悠久なる気《ソーマ》を紡ぎし者達

がんぷ

遭遇

 あの時の出来事を見た者は口を揃えてこう言う。あれは悪魔の所業だと。だがまた別のある者はこう言う。あれは武の頂だと。またある物はこう言う。あれはただの純粋な人間の求めた永久とこしえの夢だったと。


「行ってくる」


ワシはそう言い、腰を上げた。

周囲からは爆音と喧騒が鳴り響いている。

おそらくかなり近くまで奴らは侵攻してきている。

立ち上がり、自慢の鎧を装着し、相棒を手にする。相棒とはもちろん数多の戦場を切り抜けてきた愛斧のことだ。

静かにワシは瞳を閉じた。

思い出が走馬灯のようにワシの脳裏を駆け巡った。ふと死という言葉が、脳裏を過ぎった。今まで何度もこの言葉が、脳裏を過ぎったことがあったが、それでも乗り越えてきた。今回もそうだと思っていたが、少し何か違和感を感じていた。


「トウブ様」


ワシの名前を呼ぶ声がする。声がした方向にワシは閉じていた視線を移す。そこにはまだ齢14,5のあどけない顔つきの少年がいた。身長は小柄、倍近くの身長のワシに比べたらとてもそのなりは小さく感じられた。その少年のまなこはある感情を押し殺し、ワシを見つめているのがすぐに分かった。


「なんじゃ」


それでもあえてワシは聞いた。

今、思えばこんなワシに付いて来たのは、この子だけじゃった。戦災孤児として拾い、育て、何度も里親を探したがこの少年ことヴァンはその度に断り、ワシに付いて来た。付いて来たその理由は、正直分からない。だがその芯の通った曇りなき眼には、ある決意があるとワシは感じていた。


「私も行きます」


やはりそうくるか。ワシはヴァンがそう言うのを分かっていた。


「駄目じゃ」


すぐにワシはその申し出を断る。理由は簡単。

これから向かうのは死地であって、常にそこでは死が待ち受けているからだ。ヴァンの命を死神が、掠め取ることなど造作もないことだと容易に想像が出来た。


「どうしてです。先生!! 私にも戦わせてください」


ヴァンから予想通りの言葉が発せられた。


「駄目じゃ。未熟な腕で武を振るうは蛮勇。今までそう教えてきたな」


ワシは悟すようにそう言い、ヴァンの方に歩み寄った。そしてヴァンの頭を優しく撫でた。


「大丈夫じゃ。ワシは必ず今回も帰ってくるわ。ちといつもより面倒じゃがのぅ」


子どもながらにヴァンは、今回の戦いの絶望感を感じていたのであろう。何せ、相手は帝国軍フェリスの大軍勢。こちらは少数の防衛部隊とワシだけだからだ。


「よし、そろそろ行ってくるわ。我が唯一無二の友、バストゥルクよ」


ヴァンから少し離れて壁に寄りかかっている、古くからの友の名を呼んだ。ワシの視線の先には三角の尖った耳に、口元から飛び出した2本の犬歯と銀色の体毛が目立つ、ワシと比べても引けをとらない体格の男が立っている。獣人族ワーウルフ。ワシの数少ない友の一人であり、喧嘩仲間である。

ワシはゆっくりと、バストゥルクの下に歩み寄った。


「何だ」


低い声でバストゥルクは答えた。

動きやすい羽織の外套だけを身体に巻き、腰には琥珀色の宝石を装飾した腰巻き。背中には自慢の肉食獣の牙や骨から作られた愛槍を背負っている。この槍を振るえば敵なしだ。ワシの相見えた中でも、格別の使い手でもある。


「ヴァンを頼む。今回ばかりは規模が規模じゃ。それに頼めるのはお主しかおらん」

「分かった。だがつまらんことは考えるなよ」


ワシの心の中を少し察してか、バストゥルクは言った。相変わらず、勘の鋭い男だとワシは思う。


「当然じゃ、お主との喧嘩もまだ決着が着いておらんのでのぅ。」

「ならばいい。存分に貴様の武を帝国の腐りきった俗物共に振舞ってくるがいいさ」


ふっとバストゥルクは笑い、ワシにいつもの調子で答えた。いつもどのような場所でもこの男はこの調子を崩さない。それがこの男の良さでもある。


「応ッ。あとヴァンよ」


ワシは愛弟子の名前を呼んだ。真っ直ぐな瞳にうっすらと涙を溜めながら、ヴァンはワシの下に向かってくる。


「お主には師匠らしいことは結局何もしてられなかったのぅ。すまんな。じゃがそんなワシから最後の試練じゃ。これからのワシの立ち振る舞いを、しかと刮目して見ておけ。この振る舞いが何たるか分かったとき、お主はようやくワシと同じ武の頂に、初めて足を踏み入れることになるであろう」


ワシはそう言い、不敵に笑った。そして、もう一度ヴァンの頭を撫でる。

ワシは2人に踵を返し部屋から出て行く。ヴァンの何とも言えない視線を背中に感じながら。





小国ペルト。3大国の間に挟まれ、常に不憫な思いを過ごして来た哀れな国だ。帝国フェリスはそこに目を付けた。甘い言葉に誘い言葉。帝国フェリスにとってこのペルトを落とすことによって、残りの3大国を落とすための布石にしようとしていた。

喧騒音を潜り抜け、戦場の中をワシは駆け抜ける。嵐が暴風雨でそこにある全てのものを倒壊させるが如く。目の前に立つ帝国兵の雑兵共の全てを切り刻む。

いや切り刻まなければなるまい。でなければこの惨劇の報いは一体どうなる。ワシは躊躇なく、愛斧を振るい、目に映る帝国兵の息の根を止める。


「・・・これほどとはのぅ」


少し呼吸が乱れ、肩で息をするようになった。

一体どれほどの生者を肉片と化してきただろうか。ワシの全身が返り血でどす黒く染まっていた。

これだけ返り討ちにしているのに、帝国フェリスの手は緩むどころか、益々強くなってきている。なんという物量。帝国フェリスの圧倒的な物量にワシは感心する。

大半の帝国兵は、ワシに対して恐れずに向かってきてはいるが、一部には僅かにワシに対して恐怖を感じている帝国兵も出始めている。

丹田からソーマを小出しに放出し、一時的にワシは火力を高めた。気の解放。ワシの一族ならではのもの。

ソーマ。気使いが、攻撃手段に使用する媒体である。腹の下にある丹田に溜め込んだ気を使用することで技の威力を高めることが出来る。


「ばああああああ!!」


気炎万丈、猛々しく行くぞ。

自分自身を鼓舞するかのように、ワシは次の斬撃を繰り出す。

命をかけてこその戦場だ。ワシは賭け時をすでに決めているのだ。

左腕に少し痛みが走った。弓矢が1本刺さっている。どこからか流れ込んできたものか。すぐに弓矢を引っこ抜き、ワシはその場から跳躍し、移動する。痛みは何故かほとんどない。感情が高ぶり、精神が肉体が凌駕しているためか。ソーマのおかげで怪我の治癒速度も著しく早い。周囲を見渡す。時間が掛かれば掛かるほど、状況は悪くなる一方だ。


「!?」


ワシの眼にある光景が映った。凄まじい数の帝国兵の増援が、ペルトに向かって進軍している。


(むぅ・・・なんて数だ)


ワシは苦虫を潰した表情で、その一団の光景をみる。このまま進軍させたらそれこそ成す術なく、ペルトの防衛軍は壊滅だ。


(先々代・・・)


ワシはペルトの先々代の国王を思い出した。とても人柄が良い、弱者の立場に立つことのできる、素晴らしい人間性の持ち主だった。尊敬に値する。ワシは心の底からそう思った。


「じゃからこそ、ワシは今ここにいる。先々代が大好きじゃったペルトを助けるために」


もはや迷いはなかった。丹田に溜めているソーマを解放して、全てを破壊する。気の全解放。その結果、自分が大量殺戮者になろうと、それでもワシは構わない。守りたいものがある。それだけで十分ではないか。


「いざ・・・」


戦闘中にも関わらず、ワシはうっすらと瞳を閉じた。へその下に意識を集中させる。長い年月をかけて、練りに練った至極の我が作品がこの世に放たれる。

ただただ馬齢を重ねていたとは言わせん。しかとその眼に焼きつけよ。

小童どもめ。一生忘れることの出来ない出来事にしてやる。


「ぬああああああああああああ!!」


ワシは吼えた。獣同様、人の本質も同じだと思う。身体の中の血液が、沸騰するかのように熱くなる。また丹田からは、おびただしい量のソーマが放出されている。


「あああああああああああ!!」


帝国兵達がワシの咆哮に対して事態を飲み込めない表情をしている。ようやく全解放が終わる。何かが変わった気はあまりしない。しかし、何が変わったかと尋ねられるとワシはきっとこう答えるだろう。運命だよと。




ワシは鬼と化した。この命尽きるまでワシは愛斧を振るのを止めないであろう。また歩むことも止めないであろう。


「ぜああああああ!!」


魂の咆哮。

ワシは裂帛の一撃を打ち込む。愛斧を地面に激しく打ちつける。

衝撃が走り、大地が割れ、地面が揺れる。

その直後、こちらに向かってきている帝国兵達の足元の地面が噴火するように隆起する。その場にいた帝国兵達は、悲痛な叫びを上げながら上空へと打ち上げられ、そのまま何も出来ないまま、地面に落ちる。

頭から落下し、地面とぶつかり、その衝撃で中身をぶちまけているもの。運よく落下して生きている者もいるが損傷は激しく、死ぬことと変わらない痛みを味わっているはずだ。

しかし、まだ帝国兵がぞろぞろと残っている。ワシは愛斧を両手で持ち、構えた。斧をその場で振り回す。

少し経つと遠心力が加わり、回転速度が、次第に上がってくるのが分かる。ごうっと激しい音がし始める。

嵐。

形容する言葉があるならそれが妥当であろうとワシは思う。

触れるものは全ていなくなり、残るのは、もはや何であったか分からない残骸だけだ。ワシが嵐の中心で舵を取り、対象に向かってゆく技じゃ。ワシは向かってくる帝国兵だけに限らず、その周辺にいる帝国兵を飲み込む、文字通り嵐となった。何かがぶつかってはいるがワシには一切が関係ない。ただ今はやるべきことを行うだけだ。慈悲などいらぬ。残すは屍のみだ。

周辺一帯の掃除が終わり、生者は物言わぬ、変わり果てたものになった。そのおぞましい光景を見て、巻き込まれなかった帝国兵が、背中をワシに見せ、悲鳴を上げ、逃げ始める。


「・・・がはぁ!!」


身体内部を、駆け巡る激痛と激しい量の血をワシは吐血した。


ソーマ全解放の影響か・・・」


時間がいよいよ迫ってきているようじゃ。ワシは意識を強く持ち、その場から歩き始めた。


「あそこじゃな」


前方がひらけ、その少し先によどんでいるものが見えた。それは実際にその場が淀んでいるわけではなく、この戦場の中でその部分だけ、他とは異なり、異様な雰囲気をかもし出しているということだ。

ただ者ではない気配をワシは感じ、ぞくぞくと鳥肌が立ち、口元に笑みがこぼれる。ただの一方的な虐殺には飽きていた。やはり戦場では強い者と強い者が相見える、そんな心躍る一時がなくてはと思う。

ワシはそんな思いを前方に馳せながらゆっくりと歩き始めた。


「むぅ!?」


前方からどすぐろい球体が飛んでくる。


ワシは敢えて、その攻撃を避けることはせず。そのまま球体に対して斬撃を繰り出した。


「暗黒魔法か。久々に見るわい」


暗黒魔法の源である球体を斬撃で消滅させる。そうすることで被害が最少限に抑えられるからだ。暗黒魔法の消滅を確認し、その魔法が飛んできた方向に人影が見える。


「何者じゃ?」


ワシは尋ねる。明らかにこの場に適していない服装だ。体格はワシよりかなり小さい。僧が着用している法衣に似たようなものを着ている。

目元だけしか見えず、年齢は定かではない。


「俺のことを忘れたか? トウブ坊」


奴はどうやらワシのことを知っているようだった。だがワシは、皆目見当がつかない。


「知らんのぅ。お主の様な知り合いはワシにはおらんわ」

「そうか、これはまたつれない話だ」


ふぅというため息と共に、男は言った。どうやら相手は、ワシのことを知っているようだ。さらに坊という言葉を使用したことからワシよりも年上だろう。見た目からは判断は出来ないが、声質とにじみ出る雰囲気でその人物がどのような人間か分かる。


「!?」


片手で印を結んでいる動作。

これは・・・そうワシが思うや否や、ワシの周囲に漆黒の球体が姿を現した。ふわりふわりと宙に浮いている。先ほどと異なるのは数が数え切れないということくらいだ。


「別に驚くことではないだろう。雌雄を決するとはそういうことだ。」


地面を軽く跳ねるように奴は移動し、涼しい顔つきでワシの目の前に迫ってきた。


「ちい」


こちらとの距離を詰めてくる男。ワシは周囲に浮遊している漆黒の球体を一瞥する。距離を詰めてくる男にも注意を払ってはいるがそれ以上にワシの周囲に蔓延はびこる、この無数の魔弾の動向を見極めねばなるまい。それを見極めねば、男の動向に対処することは不可能だとワシの戦場で培われた本能かんが告げている。


「!!」


瞳の奥に写っていた無数の球体の内、1つが動いたかのように見えた。いや、動いた。それを皮切りにして、次々と命を与えられた弾丸の如き球体が、ワシの身体に吸い込まれるように動いた。

ソーマ解放!!

丹田に練りこまれていた気の一部を消費し、ワシは自分の周囲に気の障壁を張る。あの数から、手加減など出来うるはずもなかった。そして出来ない理由もまだある。ワシは気の放出と同時に、先程まで球体を一瞥していた視線をすでに男に移していた。男はもうすでにすぐそこまで迫って来ていた。

無数の球体が気の障壁に触れ、1つ、また1つと爆音を上げ、爆発し、消滅していく。衝撃が空気を振動させ、ワシの身体に伝わってくる。だがワシの双眼は男を捉えて離さない。決してこの男の指先1つの動向も逃してはならないと本能が訴えかけてくる。恐怖。恐れ。そんな感情の他にワシの心は、男がどのような行動をしてくるのか、心待ちにしている戦士としての魂の躍動を覚えた。


「!?」


向かって来ている男に動きがあった。不気味な笑みを浮かべる。それは今までの笑みとはまた異なる男の心理を現しているものだとワシは理解した。

男が右手を軽くかざした。右手の手のひらに漆黒の1つの大きな球体が姿を露わにした。男はそれを自分の顔の前に持って行き、風船を吹くかのように優しく吹いた。風船のような球体は始めはゆったりとしていたが次第に速さを上げ、ワシの下に迫った。ワシの周囲には気の障壁がある。気の障壁にそれが触れ、形状が変わる。弾けて飛び散る。どす黒い液体のような煙がワシの目の前から急速に現れ、ワシの視界を遮る。正面にいたであろう男もどこにいるのか、判断が付かん。背中にじとりと嫌な汗が流れるのを肌で感じた。


「受けてみよ」


球体の爆発の煙の中、男の声が目の前にまで迫っていた。鋭い拳の一撃が煙を切り裂いてくる。

避け切れん!

ワシにその一撃が炸裂する。ソーマの障壁があるにも関わらず、それがまるでないかのように、激しい衝撃と身体全身を駆け抜ける雷撃をワシは痛みで感じ取った。


(・・・ただの掌底ではない)


口内から血の味がする。そこそこの量だ。

ワシは目の前の男の技を受け、奴の強さを目の当たりにした。

どうする。

ワシのソーマの障壁は鉄壁なはずだ。それなのに、泥壁のように打ち抜かれ、攻撃が直撃するとは・・・

ワシの背中にじっとりと冷や汗が出てくるのが分かる。こんな感じは久しぶりだ。相手の得体の知れない力量に恐怖を感じる。ワシより奴は強い。先ほど1合手合わせしただけで分かる。

じゃがそんな状況でもワシは奴と戦いたいと思っているところがある。


「お主のような男と出会えて嬉しいぞ」


心の底からそう思う。

ワシは先ほどの一連の流れを思い出し、ある一つの考えに行き着く。

あれは雷魔法とソーマを組み合わせた打撃技だった。素晴らしい混合術。


「何を考えているのだ。時間稼ぎのつもりか」


片膝を付いているワシに向かって奴は聞いた。

まるでいつもワシが、対峙している相手に会話をしているような感じだ。


「そうくでない。久々に出会えた強者が同門だったのだ。」


発破の意味も兼ねてワシは聞いてみる。

どう答える。


「気がつくのが遅いわ。わざわざ敢えて手加減して殴ったのも気がついたか未熟者。」


男はソーマ使いと言われても驚くことなく、ワシに返答する。初めから知っていたということか。手加減をしてこの威力。ワシと奴との現状での力量差が尚更痛感できた。だが、ワシの心はすでに決まっている。


「お主はここで倒さなければならぬ。ワシの全てを賭け、刺し違えてでも。」


ワシはそう言い、ゆっくりと立ち上がる。

そろそろソーマの量も足らなくなってきた。ぐずぐずしてられぬ。


「!?」


その時だった。後方でおぉーという馬鹿でかい声が、この戦場に木霊した。表情からして、奴も驚いている。

ようやく来たか。ワシにはすぐに理解できた。それは陽動部隊を撃破した三ヵ国の選び抜かれた精鋭部隊が、ペルトにようやく集結してきたということだ。






「面倒だな」


奴にもようやく事態がわかったようだ。


「行かさんぞ」


ワシは奴の前に立ち塞がった。奴に行かれれば、いくら精鋭部隊であろうとやられてしまう。


「邪魔だ。トウブ坊。そこをどかねば死ぬぞ」

「断る。この機運を逃せばペルトは終わる。ならばこそワシは、命をかけてでも、それを守らなければならんわ」

「そうか、ならば死ね。そんな甘い考えのもとでお前は死ぬ」


目の前で奴が消えた。いや圧倒的な速度でいつのまにか、こちらの背面に移動していただけだ。


「が・・・ふっ・・・」


胸部を冷たい何かが貫いた。その直後に暖かい血液がぽたぽたと地面に流れ落ちる。


「だから言ったろうに」


ぼそりと奴は言葉を吐いた。奴の右手を覆った氷の刃がワシの胸を貫いている。


「あぁ・・・ワシもお主に言ったろうが!!」


ワシはすぐに自分の胸を貫いている氷の刃を掴み、あることをする。


「無駄なあがきを・・・!?」


ソーマ放出!!

ワシの全ての気を奴に送り込む。

奴はすぐに異変に気がつき、始めた。ワシはそれを見て地面に崩れるように倒れこんだ。もう何もワシには残っていない。


「トウブ坊・・・お主。そこまでの覚悟が。があああ」


そう、ワシのソーマを全部奴にくれてやったのだ。自分の気と他者の気は成り立つことはない。今では奴の中で気同士が反発しているはずだ。

そのため奴は当分、まともに身体を動かすこともできないであろう。


「・・・予定より大分早いが、仕方あるまい」


男はふらついた足取りで、法衣の中からある物を取り出した。

禍々しい今にも全てを吸い込みそうな怪しい輝きを秘めている宝玉。

また小型の宝石達。男は無数の宝石を上空に放り投げた。

そして怪しげな呪文を唱えたかと思うと、宝石達はまるで意思を持ったかのように、地面にそれぞれ突き刺さった。

何をする気なのじゃ。眩い宝石達からはこちらを幻惑する怪しい光が発せられる。そして男は最後に残っている宝玉を天にかざす。そして勢いよく、地面に宝玉を叩き付けた。

凄まじい音が響き渡り、宝玉に押さえ込まれていた何かがこの地に解放された。

何という量の魔気マジールだ・・・。薄れ行く意識でもここまで感じ取れるほどの量の魔気だ。

瞬く間に魔気がこの地に拡散する。

地面に巨大な魔方陣が浮かび上がった。


「こういう展開は想定はしていなかったが・・・まぁいい。面白みはある」


地面に倒れこみ、血だらけのワシを見下ろしながら奴は嬉しそうに話している。その直後にワシの目に信じられない光景が写った。男が自分の腕に先ほどの氷の刃を作り出したかと思うと、一気に躊躇することなく、自分の胸に突き刺した。血染めの花が宙を舞い、男を染めた。

しかし男の表情は苦痛に耐えている表情とは異なって見えた。


「さて・・・次はどんな人生が待っていようか・・・トウブ坊、お主も運がよければ。その時は、またこのテンカイに会えるやもしれぬぞ。その時は味方同士でいたいものだな」


男は不敵な笑みを浮かべながら吐血し、その場に倒れた。

初めはピクリピクリしていたが、その動きも次第になくなり、最後は動かなくなった。

死んだのか。先ほどから奴から生気というものが感じられない。しかしワシもそんな奴と同様。もう身体全身の感覚がなくなってきている。

死が間近に迫っているのにワシの心はおおらかだった。武人として死ねるのなら本望。

じゃが・・・もう戦えなくなるのがちと心残りじゃのぅ。

こんな死に際まで戦いのことだけしか考えない自分をおかしく思いつつ、トウブは静かに目を閉じた。そろそろかのう。そう思ったときには、もうすでに身体に力が入らなくなり、ワシは遂に息絶えた。

その直後、2人の戦人の下に敷かれた魔方陣が怪しく光を放った。2人の亡骸を怪しく照らし、包み込んだかと思うと、魔方陣は2人の亡骸をまるで大海の渦潮が船を飲み込むように飲み込んでいった。

そして魔方陣は役目を終えたかのようにその場から消滅した。

新しい何かが、何かが始まろうとしていた。

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