国の強固な同盟力のおかげで見事に防いでいる。

 この強固な同盟が締結した理由は、元々この同盟案は出ていたが、この侵攻で本格的に3カ国の上層部が、帝国の領地の拡大化に危惧したことと、何より3カ国の代表が代替わりしたためである。

また少なからず、ワシも3カ国の上層部の一部とつながりがあり、同盟を推奨していた背景もある。その間に帝国内部でも揉め事があったようだ。現在ではそのことから不気味な均衡状態が続いている。

ワシとしてはとても気になることが多々ある。第一にヴァンとバストゥルクの安否だ。2人が今どこで何をしているか、気がかりだ。

もちろん、死んではいないとは思うが・・・






 3年の月日が流れた。ワシはみるみる成長した。

しかし、リリス族の宿命なのか身長は頭打ちに・・・。

もうこれから伸びる気配はどうやらない。やはり前世のワシの腰くらいまでしか伸びないのか。

真に残念じゃ。

この身長の他に真っ赤な髪と瞳が、リリス族の証だ。

この他にも魔法の扱いに関しては、他の種族の追従を許さない。

しかしながら、身体能力は他種族に比べると劣る。

その理由として、身長の大きさの問題が挙げられる。どうしても筋力の絶対量の問題で、必ず他種族に劣ってしまうのだ。

ワシは種族の理由で劣りたくはないため、毎日鍛錬をして、欠点を補う。

その上でソーマも毎日欠かさず、練り続けている。

またリリス族が、得意であるはずの魔法に対しても手を出し始めた。

こちらのほうは、追々時間をかけて詰め込んでいくつもりだ。テンカイが、魔法とソーマの混合術を使用したということは、ワシにも出来る可能性があるということだからな。

武の頂に上り詰めるまでは、やれることは全て行わなければならない。


また、日々の生活にも変化があった。父マルスの建築の仕事が軌道にのったことと、2年前に同じ移民としてリリス族のジーズー家が隣に引っ越してきたことだ。今では家族ぐるみでこのジーズー家の方々とは仲良く親睦を深めている。中でも一人娘のエヴァ・ジーズーとは幼馴染の仲だ。今もこれから彼女と会う約束をしている。


「トーブいる?」


ノックもなく、いきなり自室の部屋を開けてエヴァは入ってきた。イーダは、家にいつの間に入れたのであろうか。

真っ赤な長髪に紅蓮の力強い瞳。一衣ワンピという若草の色を連想させる薄い緑色の服を着ている。


「おはようさん、相も変わらず元気ないい声じゃ」


ワシは木目の床に座しながら、自分の幼なじみの挨拶に一寸の乱れなく答え、すぅーと深く、息を吸い込んだ。鼻から侵入した空気が身体の中を循環し、ある場所に一瞬とどまらせるかのように。いや、そう意識を集中させることが重要である。これがソーマを練るという行為の基礎中の基礎の一つである。


「まーた、いつものソーマの鍛錬ってヤツぅ?」


ワシのこの行為自体、彼女には何回も見られていて、特に驚いた様子もない。今ではワシのこの鍛錬中に話しかけてきたり、ワシの部屋の中の掃除をするくらいだ。


「有無。これなくしてワシにとって一日は始まらぬからな」


そう言い、丹田に力を入れる。練りに練られ、ようやく気が誕生する。ワシはその気の産声という波動を聞いた。


「ふーん。まぁ、それより早く終わらして。出かけるわよ」


妙にそわそわとしている素振りと早口から、ワシは何かを感じた。

ここにいることなど上の空だと彼女の顔に書いている。


「何を急いているか分からぬが…ふむ。こんなもんじゃろうて」


ワシは床から立ち上がり、軽く呼吸を整える。そして今しがた着用していた寝衣じんべえを脱ぎ、外出用の衣に袖を通した。

エヴァはと言うと、窓の外の風景の一点を見つめている。


「待たせてしまって申し訳ないのぅ。では行くとするか」


腰の帯をきっちりと絞めて、ワシはエヴァに話しかける。


「うん、すぐに行こう」


エヴァは扉を勢いよく開けると、部屋から出て行ってしまった。

余程気にかける何かがあるのか。ワシには皆目見当が付かない。後で詳しく詳細を教えてもらおうと考えながら、ワシはゆっくりと自室を後にした。

螺旋状の階段を降る。階段を降っている最中に嗅覚をいい香りがさらった。さらった主は、台所で朝食を作っているワシの母であるイーダである。台所も螺旋階段を降りたすぐの所にあることから匂いが二階に筒抜けでもある。


「あら、トーブおはよう。エヴァちゃんに起こしてもらったの?」


鍋釜の前で額に少量の汗を滲ませながら、イーダは満面の笑みでワシとエヴァを迎えてくれた。


「違うよ。エヴァが来る前にきちんと起きてたよ」


ワシはいつもの体で返答する。事実、エヴァが来る大分前から起きていて気を練っていたのだから。


「相変わらず早起きね。まるでおじいさんみたい。そういえば出かけるみたいね。」


イーダはそう会話しながらも鍋の中の具材をかき混ぜている。


「どうして出かけるって分かったの? おばさん」


エヴァがイーダに対して聞いている。それは聞かずもがなの質問だとは思うが。


「だってエヴァちゃんの顔にそう書いてるわよ」


クスクスと笑いながらイーダは答えている。そう言われ、エヴァは自分の顔に手をやったりして、自分の顔に本当に何か書かれているかのような素振りをする。


「例えの話だよ、エヴァ。母さんもからかわないで。それで朝食なんだけど…」


ワシは申し訳無さそうに朝食はいらないことを告げようとすると


「できてるわよ。エヴァちゃんが、来た時に何だかそんな気がしたから。ちなみにエヴァちゃんのもあるわよ」


イーダが、机の上に置いてある2つの弁当箱を差し出してくる。


「わぁ、おばさんありがとう」


エヴァの表情が変わる。そわそわしている心もこれで少し落ち着けばいいんだが。

ワシとエヴァはお弁当を受け取り、きちんとイーダにお礼を言い、家を出た。




「一体どこに行くんじゃ?」


ワシは当初から気になっている事をエヴァに聞いた。どのくらい歩いたであろうか。そこそこの距離にもなるはずだ。


「着けば分かるわ。それより、トーブはどうしておばさんと私とじゃあ話し方が違うの?」


五歳にしては中々に鋭い指摘。ワシは少し考えこんでしまった。何とかいい返答を捻り出そうとする。


「うーむ、そうじゃのぅ。ふーむ、有無。そうじゃあ!!」


ワシの中で何かが閃いた。突然のワシの声に反応してエヴァが訝しげにこちらを見ている。


「ワシには大好きじゃったおじいちゃんがいたんじゃ。それはもう毎日毎日朝から日が暮れるまで一緒じゃった。もう亡くなってしまったが、今でもワシにとっては大切なかけがえのない思い出の一つ。何かそんなことを考えていたら自然とこんな話し方になってしまった。だから自分と仲良しの人だけに話すしゃべり方なんじゃよ。駄目かの?」


ワシとしてはうまい説明が出来たとは思う。

あとはエヴァが、この説明で納得してくれればいいのじゃが。


「駄目じゃないよ。私はトーブのその変な話し方好きだし。」


エヴァもどうやら納得してくれたようでワシは少し胸を撫で下ろした。


「母さんや父さんは友達とは違う、親だからのぅ。それに前にいつもの調子で話したら、注意されたんじゃ」


ワシの苦しい説明に果たしてエヴァは納得してくれるだろうか。

恐る恐る彼女を見る。少々うつむき加減で何かを考えている表情である。


「確かにそんな変なしゃべり方じゃ怒られるかもね。私は聞いてて面白いけど」


考え込んでいたエヴァの表情が緩んだ。


「面白いならよかったわい。」


何とかこの即興の説明で事なきを得て、ワシは一安心する。そ

んな会話をしている時でも二人の足は止まらず、どこかに進んでいる。


「それで今日は一体どうしたのじゃ?」


未だに答えてくれないエヴァに、ワシはもう一度聞いてみる。

するとエヴァはようやく、今日誘った理由について話し始めた。 


「今日誘ったのはさ、トーブに見てほしいものがあってね」


そう言い、彼女は微笑んだ。森の奥に少し進む。

古ぼけた橋を渡り、先にどんどん進む。普段あまり来ないような場所だ。非常に薄気味悪い。

最近、肉食獣により、家畜が襲われる事件が起きていることから、あまり普段から行かない場所に行くのはよくない。

ワシはエヴァにこれ以上先にいくのはよくないと声を掛けようとしたとき、エヴァは歩みを止めた。ワシは、急に歩みを止めたエヴァにぶつかりそうになるが何とか耐える。どうやら現地に着いたようだ。


「私よ~、出てきて」


エヴァが、急に茂みの中に話し掛けた。そうすると茂みの中から音を立てて、黒い膝丈ひざたけくらいの大きさの毛むくじゃらの生きものが出てきた。足首には痛々しい傷跡がある。

あれは確か・・・

その生きものはエヴァに慣れているのか、すぐに寄ってきてじゃれ付いている。


ダグゥの子どもじゃないか!」


熊とは、フォルセルに住む大型雑食獣である。子どものころは愛くるしいが、大人になるとフォルセルの森の中での生態系では、頂点に君臨する一種だ。見た目は鋭い爪に、鋭い牙を持ち、身体を覆う剛毛は鱗のように硬い。大きさも最大になると馬車と同等の大きさになるものもいる。運動能力に優れ、狩りは単体で行う。

気性は荒々しい。

特に繁殖期の雌の熊に出会ったら、命がいくつあっても足らないと聞いている。。


「なんでこんなところで!」


少し驚きつつ、ワシはエヴァに言った。子どもとは言え、久々に熊を見た。愛くるしいが、外見に反して凶暴だ。

ワシに対してダグゥの子は牙をむき、激しく呻る。やはりそれが本来の獣としての生まれもった性だとワシは思う。


「駄目! トーブはとっても優しいんだよ。だから呻ったら駄目」


エヴァがそう言い、ダグゥの近くまでいき、優しく撫でた。

危ない!

ワシは内心そう思い、エヴァを止めようとしたが、それはワシの取り越し苦労だったようだ。熊はそんなエヴァに甘えるように、頭を撫でられ、エヴァの手を舐めている。


「でも一体このダグゥどうしたの?」


ワシはエヴァに聞いた。エヴァは優しく熊を撫でながら、


「うん、捕獲用の罠に捕まっていたのを私が助けたの」


そういうとエヴァはある一点の地面を指差した。

そこには金属製の脚部を拘束する狩猟用のばね仕掛けの罠が置いてあった。


「なるほど、確かにあれに捕まったらあの傷に・・・」


ワシはそう言い、ダグゥの後ろ足の左足首の痛々しい傷を再び見た。


「ちょうど一週間前に、ここにお母さんと薬草摘みに来ていて。近くに薬草があって本当によかったわ。うまく手当て出来たから」


薬草を摘みに来ていたのと、エヴァの薬草の知識が功を奏したみたいだ。


「このダグゥも運がよかった。でもよくお母さんに気が付かれなかったね?」


「う、うん。うまく離れてたときだから。それに何にも言ってないし。」


流石に自分の母親には強気になれないエヴァがいる。確かにエヴァのお母さんがこんな熊に出会ってたらすぐに村の猟師に連絡がいくはずだ。子どもとはいえ、成長すればかなりの大きさになる。危険と判断されるが正直なところであろう。

このことからエヴァがワシ以外の誰にも話していないことが分かった。

さてどうするか。

危険性を考えれば村の人々に話したほうがいいかもしれないし、エヴァも安全だからだ。


「!?」


ワシと熊は、微かにだが人の来る気配を感じた。熊は何かが来るほうに威嚇して呻る。

エヴァはすぐにそれを止めさせ、茂みの中に熊を抱えて、ワシと一緒に隠れた。熊が鳴かないように口を閉じさせる。音を立てて、現れたのは少し猫背気味の成人の男だった。森に溶け込むような、茶中心の擬態色を施した外套を羽織っておる。右手には弓矢が握られている。服装からして猟師をしているようだ。

村の猟師の人じゃな。


「むっ?」


男が設置していた罠に付着していた乾いた血痕に気がついた。もちろんダグゥの血痕だ。

まずい。

男は軽く舌打ちをして、周囲を見渡し、地面をじっくりと見ている。手がかりから何か情報を得ようとしている。


「子どもと小型の動物の足跡」


ぼそりとつぶやくのを聞いた。

静まり返る森の中。重苦しい空気が流れる。


「ガゥ」


その時、熊が鳴いてしまった。

猟師がこちらの隠れている茂みを睨んでいる。

こんなときに。

猟師がまた一歩また一歩とこちらに近づいてくる。エヴァも天を祈るような表情でワシを見ている。

万事休すか。

ワシはエヴァと熊の方を見て、覚悟を決めた。


「あはははっ、おじさん」


ワシは遂には耐え切れず、茂みの中から出た。

突然のワシの登場に猟師は驚いている。


「ファンクルさんとこのせがれか。こんなところでどうしたい?」


猟師がワシのことが分かるのか、警戒心が解けていく。


「うん、何だかおじさんが怖い顔してこっちに来るから隠れちゃったんだよ」


ワシは柄にもなく、普段とは違う言葉を使いながらしゃべる。


「そうか、怖がらせちまって悪かったな。こっちも家畜が襲われる件でぴりぴりしててな」


猟師が申し訳なさそうに答えた。

実際被害が出ているので感情が高ぶるのは無理もない。


「いえいえ、僕も急に出てきたりしてごめんんさい」


ワシも謝る。エヴァ達のためとはいえ、大人に一芝居打つことになるとは、


「いいって。それより、お前さんに聞きたいんだが、ここいらで足を痛めた獣は見かけなかったか?」


猟師が本質に食い込んだ話をしてきた。

ワシの身体に冷や汗が出てくる。


「んー。おじさん、僕はわからないなぁ」


ワシはそう言い、猟師の表情を見る。そこには仏頂面で眼光が鋭い狩人としての男がいた。そう来るか。

ワシはそんな表情に臆することなく、平然と睨み返した。じりじりとお互い、正面きっての睨み合い。この猟師は、何故こんな子どもが睨み返してくるんだと感じているだろう。

ワシは寸分の瞬きもせず、猟師を睨みつける。

5歳の子どもの後ろに65歳の白髪鬼が光臨し、猟師に年季と潜り抜けた修羅場の違いを見せる。勝負になど始めからなっていない。猟師は本能からワシの存在に気がついた。5歳児の中にいる異質な何かを感じ取り、遂にはこの空間に我慢できなくなり、口を開いた。


「な、長々とすまなかったな。おじさんが君を疑ったのが悪かった。許してくれ。おじさんはもう少し森の奥に行って来る。遅くならないうちに帰るんだぞ」

「はーい」


ワシは不敵に笑みを作り、猟師を森の奥に見送り、ようやくエヴァ達のいる茂みに戻った。


「危なかった」


軽くため息をつく。男が完全に立ち去ったのを確認して、ワシはもう出ていいよとエヴァを促した。熊が声を発したときは心臓が飛び出るところだったわ。


「うん、ありがとうトーブ。ズーンのこと言わないでくれて」

「ズーン?」


聞きなれない言葉を聞き、ワシは聞き返した。


「うん。この子の名前。大人になれば大きくなるし、きっといずれは大きな足跡を鳴らしながら悠々と歩くと思うの。そこから取ったの」

「なるほど。とてもいい名前だと思う」


エヴァにより命名されたズーンを見ると、自分に名前が付けられたことを理解しているかのように喜んでいる。足の傷は痛々しく、それを気にはしている。


「それでこのズーンはどうするの?」


ワシは核心に迫る。それが一番の問題なのだ。


「もちろん飼うわ、ズーンを1人にしちゃいけないから」


エヴァは即答で答えた。ワシの予想通りの答えだ。


「エヴァ。ズーンは大人になればとても大きくなる。それこそ僕たちの数倍の大きさだ。それに今は、子どもだけど大人になると力もどんどん増してくる。分かるよね?」


ワシは諭すように言った。エヴァもこのことは頭の中では理解しているはずだ。エヴァから返答がなくなった。


「よし、では傷がある程度回復するまで世話をしようじゃないか。それからのことはそれから考えよう」


ワシの提案にエヴァ渋々承諾した。かなりのふくれっ面ではあったが。

それでもやはりズーンはダグゥである。身体は大きくなり、力も増してくる。

エヴァのことを考えると、ワシには首を縦にはすぐに振ることは出来なかった。

話が終わり、エヴァはズーンが少しでも安心して休めるように地面に柔らかい草を敷き詰めた簡易の寝具を作成している。餌はエヴァが自宅から持ってきた。生肉と加工された肉料理、モーキーの乳だ。

ズーンはそれが出されると勢いよく、食べ始めた。

迷いなく、エヴァの前で食べるところを露呈ろていしている。これはエヴァのことを、心から信頼しているということだ。ワシは、この一週間でここまで信頼されるエヴァを尊敬する。


「それじゃあ、また明日くるから。おとなしくしてるのよ」


エヴァはそう言うがズーンはどこか寂しそうだ。しかし、簡易の寝具の場所にゆっくりと運び、薬草で傷口を消毒させてからエヴァはその場から立ち去ろうとする。ズーンの甘い鳴き声が背後から聞こえる。エヴァはその声に振り向いてしまう。

いずれ、野生に戻るときがくる。その時に足かせになってしまうかも。

ワシはエヴァにこのことについてはきちんと話しておこうと思った。






次の日、ワシはダグゥの生態を少し探ってみた。何故、昨日のズーンは単独行動をしていたのか。熊は普段は雌親と子が共に生活している。ある一定になると子が自然とそこから巣立っていく。このことからあの成長段階ではまだ巣立っていないはず。つまりは消去法として考えうる答えは、雌親に何か不測の事態が起きたと考えるのが妥当であろう。あの場所にはエヴァの話ではあの熊以外いなかったという話しだし。

病気か外的要因かそれとも。

後に分かったことじゃがこのズーンの罠の近くで一匹の雌熊の死体が見つかったらしい。身体からは多くの弓の傷跡があり、おそらくは家畜の犯人と間違われ、猟師達に殺されたようだ。


「トーブいますか?」


玄関を勢いよく開け、エヴァが登場する。


「エヴァ、おはよう。今、行くね」


ワシは螺旋階段を勢いよく、降りエヴァと合流する。


「母さん、行ってきます」


ワシはイーダに出発の挨拶をして家を出た。その直後に家の奥から遅くならないうちに帰ってくるのよというお決まりの決まり文句が出た。エヴァとワシはそれを聞いてくすりと顔を合わせて笑う。

エヴァは今日も餌を持ってきていた。ワシも少しはと食べれそうな肉を用意してきた。


「行きましょ。ズーンのところへ」


エヴァの心の中では大切な子どもが出来たような感覚なのであろうか。しっかりしないとという意志の強さがひしひしと伝わってくる。古ぼけた橋を渡り、ワシ達は昨日の場所に着いた。しかしそこには昨日いたであろうズーンはいなかった。どこかに行ってしまったのであろうか。エヴァの表情をみると、驚きと納得の感情が出ていた。野生でいる以上、別れはいつかはくるものだと。それにしても唐突すぎる。ワシは周囲を見渡した。妙に静かだ。おかしい。よく見ると地面に足跡がある。ワシ達でもなく、熊の足跡と似て非なる形だ。


「!?」


何かが聞こえた。呻り声だ。

近い!

ワシはエヴァのほうを見るが、もうエヴァは動いていた。

早い。

獣道を抜け、小走りで走る。

少し走ったところでようやくひらけた場所に辿りついた。


「あれは!」


ワシが声を上げた。そこには複数頭の小狼ピュロスに囲まれたズーンがいた。小狼の頭数は大体10頭くらいか。

群れで暮らす小狼は最高の狩人だ。すぐには相手は殺さない。相手が弱り弱ったときに必殺の一撃を与える。大きさでは小狼とは、あまり変わらない大きさだが、多勢に無勢でさらに怪我までしているとなると不利なのは明確だ。

小狼がズーンに襲い掛かる。一直線に飛び掛る動き。


「ガアアアアアン!!」


しかしズーンはまだ幼いながら咆哮すると、その小狼目掛けて一撃お見舞いした。小狼が突然の反撃に吹き飛ぶ。まだ幼いながらもダグゥという生態系で頂点に君臨しているであろう片鱗が伺えた。


「ギャン!!」


しかし、その直後、ズーンのお尻を別の小狼が噛み付いた。ズーンは苦痛の音を上げて、反撃を試みるが、回避されてしまう。


「トーブ! ズーンを助けるわよ」


えっ?

エヴァが開口一番。ワシの隣で何かぶつぶつと唱えたと思うと彼女の手に小さな真っ赤に燃え盛る球体が現れた。

それはまぎれもなく魔術・・・。

ワシは驚いた。いや驚かされたと言ったほうが正しい。


「私にも初めて・・・」


状況が招いたことだろうか。エヴァの右手には小さいながらも火炎の塊が出来ている。リリス族の真骨頂である魔法だ。

この状況で出来るようになるとは流石じゃな。

ワシは何か武器になるものを探した。近くに太い木の枝があった。折れたとはいえ、中々の強度を誇っている。

よしっ!

ワシはエヴァに合図を送る。

今じゃ!


「それ!!」


真っ赤な球体が吸い込まれるように小狼ピュロスの中の一頭に炸裂した。小狼の身体の一部が燃えている。直撃した小狼はキャンキャンと吼えながら、地面に身体を擦り付け、摩擦で炎を消そうとする。エヴァの人生初めての炎魔法は見事に小狼たちの注意を引くことになった。戦いで一瞬でも注意が引かれると、そこが付け入る隙となる。ワシはその隙を逃さなかった。エヴァの炎魔法が放たれてから少し遅れて、ワシはズーンの近くに最短の距離で向かう。

途中小狼が襲い掛かってくるが、ワシは木の棒を扱う手にソーマを送り込み、小狼ピュロスのわき腹辺りに渾身の一撃を放つ。

小狼はきゃんという声を上げ、地面に倒れている。手ごたえはあるが斬撃ではなく、打撃なので致命傷にはならない。しかしズーンへの囲みが一部分解けた。

エヴァは人生初めての魔法を使い、その場にへたり込んでいる。

ズーンも負けてもいない。


「ガウウウウ!」


前足を上げて、小狼を威嚇し、向かってこようものなら、発達途上の前足で攻撃を行う。


「よしっ!」


ワシはズーンと合流した。小狼たちと戦ったせいか、身体中は傷だらけだ。しかし、致命的な傷はない。それに流石にダグゥというか、大きく口を開け、前足をあげる素振りをして、小狼達に威嚇しているだけで小狼達は性なのだろうが、攻撃を躊躇している。

ふっ、頼もしいわ。

ワシはズーンを抱きかかえた。不思議とワシの心情を理解してかズーンは暴れなかった。

ソーマを腕に送るとこういうことも出来る。


「エヴァ!」


ワシは叫んだ。エヴァと合流するにはこの小狼たちを通り抜けていかなければならない。ワシは気合を入れなおす。


「エヴァ、今からそっちにいくから」


ワシは両足、両手にソーマを送り込んだ。

この身体になっても毎日、気を練るという行為は欠かさず、行っている。

ソーマには上限がある。

年齢や気の使用回数によってその上限値は上昇し、かつ気の回復量は成長していく。

大体は自分の上限値を理解している。


「行くぞ!!」


掛け声とともにワシはズーンを抱えながら進んだ。

小狼ピュロスたちは先に動いたワシ達に視線を移してくる。

しかし、それがトウブの狙いだ。

胸元でズーンが暴れた。まだ小狼に牙をむき出しにして威嚇を続ける。

成長したら見ものだな、こやつは。

ワシがそう思い、エヴァのほうに向かおうとした時だ。小狼に向かって石が投げられている。そう、エヴァが小石を小狼に投げつけ、注意を引いているのだ。

ありがたい。

これならば無駄に気を消費せずに済む。

エヴァよ、ありがとう。ワシはそれでも向かってくる小狼を捌きながら、エヴァの下へと向かう。エヴァが石を投げ、助力してくるおかげで何とかワシは合流することが出来た。


「ありがとう。エヴァ」


ワシは心から礼を言った。


「はぁはぁはぁはぁ・・・ううん、トーブ達が無事でよかった・・・」


エヴァは息絶え絶えに返答した。


「エヴァ? 大丈夫か?」


ワシは語気を強めて聞いた。意識が朦朧としている。


「わ、私はだ、大丈夫だから・・」


魔気マジールの使いすぎ!

初めての魔法だったからのぅ。

ワシはすぐにエヴァにも肩を貸した。いやエヴァが倒れこんできたという方が正しい。ずしりと2人分の重さがこのリリス族という小さな器に乗りかかってくる。後方ではどうやら小狼たちが体勢を立て直して今にもワシに襲い掛かろうとしている。

あとは任せい!

ワシは自分の気の上限値を大体感じとる。

ソーマをさらに解放する。

全身に気を送る。丹田から気がゆるり、ゆるりと身体全身に浸透していく。


「よしっ! これで逃げれる。君も静かにしてるんだよ

「ガゥ」


ズーンがまるで今のワシを理解しているかのように返事を返す。

よし。

ワシの頭の中には戦うという選択はなく、逃げるという選択しかなかった。





走る。走る。走る。

来た道をエヴァとズーン、それぞれお姫様だっこと背中に背負いながらワシは走った。しかし、すぐ後ろから小狼の息遣いが聞こえる。

諦めてはくれぬか。

ぬっ!

ワシは自分の気の残存量を感じ始めた。

急がねばな。だがあの行きで通った古びた橋を、この1人と1頭を抱えて渡ることは不可能だ。

ならば渡れないなら飛び越えれば、いいだけのことよ。

即断即決。

やるしかない。

橋が見え始めた。手前に川幅の狭い箇所があったはず、そこで飛び越える。あれだ。

ソーマを両足に送り込む。

南無三!

一気に両足に送られているソーマを利用し、跳躍する。

蹴り飛ばした地面を見ると、ソーマの解放の力で陥没した岩肌が見える。

ワシは今、飛んでいる。


「トーブ・・・飛んでる」


エヴァが朦朧とした意識の中、つぶやく。

ワシは着地の衝撃を最小限に抑えるために、細心の注意を払い、着地する。

むう・・・。

そしてすぐに気の使用を止める。そろそろ身体に異常をきたす、限界の状態だ。

身体がけだるい。

後ろの川を挟んだ向こうには小狼が見える。

こっちに来るか・・・来ないか。

すぅううう。

ワシは軽く息を吸った。

そして激しく睨みつけた。もはやその人相は5歳児ではない。

戦場の武人としての顔でだ。


「もし来たらぁ・・・その時は死ぬものと思えぃ!」


ワシは叫んだ。もう限界で体力がなく、喉も渇き、がらがらだ。

そしてワシの思いが通じたのか、奴らはこっちにこなかった。

今思えば自分の領域外だったのかもしれない。

ワシはその場に1人と1頭をゆっくり地面に下ろした。

そして自分はその場に倒れこんだ。


「・・・ブ。トーブ」


誰かがワシを呼んでいる。また何か生暖かいもので顔を舐められている。


「くっ、なんだ?」


ワシは目を覚ました。体中が痛いし、重い。だが意識を失う直前よりかはまだましだ。エヴァとズーンは目を覚ましていた。2人の元気そうな姿を見て安心する。


「とりあえず帰ろっか。歩ける?」

「うん」


ワシは何とか歩けることを証明する。


「私、この子を飼いたいと思ってる。お父さんとお母さんに相談しようと思うの。ズーンにはお母さんがいない。このままにはできないわ」


やはりエヴァはそういうとワシは思っていた。考える。このズーンを育てるということは一匹のダグゥを町中で育てることだ。ズーンはというとエヴァの足元に頬を擦り付け、甘えている。あどけない表情だ。


「分かったよ。僕もその件に関しては賛同することにするよ」

「ありがとう、トーブ」


ぱぁと太陽のように明るくなったエヴァがいる。不思議とズーンもワシに寄りよってきている。


「あとなんだか私、空を飛んでた夢を見たけどあれは・・・」

「夢だよ、夢さ」


ワシは川を跳びこえたなんて言えず、ごまかす。


「そうね。夢・・・夢か」


エヴァがにこりと笑い、ワシに手を伸ばした。



昼過ぎに帰ってくるはずが、夕方前になってしまいワシ達は両親達に怒られた。

そして何よりも処遇に困ったのがズーンのことだ。

雑食獣とはいえ、ダグゥだ。ということでかなり危険視されていることからどうするか問題になった。そこでエヴァが泣きながら、肉を与えないということと、躾をしてきちんと自分とトーブとで面倒を見ますということでとりあえずは処分は保留になった。

わしもか。

ワシはというとソーマの使いすぎで3日間は身体の調子がおかしかった。これでまた強くなっていればいいが。

それからまた1年と月日は流れ過ぎ、6歳となったワシとエヴァに新たな出会いがこれから訪れるのである。


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