ファンタジーの練習

グラップリン

太陽探して百万歩

「タイヨー? なんだ、そりゃ」


 洞窟いえの前でぶっ倒れていた少女がうーうー言っていたのがうるさくて、蹴飛ばしてみれば空腹を訴えられた。

 目を合わせてしまったが最期、あまりにやかましくされたので渋々ご馳走してやった。

 どうみてもアナグラの人間ではなかったそいつは、旅人だった。


「太陽だよ太陽。暖かくて、眩しくて、キラキラしてて。……マズいね、このパン」

「文句つけんなら返せや行き倒れ」


 少女は取られまいと急ぎパンを口にほうり込む。すれば詰まらせ、慌てて喉に水を流す。

 声がでかいどころか見てるだけで騒がしいやつだ。


「で、何だよ。タイヨーってのは?」

「いやほら、空って暗いじゃん?」

「そりゃそうだ」

「太陽ってのはさ、空を青くしてくれるんだってさ」

「青ぉ? バカ言ってんな。どこの世界に青い空なんてもんがあるんだよ」


 天井に開けた通気口を指差す。

 土を盛り、土を掘り、作った住まいのうえにはどこまでも黒い空が広がっている。

 暗い、暗い、天に開いた巨大な孔。それが空だ。


「だからさ、探してるんだよ。太陽。昔、ばあちゃんに聞いたんだ。どっかにあるって」

「寝物語か」

「よくわかったね。……もしかしてなんか知ってる!?」

「知るか。バァカ」


 世の中じゃそういうのを子供騙しとか与太話っつうんだよ。

 ああ、縁もゆかりもねえどっかの婆さん。アンタの孫はとんだすっとこだよ。

 ……バカって言った方がバカだとか言ってんじゃねえよバカ。


「バーカバーカ! へんだ、何だい命の恩人だからって。人の夢笑っていいもんか!」

「笑わねえよ。……笑えねえよ」

「ごめん。そのマジな言い方、やめて」


 夢見がちを通り越して夢しか見てないバカ女。とんだ拾い物だよ。

 こいつが飯を食い終わったらとっとと追い出そうと思って、余計なことに気づいてしまった。

 ――後に思えば、ここで俺の人生は切り替わったんだ。


「しまった」

「あにが?」


 パンを食いながら喋んじゃねえよ。


「今日は砂起こしが来るんだった。お前を追い出せねえ」

「えー、追い出さないでよ。どうせだから少し旅の疲れを癒していこうと思ってるのに。砂起こしって何?」


 傍迷惑な物言いを努めて無視し、疑問に答える。


「ここいらって砂だらけだろ?」

「うん。砂地ばっか。靴に砂入るし、服に砂入るし、口に砂入るし」

「風が吹いたらどうなる?」

「うわー、ってなる。目と口と鼻と、もう全身に」

「それの滅茶苦茶すげえやつだ。定期的に来るんだ、この辺は」


 地形がどうたら、精霊がどうたらというが俺にはよく分かっていない。

 ただ、それがどうしようもない災害であることだけが分かれば十分だ。


「砂起こしが来たら扉も通気口も塞いで、洞窟いえに籠もるんだよ」

「塞ぎ忘れたら?」

「中は滅茶苦茶。最悪、吹っ飛ばされたり埋まったりして死ぬ」

「あっぶねー。知らなかった」

「お前、よくこの辺り旅してたな。……いや、褒めてねえよ。照れるな」


 通気口から黒い空を見上げる。

 強くなりつつある風には普段よりも多く砂塵が混じっている。

 そろそろ扉を固めようかと考えると同時、


「あーッ!」


 少女が大声をあげた。


「バカやろうッ。洞窟いえん中で大声出すな!」


 壁に天井にと反響した声は逃げ場もなく全身を響かせる。

 俺の怒号も響くのも知らず、少女はあたふたと自分の服や鞄を漁る。


「無い、無い、無い!」

「……あ?」

「ばあちゃんのネックレス、私、大事!」


 落ち着けと言っても落ち着かない。バタバタと慌てふためく様子からはそれが余程大事なのだと伝わってくる。


「落としたんじゃねえの。ぶっ倒れた時とかに」


 言えば、少女は相槌の一つもなしに外へ飛び出した。後を追う。


「無い、無い……」


 砂を散らし、土を巻き上げて探す顔は次第に弱気な、今にも泣き出しそうなものになっていく。

 わ、と一際強い風が砂塵を飛ばす。


「ペッ、もう大分近いな、こりゃ。おい、もう諦めて……おい」

「風……。そうだ、風で飛んだんだ」


 蒼ざめた顔のまま、少女は走り出した。


「おい!」

「探さなきゃ! まだ近くにあるかも!」

「死にてえのか!」


 小柄な背中は何も応えずにアナグラを走り抜けていった。


「……勝手にしろ!」


 一つ、悪態を吐いて洞窟いえに戻る。

 扉を閉めて、鍵をかけて、慣れた手順で隙間なく塞いでいく。

 ぼう、と通気口を抜けた風が大きく吼えた。


「ああ、くそ。こっち先の方が、いい、か……」


 ふと机の上、食べかけのパンと水が眼に入った。

 連なるように、それを食べていたバカな少女が思い浮かんで。

 繋がるように、少女の泣き出しそうな顔が思い出されて。


「バカ、やろう」


 もう一度、悪態をこぼす。小さな呟きはどこにも反響せず、風の音にかき消え

る。


「あの、バッカやろうがッ」


 防塵用の外套とターバンとマスクと靴とその他色々をひったくって固めかけた扉を蹴破る。

 強い風が砂塵混じりに俺を出迎えた。


「クソ、近えしでけえ……!」


 洞窟いえの上に登ってアナグラの外に眼をやれば、大きな、とても大きな砂起こしが迫っていた。

 一刻も早くバカを見つけようと思い、地面に下りようとして、


「ん?」


 一瞬の違和感に気がついた。

 見えてはいけないものが見えてしまったような、違和感。

 もう一度、砂起こしに眼をやる。とても大きい。近づくだけで人間などひとたまりもなさそうだ。

 そうだ。近づくバカなど、いるはずがないのだ。


「――晴々ハレバレ


 視界確保の式を紡ぐ。

 瞬間、俺の眼は風にも砂塵にも煩わされず、普段よりも遥かに遠くを見渡し始める。

 そして、見た。


「バカだバカだと言ったがよ……」


 大きな、とても大きな砂起こしの方向へと走っていく少女を、見た。


「あ、の、バ、カ」


 飛び降りて全力で走り出す。

 猛烈な逆風に心を折られそうになりつつ走る。防塵用の装備であっても叩きつけるような砂塵はどうしようもなく鬱陶しい。

 砂起こしに向かっていくなんて無謀だと分かっている。


「ああ、クソ。あんなやつに飯なんてやるんじゃなかったッ」


 口は広げず、噛み締めるように叫びながらも脚を止めない。

 もうどの洞窟いえも堅く閉ざされ、アナグラには人影一つ見当たらない。

 砂粒を踏み潰す音も風の中に消えていく。

 砂の色が、黒い空を染めあげる。


「ああ、こりゃ死んだか?」


 アナグラを抜けて外へと出れば、目の前にはどこまでも広い砂地が広がっている、はずだった。


「こんなにすげえのか、砂起こしってもんは」


 この土地に住み着いて長いが、砂起こしをこんなに間近で見たのは流石に初めてだった。

 『晴々』でも視界を透過できない砂と風の塊が分厚い壁のようにそびえ立つ。

 風巻く音が轟々と耳を塞ぐ。何も聞こえない。


「……マジか、アイツ」


 そんなどうしようもない無力感の只中を、舞い飛ぶバカがいた。


「あー! こんにゃろー!」


 何事かを叫びながら、泳ぐように手足をバタつかせて砂起こしの中を飛んでいる。

 うん、どう見ても吹っ飛ばされているだけだ。


「バカヤロー! 死ぬ気か!」


 どれだけ声を張り上げても総て風にかき消される。自分でも何と言ったのか聞こえなかったくらいだ。

 一歩を前に踏み出そうとして、躊躇う。

 状況は絶望的だ。

 相手は災害。人間の一人や二人なんて、意味が無い。

 そもそもバカがバカやって死ぬだけのことだ。究極、自分には関係ないことだと言える。

 ここまで来たのだって、半ば勢いに乗せられていたものがある。

 少しずつ、少しずつ冷静になっていって。


「そらー! このー!」


 不意に、砂起こしの中、バカが手を伸ばす先にキラリと光る何かを見て、一歩を飛んだ。


「……!」


 同時、身体が凄まじい圧力で吹き飛んだ。

 高い。いや、あまりの勢いに高さすら分からない。

 高いと肝を冷やした時にはもう急激な速さで地面に吸い込まれていく。

 落ちて、しかし叩きつけられる前にまた飛び上がる。


「や、べえ」


 手足をバタつかせても何も変わらない。

 心底から後悔しながら、足掻く。


「――浮々フワフワ


 重量操作の式を紡ぐ。

 多少だけだが、滅多矢鱈に飛ばされなくなった、ような気がする。

 ぶわと、高く舞い上がる。瞬間的に自身を軽くすれば、驚異的な速度で飛び上がった。


「う、お。気持ち悪ぃ……」


 衝撃に吐き気を覚えながら、上空、砂起こしの中でも上部と言うべきところから地上を俯瞰する。

 バカが塵みたいに飛び回っていた。


「ある意味スゲえよ、お前」


 手足を揃え、直立の姿勢になって地上に向かう。

 重量操作で風圧にどうにか抵抗し、バカと衝突する。


「この、バカやろうが!」

「ぎゃんッ」


 衝突と同時に抱えて確保。同時に重量操作を解いて、また飛び上がる。


「おい、生きてるか?」

「なんで来たのさ!」


 ダメだ。何か言ってそうなのは分かるが、風で何言ってるのか全然分からねえ。


「探し物は、どうだ? あったのか!」

洞窟いえに籠もってるんじゃなかったのかよ!」

「お前、後で一発ぶん殴らせろよ!」

「あーもう、また見失っちゃったじゃないか!」

「無事でよかったよ!」

「来てくれてすっげー嬉しい!」


 二人同時に地上を向く。

 強烈な風、風、風。無尽蔵の砂塵が視界を完全に埋め尽くす。

 『晴々』で見通すその先に、光る何かが飛んでいるのを見た。


「あった!」


 多分、同時に叫んだ。

 勢いよく砂起こしの中へと飛び込んでいく。

 『浮々』でも歯が立たない大嵐の中を、それでも必死に泳ぐ。

 ただ手足をバタつかせるだけの不格好な抵抗に果たしてどれだけ意味があったのか。


「おい、まだ見えてるか?!」

「こらー、待てー! ばあちゃーん!」


 抱えた横で、バカはせわしなく見る向きを変えていく。

 でたらめに周囲を見ているようにも見えたが、違う。こいつには見えている。


「見えてるんだな!?」

「『虚々ウロウロ』でもキツいなー、これー!」


 後で、失せ物探しの式を使っていたと聞いた。

 とにかく、役割が分かれていれば話は早い。

 何度かバカの頭をはたいてこちらに気を向かせる。


「教えろ、どっちだ!」

「あっち!」


 バカが手を伸ばした方へと吹き飛ぶように重量を調整する。明後日の方向に吹っ飛ばされた。


「何やってんのー! バカー!」

「何言ってんのか分かんねえけど何か言ってそうなのは分かんだからなテメエ!」


 再度、指し示された方向に飛ぶ。

 キラリと、何かが光った。


「アレか!」


 落ちる。

 飛ぶ、などという優雅なものではない。ただ吹き飛ばされて、振り回されて、それでも届けと手を伸ばす。

 しかし指先をすり抜けるのは砂粒ばかり。ネックレスなんて、本当に飛んでいるのかも疑わしい。


「こっち!」


 それでも抱えた少女が俺の腕を引き、向きを指し示す。

 向けば、視界の隅を光がよぎる。

 全身がバラバラになりそうな大嵐の中を縦横無尽に飛び回る。今、自分がどこにいるのか、どちらを向いているのかも分からない。

 まるで、悪夢ゆめの中にいるようだ。

 久しく触れた、どこまでも走っていける広やかな世界ゆめ。わけもわからぬままに冒険する昂奮ゆめ――!


「この、この……このッ」


 少女が懸命に手を伸ばす。

 掴もうと。せめて触れようと。空を掻き、腕を振るう。何かの軌跡を残すように。


「ぜってえに掴めよ……!」


 抱える腕にぐっと力を込める。ビクンと、華奢な身体が不自然に跳ねた。

 ――瞬間、


「え」

「ッ」


 一際強力な風に身体を跳ね飛ばされる。

 あまりに急な方向転換に対応できず、全身を地面に叩きつけられた。


「~~ッッ」


 潰れて、砕けて、ぐちゃぐちゃになったような激痛。

 肺の空気も総て叩き出されて息苦しい。砂塵を吸わないように小さな呼吸を繰り返せば、空気諸共マスクに吐いた血の生臭さが鼻を突く。


「だ、大丈夫!?」


 少女が慌てたようにこちらを窺う。

 咄嗟にかばおうとしたのがどうにか上手くいったらしい。見た限りには怪我もなさそうだった。


「え、うわ!」


 痛みに歯を食い縛る暇もなく、風に吹き飛ばされて舞い上がる。

 視界が霞むのは砂埃だけのせいではない。チカチカと明滅する。


「あー、キツ……」

「そ、そろそろ、マズいかも……?」


 首を動かして少女を軽く小突く。諦めんなと、伝わっただろうか。

 少女が頭で俺の胸を叩いた。


「んなッ」


 ガクンと、身体が墜ちた。

 俺は何もしていない。無論、少女が何かしたわけもない。

 急に風が止んだのだ。

 これが大きな風の“目”に入ったということなのか、と気づいたのは後になってからだった。

 なぜなら、この時の俺の頭にはそんな隙間がなかったのだから。


「――あ」


 風の音は離れて遠く、少女が息を呑む声が聞いて取れた。


「――」


 俺はと言えば、情けないことに、声一つ出せなかった。本当に、何も考えられなかったのだ。

 だって、


「青い……」


 風が止み、重量操作でゆっくりと背中から落ちる俺たちが空を仰いでみたものは、砂起こしの輪から覗く、透けるような青空だったのだから。

 自分が見ているものが現実とは思えない。

 ああ、もしかしたら俺は砂起こしに呑まれて死んだのかもしれない。

 これは今わの際に俺がみた幻覚ゆめなのだろうか。

 そんな想像も、少女の声が、身じろぎが、小さな反応たちがかき消してくれる。


「ッ、おい!」


 不意に青い視界の中に何か光るものが落ちてくるのを見て、声が飛び出した。

 キラリと光ったものは俺たちに向かって飛んでくる。


「わ、わ」


 少女が腕を伸ばしてそれを掴んだ。多分、ネックレスだ。

 一度ぐっと抱きしめてから、少女はそれを空にかざした。


「ばーちゃーん! 青空、あったよー!」


 風は遠く、声が聞こえる。






      ● ● ●






「生きて帰れたのはいいけどよ」


 青空の下、息つく間もなく穴を掘ってビバークすることで難を逃れた俺たちは酷使した体を引きずってアナグラに帰還した。

 砂起こしは強烈にアナグラを飲み込み、それでも被害は少ない。

 改めて隣人たちのたくましさに関心させられながら、俺は一人立ち尽くしていた。


「俺の、洞窟いえ……」


 なぜなら、扉を蹴破って飛び出してきた我が家は綺麗に壊滅していたからだ。

 中は大量の砂で埋まり、掘り起こすことも難しい。


「まー、生きてるって素晴らしいってことで。前向き前向き」

「そりゃお前は失ったもんがねえだろうがよッ」


 その横で、旅人の少女があっけらかんと笑う。首には飾り気のない簡素なネックレスが揺れている。


「はあ、どうすっかなあ、俺」

「んー、じゃあ一緒に行く?」

「……何処にだよ」

「――太陽のあるところ」


 言って、ニカリと少女が笑みを深める。それこそ、何にも増して明るい笑顔だ。

 空を仰ぐ。砂起こしの後の雲一つない、黒い晴天が広がっている。

 ふう、と息を吐く。そんな小さすぎる風では空は晴れない。青い空はもう見えない。

 それがどうにも物寂しくて。


「……ここで穴掘るよりは、マシか」

「やったね決まりィ!」


 背中叩くな。まだ痛えんだから。けっこう馬鹿力だなお前。

 足取り軽い少女を、俺はゆっくりと追い始める。

 ああ、縁もゆかりもねえどっかのばあさん。アンタの孫はとんだすっとこだよ。

 人の言うことなんざ聞きゃしねえ。

 だから、俺はいつか青空ゆめの続きが見られると、そう信じられそうだ――。


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