第3話

「それにしても驚いたわよ。死にそうな顔して立ってるんだもの」

 店員の運んできたばかりの軟骨入りのつくねを、母はかじりながら話した。添えてある卵黄は付けない。母は生卵が駄目なのだ。

「でも、久しぶりに会って〝お金?〟はないよ」

 僕は笑いながらビールを飲んだ。

「だって、最近どうしてるかとか全然連絡寄こさないから、どこか知らないとこで借金でも作ったんじゃないかと思って。あんたちょっとお父さんに似てるとこあるからさ、これでも結構心配してるんだからね」

「わかってるよ」

 僕は怪訝そうに返した。僕は父が嫌いだ。昔は、たまに会いに来ては玩具をくれたのでそれが嬉しかったが、今では物で自分の過去の行いを誤魔化そうとしていた父を恨んでさえもいる。似ていると言われるのも、あまり深く父という人間を知っている訳ではないので反応し難い。

「父さん、最近どうしてる?」

 普段、あまり僕からは話題にしないことを尋ねてみる。

「また仕事始めたみたいよ。この前連絡があったわ」

「何の?」

「建設会社の事務だって、よくわからないけど、取り敢えず収入は安定してるみたい」

「ふーん。長続きすると良いね」

「そうね」

 母は笑った。


 よく不思議に思われることが多いけれど、うちの両親はまだ離婚していない。

 いずれ離婚すると時に漏らしていたが、結局「子供が自立するまで」との話になり、いつの間にかそれさえも曖昧になっている。

 別居はしているものの、僕からすると母はもう離婚する気がないように見えてならなかった。


 父は今ではかつての女性とは別れ、一人で暮らしている。借金もあり、職を転々としているため、母も一緒に暮らす気はないそうだ。最近また連絡を取り合っているようで、そんな父のことを母はよく愚痴にしていた。


「そういえばさ」

 僕はベッドのことを思い出した。

「んー?」

 母はメニューを眺めている。

「あのベッドどうしたの?」

「ベッド?あぁ、あれね」

 母は後ろを通った店員を呼び止め、焼酎のおかわりを頼んでいる。

「あんたも何か飲む?」

「まだビール残ってるし、今日はもういいや」

「そう。あ、じゃあそれだけでお願い」

 店員が畏まりましたと去って行く。

「それで、なんだっけ」

「ほら、母さんの部屋にあった」

僕は何でもない振りをしながら、凄く聞耳を立てている。

「あぁ、ベッドね。ほら、お母さんずっとお布団で寝てたじゃない。でも最近干したり運んだりするのが腰に負担でね。だから買ったの」

「どこで?」

「それがさ、最近は便利ねぇ。安い家具屋を探してるって会社の人に聞いたら、〝インターネットで調べたら安いのも見つかりますよ〟って言われて、ちょっと探してもらったの。少し疵があるけど、がっちりして丈夫そうでしょ?あれ幾らだったと思う?」

 僕は通販番組のコメンテーターを思い出した。さすが元主婦だけあって、母もこうゆう話が好きらしい。

「んー……結構安いんでしょ?じゃあ…5千円くらいかな」

 僕は右手をパーに開いた。母は嬉しそうに首を横に振っている。そして彼女も右手をVの字にして僕の目の前にぐいっと突き出した。

「なんと2千円よ。2千円。マットレスも付いてて。送料は別で掛かったけど、それでも安いわよねー。もう、直ぐにメールを送ったわ」

 確かに安い。確実に送料のほうが高かったはずだ。

「ネットオークションで買ったの?」

「そうゆうのもあったんだけどね、お母さんにはちょっと難しくて。それで、ネットのフリーマーケットみたいなのに載ってたのを見つけたわけよ」

 会社の同僚が見つけてきてくれたのだろうが、母はあたかも自分の手柄のように話している。

「そしたら先方さんがね。また良い人で」

 僕はドキリとした。ベッド裏の文字が頭を過る。

「どんな人だった?」咄嗟に反応してしまう。

「メールでしかやりとりしてないからわからないけど、文章は丁寧で礼儀正しくて、良い人そうだったわよ。なんで?」

 しまった、と思う。

「いや、別に。大丈夫かな、と思ってさ。安すぎるし、ほら最近ネット犯罪っていうの?詐欺っていうか、物騒だから」

 しどろもどろに誤魔化した。

「あー、まあ、そのときはそのときね。でも多分大丈夫よ。もう結構時間も経ってるし」

 母はあっけらかんとしていた。胸を撫で下ろす。

「でも気をつけてね。一人暮らしなんだから」

 僕が言うと、あんたに言われたくないわよと、母は笑っていた。

「そんなことより、大学は大丈夫なの?」

僕は不意を衝かれてギクリとする。

「あぁ……うん」とお茶を濁した。

「何も考えずに出てきたんでしょ」

 こうゆうところだけは鋭い。僕が答えに困っているのを見て、母は溜息をつく。

「まぁ、若者よ。何があったかは知らないけど、そんな時もある。ゆっくりしていきなさい」と母は笑顔で言った。

「お世話になります」

 僕は頭をぺこりと下げる。

「学費、お母さんが払ってるんだからね。留年しないでよ」と釘を刺された。胸にぐさりと。

「はい。恐縮です」

 僕がそう言うと、母は嬉しそうに笑っていた。


 会計は母がしてくれた。どうせ大したお金も持ってないんでしょ。と言って。

 家に帰ると、僕は風呂も入らずそのまま泥のように眠ってしまった。薄れゆく意識の中で、こんなに疲れていたんだなと思う。すっかり変わってしまった僕の部屋。そこにかつての面影はないけれど、同じ屋根の下に家族がいる。そんな安心感に包まれていた。

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