メディアアートに親を殺された俺の話
@ome_shima
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俺の両親はメディアアートに殺された。
中学校の教師をしていた父親は、とある日曜日、家族三人で出かけた地元の美術館の《 I AM ERROR 》という展覧会で、他人と資格を交換できる作品を体感したあと、気が狂ってしまった。それは二人一組で水泳用ゴーグルのような特殊な装置をつけると、やはり同じ特殊な眼鏡を身につけた正面の人と、お互いの資格を交換し、それぞれの仕事を疑似体験できるというものだった。
父親は偶然その場に居合わせた、生まれたばかりのヒヨコを鑑別する資格を持った女性と資格を交換した。そのときはヒヨコのオスとメスを見分ける作業をヴァーチャル・リアリティ上で楽しんでいたのだが、翌日、いつもどおり出勤したところ、ヒヨコと自分の受け持つ学生の区別がつかなくなっていることに気がついた。
その数日後、ついには視界に入る人間がすべてヒヨコに見えるといいだして発狂すると、頭を掻きむしりながらマンションのベランダから身を投げた。私たちが住んでいたのは2階だったが、頭をコンクリートブロックに強く打ちつけて、そのまま死んでしまった。
母親はロボットアームに頭部を貫かれて死んでしまった。それは父親の死からわずか半年後だった。母を殺した作品は、母が慰労のために友人と訪れていた《青森恐山トリエンナーレ》というアートフィスティバルに展示されていた。
その作品は恐山の宿坊の一室に展示されており、リズミカルな光と音に合わせてガラスケースの中の2本のロボットアームがまるでアイドルのようにコミカルな動きをするという作品だった。老眼気味の母が、その作品の近くに寄って見ようとした瞬間、ロボットアームは突然ガラスを突き破って母の脳天を貫いた。
それは最終的に、同時刻、イタコが呼び寄せようとした橋本真也の霊が間違ってロボットアームに憑依してしまったことによる誤作動として警察には片付けられてしまったが、俺には信じられなかった。たとえ霊魂になったとしても、橋本真也はそんな殺生をする男ではないということは周知の事実だったからだ。
《青森恐山トリエンナーレ》に同伴し、事件現場に居合わせた母の友人は、告別式で「あのロボットアームはまるで意志を持っているかのようにまっすぐにあなたのお母さんを狙って攻撃していた……。それは橋本真也の袈裟斬りというよりも、アブドーラ・ザ・ブッチャーの地獄突きだった……」と俺に告げた。
どちらにせよ、母はもう戻ってこないことに変わりはなかった。
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